〜番外編第7話 大分編in臼杵〜
アカサカ「という訳でみんな、今日は臼杵の方に観光に行くぞ」
ハッピー「臼杵?」
ディケイド「一昨日、別府に行ったばっかだってのに、忙しいな」
アカサカ「……管理人の今月の休みが月の真ん中に集中してんだよ」
〜場面転換〜
アカサカ「今日も鶴崎から出発だ」
ディケイド「前回とは対照的に今日は晴れてるな」
アカサカ「今日は乗り換えなしで臼杵まで行くぞ」
〜場面転換〜
アカサカ「到着っと」
ウエスト「と言うわけで、前回に続いて臼杵の駅名標の前でパチリ。横には名所案内もあるよ!」
アカサカ「臼杵石仏の多くは阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏で、脆い上に劣悪な環境の中で仏頭の多くが剥落したんだってさ。
中でも、最も有名な古園石仏群の大日如来像の仏頭は、平成6年(1994年)3月に保存修復が完了するまでの間、
仏体下の台座に置かれたままで、修復にあたっては、元の姿に戻すべきという意見と、臼杵のシンボルともなっている像の姿を大きく変えることを憂慮する意見との間で激しい論争が起きたんだけど、
仏頭の元の位置への修復が国宝指定の条件として文部省(当時)から提示されたため、最終的に元の位置へ復元されることになったんだって」
ディケイド「店長……長い」
アカサカ「…………」
ハッピー「大っきいね〜……」
ウエスト「この仏頭のレプリカは、さっき店長が言ってた本物の修復前に作られたもので、仏頭が足下に置かれていた時期の状態をよく表してるんだよ」
ハッピー「へぇ〜……」
アカサカ「臼杵駅の待合所や観光案内所だ。シンプルな作りだな」
インペラー「でも、天井が高いッスねぇ」
アカサカ「壁には石仏の羽目絵(?)もあるな」
アカサカ「臼杵駅の全景だ。3年前と全然変わらないな」
ハッピー「店長、前に来た事あるんだ」
アカサカ「ああ。勤務地が大分だった頃ね」
アカサカ「駅前には大日如来像(古園石仏群)のレプリカがあるぞ。仏頭が再び体とつながったことで、参拝すると首がつながる、会社でリストラされないって俗説が生まれたんだってさ」
杏子「ひゃー、でっけぇなぁ」
サンクラ「人間ってのは、でっかい像に憧れんのかな?」
アカサカ「そうかも知れないな」
ディケイド「駅前は閑散としてるな」
アカサカ「まぁ、どっちかと言うと田舎町だしね……」
アカサカ「駅前の通りをちょっと歩くと左手に……」
アカサカ「『港町商店街』が見えて来る。今から行く場所は、ここを抜けて行くぞ」
杏子「広い場所に出たな」
ハッピー「あ、杏子ちゃん。お城が見えるよ」
ウエスト「店長、ここは?」
アカサカ「臼杵城跡だ。今回のメインはここだよ。3年前は奥まで行って写真撮らなかったからな」
ウエスト「ふ〜ん?」
アカサカ「大友宗麟が築城した臼杵城は、文禄2年(1593年)以降、福原直高、太田一吉が相次いで城主を務めたのち、慶長5年(1600年)からは、美濃から入封した稲葉氏が廃藩置県まで15代にわたってこの城を居城とし、
臼杵藩の支配にあたってきたんだ。この城は丹生島に築城されたこと、また、島の形が亀の姿に似ていたところから別名、丹生島城とも亀城とも呼ばれていたんだってさ」
アカサカ「ちなみにここは『古橋口』って入口だ」
ハッピー「あ、見て見て杏子ちゃん、ウエスト。カモがいるよ!」
ウエスト「え、どこどこ?」
ハッピー「あ、草の影に隠れちゃった……」
杏子「カモかぁ。カモ鍋が美味しいんだよなぁ……」
ハッピー・ウエスト「…………」
アカサカ「階段を上って、と」
インペラー「さすがにここは舗装されてるんスね」
アカサカ「これは『畳櫓』っていって、城跡では数少ない復元された櫓だ」
アカサカ「二の丸大門櫓だ」
インペラー「これも復元されたやつなんッスよねぇ?」
アカサカ「ああ、そうだよ」
アカサカ「門を登らずにもう少し奥手に行くと、『時鐘櫓跡』があるぞ。
この鐘は『原山時鐘』っていって、鐘に刻まれた銘によると、元禄13年(1700年)に鋳造されて、その後、寛政2年(1790年)に改鋳、江戸末期までは時を告げていたって記録が残ってる」
アカサカ「そんじゃ、大門をくぐるぞ」
アカサカ「大門をくぐって左手には『会所櫓跡』がある」
アカサカ「会所櫓跡から、さっきの畳櫓を見たところだ」
サンクラ「景色もいいな」
ウエスト「ホント。臼杵の街が良く見えるねぇ」
アカサカ「臼杵護国神社だ」
アカサカ「奥に進むと、臼杵城を築城した大友宗麟のレリーフがあるぞ。
丹生島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害をなしていたんだ。
ちなみに丹生島の『丹生』ってのは、『金属鉱石の産出する島』って意味だ。宗麟は、この島一つを城郭化して干潟を干拓して城下を形成したんだ」
アカサカ「その横には沸狼機(フランキ)砲も展示されてるぞ。
永禄4年(1561年)、毛利氏との戦いに敗れた大友宗麟は、翌永禄5年(1562年)に臼杵湾に浮かぶ丹生島に新城を築き、大分府内大友館から移ったんだ。
ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの記録によると、城下には多くのキリスト教の施設が建立され城内には礼拝堂もあったとしているぞ」
一同「へぇ〜……」
インペラー「でっかい大砲ッスねぇ」
サンクラ「メガトロン様の融合カノンにも負けない迫力があるな」
アカサカ「天正14年(1586年)の島津軍の侵攻(丹生島城の戦い)に対して『国崩し』と呼ばれたポルトガルから入手の大砲、
『フランキ砲』を動員するなどして島津軍を退けたんだが、城も城下も大きく損失した。その翌年、大友宗麟は死去したんだ」
アカサカ「この二本のモミの木は、『日本一高いクリスマスツリー』に認定された事もあるんだってさ」
杏子「……日本の城でクリスマスツリーかよ……」
ディケイド「ミスマッチだな」
ハッピー「えー、私はいいと思うけどなぁ……」
アカサカ「多目的広場の横の道には、色んな石碑もあるぞ」
アカサカ「鉄門(くろがねもん)跡の横を通って……」
アカサカ「ここが臼杵城の本丸跡だ」
ハッピー「パッと見た感じだと、普通の公園みたいだね」
ウエスト「でも、あっちの方には何か建物があるよ」
アカサカ「……あれは茶店だよ。営業はしてなかったみたいだけどな」
ウエスト「な〜んだ……」
アカサカ「すぐ側には『天守櫓跡』があるぞ。
平成19年(2007年)度に臼杵市教育委員会が行った本丸天守台の発掘調査によって、
石垣構造や整地層包含遺物から天守台石垣が文禄3年(1594年)から慶長5年(1600年)の間に築かれたものである事がわかったんだ」
※ある程度撮影を終えて次に行こうとした時、突然管理人に声をかけて来たお婆ちゃんがいました。
お婆ちゃん「景色撮ってるの?」
管理人「ええ、まぁ……」
お婆ちゃん「学生さん?」
管理人「いえ、30の社会人です」
お婆ちゃん「ちょっと面白いのがあるんよ。来てみて」
管理人「はぁ……」
お婆ちゃん「これこれ。どこが面白いかわかる? もしかしたら『な〜んだ』って言うかも知れないけど」
管理人「えーっと……ああ、途中から別の木の枝が生えてるんですね! 接ぎ木と言うか、ヤドリギみたいな」
お婆ちゃん「そうそう。多分、樹についたコケとかに別の木の種がついて発芽したんだと思うのよ。知り合いとかにも話すんだけど、いつもそう言う人と一緒に来なくてねぇ」
管理人「へぇ〜……」
※以上、地元のお婆ちゃんとの、ちょっとした交流でした(笑)。
ウエスト「店長、どこ行ってたの?」
アカサカ「ちょっと、地元のお婆ちゃんと交流をね」
サンクラ「よくホイホイついていったな」
アカサカ「まぁ、実際のところはちょっと警戒してたけど……」
ディケイド「おいおい……」
アカサカ「えー、気を取り直して。臼杵城からちょっと進むと、『稲葉家下屋敷』があるんだ」
アカサカ「稲葉家別邸は、廃藩置県に伴って東京へ移住した旧臼杵藩主・稲葉家の臼杵滞在所として明治35年(1902年)に建築されたんだ。
建築は近代に入ってからのものだけど、武家屋敷の様式を色濃くとどめた屋敷なんだそうだ。近くには観光案内所やお土産屋も併設されてるぞ」
ウエスト「見て見て! 水路にコイがいるよ」
ハッピー「本当だ」
杏子「コイかぁ。鯉こくが美味いんだよなぁ……」
ウエスト「杏子ちゃん、今日、そればっかりだね……」
サンクラ「店長、あのデカい工場はなんだ?」
アカサカ「あれは臼杵市に本社がある“フンドーキン醤油”の工場だよ。
醤油・味噌・ドレッシング・ポン酢・柚子こしょうの生産量は九州第1位で、醤油に関しては全国8位、麦味噌の生産量は日本一なんだ。
本社内にある醤油工場の巨大な木樽は、高さ9メートル、直径9メートル、容量540キロリットル(1リットルで54万本分)に及ぶ世界最大級のもので、
平成20年(2008年)にギネスブックの認定を受けた事もあるんだってさ」
アカサカ「最後は臼杵駅の前で締めだ。お疲れ様でした」
ディケイド「……ところで店長、今回の写真、オレが一枚も写ってないんだが……」
アカサカ「……ごめん。本気で出す機会を逃してた」
ディケイド「帰る時に道間違えて、上臼杵駅の方に出てたよな。迷ってる時間が無けりゃ、最後に記念撮影する予定だったって聞いてるんだが」
アカサカ「だからゴメンって……。次はちゃんとやるからさ……」
ディケイド「やっぱり世界はオレに撮られたがってないって事か……」
戻る