〜中津城〜


 中津城は、周防灘(豊前海)に臨む中津川河口の地に築城された梯郭式の平城です。堀には海水が引き込まれているため『水城』ともされ、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられています。
 本丸を中心として、北に二の丸、南に三ノ丸があり、全体ではほぼ直角三角形をなしていたため扇形に例えて『扇城(せんじょう)』とも呼ばれていたそうです。櫓の棟数は22基、門は8棟、総構には6箇所の虎口が開けられていました。

 では、中津城を見て参りましょう。

中津城の外観です。現在のものは模擬天守だそうで、江戸時代の時点で天守の存在は不明だったそうです。


天守閣の方向から。


さらにぐるっと回って、石垣を見てみます。


中津城の石垣は、黒田氏の時代と、細川氏の時代の境目があるのが特徴です。
右側が黒田氏の時代に、左側が細川氏の時代に作られたものだそうです。


石垣の解説。黒田氏が持ち込んだ、古代山城の石について説明されています。


それではまず、お城の下から紹介させて頂こうかと思います。「中津神社」と書かれた鳥居をくぐります。


すぐ近くには、『市民庭園 蓬莱園』があります。


ちなみに庭園自体の入場料は無料です。


鳥居から右の土手に上がると、日本歯科医界のパイオニア、小幡英之助氏の銅像が建てられています。


さらに、正面から見て右手側にも門の跡があります。


こちらの入り口には、中津城の旧地図が設置されています。


三斎池(さんさいいけ)。
細川忠興が、元和6年(1620年)に家督を三男の細川忠利に譲って「三斎」と号し、中津に隠居した時、城内の用水不足を補うため、城内への水道工事を行いました。
その水を湛えたのがこの池で、鑑賞や防火用水としても使用されたそうです。池の名は、前述の忠興の号、三斎からとられてつけられました。


さて、三斎池から向かって左側から、城内に向かいましょう。
石段を登ると、まず中津大神宮が見えてきます。


中津大神宮を正面から。


別角度から。


神社の側から中津城を。石畳から伸びている左側の建物は奥平神社です。


奥平神社を正面から。


ちなみにお堀の方から入ることも出来ます。写真は中津の観光案内図です。


案内図の右手の階段から城内に入っていきます。


入り口です。実はこの写真を撮った時は入城しませんでした(爆)。城内部の写真は後日撮ったものです。


中には色々な物が展示してあります。これは法螺貝。長篠の戦いの際に使用された物のようです。


陣笠に火縄銃です。


巨大な軍配もありました。まぁ、人が振り回すのは無理ですね(おい)。


陣羽織。……何とな〜く空蝉丸(キョウリュウゴールド)を思い出すような……。


槍なども展示されていました。刃はピカピカです。


鬼瓦。



それでは今度は、最上階の展望台からの景色をご紹介します。



まずは城の入り口側。先程の神社や池が見えます。


ぐるっと反時計回りに回ります。


道路の向かい側にはプールがあります。実はこの写真、遠方に私の職場が写ってたりします(爆)。


さらに回って……


回って……


一周してきました。


城の近くには、武家屋敷の跡も有ります。


別の角度から。平成20年の12月25日に、当時の持ち主であった大江家から中津市に寄贈されたものの、老朽化のために解体をせざるを得なかったそうです。


武家屋敷の図面と、当時の写真です。


武家屋敷の敷地は、現在大部分が公園になっています。


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