〜本耶馬渓〜

 本耶馬渓(ほんやばけい)は、青の洞門や競秀峰を中心とする山国川上流一帯の名称です。
 青の洞門は羅漢寺の禅海和尚が、参拝客が難所を渡る際に命を落とさないよう、ノミ一本で掘り抜いたトンネルで、菊池寛が『恩讐の彼方に』を上梓したことで、全国にその名を知られることになりました。

 今から270年ほど昔、諸国遍歴の旅の途中、この地を訪れた禅海和尚は、鎖渡しと呼ばれる難所で命を落とす人馬を見て、村人の為に安全な道を造ることを決意しました。
 こうして30年もの長い年月をかけ、ノミと槌だけで約342mもの長い隧道を掘りぬきました。
 完成した当時は「樋田の刳抜」(ひだのくりぬき)と呼ばれていたが、江戸時代末期から大正時代にかけて、「樋田のトンネル」や「青の洞門」と呼ばれるようになったとされています。「青の洞門」が用いられた初期の例としては、1923年(大正12年)の『尋常小学国語読本 巻十二』や、1942年(昭和17年)の大分県の史跡指定があります。

 では、本耶馬溪を見て参りましょう。

菊池寛の小説『恩讐の彼方に』で名高い、青の洞門入口です。
1906年(明治39年)から1907年(明治40年)にかけて陸軍日出生台演習場への輸送路整備のために大改修が行われ、車両が通過できるよう拡幅されました。
この工事の結果、完成当初の原型はかなり失われましたが、明かり採り窓等の一部に手掘りのノミの跡が残っています


左手にも石碑のような物がありました。


それでは、実際に青の洞門に入ってみましょう。


左側は車両通行用のトンネルになっています。右側が、禅海和尚の手掘り跡です。


現在では階段や手すりなどが加えられています。


最初に開けられた明り取りの窓です。


窓から覗いた風景はこんな感じです。


掘り間違えなどもあったようです(笑)。


いったん車道に出ます。


車道から先ほどの通路を。


車道から少し進むと、現在も残っている手掘り跡があります。


この看板が目印です。


この階段から降りていきます。


入口。コンクリートで補強されています。


内部はこんな感じです。


そのままになっているのは壁だけで、床や階段は現在の技術で作り直されています。


車道の反対側に出てきました。


禅海和尚の像です。
禅海和尚は隧道を開通させた後は利用者から通行料を徴収したことから国内初の有料道路とも言われています。


お土産屋の駐車場から競秀峰を。


橋の上からの風景です。


8つの岩が連なる岩山は、『競秀峰』と呼ばれています。耶馬渓を代表する景勝地です。
間近で見た景色はまさに絶景でした。


耶馬渓の川は、『自然水族館』という名前が付けられているそうです。
「ただの川じゃん」は多分禁句(爆)。


川にはコイや白鳥が居ました。


エサやりは自由だそうです。


川岸はきちんと整地されています。お弁当でも食べると楽しそうです(笑)。



続いて、耶馬渓付近にある『耶馬渓橋』も併せて紹介致します。



耶馬渓橋。別名『オランダ橋』と呼ばれる、日本で唯一の8連アーチの石橋です。
全長116mの長さは日本一、だそうです。


橋の上からの風景です。


反対側の岸から。


耶馬渓橋の解説の立て札(?)です。



以上、本耶馬溪でした。


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