〜油津〜

 油津は、宮崎県日南市にある町です。日南市の中で面積が最も小さい地区で、かつては東洋一のマグロ漁港と言われた油津港を中心とした港町です。
 サーフィンスポットとして有名な梅ヶ浜があります。

 遣唐使の時代から日本と中国大陸をつなぐ貿易の中継地であり、倭寇の拠点としても利用されていました。戦国時代においては港の支配権をめぐって伊東氏と島津氏が争っていましたが、羽柴秀吉の九州征伐以降は伊東氏による支配が確立しました。
 南蛮貿易における寄港地の一つであり、当時ポルトガル人が使用していた海図にも記載されています。文禄の役では伊東氏の拠点港として利用されました。
 江戸時代に入ると南蛮貿易は終息しましたが、代わって需要が高まった木材(飫肥杉)の積出港になりました。木材運搬のために北方を流れる広渡川と油津港とを結ぶ堀川運河が飫肥藩によって掘削され、1686年(貞享3年)に完成しています。
 油津港の北に広がる日向灘は当時の海上交通における難所であり、風見(天候調査)のための長期滞在者が多く港町として賑わいを見せました。歌川広重の名所絵『六十餘州名所圖會』に「日向油津ノ湊飫肥大島」として描かれています。
 1882年(明治15年)頃に近畿地方へ直行する航路が開かれ、南九州における輸送拠点の一つとなりました。1900年(明治33年)頃からブリ漁が盛んとなり、1913年(大正2年)に漁港の指定を受けました。1933年(昭和8年)から1940年(昭和15年)にかけてマグロ漁が盛んとなり、日本各地から約500隻の漁船が集まり、1日の水揚げ金額が1億円に達したこともあるのだそうです。

 それでは、油津を見て参りましょう。

油津駅から。広島カープのキャンプ地でもあるそうです。


駅前には、かつてマグロ漁港だったためかマグロのモニュメントがあります。


油津駅全景。


駅から右手には商店街がありますが、ほとんどシャッター街化していました。(- -;)


夢見橋。樹齢120年の飫肥杉と飫肥石を使い、釘などの金属を使わない伝統工法の「木組み」で造られています。


お弁当でも広げると気持ちよさそうな感じです。


橋の天井は飫肥杉の特徴である弾力性を生かした『曲げ木』で出来ています。


堀川資料館。
外観は普通の民家で、ちょっと見ると分からないと思います。


『寅さん』の資料も壁に並んでいます。


堀川運河と堀川橋です。堀川資料館の窓から撮ったような……(うろ覚え)。


堀川橋と吾平津神社の鳥居です。
堀川橋は別名『乙姫橋』とも呼ばれています。
明治の中頃までは「油津板橋」と言われていて、風波に非常に弱い橋で、ひとたび壊れると堀川によって切り離された旧油津はあたかも陸の孤島となってしまったそうです。
そこで永久橋が懇望され、明治32年、石井文吉が石橋造りに着手し、明治36年の8月にようやく完成しました。
1992年には、『男はつらいよ青春編』のロケが、この堀川橋を中心に撮影されました。


赤レンガ館。
元は大正11年頃に建てられた倉庫です。名前の通り煉瓦造りで、中央にアーチ型の通路があります。
1997年に油津のシンボルでありながら、競売にかけられそうになり、市民出資の「合名会社油津赤レンガ館」が三千万円を出してこの館を買い取り、守ったというエピソードがあるのだそうです。
その後、2004年に市に寄贈されました。


赤レンガ館内部。ランタンが神秘的な感じに撮れて、個人的には満足です(笑)。


もう一枚。レンガの壁と木製の床が涼しげです。



それでは、今度は市街地から少し離れて……。



祇園神社です。洞窟の中に神社があるのが特徴です。


この神社は「龍の寝床」と呼ばれているそうです。


参道です。洞窟の中にあるだけあって、真夏でも中はひんやりと涼しかったです。


本殿。素蓋鳴命と稲田姫命が祀られています。


参道から逸れた部分にも通路があったのですが、私が行った時は雨の後で水没していました。



さらに、市街を一望できるスポットもあったので、こちらも。
結構険しい山道を登ります。真夏の暑い中の登山は、結構重労働でした(苦笑)。



津の峰展望台・宮崎方面。暑い中登った分の価値がある景色でした。(^ ^)


同じく津の峰展望台・幸島方面。分かりづらいですが、赤レンガ館も見えます。


展望台にあった石碑(?)です。



以上、油津の紹介でした。


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