〜宮崎県総合博物館〜

 宮崎県総合博物館は、宮崎県宮崎市に位置する県立博物館です。歴史・民俗・自然科学の総合博物館として、宮崎県内の資料を展示しています。

 では、宮崎県総合博物館を見て参りましょう。

宮崎県総合博物館の正面入り口です。

受付コーナー。広々としています。

私が昔、宮崎に居た頃には無かったのですが、2013年1月に、串間市の高松海岸で魚釣りに来ていた親子が発見した鯨類の化石なのだそうです。

一階には『自然史展示室』があります。展示室の入り口ではタブの老木と芽生え、ニホンジカ、初夏の「タブの森」がお客さんをお迎えします。これは樹齢200年のタブなのだそうです。

宮崎の森をパネルで表現しています。

一方で右手には、鹿の親子のはく製などが展示されています。実はこのはく製、ちょっとした小ネタがあるのですが、それはまた後述……。

ここでは初夏の照葉樹林を再現しています。自然が豊かな照葉樹林には土の中から木の上までたくさんの生き物たちが生活しています。
床の一部がガラス張りになっていて、一層森の中に居るような気分になります。

樹木から響く音が再現されています。

樹木と地面の断面展示です。

様々な生き物の卵です。色々なサイズがあります。

動物の足跡と、何の動物化を当てるクイズです。ボタンを押すと答えの動物が表示される仕組みです。

ブナの森。宮崎県でブナの森ができる場所は、標高1,000m以上の山地帯で、その面積は約900km2であると考えられています。ところが、現在では約135平方kmほどしか残っていません。

ブナの森にはカモシカをはじめ、ブナの森を中心に生活するたくさんの動物たちが生活しています。

今度は水辺の生き物が展示されています。

アカメの分布と生態。アカメは、南日本の宮崎県や高知県を中心に、世界でこの地域のみに分布する種類です。
全長1.3m、体重40kgほどになる大型の魚類で、その生活場所の大部分を河口域にたよっています。
このため、環境の変化を受けやすく、宮崎県では河川護岸や湾岸工事、捕獲などが原因で生息数が著しく減少し、将来絶滅も心配されています。

サンゴの海(夫婦ヶ浦/串間市・南郷町)。日南海岸の海中は、黒潮の影響を受け亜熱帯気候を示します。
特に、宮崎の冬の海は、天国です。海水は澄み、暖かい海の中でサンゴやサンゴをすみ場にする生物たち、
それを餌にする生き物がたくさんいます。マンボウもやってきます。

磯浜と砂浜の自然。 磯の潮間帯は、生き物がたくさんいますが、夏太陽に焼かれたり、冬寒風にさらされたり、波にもまれたり、
生活場所としては厳しい環境です。しかし生き物たちは、特別な体の構造や機能、生活上の工夫で克服し、環境のわずかな違いを利用して生活しています。
なお、『潮間帯』とは、海の満潮線と干潮線との間の部分をいいます。

アカウミガメの産卵の様子です。

アンモナイトの化石も展示されています。

宮崎県最大のアンモナイト、『シャスティクリオセラス』というのだそうです。

地球シアター。恐竜や……

マンモスの化石も展示されています。

宮崎で産出される、様々な鉱物です。

石を大きく分けると堆積岩・火成岩・変成岩になります。よく見かける砂岩や泥岩も時代が古いほど堅くなります。高い熱や圧力の影響を受けると変成岩になります。
火成岩は、マグマの性質と固まった場所(深さ)で同じ成分でも流紋岩になったり、花こう岩になったりします。

さらに、宮崎に棲む、様々な生き物も展示されています。これは鳥類。

海洋生物に……

陸生哺乳類や……

蜂なども展示されています。

ヒゲクジラのヒゲ部分です。

蝶も数多く生息しています。

宮崎県門川町の沖合に無人島の枇榔島があります。ここには絶滅に瀕している鳥類のカンムリウミスズメとほ乳類のオヒキコウモリがすんでいます。
前種は、日本最大の繁殖の群を持ち、後種は、日本で初めて集団で発見されたものです。両種とも人の影響が少なく、天敵の侵入のなかったことが、生き残っている主な原因と考えられています。

それでは、今度は二階に上がってみましょう。

二階は歴史展示室になっています。

古代人の猟の様子。実はこのジオラマ……

一階のシカを狙っているのでした(笑)。

今から1万数千年前、ようやく照葉樹林の広がりはじめた日之影町出羽洞穴(いずるはどうけつ)の前で狩りに命をかけるたくましい男たち。

宝玉のレプリカです。

弥生時代後期から古墳時代初めにかけて、宮崎平野を中心に見られる花びら形住居は、全国的にもめずらしい南九州独特の竪穴式住居です。
花びらの部分は土の壁で仕切られて、小さな部屋になり、物置や石器製作の作業場、時にはベッドとして使用されました。古代人の弥生ちゃん(写真右)が解説してくれます。

宮崎で出土する、様々な土器類です。

土器の復元パズルです。金属製の芯に、磁石の入った破片を貼り付けていきます。

勾玉や銅鏡、古墳時代の鎧です。古墳時代の鎧は、三角形や帯状に切った鉄板を皮でとじたり、鋲で留めて作られています。
宮崎県内では、地下式横穴から出土することが多いため、腐食が少なく当時の状態をよく留めています。
これらの鎧は、作り方に地方色がみられないことから、中央の工房で製作された後、地方に配布されたものと考えられています。

古代から近世へ。日向国(宮崎県)の庶民の暮らしを中心に、文化や風土がどのようにして育まれてきたかを豊富な映像や検索機器、音声機器等を駆使して紹介しています。
戦国時代の日向国や江戸時代の小さな四つの藩とその姿、そして明治時代という新しい時代を迎えた宮崎県の近代化への歩みを目と耳と手で観覧できる展示を試みています。

中世になると交易・貿易も盛んで、瀬戸・常滑(現愛知県)や備前(現岡山県)などの国産陶磁器などが日向国にも伝わりました。
仏教は民衆の間に広がり、寺院が各所に建てられ、優れた仏像がつくられるとともに、五輪塔・石碑などの石塔群もつくられるようになりました。

明治時代以降の、宮崎の様子です。

全国的に分県運動が高まるなか、1880(明治13)年頃から宮崎県の再置を願う人々の運動が活発になりました。
県会議員の川越進や藤田哲蔵を中心に分県運動が展開されましたが、嘆願書が却下されるなど、簡単には実現しませんでした。
川越らはその後もねばり強く運動を続け、ついに議会で分県が承認され、1883(明治16)年5月9日宮崎県が再置されました。

当時の銃なども展示されています。

そして、時代は戦争へ……

戦時中は鉄などの資源が不足していたため、代替材料で様々な物が作られました。

戦時中の様子。他にも、戦時中の民家を再現した実物大ジオラマなどもありました。

そして、戦争は終わり。この住宅は、宮崎市内にすむ昭和30年代の一般的な文化住宅を復元したものです。父と母、娘2人の4人家族です。

今度は民俗展示室です。炭窯と炭焼き小屋。炭窯は、カシなどの炭材を得やすい所に作ります。
立地条件としては、きりだした材を窯の近くまで運び入れるズリ(道)があること、焼けた炭を消すときに用いるスバイを冷やすための水が近くにあること、窯と作業場をつくる平地があることなどです。
炭焼き小屋は窯をおおう上屋、作業をする前屋、道具や炭俵をおく尻屋からなります。

山地に見られる人々のくらしを国指定重要有形民俗文化財「日向の山村生産用具」を中心に紹介しています。
そこには、身近な山の恵みを生活に生かすための智恵や工夫、願いや感謝、人々の深いつながりが見られます。

アユカケ漁。スイガン(箱めがね)で水中をのぞき、サオの先にしかけたハリでアユをひっかけます。船は全長約4メートルで、後部は平らに板がはってあります。
体を伏せて水中をのぞきやすいようになっています。川の流れがはやい中で、船をたくみにあやつりながらアユカケを行うためには経験と勘が必要とされました。

展示されている衣装の一部は、試着可能です。

他に二階では、特別展示などもやっています。この時は写真展を催していました。他に、私が宮崎に居た頃は『きらめく水晶と鉱物展』なんてのもやってました。


さて、今度は建物の外に出てみましょう。



建物わきの通路を抜けると『民家園』があります。宮崎県内各地には、かつて、その地方独特の建築様式をもった民家が多数ありました。
その中から特色のある4棟の民家を、宮崎県総合博物館民家園に、昭和47年から昭和53年にかけて移築復元したものです。
これらの建物は、今から約150年から200年前に建てられたものです。この内「旧藤田家住宅」と「旧黒木家住宅」は国の重要文化財、
「椎葉の民家」と「米良の民家」は宮崎県指定有形文化財にそれぞれ指定されています。

西米良村「米良の民家」。県指定有形文化財 です。米良の民家は、西米良村にあった黒木家住宅を移築復元したものです。
この民家は、山間の三段石積みの上に建てられていたもので、外観・間取りなどに古い西米良の農家の形が残されています。また、がっちりした骨組みの馬屋も残っています。
言い伝えにより、文政4(1821)年頃に建てられたとされています。

高原町「旧黒木家住宅」。国指定重要文化財です。旧黒木家住宅は、高原町にあった郷士(ごうし)の建物を移築復元したものです。
この民家は、宮崎県南西部に分布する分棟型農家の典型で、平入の「オモテ」と妻入の「ナカエ」の2棟からなっています。
発見された墨書によって、郡奉行の御用宿を勤めたことと、天保5(1834)年から2年間かけて建てられたことがわかっています。

椎葉村「椎葉の民家」。県指定有形文化財です。椎葉の民家は、椎葉村にあった清田家住宅を移築復元したものです。
この民家は、宮崎県北西部に分布する並列型農家の典型で、間取りは部屋を一列に横に並べる形式で、三つの部屋と土間からなっています。また、手前には板縁が通っています。
解体中に発見された墨書きによって、元治元(1864)年に建てられたことがわかっています。

五ヶ瀬町「旧藤田家住宅」。国指定重要文化財です。
旧藤田家住宅は、九州山地中央部に残る民家の古い形式を伝える数少ない建物で、宮崎県北西部五ヶ瀬町から移築復元したものです。
この民家は、県内で確認されたものとしては最も古いものです。間取りは、「オモテ」と「ヘンヤ」の二つからなっています。
間仕切柱の刻銘によって、天明7(1787)年に建てられたことがわかっています。


以上、宮崎県総合博物館でした。

戻る