〜志免駅跡〜

※注:数年前に携帯で撮った写真を使用していますので、少々画像が荒いですが、ご容赦下さい。

 志免駅は、かつて福岡県の糟屋郡志免町にあった日本国有鉄道(国鉄)勝田線の駅です。1985年の3月31日をもって勝田線が廃線になった際、76年の歴史に幕を閉じました。
 廃駅後、跡地は志免鉄道記念公園になっています。近くには『志免鉱業所竪坑櫓(しめこうぎょうしょたてこうやぐら)』の遺構が残されています。
 管理人もあと数年早く生まれていたら、勝田線に乗れていたかも知れないと思うとちょっと残念です(苦笑)。

 志免鉱業所竪坑櫓は、かつて旧日本海軍や日本国有鉄道によって運営された国営炭鉱・志免鉱業所の、石炭を搬出するための施設です。
 地上にある櫓の部分は1941年に着工し、1943年に完成しました。建物の高さは47.65メートル、長辺15メートル、短辺12.25メートルです。地下の竪坑は、櫓が完成した後、1943年から1945年にかけて開鑿されました。石炭層に垂直に掘られた竪坑が、地下430メートルまで延びています。
 しかしエネルギーの転換などもあって、1964年(昭和39年)に閉山となりました。
 当時、戦時下であったにもかかわらず、イギリス製の鉄鋼をふんだんに用いた鉄筋コンクリート造で、当時の価格にして200万円もの予算をかけて建設された事は特筆に値するでしょう。

 現在では、近代建設技術史上価値が高いものとして、2007年7月31日に国の登録有形文化財に登録、さらに2009年12月8日、国の重要文化財に指定されました。

 では、志免駅跡と、志免炭坑の跡を見て参りましょう。

志免駅の駅名標です。当時使用されていた物と同じ物かは、あまり詳しくないので不明です(いい加減だな……)。


ホーム跡。当時のレールも、一部記念として残されています。


現在では駅跡を道路が通っているため、ホームが途中でぶった切られています(笑)。よって、道路の向こう側に見えるのもホーム跡です。


志免炭坑跡、遠景です。


もうちょっと近づいてみましょう。


さらに接近。当時、私がいた店舗の同僚曰く、この辺りでは「幽霊ビル」のあだ名があったようです。


炭坑櫓の解説も有ります。写真だと文字が潰れてて読めませんね(苦笑)。



以上、志免駅跡の紹介でした。


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