宇宙戦争


                    ☆

 六月の金曜日の朝、夜がすっかり明けきらない内の事だった。ロンドンの西南にあたるウィンチェスターの町で、一筋の炎が高い空から緑色の長い尾を引いて、地上に向かって走るのを、何百人もの人が見た。
 僕はウィンチェスターに近いメイベリの町に住んでいる。この朝、僕は早く起きて、窓際で書きものをしていた。が、その時は何も見えなかったし、何事にも気が付かなかった。
「ヒューッ、という音がした」
 と、そういう人もあったが、僕はその音すらも聞かなかった。
 ところで、ウィンチェスター近くに住んでいる人々が、その炎を見たり、物音を聞いたりしたと言っても、それを別段珍しいことに考えたわけではない。ただ、流れ星の一つが走り過ぎたぐらいに思ったまでのようだった。その証拠には、その事について誰も問題にしなかったし、まして、落ちた星の欠片を見に出かけようなどという者は一人もいなかった。
 だが、僕の友達オグルビーは、さすがに天文学者だった。彼は夜が明けるとすぐに、調べに出かけた。
 オグルビーは、既に流れ星が走るのを見ていたので、その落ちたところは町の外の野原らしいと見当をつけた。オグルビーは駆け付けて、ウォキング駅から遠くない砂取り場の近くでそれを見つけた。
「おや、おや!」
 そこには大きな穴が開き、砂や小石が野原一面に飛び散っていた。改めて気が付くまでも無く、そこには二キロ半もの遠くからでも見える土手が出来ているのだった。野原の片側の草は燃え上がって、朝空にふわふわと煙を立ち昇らせている。
 見れば、地上に落下した、大きな弾丸みたいな、その怪しいものは、ほとんど砂の中にうずまっていた。そして、それが落ちた時に、粉々になってしまったモミの木の切れ端が、そこら中に散らかっている。落下したその怪しい物のむき出しになっている部分は、途方もなく大きな、円い筒のような形で、外側は厚い、焦げ茶色の鱗に包まれ、泥が一面にこびりついていた。その直径は、二十七メートルはあるだろう。
 オグルビーは近づいて見て、まずその大きいのに驚いた。次にその形を見て、ますますびっくりした。
(こいつは何だろう?)
 オグルビーは首をひねった。
 天空から落下する大抵の隕石は、ほとんど球形をしている。それなのに、今目の前にあるそれは、まるっきり変わっていた。
 オグルビーは近づいて、よく確かめたかった。が、そいつは空中を飛んできたために、まだ熱しきっていて、そばにはとても近寄れなかった。
 オグルビーは、離れたところにいて、その円い筒の中で何かが動くような音を聞いた。これは筒の表面が冷える音に違いないと、彼は判断した。オグルビーはその時、筒の中ががらんどうになっているなどとは思いつかなかったのである。
 その内に、オグルビーは、奇妙な事に気が付いた。筒のてっぺんの円形部の所が、ごくゆっくりと回っているのだった。しばらく前まで、こちら側にあった黒い印が、いつの間にか向こう側へ行ってしまっているので分かる。
 やがて、何か軋るような音がして、その黒い印が三センチほど突き出るのが見えた。


(こいつは隕石なんてものではない。何者かが作ったものだ)
 オグルビーは、そう見極めた。
 彼は頭の中で、忙しくこう考えた。
(こいつは中ががらんどうになっていて、何者かが、そのネジを回しているのに違いない)
 そう思いつくと、オグルビーは、
「大変な事になったぞ! 中で何者かが、焼け死にそうになって逃げだそうとしているんだ」
 そこでオグルビーは、我を忘れて中にいる者のネジを回す手伝いをしようと、円筒に走り寄った。が、むっとする熱気にあふり立てられて、ひるんでしまった。
 しかし、こうしてはいられない。オグルビーは身をひるがえすと、気が狂ったみたいに町を目指して駆け出した。
「おうい、大変だ」
 彼は一台の荷馬車に追いつき、息を切らしながら話しかけた。
「何が、大変なのです?」
 御者がオグルビーを見た。
「空から、大きな円筒が降って来たんだ。そして、その中に、生きた何者かが入っているらしいんだ。出ようとしてもがいている」
「へえ」
 御者は妙な顔をした。そのまま御者は馬に一鞭くれると、ガラガラと馬を走りださせて、
「き〇がい、嘘もいい加減にしろ」
 と、後ろを振り向いて怒鳴った。
 何という事だ。オグルビーは、尚も走り続けた。
 居酒屋で、店員が戸を開けていた。オグルビーは店員に、
「おうい、聞いてくれ。そして、手伝ってくれ。空から降って来た何者かが、円筒の中で焼け死にそうになっているんだ。救ってやらなくてはならん」
 そう叫んだ。
 店員は目を丸くし、オグルビーの顔を見つめた。が、次にはいきなりオグルビーの手をつかんで、
「おい、誰か来てくれ、精神病院から逃げ出してきた男がいるんだ」
 と、大声でわめいた。
 オグルビーは腹を立て、店員を突きのけると、一目散に走った。
(御者だの、店員だのでは話にもならん)
 オグルビーは、いくらか落ち着きを取り戻しながら、
(誰か話の分かる者がいないかな?)
 気が付くと、そこはオグルビーの友達の新聞記者ヘンダソンの家で、ヘンダソンは家で植木いじりをしていた。
「ヘンダソン君、君は、夕べの流れ星を見たかい?」
 オグルビーは、はやる心を抑えて、出来るだけ落ち着いた口ぶりで話しかけた。
「見たとも」
 ヘンダソンが答えた。
「ウォキング駅に近い所に、野原があるだろう。夕べの流れ星は、あそこに落ちているよ」
「落ちているって。そいつは面白そうだ」
「ところが、ただの隕石なんかではないんだ。何者かが作ったらしい円筒なんだ。それも、中に動くものが入っているんだよ」
「なんだと?」
 オグルビーは、今まで見てきたことのあらましを、ヘンダソンに話して聞かせた。
 ヘンダソンはやはり新聞記者である。オグルビーの話を聞くと、すぐに上着を抱えて、オグルビーと一緒に野原へと向かって駆けだした。
 野原には、円筒がもとの場所にそのまま横たわっていた。今は中から聞こえていた音がやみ、ぴかぴか光る金属の薄い輪が、円筒の蓋と胴の間から覗いている。
 中へ空気が入るのか、それとも漏れるのか、ふちの所でシューシューという音が微かにしていた。
 オグルビーとヘンダソンは、そいつの側へ近寄った。二人はステッキで、胴の鱗みたいな金属の部分を叩いてみた。何の返事も無かった。
「中にいるものは、気を失っているのかも知れないね。それとも、死んでしまっているのかな」
「それにしても、何とかしなくちゃ」
 オグルビーとヘンダソンには、どうしようもなかった。で、出来るだけ円筒に近づいて、
「待っていろ。元気を出せ。すぐに助けに戻ってくるからな!」
 声を合わせてそう怒鳴ると、手助けの人を集めるために、いったん、町へと引き換えした。
 昇ったばかりの太陽の光を浴びて、深呼吸をしている人がある。牛乳配達が走る。青物車が通る。
 町へ着くと、新聞記者のヘンダソンは、駅へ飛び込んだ。そして、ニュースをロンドンへ打電した。

 アヤシイ インセキガ フッタ ナカニナニモノカガ イルカモシレナイ

 スピードの世の中だ。大事件の知らせは、たちまち広まった。
 朝の八時になると、噂を聞いた子供たちや、暇な大人たちが、天空から降っていたその怪しい物を見ようとして、円筒が落ちた野原へ群がり集まった。

 さて、僕はというと、その朝、九時十五分前頃に、門の所まで新聞を取りに行って、新聞配達の少年から、初めてそのニュースを聞いた。随分うっかりしていたわけだ。
 が、僕は話を聞いた途端に、はっと思い当ることがあった。
(とうとう来るべきものが来た。そいつはきっと、火星からやって来たのに違いない!)
 そう判断したのである。
 このあと、僕のつけた見当が誤りで無かった事は、読者諸君にすぐにわかってもらえるのだが、僕が現場へ駆けつける前に、火星について、少しばかり述べておきたい。
 人間は、あらゆる生物の内で、自分より偉い物はないと考えて自惚れている。僕たちが顕微鏡で、一滴の水を調べてみると、中にうようよとばい菌がいる。ところで、このばい菌共だって、人間に語り掛けないだけで、自分が一番偉いと、そう思い込んでいるかもしれない。
 僕たちが、そのばい菌を顕微鏡でのぞき込んでいるように、向こうから僕たちを眺めて、僕たちがしていることを、何から何まで知り尽くして、笑っている……。そういう、人間よりも何百倍も、何千倍も利口な生物が、もしどこかにいたとしたらどうだろう。全く、恐ろしいことではないか。
 地球に住んでいる人間どもは、自惚れが強くて、その事についてほとんど考えてみもしなかった。少なくとも今から五十年前に、そんな事を考えた者が一人だっていたとは思えない。
 ところが、実際は、僕たち人間よりもずっと進歩し、賢い生物がいたのである。
 そして、その冷たい目で、自惚れ者の地球人をじっと見守り続けていたのだ。それは誰か? 火星に住む火星人であった。
『火星人なんているのか?』
 まあ、聞きたまえ。火星は地球のすぐ外側を回っている惑星だ。太陽からの距離はおよそ二億二千八百万キロで、地球が受ける半分くらいの光と熱を、やはり太陽から受けている。
 火星が出来上がったのは、地球より大変古い。地球が雲みたいな有様から、今のように固まるずっと前に、火星にはすでに生物がいたに違いない。生物に必要な空気や水や、そのほかのものがそこにある。
 火星は地球よりも早く出来上がっているだけに、そこに住んでいる火星人も、もうこれ以上進歩が出来ないほど進歩し、素晴らしい知恵がある事は、先にもちょっと言った通りだ。が、この火星人にも、どうにもならない事が火星にも持ち上がっていたのだ。
 それというのは、火星の最後の日を知らせるような出来事が、次々と起こっている事だった。第一に、火星の表面はだんだん冷えるばかりで、その赤道地方にあたる所でさえも、真昼の温度が地球の真冬の温度にもならない。空気は地球よりもはるかに薄くて、海もすっかり縮まってしまい、火星の全表面の三分の一を占めるばかりになった。季節の移り変わりが遅く、火星の南極と北極では、大きな雪の山が融け、温帯地方には毎年決まった時に大洪水が起こる。
 そんなわけで、さすがの火星人もうかうかとしていられなくなってきていた。
 そこで、火星人の発達した頭を働かせて思いついた事は、他の遊星へ引っ越しをしようという計画だった。
「引っ越し先は地球が良いだろう」
 火星人たちはそう決めた。
 なんと、そのようないきさつで、僕たちが住んでいる地球が火星人に狙われたのであった。
 それも無理は無い。火星に比べると、地球では青い海が広々と水をたたえて広がり、大きな陸地には、こんもりと植物が茂って、豊かな産物も取れる。温度も火星よりはずっと高い。
 火星人は地球に住む人間よりも優れた数学で、こまかく計算をして、立派な機械を使って観測し、地球を襲う準備を密かに進めていたようだった。その結果は、空中に不思議な表れが次々に見られたことで知られよう。
 最初の不思議は、一八九四年に地球と火星とが最も近づいた時に見られた。その時、火星の表面から大きな光が出ているのが、イギリスの天文観測所や、その他の観測所で認められた。あの怪しい光は何であったか。
 次には今から数年前、火星がまた地球に近づいた時、火星の表面に白熱ガスが大爆発するのが、南方のジャワで観測された。それを見て驚き、方々へ知らせた人の話では、爆発は真夜中に起こり、燃え上がるガスの塊がものすごい速度で地球へ突進してくるのが分かったと報告している。
 この人は、
「その途方もなく大きな火の塊は、まるで大砲から飛び出す火炎のようでした」
 そう言っている。
 そのような事があったにもかかわらず、火星の危険な予告を大概の地球人は見逃してしまった。宇宙は広く、火星までは六千四百万キロ以上もある。火星人はこの時、この広い空間を横切って、毎分何千キロという速力で、地球をめがけて刻々と突進してきていたのだ。
 ある晩、僕が友達の天文学者オグルビーのところで観測をしていた時の事だった。火星からまた、火炎が吹き出した。観測用のクロノメーターという時計がちょうど十二時を告げた頃、火星のふちにピカッと赤みを帯びた光が閃いて、その部分が何だかぐうっと伸びたように見えた。
「君、君。妙な光が見えるぜ」
 僕は慌ただしく、オグルビーに怒鳴った。
「どれ、どれ」
 オグルビーは急いで、僕と入れ替わって、望遠鏡に目を当てた。
「おっ、見える、見える」
 けれど、オグルビーでさえ、僕と同じくこの光の正体がつかめなかった。今にして思えば、この時、目に見えない弾丸が、ジャワでガスの大爆発と見誤られた第一弾の後を追って、火星から飛び立ったのだと考えられる。


 その夜更け、オグルビーは僕に、火星についていろいろ話してくれた。
「さっきのあの光ね。あれは火星人が地球人に合図を送っているんだと言う人がある。けれど、科学者の僕は信じないね。僕の考えでは、火星にたくさんの隕石が降っているか、火星の火山に爆発が起こっているのだと思うよ」
「ふうん」
「火星に人間と同じような生物が住んでいるかどうかというと、これもまず無いと考えて間違いあるまい。ここに地球があって、お隣同士の遊星で、生物が同じように進化していくというのは、ありそうもないことだからね」
 僕は熱心に耳を傾け、彼の話はいつまでも尽きそうになかった。
 その夜の、この怪しい光を観測した人は、何百人もいた。ところが次の晩にも、その次の晩にも、それが毎夜観測されて、十日間も続いた。そしてその後は、ばったりとやんでしまった。十日後に、地球から見たところでは、小さな灰色のちらちらする塊のような煙が、埃みたいな濃い雲が、火星の大気の中に広がって、今まで見慣れたのとは形を変えていた。
 十日間も不思議な光が続いたものだから、新聞もやっと火星の事を問題にするようになった。色々な記事が書かれ、火星の漫画までが出るようになった。だが、本当に火星人の事を真剣に考えた者はいたろうか。
 そうしている間にも、火星の発射した弾丸は、一秒に数キロという速度で広い空間をグングン地球に迫っていたのだ。
 地球人はこのような恐ろしい運命を、ちっとも気付かずに、いつものように日を送っていたわけである。
 その頃のある晩、僕は妻を連れて散歩に出かけた。美しい月夜であった。僕は妻に、火星を指さして教えた。
「ほら、あの赤く輝いている星が火星だ」
「明るく、綺麗な色をしていますわね」
 夫婦の和やかな語らいの合間にも、悪魔の弾丸は風のようなスピードで、地球に向かってまっしぐらに近づいていたのだった。
 そしてとうとう火星の贈り物が、この地球に達する日がやって来たのである。

                    ☆

 僕の家からその砂取り場までは、三キロほどある。
 僕が砂取り場へ着いた時、円筒が横たわっている穴の周りには、およそ二十人ばかりの人が集まっていた。周りの草や砂利は、突然の爆発に出くわしたみたいに黒焦げている。たぶん、そいつが落下した時に、火炎が広がったために違いなかった。
 オグルビーと、やはり僕の知り合いのヘンダソンは、どこにいるかと見回したが、二人の姿は見つからなかった。
 子供が四、五人、ぽっかりと開いた穴のふちの土手に腰を掛けて、足をブラブラさせながら、円筒に石をぶつけっこしている。

 ガーン!

「そら、命中」
 僕は子供に注意した。
「石なぞぶつけない方がいいよ。危険だからね」
 子供たちは、僕の言う事を聞いて、素直にやめた。
 見物人たちには、科学についての知識が無かった。まして、普通の人で少しでも天文学をかじっているような者は、てんでいなかった。みんな円筒の大きなテーブルみたいなふたを、黙って見つめているばかりだった。こんなもったりした、面白げのない筒を見せられて、ガッカリしている者もあった。実際、さっきまではもっとたくさんの見物人がいたのだ。が、もう帰って行ってしまっている。
 見物人なんて気まぐれなものである。帰って知ってしまう者がいるかと思うと、また新しくやって来る者があった。あとからあとから、やって来る者の方が多い。
 僕は穴の中に這い降りてみた。すると、足元の方で、何か微かに動いている音が聞こえるような気がした。でも、円筒の蓋の開店は、はっきりと止まっていた。
 そうやって、間近に寄ってみると、この円筒が大変奇妙なものであることが、僕には良く分かった。
 離れて見ていた時は、僕にはそれが引っくり返った馬車か、道に風で拭き倒された、大きな木ぐらいにしか思えなかった。いや、せいぜい錆びたガスタンクぐらいの感じだったと言って良い。その灰色の鱗が、普通のものでない事や、円筒と蓋の間の隙間に光っている黄白色の金属が、ありふれたものでない事に気がつくためには、かなりの科学的な知識が必要だったのだ。
(こいつは、我々人間が作った物ではない。やはり、火星から来たものに違いない)
 僕はそう信じた。
 しかし、その中に生き物がいるというふうには、僕にはどうしても考えられなかった。ネジが回ったのは、自動装置のせいだと、そう思っていた。
 いつか、オグルビーは僕に火星には人間と同じような生物は住んでいないだろう、と言った。そのとき口にこそ出さなかったが、それは僕には不満だった。僕は火星にも人間に似た生物が住んでいる、と信じていた。
 だから、今、火星から来たこの円筒の中には、火星人からの手紙のような物か、お金みたいなものか、何かの模型なんぞが入っているのではなかろうかと、そう考えた。もし手紙があったら、それが読めるだろうか。読めなかったらどうしたらいいだろう。
(手紙だけが入っているにしては、円筒が大きすぎる。では、あとは何だろう)
 そう思うと、僕は待ちきれない気がした。
(早く誰か来て、円筒の蓋を開けてくれないかなあ)
 だが十一時になっても、蓋を開ける仕事に取り掛かるような者は現れなかった。で、僕は一旦自分の家へ帰った。
 家へ帰ったところで、じっとしていられるものではない。昼飯を食べると、すぐまた僕は野原へ出かけた。
 午後になると、野原の様子はすっかり変わってしまった。昼に第一版を出す夕刊新聞が、

 ウォキングの大事件
 火星からの通信

 そのような大見出しで記事を書き立て、ロンドン全市をびっくりさせたからだ。
 そのうえ、オグルビーが天文情報交換所に送った電報が、イギリス中の観測所に伝わって、さらにも人々の心を湧き立たせた。
 自動車はまだあまり使われない頃のことだ。砂取り場のわきの道路には、ウォキング駅から乗りつけた、貸し馬車が、七、八台に、乗合馬車、立派な四頭立ての馬車などが停まっていた。自転車と来たら、何台あるか分からない程で、前へも後ろへも動けない始末だった。
 風もない焼けつくような暑い日であった。その暑さにもかかわらず、歩いてきた人の数と言ったら、数えきれないくらいで、中には立派に着飾ったレディの姿も混じっている。
 僕は人をかき分けて、穴の近くへ行ってみた。穴の中には何人かの人が下りていた。ヘンダソンとオグルビーがいる。それに、王室天文官のステントという人、他には数人の人夫のようだった。人夫は盛んにつるはしやシャベルを振るっていた。ステントが顔を真っ赤にして、汗を流しながら大きな声で指図をしている。ステントが円筒の上に登っている所を見ると、円筒の熱はすっかり冷めたのだろう。
 円筒はすでに、大部分掘り出されていた。が、下の方がまだ、土の中に隠れている。
 オグルビーが穴のふちの見物人に混じっている僕の姿を見つけた。そこで彼は僕に向かって、
「おい、来ていたのか。こっちへ降りてきたまえ」
 そう言った。
 僕が彼の側に降りていくと、この火星からの贈り物について、一通り説明してくれ、
「円筒の中から相変わらず、微かな音がしているんだ。が、困った事には蓋を外せそうもない。周りの金属が酷く厚いんでね」
 と言った。
 それから僕に、
「こう人出がしては、仕事に差し支えるし、危険なことだって起こるかも知れない。で、この土地の地主の所まで行って、穴の周りに柵を作るとか、何か人をせき止めるに具合の良い、巧い相談をしてきてくれないか」
 と言った。
「いいとも」
 これで僕にも、用事が出来たわけだ。僕は得意になって駆け出した。
 僕が再び、――いやいや三たび、野原へ来た時にはもう日が沈みかけていた。が、穴の周りには、相変わらず人だかりがしていた。あちこちで叫び声が聞こえ、穴の一方のふちでは、押し合いが起こっている様子だった。
「下がれ、下がれ」
 ステントの高い声が聞こえる。
 一人の少年が、僕の方へ走ってきた。僕とぶつかりそうになった時、
「どうしたんだ?」
 僕は尋ねた。
「動き出したんです。蓋が、外れだしたんです。気味が悪いや」
 僕は人群れに中へ分け入った。
「押すな! 押すな!」
「苦しい! 痛いじゃないか」
「助けてくれ!」
 僕は穴のふちまで行った。僕を見ると、オグルビーが、
「君、見物人たちを後へ下がらせてくれよ。中から何が出てくるか分からないんだから」
 と叫んだ。
 円筒は、中からねじ開けられようとしていた。ぴかぴか光るねじが、六十センチ近くも伸びている。穴の中に降りて、円筒のすぐそばにいた僕は、誰かに突き当たられて、危なくねじの先端にぶつかりそうになった。振り向いた時、ねじは外れたようだった。円筒の蓋が取れて、ガラガラという音と一緒に、重みのある金属が、砂利の上に落ちた。
 僕はその方へ目を向けた。その時、開いたふたの中は、ただ真っ黒に見えた。夕日が眩しかったせいもあるだろう。
 さて、諸君。諸君は円筒の中に、どんなものが潜んでいたと思うか。少なくとも人間と同じような種類の生物が出てくる事を期待したに違いない。僕もそうだとばかり思いこんでいたのである。
 ところが、まるっきり違っていた。じっと眼を据えて見ると、円筒の暗がりの中には何かにょろにょろしたものが、のろのろと揺れ動いているのだった。
(おやっ、何だろう?)
 僕は目を凝らした。
 そいつは言葉なんかでは説明が出来るようなものではなかった。その者は、灰色がかっていて、波のように動いていた。目のようにぴかぴか光る円盤みたいなものがあって、ステッキほどの太さのヘビみたいなものを備えている。そのヘビみたいなものが、巻いていたとぐろをほどき、空中をくねくねと、僕の方へうねってくる。それも、一匹ではなく、後ろからももう一匹……。
 僕は突然、背筋に水をかけられたようにぞっとなった。
「きゃあーっ!」
 と、後ろにいた女の人が悲鳴を上げた。
 僕は逃げようとし、あとへ下がった。が、目は怖いもの見たさに円筒から離さずにいた。すると、円筒の中から触手と言おうか、ヘビのような手がニョロニョロと何本も伸びてきた。
 僕は逃げるよりほかは無いと思った。周りの人々の表情も、驚きから恐怖に変わっていた。あっちからもこっちからも、恐ろし気な叫び声が上がった。
 気がつくと、みんなはすでに逃げ出してしまっていた。ステントさえどこかへ隠れてしまっている。
 逃げしなに僕は見た。熊ほどもあろうかと思われる、大きな灰色の丸い塊がゆっくりと身をくねらせながら、円筒の中から這い出てきた。その身がせり上がり、光を浴びると、濡れた皮のようにギラギラした二つの大きな黒い目が、僕をじっと見つめていた。それが顔なのだろう。目の下には口があって、唇が無いその口元はぶるぶると震え、はあはあと呼吸も荒く、よだれを垂らしている。全身は波打って、ぴくぴくと引きつけているように動く。
 まさに怪物だ。その痩せた触手の一本が円筒のふちをつかんで、もう一本が空中で揺れている。
(これが火星人だ)
 僕は自分の心に言い聞かせた。
 実際にそれを見た人でなければ、その顔の不思議な恐ろしさはとても想像がつかないだろう。
 僕は生きている限り忘れることが出来ない。その類が無いようなV字型をした口は、絶えずぶるぶると震え、上唇は尖って、三角形をした下唇の下には顎が無く、周りの辺りものっぺらぼうなのだった。地球の慣れない空気の中にさらされたために、その肺はガーガーと音をたて、地球の、火星の国よりも大きな重力のせいで何本も生えている蛇のような触手は頼りなく動き、全体が見るからにのろのろとし、苦しげでさえあった。油を塗ったような茶色の皮膚は、毒キノコみたいな感じがするし、のろくさくてぎこちない体の運動には、それなりにかえってぞっとするようなものがあり、とてつもなく大きなその目は、飛びぬけて鋭い。
 そいつが火星人なのだった。
 突然に、怪物の姿が見えなくなった。円筒のふちでひっくり返って、まるで大きな皮の塊でも落ちたように、どさりと土の上に降りたのだ。そいつが奇妙な太い叫び声をあげるのを、僕は確かに聞いた。
 次にまた、第二の怪物が円筒の黒々とした口から、ぬうっと浮かび出た。
 僕は夢中で逃げた。やっとたどり着いた松の木の下に立って、はあはあ息を弾ませながら、僕はこれからどうしようかと思い迷った。
 見ると、そこらにはまだ何人かの人がいた。僕と同じように、逃げ遅れるか、もっとよく怪物を見届けようという人たちだった。
「穴の中に落ちて動けないでいた青年を見かけたんですが、あの人はどうなったんでしょう?」
 誰かがそう言った時だった。僕が向こうの円筒がある穴の方に目をやると、その青年らしい人の頭がちらりとふちの所から浮かび出たように見えた。が、たちまちずり落ちて、何も見えなくなってしまった。途端に微かな叫び声が聞こえたような気がした。
 僕はガタガタと体が震えた。
(あの人をあのままにしておいて良いのだろうか)
 出来るならば僕は駆け出して行って、その人を救ってやりたかった。でも同じその穴の中に火星人がいると思うと、怖くて足が動かなかった。
 それっきり、辺りはしいんとなってしまった。
 僕にはもう、再び穴のふちまで行って見ようという勇気は出なかった。さらに、良く見てみたいという気はする。しかし、普通の事では駄目だろう。何か安全な上手いことを考えなくては。
 僕は長い事、松の木の陰に隠れていた。やはりもう一度、火星人が見たかった。そこで僕はそろそろと動き出し、遠回りをして、丘やくぼみを利用しながら、またしても火星人がいる穴のほとりへと近づいた。そっと首を伸ばしてみると、タコの足みたいな物が三本、ほの明るい空に向かってひらひらと動いたかと思うと、すぐに引っ込んでしまった。次にはその先に円盤が付いた細いステッキみたいな物が、にょきにょき現れて、ゆらゆら揺れ回っていた。ああやって、あそこに何が起こているかは僕にはわからなかった。
 ところで、地球に住む人間なんて、何にでも興味を持ち、怖いもの知らずの所がある。その証拠には、いったんいなくなってしまった見物人たちが、夜になっているのにまた現れだしたのだ。一人二人ではない。五人、十人、段々増えていく一方なのだった。
「なあに、大丈夫だよ」
「怖いことなんかありはしない」
 あちこちでそんな人声がする。
 人数が増えると、誰もが馬鹿勇気が出る様子だった。人影の群れは、そろそろと穴に近寄りだした。僕もそれにつられて、みんなの後を追った。
 みんなは相談を始めた。
「火星人だって人間ですよ」
「そうですとも。人間どころか、もっと高等かも知れません」
「怖がることなんかないでしょう」
「全然ありませんとも。よく話し合ったらよいでしょう。姿は恐ろしくても、心は案外、優しいかも知れませんからね」
「でも、言葉が分からなかったら、どうします」
「手まねでも話が通じるのではないでしょうか」
「とにかく、談判してみましょう」
 相談はまとまった。そこに集まった人たちの間で白い旗が用意された。白い旗は、相手に対して敵意が無いという印であることは言うまでもない。
 談判の代表に選らばれた人たちは、戦闘に白い旗をひらひらさせながら、火星人がいる方へと進んで行った。後で聞いた話では、この一団の中にはオグルビーやヘンダソン、ステントも加わっていたということだった。この連中と少し離れて、一般の見物人たちが後からついて行った。先の方で、旗が右に左にひらめいているのが見える。
 その時、突然、行く手の方で、ぱっと光が走ったかと思うと、緑色の煙が一発、二発、三発、もくもくと穴の中から盛り上がり、次々に静かな夜空に立ち上った。この煙だか火炎だかわからない物は、とても明るかったので、頭の上の空も、暗かった野原も、この光が閃いた途端にぱっと照らし出された。それと一緒に、シューシューという微かな音が聞こえてきた。


 この思いもよらない出来事に、みんなはぎょっとして立ちすくんだ。立ち上る緑色の煙を透かして見ると、どの顔もみな、青ざめて浮かび出ていた。
 その物音は、やがてブンブンという音に変わり、さらに長い大きな唸り声に変わった。すると、その声の辺りから、小山みたいなものがゆっくり、むくむくと盛り上がって、一筋の暗い影のような光線が閃きながら、流れているみたいに見えた。
 と同時に僕たち一団の、散り散りバラバラになってしまった人の群れの間から、目のくらむような閃光があちこちに閃いて、激しく飛び回った。これは一体どうしたわけだろう。それはまるで、何か目に見えない炎がどこからか噴き出て、人々をなめ、一人一人、燃え上がらせたみたいだった。
「あっ!」
 人々はよろめき、倒れた。助けようとして駆け寄った人が、横っ飛びに逃げた。
 それが、燃え上がる当人の光せいで、はっきりと見えるのである。
「わっ、大変な事になったぞ」
 僕は思わず身を伏せた。

                    ☆

 見ている目の前で、人々がばたばたと倒れてるのに、僕はまだ、それが本当にやられたのだとは信じられなかった。
 僕はすっかり頭がぼうっとしてしまって、何だかおかしいぞと感じただけだった。ほとんど音もせず目がくらむような閃光がぴかりと走ると、人々がばったりと引っくり返って、そのまま動かなくなるのだ。目にもとまらぬ熱の矢が、倒れた人々を越え、松林の方に向けられると、それがぱあっと燃え上がって、茂みはぼうっと火の玉になる。おまけにずうっと向こうの遠く離れた辺りでは、植木も塀も、家も、ぼうぼうと火を噴いているのだった。
 死の熱線。――この目でとらえることが出来ない死の炎が、その辺り一面を残すところなく、たちまちの内になめ尽くそうとしていた。僕が隠れている近くの茂みが、ふいにカアッと燃え立った。途端に僕は、自分の方へ死の熱線が伸びてきたのを悟った。でも、すっかり気を呑まれてしまって、足が言う事を聞かなくなっていた。僕は逃げ遅れたのだった。けれど、やっとのところで命だけは助かった。
 砂取り場の方で、火がパチパチと燃える音がした。その辺りには、誰かが乗り捨ててあった馬車と馬がいた。見ると、馬がいきなり悲しそうにヒヒンといななき、黒焦げになってひっくり返ってしまっている。
(恐ろしいことだ!)
 僕は身震いした。目にも止まらぬ死の光線。物凄く熱い火の光が、この広い野原をなで回している。見渡す限りが、黒い煙に包まれ出していた。
 ウォキング駅の方角で、いきなりドカンと音がした。僕は、そっちの方を眺めた。駅の大きな丸屋根が、ゆっくりと崩れ落ちていくところであった。これらは全て、ほんの数秒間の内に起こった出来事だった。もし、その死の熱線が、どこもかしこも総なめにしていたら、もちろん僕は、あっと言う間にやられていたろう。
 けれど、有難いことには、死の熱線が僕に向けられた時、それは僕の頭の上の高い所をかすめて過ぎたのだった。そのおかげで、思わぬ命拾いをしたのである。
 辺りは闇に包まれている。僕はガーンと頭を殴りつけられたみたいに、ぼんやりとしていた。空には星が瞬き始め、さわさわと風が出てきた。
 あちこちの茂みや林は、未だに煙を立てて燃えており、ウォキング駅の辺りでは、家々が真っ赤に火を噴き続けていた。肝心の火星人はどうしたろうと、円筒の方を見ると、奴らの姿はどこにも見当たらなかった。円筒から出ていたさまざまの装置も、今はすっかり引っ込んでしまって、ただ、その細いステッキみたいな物だけが、夜空に突き出ている。その上の方で、円盤型の鏡がグルグルと休みなく回っているきりだった。
(白い旗を持った一団はどうしたろう?)
 僕はふと、気遣った。同時に、僕は一人、この暗い野原に怪物と共に取り残されている事を思い知らされた。と、こらえきれないほどに恐ろしくなってきた。
 僕は身をひるがえすなり、野原の中を一生懸命に走り出した。転がっては起き上がり、起きては転び、息が切れ、心臓が破れそうになるのも構わずに、走りに走り続けた。風が耳元でひゅうひゅう鳴った。
 やっと街道に出ると、僕は道に沿って四辻の方へ走った。駆け続けたのと興奮していたために、僕はくたくたになって、ガス会社の側の川にかかっている橋の近くまで来ると、ばったりと倒れ、そのまま気を失った。
 しばらくして、僕は正気に返ったが、被っていた帽子はなくなり、カラーは千切れ、服は泥にまみれて、あちこちやぶけたり、裂けたりしていた。思い返すと今までの出来事は、夢の中の事としか考えられない気もした。この世界で、あんなことは起こるはずがない……。
 ところがそばを見ると、僕と同じように、みじめな姿をした男がへたへたと座り込んでいた。その男の顔には、ありありと恐怖が出ている。僕が口をきく前に、
「あんたも、あそこにいたんですかい。やっと助かりましたな」
 その男は言った。
 男は、生き延びた自分と同じ仲間に会ったことで、元気づいたらしい。で、一人で盛んにしゃべりだした。
「火星から妙なものが降って来たって言うんで、私も仕事を放りだしにして、出かけて行ったんです。野原へ行って見ると、馬に乗った巡査が三人も出ていましてね……」
 男は僕には気がつかなかった事を、いろいろと見てきている様子だった。
「……その内に円盤の蓋が開いて、気味の悪い化け物みたいなものが、這い出してきたんです。それに驚いて、見物人たちのいくらかは帰って行きました。でも、その化け物は気味が悪いだけで、大したこともなさそうだと分かると、また見物人がどんどん増えましてね。一個中隊の軍隊までやって来るようになったんです」
 僕は、軍隊が出てきたのは知らなかった。しかし、この男がでたらめを言っているとは思えない。何しろ、人で混雑している最中のことだ。僕には気がつかないことだってあるわけだし、一つのものや一つの事についての見方だって、色々あるだろう。
「なあにね、軍隊が来たのは、ひょっとして火星人に怪我でもさせるといけないから、その保護のためだったんです。それから後は、あんたも知っているでしょう。緑色の煙が三発上がって、ぶつぶつ言うような音がすると、ピカリと来たんです。途端に人がバタバタと倒れ、辺りの木がぱっと燃え上がって、原っぱの隅にあった家のレンガが飛び散り、窓ガラスがバリバリと砕けたって訳です。ほんの、あっという間でした。そこで、誰もかれもが死に物狂いで逃げ出しました。私はあの時、身をすくめて縮んでいたもんだから、どうやら救われたのです。そして、やっとここまで辿り着いたという訳ですが、あそこにいて助かった者はほとんどないでしょう」
 やがて男は、
「ああ、怖かった。危ない所をやっと助かった」
 そうつぶやくと、太いため息をつきつき、ひょろひょろと暗がりの中へ消えて行った。
 男の話を聞き、僕にもあの恐ろしかった光景が、まざまざと思い出されてきた。と、僕はギクッとして、辺りに目をやった。あの野原に今も静まり返っている円筒の中の、あの奇怪な火星人が、たった今、何事かを計画しているのだとしたら――。
 僕は恐ろしさに、弾かれたように立ち上がった。そしてふらふらとした足取りで、橋を渡り始めた。早く逃げなくてはならない。しかし、頭は空っぽになってしまっていて、力と言う力は、身体からすっかり抜けきっていた。
 僕は、どうやって家へ帰りついたかよく覚えていない。僕を迎えに玄関へ出てきた妻は、僕の凄まじい格好を見て、目を見張った。
「まあ、あなた、どうなさったんです?」
 家には別段、何の変わった様子もなかった。
 しばらくして、僕はやっと落ち着きを取り戻すと、今日の出来事を色々と妻に話して聞かせた。そして、
「オグルビー君は気の毒な事をしたよ。火星人にやられたに決まっているからね」
 と言った。
「可哀そうに……」
 と妻は言い、
「怖いわ。こっちへやって来るようなことはないかしら?」
「なあに、近づくと危険かもしれないが、離れていれば大丈夫だよ。奴らはのろのろと這いまわっているだけで、ろくに動くことも出来ないんだ。円筒の中で、もぞもぞやっているのが、精いっぱいのところだろう」
 僕は妻を慰め、自分にも勇気を付けるために、オグルビーから聞いた事がある話を次に持ち出した。
「オグルビー君はね、火星人なんているはずがないと言っていたよ。仮にいたとしても、火星人が地球に降りてきたら、重力で押しつぶされてしまう。そうでなくても、ほとんど動けなくなるというんだ。何故なら地球では、その重力は火星の三倍もあるので、火星人は体重が三倍になるのに、筋肉の力は変わらない。で、火星人が地球へ来て、何事かをやろうとしても、無理なんだ」
 僕は妻の前で、そうは言ったったものの、さっきの火星人がどうしてあんなに素早く、音もなく、人間をやっつけることが出来たか、あれこれと心の中で考えてみた。
 これは難しい問題だった。火星人は多分、何かの方法で、熱の伝わらない箱の中で強烈な熱を作り出すことに成功したのであろう。そして、それを組み立てられる鏡のような者を使って、目指す的にそれを照らし当てるのだ。どうにもはっきりしない事だらけだが、見えない熱線の仕掛けは、およそ、そのようなものではあるまいか。
 しかも、その熱線に触れると、燃えやすい物はたちまち炎になり、鉛は水のように流れ、鉄はグニャグニャに、ガラスはどろどろになる。人間が黒焦げになってしまう事は言うまでもない。ついでに言っておくと、オグルビーが言い、僕もそれが本当だと信じ、妻にも話して聞かせた、重力の違いによって火星人が身動きできなくなるというのは、とんでもない間違いだった。これは後になって分かった事だけれど、次のような訳である。
 地球の大気の中には、火星の国の大気よりも、ずっと余計に酸素が含まれている。この沢山の酸素が、火星人に活力を与えて、それが体重の増えた事の埋め合わせになる。おまけに火星人は素晴らしい知恵を持ち、優れた機械類を備えているので、余り身体を使って動き回る必要が無いのであった。
 桃色の電灯の笠。優しく僕を見守る妻の顔。並べられた銀や陶器の食器に、真っ白なテーブル掛け。紫色のブドウ酒を入れたグラス。我が家は平和と幸福に満ちていて、さっきまでの恐怖は、まるで嘘みたいだった。僕はすっかり元気になって、
「火星人も馬鹿な事をしたものさ。どうして、地球なんかへやって来たんだろう。奴らはきっと、人間みたいに利口な生物がこの宇宙にいるとは考えなかったんだな」
 そう言うと妻は、
「でも、やっぱり心配だわ。恐ろしい機械を持っているんでしょう」
 と、まだ気がかりそうに答えた。
「大したことはないよ。いよいよとなったら、火星人がいる穴に向かって、大砲で一発ドカンとやれば、それでおしまいさ」
 僕は言った。その時、僕がどうしてそんなのんきな事を言ったものか。実際に、僕の友人のオグルビーも、その日のうちに死んでしまっていたのだ。
 人間は習慣の動物だと言う人がある。喉元過ぎるとそれが当たり前と言うような顔つきで、平気でいるのも人のならいの一面であるらしい。
 考えてみると、金曜日に火星人が地球に落下したという事は、大した事件のはずであった。それなのに、地球上の大概の人には、それほどピンとこなかったのである。
 勿論、人々は天から降ってきた円筒や、火星人の噂を聞いて、話のタネにはした。が、それは遠い国で戦争がまた始まった、と言ったぐらいの所だった。
 その晩、ロンドンの新聞社では、円筒の蓋が開き始めたという、ヘンダソンからの電報を受け取った。新聞社は折り返し、ヘンダソンに詳しい知らせを求めたが、その問い合わせに返事は無かった。そこで新聞社は、円筒の蓋が開いたというのは怪しいと判定して、夕刊には一行の記事も出さなかった。実はその時、ヘンダソンは死んでしまっていたのだった。新聞社もうかつな事をしたものである。
 それでもあくる日の新聞は、円筒の事だの、火星人だのの事について、色々と書き立てていた。駅や街角では、
「さあ、大事件、大事件! 火星人だ。火星人のニュースだ!」
 新聞売りの少年が、大声で怒鳴っている。
 一方、被害のあったウォキング駅でさえ、いつものように作業が行われ、貨車をつなぐ音、機関車の汽笛の響き、乗客の乗り降り、全てが普段と変わりが無かった。
 夜だ。ロンドン行の汽車が通り過ぎる。汽車に揺られて行く人達が、窓から外の暗がりを透かして眺めていた。と、森がある辺りで、夜空がぼうっと赤く染まり、薄い煙の幕が掛かっているのが見えた。


「あれは何でしょう」
「きっと、ぼやですよ」
「いや、畑を焼いている火に違いありません。ああやると、畑の作物にいいんです」
 のんきな乗客たちが真剣に心配しだしたのは、ウォキング駅の村境を通り過ぎてからだった。そこでは五、六件の別荘が火を噴いて、盛んに燃えていた。ただの火事とは思えなかった。
「どうしたんだ」
「何が起こったんだ」
 列車の中で、落ち着かない声々が沸き上がった。
 しかし、汽車は止まる事も無く、速力を速めて、ロンドンへとひた走りに闇の中を走って行った。
 同じ頃、円筒が落ちた野原に通じる橋の辺りは、怖れと不安におののく人々がぎっしりと群がり集まっていた。やって来る人、帰る人、ひっきりなしに入れ替わりはあったが、その群れは減るどころか、ますます増えていく一方だった。
 群衆の中では、いろんな噂が乱れ飛んでいた。
「さっき、円筒を偵察してくるって二人の人が出かけたんですよ。よせばいいのに、帰って来ないんです」
「馬鹿な話ですよ。きっとやられてしまったんでしょう」
 その通りだった。おろかな冒険好きな二人は、サーチライトのような強い光線の後に続いて、発射された熱線に触れ、倒れてしまっていたのである。
 実際、地球人はうっかりしていた。火星人は地球へ着いた後、夜も時々、熱線を辺り一面に浴びせながら、その裏で彼らの戦闘機械をどんどん組み立てていたのだ。
 事が重大に見えてきたのは、捨てては置けないような報告を軍当局が受け取ってからだった。その報告と言うのは、この日早くから偵察にきた連隊の将校数名の内、イーデン少佐が行方不明になったというのであった。
 そこでたちまち、軍隊の出動命令が下った。十一時ごろに、一個中隊の兵隊が到着して、野原の一方の端に広がり、見張りの役についた。しばらくして、第二の中隊が他の道を通り、野原の北側に回って、長い線なりに広がった。連隊長までが橋の所までやって来て、群集や兵隊からあれこれと情報を聞き集めている。
 連隊長は報告を受けた後、
「これはただ事ではない。捨ててはおけん」
 と、その顔を曇らせた。
 軍の活動が活発になった。電話が方々にかけられ、軍報がひっきりなしに打たれた。
 あくる日の新聞によると、軽騎兵が一個中隊、機関銃兵が二個中隊、それに他の連隊のおよそ四百名が火星人のいる野原に向かって駆け付けたということだった。
 だが、火星人の方だって、いつまでもただ一つだけの円筒を守っていたわけではなかった。計画的な準備が夜昼なく進められていたのである。
 その日の真夜中の十二時を過ぎた頃の事だった。ウォキング駅や橋に近い辺りで人々は、一つの星みたいな物がまた、野原の西北方の松林の中に落ちるのを見た。
「なんだろう、あれは」
「ただの流れ星だよ」
「少し、変だな」
 その星みたいなものは、緑がかっていて、稲光のように音もなく光った。おう、それは、ただの流れ星どころではなかった。それこそ、火星から発せられた第二の円筒だったのだ。

                    ☆

 朝が早い牛乳配達は、思いがけないニュースを知っていることがある。朝、僕は家へ来た牛乳配達に、火星人はあれからどうしているか知っているかと尋ねてみた。牛乳配達は、
「軍隊が出かけて来て、野原をぐるりと囲んでいるんですが、大した変わりは無いようです。しかし、もうじき大砲がやって来るってことです。でも、出来れば、奴らを殺さない方針ですって。奴らを生け捕りにして、学者に調べてもらうつもりなんでしょう。おっと、お喋りをしていては、仕事が遅れる。さよなら」
 と言って、慌てて駆け出した。
 僕はまた、隣の主人から、別のニュースを聞いた。
「有難くもない化け物が、また、もう一つ落ちたって事ですよ。一つで沢山なのに、こういくつも落ちて来ては、全くやり切れませんね。ほら、あっちの方がまだ燃えているでしょう」
 隣の主人は垣根の側にいて、遠くの一塊の煙を僕に指さしてみせた。それはゴルフ場の近くに落ちた、円筒の第二号の事だった。
「あの辺は、枯草の松葉がどっさりたまっている所だから、何日も燃え続けますよ。この暑いのに、たまらん話です」
 そう言って、隣の主人は、自分の家の中に引っ込んだ。朝飯を食べると、僕はその日の仕事を捨てて野原の様子を見に行くことにした。
 野原へ出る道の鉄橋の下には、一群の兵隊が陣取っていた。工兵と見え、円い帽子をかぶり、赤いシャツを着て、長靴を履いている。僕が道を通ろうとすると、
「おうい、そこを通ってはいかん」
 僕は呼び止められた。橋の先は通行禁止なのだそうである。なるほど、そこには歩哨が立っていた。
 僕は兵隊たちに色々質問された。
「君は火星人を見たか」
「ええ、見ました」
 兵士の誰一人、まだ火星人を見た者は無く、何のために出動命令が出たのか、それさえ分からないでいる最中らしかった。僕は兵士に聞かれるままに、自分が実際に知っている事を、詳しく話してやった。
 工兵隊はさすがに、普通の兵隊とは違っていた。僕の話を聞くと、彼らは火星人と戦闘が始まった時の攻撃方について、お互いにいろいろと議論し始めた。
「熱線を振り回すというのだから、ただ近づいたんではいけない。何かで身を隠して、そばまで行き、いきなり突っ込むのだ」
「馬鹿な事を言ってはいけない。何かで身を隠したって、熱線にやられるに決まっている。横穴を掘って潜っていくんだ。穴に限るよ」
「モグラみたいだな」
 一人の利口そうな兵士が、僕に話しかけてきた。
「お話では、火星人には首が無いって事でしたね。それではまるでタコですね。タコの仲間なら海のものですから、僕たち陸軍よりも海軍に出てもらった方が良かったのではないでしょうか」
「さあ」
「タコ釣りなんぞは、我が工兵隊の名誉にかかわるぞ」
 別の兵士が力んで、その顔を赤くした。
「なんだって、大砲を一発、早くどかんとやらないんだろう」
 他の兵士が言うと、
「待て。砲兵隊に手伝ってもらう前に、我ら工兵隊が突撃をやろう。さっそく吶喊(とっかん)だ!」
 一人の兵士は怒鳴った。
 兵士たちの議論は、いつまでも終わりそうにない。僕はそこを離れて、火星や火星人についての記事が出ている新聞を出来るだけたくさん買い込むために、駅へ行った。
 軍隊が来ているので、野原の周りの村や町も、落ち着きを取り戻していた。軍の警告で、万一の危険に備え、家を釘付けにして立ち退きが始まっている所もあった。
 結局、僕は野原へ行ってみることが出来ず、その後のはっきりした様子を確かめることが出来ないまま、家へ帰ってきた。そして、買ってきた新聞を読んでみたが、特に珍しいことも出ていなかった。火星人は相変わらず姿を見せないと書いてあり、穴の中からは金属の音がして、絶えず煙が上がっているとあった。一人の男が塹壕を掘って近づき、長い竿に付けた旗を振ったが、何の返事も無かったと書いてあるぐらいのものだった。
 三時ごろになると、遠くの方から一定の間隔を置いて、大砲の音が響いてきた。途端に、
(いよいよ始まったな)
 僕はそう思った。
 僕は狼狽えている火星人を想像した。何しろ、相手は動けない奴らだ。熱線を持っていたって、勝負はこちらが勝つに決まっているだろう。
 この時の砲撃は、第二の円筒が落下したために、煙を上げている松林を、円筒が開かない内に爆破しようという目的だった事が、じきに伝えられてきた。
 一号の円筒を攻撃するための野砲が着いたのは、やっと五時ごろになってからだった。
 その時、僕は妻と東屋でお茶を飲んでいた。僕たちは、砲撃があるらしいことは知っていたものの、ここいら辺りは大丈夫だろうと思って、まだ暢気に構えていたのである。
 ところが、野原の方からいきなり、ゴロゴロという、鈍い爆発の音が聞こえたかと思うと、続いてドスンという、猛烈な爆破の響きが伝わってきた。その途端に、家のすぐ近くでガラガラという物音が起こり、大地が大地震のようにぐらぐらと揺れた。
 妻は真っ青になって、僕にすがりついた。
「あなた」
 僕が芝生に飛び出してみると、近くの学校が百トンもある大砲の砲撃を受けでもしたかのように、歪に曲がってしまっていた。その周りの木の枝は、赤い炎を上げて、煙に包まれている。学校の隣の教会では、無残にも、塔が崩れ落ちていた。気がつくと、僕の家の煙突も、砲弾が命中でもしたみたいに割れ飛び、その欠片が庭一面に散らばっているのだった。
 学校が吹き飛ばされたところを見ると、僕たちが住んでいるこの家の辺りも、火星人の熱線が届く範囲に入ったのだろう。僕はそう判断した。
 こうなっては、ぐずぐずしてはいられない。僕は妻の腕をつかむと、家から表へ飛び出した。
「どうするの……」
 妻はガタガタ震え、ろくに口もきけなかった。
「逃げ出さなくては駄目だ。ここにはいられないよ」
「どこへ行くの?」
 そう言っている時、野原でまたドスンという音が鳴り響いた。


 僕は行く先に迷ったが、妻のいとこがここからはずっと離れていて安全そうな、レザーヘッドという所に居るのを思い出し、
「君のいとこの所へだ。レザーヘッドだ」
 と言った。
 表は、びっくりして家から飛び出した人でいっぱいだった。僕と妻とは駆け出した。
 丘に登ると、一団の軽騎兵が鉄橋の下を馬で走っていくのが見えた。木の間から舞い上がる煙に覆われた太陽は、血のように赤く、不気味な色を全てのものに投げかけている。僕は妻に言った。
「しばらくここで待っていなさい。すぐに戻ってくるから」
 そのわけは、『ぶちいぬ屋』という、おかしな名のレストランの親父が、二輪馬車を持っている事を知っていたからだった。今のうちにその馬車を借りて逃げ出さないと、馬車などは到底手に入らなくなるだろう。町の皆が逃げ出し始めてからでは遅い。
 僕はその馬車を借りようと考えて、レストランに向かって息を切らしながら走った。
 店に来てみると、レストランの親父はまるで何事も無かったみたいに、一人の男と話し込んでいた。
「もう少しまけてもらいたいな」
 その男は言った。
「駄目だ。一ポンドよりまからないよ」
 僕は慌てた。もう馬車を借りに来ている者がいたのだ。何てすばしこい奴だろう。僕はこいつに負けてはいられないぞと思った。
「僕が二ポンド出すよ」
 僕はその男の後ろから怒鳴った。
「夜中までには、必ず返しに来るよ」
 そう言い添えた。親父は妙な顔をした。
「あんたは私達が何の話をしているんだと思っているんです? 私はこの人と、豚の取引をしているんですよ。必ず返しに来るなんて、どういうことですか」
 僕は狼狽えていて、とんだしくじりをやらかしてしまったわけだった。
「なあんだ。僕は思い違いをしていた。そこで、改めてお願いをしたいのだが、馬車を貸してくれないか。僕は急に引っ越しをしなければならないんでね」
「ようがすとも。貸してあげましょう」
 この時、レストランの親父は自分も逃げださなければいけない事に、まだ気がついていなかった。
 馬車が借りられたので、僕には家にある必要な荷物を運び出す当てが付いた。妻と僕は、いったん家へ帰って荷造りをした。その間にも、近くのブナの木が燃えだし、道の両側の柵にも火が付いた。
 馬に乗った一人の騎兵が飛んできた。馬を降りると、騎兵はそこらの家から家へと駆け巡って、すぐに立ち退きをするようにと触れて回った。僕は走っていく騎兵に、
「形勢はどんな風ですか」
 と尋ねてみた。
「皿の蓋みたいな物を被った化け物が這い出してきているんだ」
 騎兵は怒鳴りながら、隣の家へ行った。形勢が逆になってきている。とても一撃で火星人をやっつけられるどころではなさそうだ。ぐずぐずしてはいられない。
 僕は荷物を馬車に積み終わると、御者台に飛び乗って手綱をつかんだ。そして、煙と砲声を後に、メイベリーの丘の反対側の坂を駆け下りて行った。
 どこかで機関銃が鳴っていた。小銃のパチパチいう音も聞こえた。ふり返ってみると、黒煙の渦に、赤い炎が絡み合って、空に立ち上っている。煙はどんどん横に伸び、もうもうと広がっていく。火星人は、熱線の届く限りのものを焼き払おうとしているのに違いない。
 僕たちの馬車の後ろから、追いかけるようにこちらへ走って来る人の姿が黒々と見える。みんな町から逃げ出した人たちだった。こんな時、自分たちだけが馬車に乗って我先に逃げるのは心苦しいけれど、これもまたやむをえない。
 メイベリーからレザーヘッドまでは、およそ二十キロある。僕たちが気〇がいのように馬車を走らせ、妻のいとこがいる村へ着いてみると、ここでは何事もなく、乾草の匂いが牧場を覆い、バラの花が家々の垣根を美しく彩っていた。
 いとこ一家は僕たちを温かく迎えてくれた。
 食堂へ落ち着いた時、僕は妻のいとこたちに、知っている限りの火星人の事について話してやった。いとこたちは目を丸くして聞いていた。
 妻には、ここへ来てもまだ一つの心配事があった。それは僕がレストランの親父に、今日中に借りた馬車を返すと約束した、その事についてであった。妻はいとこたちに聞こえないように、そっと、
「あなた、どうしても今晩、馬車を返さなければいけませんの?」
 と、僕にささやいた。
「うん、男の約束だからね」
 妻は、僕がまたメイベリーなどへ出かけて、危ない目にでも遭ったらと、それを気遣っているのだった。
 間もなく、僕は一人で馬車を返しに行くことにした。僕は一度も人との約束を破ったことが無い男である。嘘つきだと思われることは死ぬほど嫌だった。
「では、言ってくる。大丈夫、じきに戻ってくるよ」
「あなた、気を付けてね」
 僕は妻やいとこたちに見送られて、村を後にした。
 出発した時は、もう夜の十一時近くだったろう。外は暗く、風もないので、昼間と変わらない位暑かった。
 僕は来る時とは道を変えて別の街道を進んだ。道を行くにつれて、人がいるのかいないのか、ひっそりとした家が目についた。おおかたは立ち退いてしまった後のようだった。
 メイベリーが望まれるところへ来た時、赤く染まった夜空を背景に、影絵のように家々の屋根や木立が黒く浮かび上がっているのが見えた。僕が安心と気がかりとの混じり合った気持ちで、その方に見とれていた途端の事だった。うっすらと緑がかった光が道を照らして、遥かな森が白くきらめいたように思われた。あれはどうしたわけだろう。そう思い、僕が御者台から伸びあがったその時、おう、一筋の緑の火がすさまじい勢いで流れる雲を貫き、辺りに渦巻く雲をぱっと照らし出しながら、左手の方の野原へ落ちていった。
 僕は思わず息をのみ、はっとした。これが第三の火星からの円筒の落下だったのだ!
 ところへ、天の一方で、ぴかりと電光が紫色に光り、僕の頭の上で、雷が物凄い響きをたてた。馬は驚き、ヒヒンと鋭くいななくと、坂を矢のように走りだした。
 雷に続いて、雨が叩きつけるように降ってきた。右に、左に飛び交わし、ぱっ、ぱっと目もくらむばかりの稲光の閃き、噛みつくような、凄まじい雷の音。滝のように身に迫る雨。僕の身の回りで、電光と雷と雨とが、激しくもみ合っている。
(酷いことになったぞ)
 僕は身をかがめ、手綱にかじりつくようにして馬車を飛ばした。
 ふっと顔を上げた時の事、向こうから何者かが、恐ろしい速さで駆けてくるのが目に留まった。初めは屋根でも光っているのかと思ったが、次々にきらめく電光で、それはくるくると回転している、何か大きなものであることが分かった。しかし、それがどんな形をしたものかは、まだ見分けがつかなかった。
(なんだろう?)
 小さな電光が、ちかっと光って、真っ暗になった。続いてまた、昼みたいに明るく、大きな電光が走った。
 その瞬間、この近くにある孤児院の赤い建物と、道端の松の木と、回転する大入道の姿がくっきりと雨の中に浮かび上がった。
「うわっ!」
 ぼくは息が止まるほど大きな声を上げた。
 僕は、その大入道の怪物を見たのだ! そいつは大抵の家よりも、もっと高くて大きな、三本の足が生えた機械仕掛けの怪人みたいな物だった。この機械は、ぎらぎら光る金属でできていて、節のある鋼鉄の綱が何本もその機械からぶら下がっている。機械が揺すれて、歩くにつれガラガラという音をたてた。
 僕は見た。その三本足の大入道が、道端の松の木を一跨ぎにして、そのついでにその木をメリメリと引き裂いた。そいつはのっしのっしとしているくせに、大変なスピードを持っていた。木を引き裂いた後、そのガラガラと言う音を、雷の轟きにこだまさせでもするかのように、大地を渡ってこちらへ近づいてくる。電光がいったん暗くなって、また、ぱっと煌めいた時には、そいつは僕の馬車の所から百メートルも無い辺りまで迫って来ていた。
 僕はもはや逃れることが出来ず、どうしようもなかった。突然、目の前の松林が、ちょうど人が草むらを突き抜けでもするみたいに、乱暴にかき分けられた。松の木がぶち折られ、どさりと倒れた。同時に、一層近くへぬうっと怪物が現れた。おう、恐ろしい三本足の機械は一台だけではなかったのだ。すぐ後に、第二の機械が控えていた。そいつはまっしぐらに、馬車にぶつかりそうな勢いで、こちらへ突き進んできた。
「あっ」
 僕は夢中で馬の首をグッと右に回した。馬車が馬を下敷きにしてでんぐり返り、めりめりという馬車の壊れる音と一緒に、僕は横ざまに投げ出された。投げ出されるなり、僕は浅い水たまりの中に、ぴしゃっと落ちた。
 どこも怪我は無かった。そこで、僕は素早く起き上がると、水浸しになりながら、茂みの陰に隠れた。
 その時、またピカッと電光が光った。可哀想に、動けなくなった馬の姿と、ひっくり返った馬車とがほんの一秒ほど、影絵のように電光の中に浮かび上がった。と見る間に、大入道の機械は大股で僕のすぐそばをかすめ過ぎ、ずかずかと丘を登って行った。間近で見たその機械は、信じられないほど奇怪な物だった。
(あれが火星人が考え出したものなのか)
 それはただの機械とも思われなかった。機械には違いないが、血の通っている生き物みたいなところがあった。長い、ギラギラする触手が、奇妙な胴体の周りでガラガラと音を立てて揺れ動き、金属的な足音を鳴り響かせる。進む時、そいつはちゃんと自分が行く道を選ぶし、上の方に乗っかっている、真鍮色の傘みたいなものがあちこちと動くので、丸で頭を使って辺りを見回しているようでもあった。触手は木の枝だの、草だの、触れるものは何でも掴みさえした。おまけに胴の部分の後ろには、白い金属の大きな魚を入れる魚籠(びく)みたいなものを付け、足の関節のようなところからは、緑色の煙を吹き出しているのだった。

 アルー! アルー! アルー!

 そいつはぐんぐん向こうへ歩いて行きながら、いきなり奇妙な声で吠えたてた。
 次の電光が光った時には、八百メートルぐらいも向こうにいる、第一の三本足の仲間と一緒になっていた。そして、そいつらはそのまま、野原の中で何かの上にかがみこんでしまった。後になって考えてみると、そこに火星から発射された第三番目の円筒があったのだった。
 僕は化け物が行ってしまっても、動く勇気が全然でなかった。ガタガタと震えながら、彼らが行った方をじっと見守っていた。

                    ☆

 機械の化け物の姿は、それっきり見えなくなった。別段、引き返しても来なかった。
「助かったらしい」
 僕はほっとし、茂みの中から出ると、物陰を利用しながら一目散に走りだした。
 ここまで来れば、メイベリーが近いのだった。僕はレストランの親父に会い、馬車と馬を駄目にしたことを言って、それから妻はいないけれど、ひとまずメイベリーの自分の家へ帰ってみようと思った。本当はいとこの家へ引き返せばよかったかもしれないが、この時は頭がぼんやりしていて、いい考えも浮かばなかった。
 雷雨はまだ止んではいなかった。暗闇が深かった。僕は冷えと怯えに、ガタガタ震えながら、無茶苦茶に進んだ。
 丘にかかった。泥道で滑った。丘のてっぺんの近くで、僕は何か柔らかい物につまづいた。丁度その時、ぱっと光った電光で、僕は長靴と大きなオーバーが盛り上がって横たわっているのを見た。誰かが倒れているのだ。僕は怖かったけれど、そっとその心臓に手を触れてみた。全く、息が絶えていた。
 電光がまた、ぱっとさした。途端に僕は腰を抜かさんばかりに驚いた。死んでいる男は、僕が馬車を借りた、レストランの親父なのだった。火星人の犠牲になったのである。
「気の毒な事をしたなあ」
 僕は頭を垂れた。
 しかし、今となってはどうしようもなかった。仕方なく、僕は親父を残したまま、丘を越えて我が家へと急いだ。
 幸いに、我が家はまだ、焼けたり、すっかり壊されたりはしていなかった。
 家の中へ入ってしばらくすると、僕の気持ちもいくらか落ち着いてきた。僕は全身ずぶ濡れの服を着替え、ウイスキーを少しばかり飲んだ。それから二階へ上がった。
 二階からは、外の景色が眺められる。寝られるどころではないし、僕は気になるままに、窓際へ行った。
「おやっ!」
 いつの間にか、学校や塔や、その周りの松林が消えてしまっていて、ずうっと遠くまで見渡すことが出来た。
 砂取り場の周りの野原は、赤々と炎に照らし出されていた。見れば、その明るみの中を大きな黒い影が忙しそうに、あちこちと動き回っている。
(あっ、あの三本足の怪物ではないか!)
 この真夜中に、火星人は一体何をしているのだろう。何か弄り回しているみたいでもある。
 その辺りは、大地全体がもうもうと燃え上がっているように見えた。広い丘の斜面に、あちらこちらと散らばった小さな炎の舌が、風に吹かれて揺らぎ、悶え、低く飛ぶ雲を赤く染めている。
 僕は息を殺しながら、そっと見ていた。気のやにが燃えるらしい強い匂いが、風に乗って流れて来る。
 ずっと遠くの方へ目をやると、駅に続く黒焦げになった松林が見え、鉄道線路の上、陸橋の近くには、ぽつんと明かりがついていた。街道沿いの家が何軒かと、駅の近くの通りは燃え崩れている。
(遠路の上に、妙に長い物が横たわり、その辺りが明るくなっているが、あれは何だろう)
 よくよく見ると、それが転覆した列車であることが、僕にはわかった。
(酷いことになったもんだ!)
 僕はぞっとした。列車の前の方が壊れて、後ろの方がまだ線路の上に乗っていた。明るいのは、その前の方で火を噴いているためであった。
 一体、町や村の人たちは、どうなってしまったのだろう。僕は心配して、人影を探し、見渡した。初めのうちは、ちょっと見つからなかった。が、やがてウォキング駅の明かりの中に、線路を踏み越えながら逃げていく、大勢の人の姿を認めた。
 家。汽車。野原。それらのものが、この時間に、明るく燃え立っているのであった。その間に、黒い大地が広がっていた、まるで火をちりばめた黒い海といった感じだった。
 ああ、こんな風に燃え、ごった返し、すっかり引っくり返ってしまったこの世界。これが、ほんの何時間か前までは、僕たちが平和に暮らしてきた世界なのだ。信じられもしない恐ろしいことが、目の前で実際に起こっているのである。
 それと言うのも、円筒の中から吐き出された、あののろのろした火星人によって始まった事だ。
 僕は砂取り場の辺りを、相変わらずうろうろしている大きな影をじっと見つめながら、この鉄の巨人と火星人とは一体どのようなつながりがあるのだろうかと、考えてみた。心が怯えていて思う事も途切れ途切れだったが、
(機械でありながら、自分でものを考える頭を持っているなんて、そのような事は無いだろう。すると、あの大きな三本足の怪物は、一人で考えたり、動いたりしているのではなく、あの機械の一つ一つの中に、火星人が入っていて、指図をしたり、命令を出したりしているのでもあろうか)
 正直のところ、僕には良く分からなかった。
 今日一日中動き回って、さすがに僕も疲れ果てていた。くたびれて、ベッドに転げ込むなり、僕はいつの間にか寝込んでいた。ところが、やはり気が立っていたらしく、間もなくガサガサという物音に目を覚まされた。
(あいつかな?)
 僕は胸がどきどきした。こわごわ、窓から覗いて見ると、一人の兵士がフラフラになりながら、僕の家の垣根を越えようとしているところだった。
(人間だ)
 僕にとって、生きた人間がこんなに懐かしく考えられたことはない。どんな人だって、僕と同じ仲間の人間なら、有難いと言う気がした。眠気なんぞ、いっぺんに消え飛び、僕は窓から身を乗り出すと、低い声で、
「おい、どうしたんだ?」
 と話しかけた。兵士はこの家を、人が立ち退いた空き家とでも思っていたのだろう。僕に話しかけられてびっくりしているらしかった。
「お前こそ、誰だ?」
 兵士の声も低かった。
「隠れようとしているんだね」
「そうなんだ」
「家に入って来いよ」
 僕は下に降りて行って、戸を開けてやった。
 家の中に入ってきた男を見ると、兵士には違いないけれど、帽子はどこかへ無くしてしまい、上着は破れて、ボタンも外れている。
「どうしたんだ?」
 僕は尋ねた。
「どうしたって、あの化け物の奴、何もかも綺麗さっぱりと片付けてしまいやがって、話なんかできるものか。後には何にもありゃしない。まるで、大きな熊手でそこらじゅうをぐっと払いのけてしまったってところさ」
 僕は兵士にウイスキーを勧めた。
「君はどの隊の兵隊なんだ」
「砲兵隊の大砲を引く、馬の係の者だよ」
「では、火星人との戦闘に加わったわけだね」
「無論さ。でも、他の部隊と違って、遅れて七時ごろから加わったんだ」
「戦いはどんな風だったかね」
「僕らが付いた時には、原っぱの向こう側から、ドカンドカンとやっていたよ。ところが初めに空から降りてきた火星人の奴、金属でできた盾みたいなものに身を隠し、二番目の円筒の方へゆっくりと入って行ったね」
 この金属でできた盾みたいな物。――これが、あとで三本足を出して、あの鉄の怪物になったのだと考えるよりほかはない。
「それからが、大変な事になったんだ」
 男は話し続けた。
「我が砲兵隊も、さっそく攻撃をしようと言う事になった。大砲の前車を外して、いよいよぶっ放そうとして前車の砲手が後ろへ回った時、僕は馬に乗ってたんだが、馬がウサギの穴に足を踏み込んでひっくり返ってしまったんだ。もちろん、僕はドシーンと地面に放り出された。丁度その時だったよ。ガアーンと言うものすごい音がして、大砲が割れ飛び、火薬は噴き上げられて、辺り一面があっと言う間に火の海になってしまったんだ。僕は投げ出されて、そのまま気が遠くなった。ふっと気がついてみたら、僕は黒焦げになった人や馬の下敷きになっていたんだ。僕は馬の腹に押さえつけられたままだった。辺りには、生きている人間一人いなかった。何だか嫌なにおいがして、みんな焼け死んでいたのさ。僕は投げ出された時に、背中を痛めたので、しばらくの間はどうにもならなかった。なんて事だ。気がついた時には、ごそっと片付けられてしまって、何にもありゃしない。びっくりしたどころの話ではないよ」
 兵士はしばらく言葉を切り、また話し出した。


「僕はやっと身体が動かせそうになっても、そのまま馬の下腹の影に隠れて、野原の方を伺っていたよ。見ていると、新しくやってきた連隊の兵士たちが、ラッパが鳴り響くなり、火星人が潜んでいる穴をめがけて突撃をした。ところが、ほとんどの者がたちまちバタバタと引っくり返ってしまった。大抵は死んだが、うまく命拾いをした奴が、一生懸命になって逃げようとする。と、穴の中から頭の上に傘みたいなものを被った怪物がもぞもぞと現れて、逃げまどっている兵隊たちの間を、あっちへゆらゆら、こっちへゆらゆらと頭をふり立てて歩き出した。そいつの腕そっくりみたいな辺りからは、恐ろしく込み入った金属で出来たこぶがぶら下がっていて、緑色の火がちかちかと閃き、身体についている箱の煙突に当たるものからは、熱線が発射されるんだ。その熱線にやられて、人間も、木も、ぼうぼうと火を吹き、気がついてみたら、ずうっと遠くに待機していた騎兵隊までが、馬も一緒に消えてしまっているんだな。ウォキング駅近くの家だってみな、その熱線にやられてしまったのさ」
 兵士はその時のことを思い出したみたいに、身震いをすると、
「実のところ、僕ももう、助かりっこはないと諦めていたのさ。ところが怪物の奴、さんざんに熱線を振り回した挙句に、ふっとやめて、円筒がある穴の方へ行ってしまったんだ。その隙に、僕はまだ熱い草原の中をそっと用心をしながら這い出した。そして、道端の溝に滑り込み、それを伝わって、ウォキングにたどり着いた。町を抜けようとしたら、火の手に追い返されて、どうにもならず、焼け崩れた壁の山に身を潜めていると、またしてもあの化け物の一匹がのっしのっしとやってきた。運の無い話だと震えている内、幸いにも化け物は僕に気がつかず、そこらにいた男をひとり探し出して、そいつを捕まえた。僕はその時見たんだが、鉄の触手がその可哀想な男をぐいと押さえたかと思うと、目よりも高く差し上げて、いきなり松の木の幹にびしゃりと叩きつけたものさ。あの時の凄さ! 男は、うんと言ってそれっきりだった」
 あの怪物、鉄の巨人の活躍ぶりは、僕も見て知っていた。で、兵士がどんなにびっくりしたかも、その気持ちがまざまざと分かった。
 兵士はとめどなく喋っていないと、その恐怖から逃れないとでも言うみたいに、なおも話し続けた。
「僕は長い事じっとしていたんだが、夜になったので、思い切って鉄道の土手を越え、無茶苦茶に駆け出した。このメイベリーへ来たのは、ロンドンへ出ようとして、その道筋だったからだよ。気がついたら、お腹がペコペコでね。空き巣狙いみたいにこの家の垣根を越えようとしていたのは、家の中に何か食べる物が無いかと思ったからだったのさ」
「やあ、ごめん、ごめん。気がつかないですまなかった」
 僕は急いで台所から、羊の肉とパンを持って来て、兵士に勧めた。
 二人は火星人に見つからないように、明かりも無い暗がりの中で話し合っていたのだが、窓の外を見ると、既に夜が明け離れていた。
 焼け野原が遠くまで見渡される。火事はあらかた収まり、あちこちに煙が流れていた。崩れた家や焼け焦げた木が、朝の光に凄まじく哀れな姿をさらしている。
 ところが、僕と兵士は覗いていた窓からすぐに身を引っ込めなければいけなかった。おう、何としつこい奴だろう。あの金属の巨人が、向こうに三匹いるのだった。
 奴らは開けていく朝の日を浴びながら、穴の周りに立ち、自分たちがやってのけた乱暴な仕事を、さも満足して眺めるかのように、頭の傘みたいな物を、ぐるぐるとゆっくり回転させていた。

                    ☆

「君はこれからどうするつもりだ?」
 すっかり日が昇った頃、家の中からは、一歩も外へ出られないまま、僕は兵士に尋ねた。
「どうするって、ここいら辺りでいつまでもグズグズしているわけにはいかないでしょう。僕はまず、ロンドンへ行って、それから兵営へ戻るつもりですがね」
 僕は、妻がいるレザーヘッドへ戻ろうと考えた。そこで、兵士にその事を言うと、
「へえ、レザーヘッドへ行くには、どうしたってあの化け物がのさばっている所を突っ切って行かなければなりませんぜ。時間がかかっても、遠回しをしなくちゃ命が危ないでしょう」
 話の末、僕も兵士と一緒にここから北の方にある、ストリート・コバムという所まで行くことにした。そこで兵士と別れ、ぐるりと遠回りをしてレザーヘッドへ出ようという計画を立てたのである。
 それは長い道のりなので、僕たちは食料を用意した。
「さあ、出発」
 歩き出して間もなく、僕たちは道端に熱線にやられた黒焦げの死体が三つ、重なり合って転がっているのを見た。道のところどころには、時計、スリッパ、銀のさじなど、色んなものが落ちていた。逃げる時に、人が落としていった物だろう。生きた人間には、一人も出会わなかった。死ぬか、逃げ去ったかしたのに違いない。
 丘を登った。森の木は、焼けた棒になったり、根こそぎに引っくり返ったりしていた。
 森の焼け跡を抜け、二人は街道に出た。向こうからカッカッと馬のひづめの音が聞こえ、三人の騎兵がやってきた。行く先はウォキングの方らしい。僕は騎兵に、
「どこの隊の方ですか」
 と尋ねてみた。
「第八騎兵隊の中尉と兵士だ」
 騎兵隊の兵士は、方角や高さを測る経緯儀みたいな物を持っていた。火星人が目当てであることは分かっている。何をするのだろうと思って、僕が尋ねてみると、日光を使って合図をする、日光信号機だということだった。
 お互いに火星人の事について言い出そうとしている時、僕と道連れの砲兵が、僕を押しのけるように土手から道に飛び降りて、中尉に敬礼をし、
「報告いたします。昨夜、我が隊の砲は破壊されてしまいました。戦友のほとんどは死にましたが、私は命拾いをして、この方の家に隠れていたのであります。私はただ今、兵営へ帰る途中であります」
 と言った。中尉が言った。
「うん。火星人の様子は?」
「はいっ、金属で身を固めた巨人であります。身長三十メートル、三本足でアルミニウムのような胴をしており、大きな頭をしています」
「馬鹿。お前はなんて下らん報告をするのだ」
 中尉が怒鳴った。
 中尉が砲兵を馬鹿というのも無理が無いかも知れない。中尉はまだ、実際に何も見ていないのである。
「御覧になれば分かります。そいつは箱みたいなものを持っていて、それから発射する火で人を射殺するのであります」
「大砲のような物か」
「違います。この道を八キロほど進めば、そこにまだ火星人がいるはずですから、私の報告が出鱈目でない事が分かるでしょう」
 そこで僕も中尉に、この砲兵が決して出鱈目を言っているのではない事を口添えしてやった。
「どうもわからん。が、旅団長はこの先のウェイブリッジ(ロンドンと三十キロ隔たり、テムズ川にそそぐウェイ川の河口近く)におられる。お前は旅団長の所へ行って、自分が知っている事を全部報告しろ」
 中尉は砲兵の兵士に命令をした。
「はい、旅団長閣下に報告を致します」
 僕と砲兵の兵士は、騎兵たちに分かれて道を先へと急いだ。
 さっきの中尉でもわかるように、火星人が僕たちのすぐそばまで来ていると言っても、それを実際に見ていない物だから、話がさっぱり通じない。まして一般の人たちとなると、危ないから立ち退けと言われても、どれほど危ないのかわかるものではなかった。ただ、嘘と誠の噂に無闇に踊らされているみたいだった。
 僕たち二人は街道すじの村や町を行きながら、多くの人々に出会い、いろんな場面にぶつかった。訳は分からないけれど、やたらに怖がっている人、嫌に慌てている人、そそっかしいだけの人。そうかと思うと、まるっきりのんびりした人。こうなると、地球人の自惚れもあまり当てにならないみたいに見え、――そんな中で、どこでもみんな大騒ぎしている事だけは同じように思えた。
 バイフリートという所へ来た時、大きな荷物を抱えてうろうろしている人たちを、馬に乗った軽騎兵が整理していた。
「早く、あっちへ!」
 日曜日だもので、大概の人が晴れ着を着こんでいる。
 大きな箱を背負った上に、腕に蘭の鉢を抱えた爺さんが、兵隊としきりに言い合いをしていた。
「私の大事な、大事な蘭なんだからな。秋になると見事な花が咲くんだからな」
「そんな物は捨てて、早く逃げださなくちゃ、命が危ないんだ」
「この大事な蘭を捨てられるもんか」
 ここで蘭の花とはあまりにも暢気すぎる。僕も見かねて爺さんの側へ行き、火星人の恐ろしさを話して聞かせて、蘭の鉢は捨てた方がいいと注意してやった。が、爺さんは兵隊が言う事も、僕が言う事も聞かない。
「わしは蘭の方が大事だよ」
 これには僕も呆れた。危険だって、恐ろしさだって、人はその時が来るまではなかなか飲み込めない物らしい。僕は今度、それをつくづくと感じた。
 僕たち二人は道を急いだ。橋を渡ったすぐの所では、白い服を着た大勢の兵隊たちが、一生懸命になって土を盛り上げていた。弾避けの壁のつもりと見える。土を盛り上げた後ろには、大砲がずらりと並んでいた。
「あれで防ぐつもりなのかな。ふふん、まだ熱線にお目にかかっていないからな。可哀想に」
 僕と一緒の砲兵は言った。
 中尉が旅団長がいると言ったウェイブリッジへ着いた。
 街は人々でごった返していた。そんな中で、教会の鐘がカンカンと鳴り響いている。牧師さんがお祈りをしているのだ。この町の混雑ぶりは酷かった。駅のプラットホームには、うずたかく荷物が積まれてあり、群衆は増える一方だった。
 どうしてこんなに込み合っているのか人に聞いてみると、軍隊が大砲を輸送するためにお客が乗る汽車は止められてしまったのだ、という話であった。ここでは砲撃が始まったら、地下室に隠れろと言う触れが出されていた。
 旅団長がいるはずの司令部が、どこにあるのか、誰に尋ねてみてもなかなかわからなかった。それでも僕と道連れの砲兵の兵士は、中尉に命令された用事をとにかく済ませた。
 その後、僕たち二人はウェイ川がテムズ川と合わさるシェパトンの水門の近くまで行った。ここには渡し船があった。こちら岸は、興奮し、わめき立てている避難民で一杯である。雨戸に荷物を積んで、二人で運んできた者もいた。
 人々は、がやがや、わあわあと話し合っていた。
「熱線とかいう奴で、ぱっ、ぱっと燃やすのだそうだが、正体が知れないだけに怖いですね」
「なあに、軍隊が大砲でドカンドカンとやりゃ、どんな化け物だってひとたまりもないでしょう」
「すると、火星人は降参して捕虜と言う事になりますかな。そいつの顔を早く見てやりたいもんですねえ」
 僕は人の話を黙って聞いていた。
 ウェイ川の向こうに牧場が見える。牛がのんびりと歩いていた。ボートで川を渡ると、こちら岸は全てが落ち着いていた。船から上がった人たちは、ホテルへ行く人もあれば、もっと遠くへ逃れようとして、道を急ぐ人もいる。
 兵士たちもこちら岸にいる者は、まだ暢気で、作業らしいこともしていない。
 僕たちが陸へ上がって間もなくのことだった。地を揺るがして、ずしんと腹にこたえるような音が聞こえた。
「なんだろう?」
 避難してきた人たちも、そこらにいた兵隊も、思わずはっとした。側にいた犬までが、驚いて吠え出した。
 物音がまた聞こえた。間違いなく大砲の音だった。
 戦いが始まったらしい。
 おかしな事には、目に映るのはのどかそうな広々とした牧場があるばかりで、しかも牛が平気そうにゆったりと草を食べているとこだった。柳の木は、暖かな日の光を受けて、銀色に光っていた。
 遠くからの物音に続いて、向こう岸の右手の森に隠れていた砲兵隊が、猛烈に、続けざまに撃ち出した。

 ドカン、ドカン、ドーン、ドーン、ドン!

 その凄まじさと言ったら無かった。人々は悲鳴を上げながら立ち退いた。


 近くの木の枝の辺りまで、うっすらと煙が流れてきた。
 見ると、ずっと川上の方で、だしぬけにむくむくと煙が舞い上がった。煙は空中に勢いよく吹き上がり、じっと動かないように眺められたが、その途端、足元の大地がぐらぐらと大きく波打って、物凄い爆発があたりの空気を揺すった。気がついたら近くの家々の窓が、いくつか砕けて飛び散っていた。しばらくの間は僕たちは気を呑まれてしまい、動くに動けなかった。
「おっ、やって来たぞ! 見ろ、あっちを見ろ!」
 そう怒鳴り立てたのは、青いシャツを着た男だった。
 僕もみんなも、言われた方を見た。
 見た者はみな、肝をつぶした。金属で身を固めた火星人が一つ、二つ、三つ、四つ、向こう岸の低い林の上に次々と現れた。おまけにそいつらは、今僕たちが越えたばかりの川の方へぐんぐん近づいてくるのだった。彼らは砲兵の陣地に迫った。その時、この怪物の一団が身を包んだ金属の鎧が、ギラギラと光り陣地間近に進むほど、身体がぐんぐん大きくなった。一番左の端、つまりもっと遠くにいた怪物が、いきなり大きな箱を空高く振り上げた。と見る間に、あの恐ろしい熱線がぱっと町の方へ向けられた。町はたちまち破壊された。
 怪物の五番目の奴が、僕たちの方へ斜めに突進してきた。この足の速い、物凄い化け物が百メートルか百五十メートルの所へ来た途端、水際にいた群衆は怖れにすくみ、身も動かせなくなった。
「げえっ!」
 群衆は不気味のあまり、しいんと静まり返った。
 次の瞬間、喉から絞り出すような悲鳴を上げて、誰かが水の中にドブンと落ちた。一人の女が僕の目を前を、転がるように駆け抜けた。
 僕は熱線の恐ろしさを忘れてはいなかった。ただちに水の下にもぐるよりほかはあるまい。
「水に潜れ!」
 僕は怒鳴った。
 怒鳴るなり、僕は小石だらけの川岸を駆け下りて、水の中にざぶんと飛びこんだ。まだうろうろしている人もいたが、僕に見習って川へ入った者もあった。
 満員の人を乗せたボートが引き返してきた。陸には火星人が、ぬうっと立っているのだ。ボートの客たちは、争って水に飛びこんだ。川の水は思いのほか浅いので、僕は火星人に見つからないように、身を投げ出すみたいにして水の下にもぐった。
 だが、火星人の方は狼狽え回っている人間のことなど、しばらくの間ほとんど気に留めてもいない様子だった。それはちょうど、アリの群れが大混乱をしているのを、人が見て何とも思っていないのとそっくりであった。
 僕は息が詰まりそうになって、水の上に頭をもたげてみた。火星人の気がかりは、相変わらず砲兵陣地に向いているらしい。
 陣地を目指して熱線発射機と思われるものを、ゆっくりとふりふり、向こう岸から一跨ぎ、川の中ほどまで渡ってきた。その二本の足で、また一跨ぎ、こちら岸の村はずれへ上がり、すっくと立った。
 と、村はずれに隠されてあった六門の大砲が、ドカン、ドカン、ドカン、といっせいに火を吹いた。そこに大砲があったとは、誰も気がつかなかったのだ。で、いきなり続けざまにそのような振動が起こったものだから、ぼくは飛び上がるほどにびっくりした。
 怪物もかなり戸惑った様子だったが、早くも熱線を発射する箱を振りかざした。
 途端に第一弾が怪物の傘の上、六メートルのところで破裂した。
「ひゃあっ!」
 僕は驚きの声を上げた。続く二発の弾丸が、怪物の胴体に近い空中で同時に爆発した。
 怪物は傘を回転させて、四番目の弾丸を避けようとした。が、間に合わなかった。傘は膨らんで閃き、赤い肉と金属のきらめきが断片となって辺りに飛び散った。
「命中だ!」
 僕は歓喜とも驚きともつかない声で怒鳴った。
 僕の周りで、水に浸かっていた人たちの間からも、嬉しそうな叫び声が聞かれた。
 首を飛ばされた怪物は、酔っぱらった大男のようにひょろひょろとした。が、倒れはしなかった。
 不思議にも身を立て直したかと思うと、足元が危ういのも、握りしめていた熱線発射機も構わずに、村の向こうの方へフラフラと歩いて行った。
 この時になって、僕には火星人について今まではっきりしなかった謎の一つがやっと分かったような気がした。つまり、生きていて頭を働かせることが出来る火星人は、大砲の弾丸のためにやられて死んでしまったのだ。が、火星人が動かしていた生き物ではない機械の部分は、まだすっかり壊されてはいない。それはもう、バラバラになるばかりの、すでに方向を定める事も出来ない、込み入った金属の作り物に過ぎないけれど、ただ真っ直ぐにだけは動いていた。
 ふらふら、ふらふらと、そいつは歩いて行った。そして協会の塔にぶつかると、まるで大きな槌でも使ったみたいにそれを叩き壊し、身をかわしてそのままよろめきながら進んだ。と見る間に、川上の水中へガックリと崩れ落ちた。落ちたと思った、その途端の事だ。物凄い爆発の音があたりの空気を震わせ、粉々になった金属の欠片と一緒に、水、蒸気、泥などまでが空高く舞い上がった。
 おまけに次の瞬間、たぶん熱線発射機の箱が水に触れたのだろう、流れの水が一時、じゅうっと激しく蒸発した。続いてぐらぐらに煮え立ったお湯のような大波が、川上の方から泥混じりの大津波みたいな勢いで、どっと押し寄せてきた。
「これは、たまらん」
 川の中にいた人々が、先を争って岸に這いあがるのが見えた。
 川上の方からはなおも、火星人による壊れた機械のガラガラという音と、シューッ、シューッと水の沸き立つ音が聞こえている。それにもまして、人々の泣き叫ぶ声、わめき声が、川中にいっぱいだ。
 僕は慌ててごった返す水の中を、川の曲がり角が見える辺りまで渡って行った。そこからは怪物が半分以上も水に浸かって、横に転がっているのが眺められた。濃い蒸気の煙がその残骸からもうもうと立ち上って、渦巻く煙の間から、大きな手足で水をやたらにかき回し、泥飛沫を空中に跳ね飛ばしてるのが、途切れ途切れに望まれる。触手が生きた腕のようにうねり、水を叩くさまは、傷ついた動物が波にもまれながら溺れまいとしてもがいているのとそっくりだった。周りには赤みがかった茶色の液体が、どんどんとその機械から噴き出している。

                    ☆

「大変だ!」
 僕の側で水に浸かっていた男が叫んだ。
 その男が指さした方を見ると、別の火星人の仲間が向こうからのっし、のっしと川岸を進んでくる。その時また、村はずれから大砲が、ドカン、ドカン、ドカン! と、いっせいに撃ちまくられた。
 しかし、今度は弾丸がなかなか命中しない。火星人は勝ち誇ったみたいに、川岸のすぐ近くまで来た。僕は大急ぎで、もう一度、がばと水の中へ潜った。一秒、二秒、三秒……。僕は息を止めたままで、水の下を這い進んで行った。周りの水は次第に、ふつふつと熱くなってくる。
(ああ、たまらぬ。苦しくて、もうこらえきれない!)
 僕は首を上げて、ふうっと息をつき、目に降りかかる髪と湯水の熱さを払いのけた。
 目がはっきり見えるようになった時、僕は、耳が聞こえなくなりそうな辺りの物音のすさまじさの中で、靄の向こうにいる怪物の姿を認めた。靄を通して見る奴らの身体は、途方もなく、一層大きく見えた。そのでっかい影が一つ、僕のつい鼻先を、すうっとかすめて通った。僕が震えていると、奴らはそのまま先へ行き過ぎ、さっき大砲の弾丸にやられ、まだもがき続けて川水を熱する事をやめないあの怪物の残骸の上にその身をかがめた。奴らが去ったので、僕は、
(ああ、うまく助かった!)
 と、いったんはそう思った。
 だが、気がつくと、怪物はまだ二人いた。しかも、僕が隠れている水辺から三百メートルと離れてはおらず、この二人は熱線の発射機を高く振りかざしていた。
(危ない!)
 発射機からは、目に見えない光があっちこっちに走っている。
 果たして、天地が引っくり返るような騒ぎが持ち上がった。川の向こうで、家のガラガラと崩れ落ちる音。燃えたものが、どさっと火の中に落ち込む音。火の唸り、火星人の金属の鎧の響き、耳がガーンとなってしまうくらい、辺りの空気は色んな物音でうずまった。
 僕はもはや、逃れることが出来まい。吹き上げる黒い煙。川のおもてから立ち込める蒸気。それの混じり合った中を刺し貫くみたいに、熱線が空をかすめて走る。その熱線の当たったところが、白熱のきらめきを発して、青白い炎がすぐに煙となって踊りだす。
「あっ!」
 僕がいる所から見える家が五軒、続けざまにやられた。
 まだ熱線に見舞われない、手前にある家々は、前へ後ろへと飛び交う炎の中で、今にも火がつくかと怯えるふうに、青白くぼうっと蒸気の向こうに浮かんでいる。
 僕は今度こそ、熱線の働きを嫌と言うほど見せつけられた。家々に熱線が触れると、溶けるようにくぼみ落ちて、炎がぱっと飛び立つのだった。木々に触れるとゴーゴーという音を立てて、木がすぐに火だるまとなる。
 僕は余程うっかりしていたらしい。僕と一緒に川の中にいた人たちが、すでにあしの葉の間をかき分けて水から這い上がったり、土手の下あたりを右へ、左へと駆け回っているのが見えた。
 その時、熱線の白い閃きが、僕がいる五十メートルほどの水際の所まで、さっと流れてきた。熱線は川のおもてをかすめてたちまち村の方へ向けられたが、それが走った途端、水はグラグラと沸き上がり、しゅうっと蒸気を吹いた。


「あっ、あつっ!」
 僕は岸へ向かって駆けだした。追いかけるように煮えくり返る大波が、僕の上に襲い掛かった。
「やられた!」
 火傷だ。半分、目が見えなくなっていた。
 僕は苦しみにもだえ、それでも水の中を岸の方へよろめきながら走った。僕は力が尽きて倒れた。
「もう、駄目だ!」
 僕がぼんやりと覚えているのは、火星人の足が、僕の頭の二メートルぐらいの所まで来て、砂利の柔らかい間にぐいと突き刺さり、ぐるっとかき回してからすっとまた上がって、遠のいた事だった。
 そうして僕は、ウェイ川とテムズ川にはさまれた広い三角州の、むき出しの川原に、火星人の目にすっかりさらされたままじっと横たわっていた。
 ふっと気がついた時、僕の目に、四人の怪物が初めに大砲でやられた仲間の死体をみんなで担いで向こうへ歩いていくのが眺められた。奴らは煙が垂れこめる中を、長い川と広い牧場を横切って、その姿をはっきりと、あるいはうすぼんやりと、だんだん遠ざかっていくのであった。
(助かった)
 僕がやっとそう思ったのは、奴らの影が全く見えなくなってからだった。
 しかし、油断などしていられる時ではなかった。僕が命拾いをしたのは、奴らが仲間の死体を拾い集めるのに手間取ったからに違いなく、その限りでは、火星人の間の友情も、人間と変わりないらしい。が、でもまだ、川の流れは湯気を吹き、何一つ普段の世界に戻ってはおらず、危険が辺りに満ちているのだ。
 見ると、誰かに乗り捨てられたボートが水の上を漂い流れていく。この時になって、僕はやっと自分が道連れの砲兵の兵士ともいつの間にかはぐれてしまって、ただ一人ぼっちな事に、深い心細さを覚えた。そこで、
(あのボートに乗って、ロンドンへ行こう)
 僕はそう思いつくと、へとへとの身体を励まして、そのボートに追いすがった。
 ボートが上手くつかまえられた。僕は火傷をしている手をオールの代わりに使って、一生懸命に漕いだ。目は絶えず後ろを振り返りながら、川下へと下った。ボートなら、もし怪物が追いかけてきた時、陸よりも川の方が逃げやすいと、そう考えたわけである。
 流れは相変わらず熱い湯だった。土手に目をやると、川に沿った家々が盛んに燃えていた。折角実った畑にまで、火が燃え移っている所もあった。逃げていく一群の人々の姿も望まれた。
 太陽の光が暑かった。喉が渇いてたまらない。水が欲しかった。橋が見える所まで来た時、僕は疲れと暑さにへたばり、ボートを捨てて土手に這いあがった。そして、誰にも会わずに一キロばかりへとへとになりながら夢うつつに歩いた。
「どこかに、飲む水がないかしら」
 僕は水を求めた。その時、僕の頭は少しおかしくなっていたかもしれない。そこはどこだったか。僕はそこにあった生垣の側に倒れると、そのままうとうとと、深い眠りに落ちてしまった。
 一方、火星人は、仲間の一人がやられて地球人に負けたみたいな恰好で、その基地の砂取り場へと引き上げた。が、火星人は何も攻撃を急ぐ必要はなかったのだ。
 それというのは、円筒があとからあとからと、火星から地球へ飛んできていたからだった。二十四時間ごとに、火星人には援軍があった。
 無論、地球人もぼんやりはしていなかった。陸軍も海軍も、敵の恐ろしいことを悟って、作戦を練ったり、盛んに活動をしたりしていた。ウォキングの砂取り場を中心に、火星人が現れそうな範囲の岡地などを利用し、あらゆる森や林、家々の影に大砲が据え付けられた。また、円筒が落ちたあの野原を取り巻く、三十平方キロにもわたる焼け跡には、火星人が動き出したらすぐに砲兵隊に知らせるための日光信号機を持った斥候が、命がけで待機している。
 火星人は、地球人の実力について、幾らか知った様子だった。で、むやみに人間に近づこうとはしなかった。彼らは攻撃を休んでいる間、第二、第三の円筒との間を何度も往復しながら、色んな器具類を、第一の円筒が下りた穴へ運んでいた。
 穴の前には、見張りの火星人が一人立っている。他の火星人は、穴の中に降りて、夜遅くまでせっせと作業を続けていた。
 それらの事は、穴の辺りから、濃い緑色の煙の柱が夜空の遠くからでも見えた事で、地球人には見当がついた。
 そんなようにして、火星人は次の攻撃の準備に忙しく、地球人の方はどしどし戦力を集めて、防備を固くしていた。ところで、その日の火星人の攻撃で、生け垣の側に倒れてしまった僕の事だが、気がついてふっと目を覚ましてみると、既に夕方であった。
「おやっ」
 僕はきょとんとし、恐ろしかった昼間の出来事を遠い日の事でもあるかのように思い出した。空には夕日に染まった綿毛のような雲が、いくつも浮かんでいる。
 見ると、僕の側に汚れたシャツを着て、髭の無い顔を上げ、夕空を見つめている一人の男がいた。
 僕は、それが誰であるかも構わずに、いきなり、
「あなたは水を持っていませんか」
 と尋ねかけた。男は持っていないと首を振り、
「あなたは夢の中で、もう一時間も水をくれ、水をくれと、そう言っていましたよ」
 と言った。僕は長い事、眠っていたと見える。
 二人は黙ってしまった。そして、お互いに相手の様子をそれとなく眺め合っていた。
 見知らぬ男は大人しそうな人だった。
「これは一体、どういうことなんでしょう」
 相手の男はだしぬけにそう言い、それから、
「どうして、こんな事が許されるのでしょうか。私たちは、どんな罪を犯したというのでしょう。私は、朝のお祈りを済ませて、良い空気を吸うために散歩をしていたのです。ところが、あの恐ろしい災難でしょう。それをやってのけた火星人とは、一体どんな奴なんです。もう、何もかもおしまいになってしまいました。全てのものが破壊されたのです。三年前に建てたばかりの教会も、吹っ飛んでしまいました」
 男は牧師だった。
 彼がその教会を、火星人のために焼かれてここまで逃げてきたのであることは、言われなくても分かる。僕と同じように、怖い目に遭わされてき○がいになりかけているのかも知れなかった。
 僕は、この男を落ち着かせようと思った。
「まだ希望はあります」
「希望ですって!」
「そうです」
「私は今朝、お祈りをして……。いや、これは世界がおしまいになりかけている印に違いありません。きっと、人間という人間がみんな死んでしまう日が近づいたんです」
 僕はこの男に、優しく言いかけてばかりいてはいけないと気がついた。かえって乱暴に言ってやったほうが良さそうだと考えついたものだから、
「おい、君。君は怖くて頭がおかしくなっているんだ。男らしくしなくては駄目だ。神様は君だけを特別扱いにするなんてことは無いのだぞ。君みたいに、あれぐらいのことですぐに参ってしまうのでは、牧師のくせに神様を信じないと言われても仕方があるまい。神様は、僕たちの力をお試しになっているのだぞ」
 と言った。
 僕の言葉に、牧師は黙って考え込んでいるふうだった。しばらくして、
「でも、火星人にはとても勝つことが出来ない気がするんですが……」
「そんな事は無い。二時間ばかり前だが、奴らの一人は地球人にやっつけられたんだ」
「やっつけられたって、本当ですか」
「僕はこの目でちゃんと見て来たんだ。僕は火星人と地球人の戦いが、一番激しい所にいたんだから」
 牧師の顔に、希望の色が流れた。そして、
「空の向こうの方で、あのぴかぴか光っているのは何でしょうか」
 牧師が尋ねた。
「あれは兵隊が日光信号機で合図をしているんだ。軍隊が活動しているんだよ。人間が負けまいと頑張っている事は、あれを見ただけでもわかるだろう」
 その言葉は、僕には牧師へと言うよりも、自分を元気づけたいためのもののようでもあった。
 やがて僕たちは立ち上がった。牧師が行く方向は、僕と同じだった。
「この道を、北の方へ進んで行こう」
 二人は歩き出した。
 空に、うっすらと三日月がかかっていた。

                    ☆

 この国の首都ロンドンでは、火星人来襲のニュースがどのように受け取られたろう。


 火星人がウォキングに落下した時、僕の弟はロンドンにいた。弟は医学生で、その試験が間近に迫っていたものだから、勉強に忙しく、火星人がやってきたことは、かなり後から知った様子だった。
 土曜日の朝、ロンドンの新聞は火星人についての長い論文と共に、火星に生物がいるか、といった問題に触れての記事を出し、円筒が到着した土地からの、あまりはっきりしない電文を載せていた。その電文によると、
『火星人は群衆が近づいたので、機関銃で沢山の人を殺した』
 とあり、次にこう書き添えてあった。
『火星人は恐るべき敵であるようだが、落下したその穴から這い出してこない。這い出してこないというよりは、這い出すことが出来ないのだ。これは恐らく、地球と火星の重力の違いによるのだろう』
 そして新聞記者はのんきな見方をし、それほどの心配は無かろうと、そう言っていた。
 さて、ロンドンについては、今度は僕に変わって医学生の弟に出てもらおう。弟が実際に見たり、聞いたりしたことを、その動きにつれてしばらく辿ってみたい。
 その日、弟が生物学の試験を受けに学校へ行くと、友達は試験をそっちのけに、盛んに火星について話し合っていた。話の様子では、みんな面白がっているばかりで、心配などしている者は一人もいない。が、火星にかかわりがある、何事かが起こっているらしいことだけは知られた。
 午後になっていくつかの新聞が、火星人のニュースを書き立てた。と言っても、砂取り場の近くの軍隊の動きと、ウォキング付近の松林の火事ぐらいのもので、それほどの事も無かった。
 夜八時、一つの新聞が、電信が通じない事を号外で知らせた。しかしこれも、燃えた木が電線に落ちかかったためと信じられ、大したことには受け取られなかった。
 医学生の弟は、新聞を見た。火星人の円筒が落下したのは、兄の家、つまり僕の家から三キロ離れた辺りであることを知った。
 日曜日の朝刊の一つには、こう書いてあった。

 昨夜七時ごろ、火星人は円筒から這い出して、金属の盾に隠れて歩き回り、ウォキング駅及びその付近の家屋を完全に破壊し、カーディガン連隊の一個大隊を全滅させた。詳しいことは明らかでないが、火星人の盾には機関銃の射撃も効き目がなく、大砲でも手ごたえが無かった。騎兵隊は目下、チャートシー方面へ敗走中で、火星人はその方面に向かって侵入する形勢がある。付近の住民は不安に包まれており、火星人のロンドンへの侵入の恐れがあるのを防ぐため、今軍の手で、砲兵陣地が築かれている。

 これは見逃せない記事だった。
 それでも、他の新聞にはまだ暢気なところがあって、火星人についての知識が浅く、その来襲を馬鹿げた事のような書き方をしているものが少なくなかった。
 医学生の弟は、兄たち一家の事が気になって、二度、駅へ行ってみた。一度は汽車が運転を休止していた。でも、それを火星人と結び付けては考えなかった。
 二度目に駅へ行った時、弟は、
『ウェイブリッジ辺りで、火星人と砲兵隊が戦闘中らしい』
 という噂を聞いた。駅では列車の運転が、すっかり乱れてしまっていた。五時ごろ、大砲を積んだ貨車や兵隊をぎっしり乗せた客車が通るをのを見て、駅に集まっていた人々は興奮した。
 医学生の弟が、芯からびっくりしたのは、夕方、駅からの帰り道でのことだった。刷りたての新聞を抱えた男が、横町からいきなり飛び出してきて、大きな声でこう怒鳴った。
「ウェイブリッジの大激戦! 戦闘の詳しい報せ! ロンドンも危ない!」
 弟はさっそく、その男から新聞を買って、町中の薄明りの下で読んでみた。
 新聞は、火星人の事を次のように書いていた。

 身の丈三十メートルに近く、大きな虫のクモに似た機械でできており、強い熱の光線を放射し、急行列車ほどの速力を出すことが出来る。

 特別大きな活字で扱ったその記事がまた、弟の心を驚かせた。

 ――野砲を主力にした我が砲陣が、ウォキング地区とロンドンとの間に待機していると、五人の火星人が現れて、テムズ川の方へ進んだ。が、一人は倒された。他の四人は、弾丸を逃れて砲兵陣を熱線で破壊し、近くの民家なども焼き、大損害を与えた。その後、火星人は撃退され、ウォキング付近の三つの円筒を結ぶ三角地帯へ退却した。
 ――現在わが軍は、方々から大砲を集め、どんどん運んでいる。大砲の数は数百門にのぼり、イギリスでこれほど多くの砲がこんなに早く集められたことは、これまでにないことだ。火薬も超スピードで製造され、配備されつつある。兵隊は、日光信号機を持って火星人に迫り、一般人も火星人との戦闘に協力している。火星人は恐ろしい敵ではある。が、その数がせいぜい二十人であるのに対して、地球人は何百万人もいる。たとえ、もっと多くの円筒が落下したとしても、たちまち撃滅することが出来よう。
 ――火星人の円筒の大きさから考えて、一つの円筒に火星人は多くて五人。五つの円筒が降下しているので、合計二十五人と言う事になろう。が、既に地球人によって倒されているものもある。民衆に危険が迫った時は、すぐに警告が出る事になっているし、特に警戒がいるロンドン南西部の住民に対しては、十分に保護の方法がとられている。ロンドン市民は軍隊の力を信じ、安心していてもらいたい。
 新聞には、およそ、そう言った事が出ていた。
 町ではみんなが新聞を広げて読んでいた。新聞が良く売れた。この夕方には、ロンドンの町の中で、火星人に家を焼かれて逃げてきた避難民の姿が見られた。荷馬車に妻子や家財道具を積み、疲れ切った顔をした男や、何一つ荷物を持ってない人や、様々だった。が、どの人達もみな、顔や着物が汚れ切っていた。
 医学生の弟は、町の辻で避難民の一人が人に火星人の事を聞かれて、それに答えているのを耳にした。
「その格好と言ったら、うまく言えませんけれど、蒸気ボイラーが竹馬に乗って人間みたいに歩いているってところでしょうかね」
 つまりは火星人と言う奴は、見た人でないとなかなか分かりにくいもののようだった。静かな蒸し暑い夜であった。八時ごろ、ロンドンの南の方で、激しい砲撃の音が聞こえた。弟は不安でならなかった。
「兄の家は円筒が落ちたところから三キロぐらいしか離れていないが、兄たちは無事だろうか」
 弟がベッドに入ったのは、かなり遅かった。ところが、まだ夜が明けないうちに、ドンドンとドアを叩く音、ばたばたと通りをかけていく足音、遠くで何やら、ゴーッという物音など、その慌ただしさに目を覚まされた。弟はベッドから飛び降りて、窓際へ駆け寄った。鐘の音が入り乱れ響いていた。
 窓から外を見ると、自分のアパートだけではなく、方々の窓が開いて、寝間着を着たままの人が首を突き出している。窓の下から上を見上げて、大声でわめいているのはお巡りさんで、
「火星人がやって来るぞ!」
 と、隣の戸口へ走って行った。
 兵営の方から、太鼓とラッパの音が聞こえた。どこの教会でも鐘をガンガン鳴らしている。たくさんの馬車の列が、駅の方をさして走っていく。
 弟は服を着かえた。いつになく早い新聞売り子の声が、
「ロンドンが危ない! キングストン(ロンドンの南西十九キロ)の防衛線が破られた! テムズ川一帯が、全滅の危険にさらされている」
 そう叫んでいた。
 ロンドン全市に、危険がひしひしと迫っている。人々は逃げるために、表へ飛び出した。
 弟も外へ出た。家々の屋根の上に見える空が、朝日に染まる頃だった。車で行く人、駆けて行く人、人の数が増える一方だった。
「黒煙が見える!」
 そう叫ぶ声に、弟はその方へ目をやった。
 弟は気を落ちつけようとして新聞を買い、急いでそれを広げて見た。防衛総司令官の報告が載っている。

 火星人はロケットで、黒い毒の蒸気の、大きな雲を発射している。そのために、わが軍の砲兵部隊は窒息してしまい、防衛線は破滅された。火星人は進路の一切のものを破壊しながら、ロンドンをさして次第に前進中。火星人を食い止めることは難しく、毒の黒煙から逃れるためには逃げ出すほかはない。

 なんと頼りない話だろう。
 ロンドン全市の六百万の住民が、慌てて逃げ出しているのも、当たり前と言って良い。人々は一団になって、北へ北へと流れて行く。
「早くしろ!」
「黒煙だ!」
「火だ!」
 町中がごった返している。

 これよりしばらく前、火星人はホーセルの穴から二回目の攻撃を始めていた。まず三人の火星人が、一つに固まらないで、二キロ半ほどの間を置き、一列になって進んだ。
 第一の砲兵陣地にいた砲手たちは、新米の志願兵だった。で、慌てまくって早くから無益な一斉射撃をした。その挙句に、彼らは人気のない村を抜けて、一目散に逃げてしまった。だから火星人は熱線を使う事も無く、悠々と大砲の上をまたいで前進した。
 第二の陣地の兵隊たちは、命令をよく守り、元気でもあった。彼らは松林の陰に隠れていて、先頭の火星人がおよそ千メートルの距離まで来た時に、いっせいに大砲をぶっ放した。弾丸は火星人の前後、左右で弾け、火星人は前進したかと見る間に、よろめいて倒れた。
「やったぞ!」
 兵隊は大声で怒鳴り、弾丸の詰め替えを急いだ。
 その時、倒れた火星人が、
「ウオッ!」
 と吠えた。
 その吠え声が合図だったらしく、第二の巨人がギラギラとその身体を光らせながら、南側の松林の上に現れた。
 兵隊たちはさっそく、そいつを目がけていっせいに大砲の弾丸を浴びせかけた。が、それよりなお早く、火星人は砲兵陣地に向かって、さっとばかり熱線を放射してきた。兵隊たちはばたばたと倒れて、やっと命拾いをしたのは、丘の陰にいた二人きりぐらいの者だけだった。
 ここで二人の火星人は、倒れたもう一人の火星人の側へ集まって、三十分ばかり、固まり合って相談をしていた。と、面白いことに、倒れた巨体の中から傘を被った小さな茶色の化け物が、ちょこちょこと現れ出た。そして、その化け物は自分が出てきた巨体の、金属の鎧の修理に取り掛かったのだ。
 やがて、その修理が出来た頃、

 アルー、アルー、アルー……。

 別の火星人の呼び交わす声がした。
 新しく、たちまち現れたのは四人の火星人で、四人とも、太い、黒い管を持っていた。彼らは前の三人と一緒になった。
 こうして全部で七人の火星人は、いっせいに前進を始めた。七人は一塊にならないで、散開しながら進んで行った。一方、待ち構えていた軍の日光信号機は、火星人が動き出したのを見て、第三の砲兵陣地へさっそく合図を送った。
 その頃、太い管を持った四人の火星人が川を渡り始めていた。火星人は第三の砲兵陣地へ迫った。
 ドカン! と大砲が火を吹いた。
 弾丸は火星人に当たらなかった。
 その時、すっくと立った火星人が、手に持っていた管を高く掲げて、大砲を撃つのとそっくり、その管から発射をした。途端に、大きな鈍い音が地を揺るがした。
 遠くにいた火星人が、その響きに答えた。同じように管を高く上げて発射したのだ。
 この不思議な速射砲の弾丸は、次々に続いた。撃つ時、光も煙も出さなかった。
 どこへ撃ったのか。その弾丸が落ちたと思われる辺りに火か、煙ぐらいは上がりそうなものだった。が、それも見えず、破裂の音も、爆発の音も聞こえなかった。
 辺りはしいんとしている。不気味に大砲の音もやんでいた。早くも日が暮れた夜空には、星が澄み切っていて、コウモリが一匹、はたはたと暗がりで舞っていた。
 火星人はと見ると、大砲を発射した後、川の土手にそい、転がるような格好で、東の方へ動いて行った。そして、夜もやの中に消えてしまった。
 それだけの事では、何が始まったとも見えなかった。実はこの後が大変だったのだ。突然、ロンドンに近い方角と思われる辺りに、先が丸く尖った丘みたいな黒い塊が一つ盛り上がった。もう一つ、その方角に、盛り上がりが出来た。そして、その二つの丘のような形のものがだんだんに潰れて低く広がった。さらに別の方角にも、同じような盛り上がりが一つ……。
 おう、火星人が撃ち込んだ恐ろしい殺人兵器は、これだったのだ。そのために、ロンドンの方向にあたる土地一面は、すっかりやられてしまうようなことになった。
 第一、第二、第三の円筒に続いて、新しく第四の円筒が、この地球を目がけて火星の国から降って来ていた。そして、その兵器を運んだものが、第四の円筒の火星人であることは言うまでもない。
 恐ろしい兵器! その管から発射された弾丸は、地面に触れると爆発はしないで、広がって散った。と、たちまちインキのような重い蒸気をむくむくと吹き出して、それが途方もなく大きな黒い雲となって渦を巻きながら空に立ち上る。続いて、そのガスの小山が低く沈み、緩やかに周りの土地に広がっていく。その蒸気に触れたり、鼻を刺すガスを吸い込んだりすると、どんな生き物でもみな死んでしまう。
 この蒸気は、どんな濃い煙よりも重たい。初め、何かにぶつかって吹き出してから、ゆっくりと空中を沈んで、ガスというより液体のように地上にあふれ、丘から、谷、溝、水路など、低い所へと流れ込む。
 それが水に触れると、特別な働きのせいで、水のおもてはたちまち粉の様なカスで覆われる。そして、それが沈んでしまうとまた新しいカスが浮かんでくる。カスは全然水に溶けない。が、不思議な事に、ガスに触れればすぐに命が無くなるくせに、そのカスを濾した水を飲んだところで何の害も無い。
 さらに、蒸気によってできた黒煙は、渦を巻いて吹き上げた後、そこらじゅうを這っていても、地上十五メートルも高い所にいれば、その毒から逃れることが出来る。
 これが、火星人によってロンドン付近にまき散らされた殺人蒸気のあらましだった。
 さて、夜もやの彼方に消えたと思えた火星人たちは、長い一直線になって、夜通しどんどん前進を続けていた。それを追い回すみたいに、軍隊の探照灯の青白い光が、怪物の大きな影を闇の中に映し出す。しかし、もはや火星人たちは、ただの一度も砲兵隊に砲撃のチャンスをつかませなかった。大砲が隠されていそうなところには、黒煙の弾丸が撃ち込まれ、砲列のはっきり見える所には、熱線が放射された。
 あとは、火星人に逆らう軍隊は一隊も無かった。攻撃に加わるために大砲を積んで、ロンドンを流れるテムズ川をさかのぼって来た水雷艇や、駆逐艦の乗組員たちでさえ、上官の命令を聞かずに逃げ帰って行ってしまった。
『どうすればよいか?』
 地球人が企てた、火星人に対するただ一つの攻撃方法は、地雷と落とし穴を仕掛ける事だけだった。が、これだってうまく成功しそうにもなかった。
 そのような訳で、日曜日の朝が明けた頃には、世界の大都市ロンドンが、恐怖のどん底に叩き込まれていた。

                    ☆

 ロンドンの混乱は、まるで地獄の絵図みたいだった。
 避難民たちは急流のように、ひっきりなしに駅の周りに押し寄せ、波打った。テムズ川の船着き場では、人がひしめきあふれて、もみ合っていた。安全な所へ逃げ延びようとして、町中の者がありとあらゆる道を抜け、北へ、東へとなだれ落ちて行く。交通整理のお巡りさんも、もう手が出なかった。警察が全く無力になった。鉄道がズタズタに切られて、避難民を運ぶ列車が動かない。汽車の機関主や火夫が逃げ出してしまった。
 昼頃、黒い蒸気の雲がテムズ川一帯を包んだ。そのために、橋を渡って逃げる全ての道が断ち切られた。
 その頃、アパートから逃げ出した、医学生である僕の弟は、ロンドン郊外から汽車に乗ろうとしていた。酷い混雑で、とても汽車に乗れたどころの騒ぎではない。
 どうしたら良いかと弟は途方に暮れ、駅から戻りかけた。ふと見ると、道端に誰かが乗り捨てていった物か、一台の自転車が転がっていた。
「これは有難い」
 弟はさっそく、その自転車に飛び乗った。
 自転車はどこも壊れてはおらず、立派に動いた。弟は足の力が続く限り、一生懸命になってペダルを踏んだ。道々、避難民の数はどんどん増える一方だった。が、自転車のおかげで、弟は他の避難民よりも、ずっと先へ進むことが出来た。
 ところが、自分だけがそううまい具合に行くというものではない。途中で自転車の車輪が駄目になってしまったのだ。そこで弟は、自転車を捨てて、また歩いて行くより他は無かった。
 弟は歩きながら、こう考えた。
(火星人がいて危ない兄の家の方へ近づくことは、わざわざ命をなくしに行くようなものだ。そうだ。チェルムスフォード(ロンドンの北東にある町)の友達の家へ行こう)
 そう思いつくと、弟はすでにだいぶくたびれている足を引きずり、そっちの方の道へ入って行った。
 その道は、思いのほかに静かだった。弟は農家が四、五軒あるばかりの村を抜けて、草が生い茂った道へ出た。そして、しばらく進んだ時、
「助けて!」
 弟は女の叫び声を聞いた。
 はっとして、弟が辺りを見回すと、道から少し引っ込んだところに小さな馬車が止まっていて、三人の男と二人の女が争っている最中だった。
 三人の男の身なりを見て、とっさに弟は、
(こいつらは、火星人騒ぎのどさくさに紛れて、荒稼ぎをしようという追い剥ぎだな。全く、酷い奴もいるもんだ)
 と、そう思った。そこで、
「こらっ!」
 弟は大声で怒鳴ると、そいつらがいる方へ大急ぎで走って行った。
 二人の男が二人の女を馬車から引きずりおろそうとしており、もう一人の男が、暴れ回る馬車の馬の首を、躍起になって押さえている。女の方の一人は、黒い服を着ていて、背がすらりとし、一人は白い服を着て小柄だった。弟はまず初めに、白い服の小柄な女をつかまえていた男に、いきなり飛びかかった。そして、その男を馬車の車輪に叩きつけた。
「ううん」
 男は大した事も無くのびてしまった。
 次に弟は黒い服の女の腕を引っ張っていた男の後ろから、そいつの首をつかんで、
「おい、女をいじめてどうしようというつもりなんだ!」
 そう怒鳴りつけた。その途端だった。弟の後ろで鞭がひゅうっと鳴って、馬を押さえていた奴が、ぱっと襲い掛かってきた。おまけに振り返った弟は、そいつのために、がんと顔に拳骨を喰らわされた。
 弟は思わず相手の首をつかんでいた手を放した。するとそいつは飛びのいて、逃げ出しにかかった。
 弟は自分を殴った男とにらみ合った。
 この時、馬車は小道を右に左に揺れて、遠ざかろうとし、二人の女は首を伸ばしてこっちを伺い見ていた。
 相手の男が弟に飛びかかってきた。弟は相手に思いっきり一発喰らわせた。
 馬車の中で女たちが、弟を呼んでいる。弟は馬車を追いかけ始めた。すると、弟に顔を叩かれた男も、逃げ出しかかった男も、この時とばかり弟にじりじりと迫ってきた。
 突然、弟は石につまずいて倒れた。立ち上がった時、弟は二人の敵と向かい合っていた。いっぺんに二人の相手はまずい。しかし、弟は身構えた。その時、

 バーン! バーン!

 ピストルの音が二発鳴り響き、弟の身の近くをかすめて弾丸が飛んだ。


「ひゃあっ!」
 驚いたのは相手の男たちだった。
 彼らはすっ飛んで逃げた。
 ピストルを撃ったのは、黒い服の背がすらりとした女だった。ピストルは身を守るために座席の下に入れてあったのだが、これまで取り出す暇が無かった。女たちは馬車を停めて、弟の力添えをしたわけである。
 さっき殴られて、弟の唇からは血が流れていた。おのずと弟は二人の女の馬車に乗せてもらうようなことになった。血は間もなく止まった。
「お差支えが無ければ、ここに座らせて頂きましょう」
 弟は、前の空いた席に着いた。
 馬車が動き出した。乱暴者どもの姿は見えなくなった。
「有難う御座いました。本当に、危ない所でしたわ」
 馬を走らせながら、黒い服の婦人が弟に言った。
「いいえ、僕こそピストルを撃って下さらなかったら、僕はきっと酷い目に遭っていたでしょう」
 弟は自分の名前と身分を告げた。
 二人の婦人はロンドンの近くに住む、外科医の妻とその妹であることが分かった。黒い服の方の婦人がエルフィストーン夫人で、白い服の方が妹であった。
 話を聞いてみると、火星人がロンドンに攻めてきたので、まだ用事が残っている主人は後から出発する事にして、二人の婦人だけが先に馬車で逃げた。後から来るはずの主人を待って、その待ち合わせ場所にいたが、主人は全然現れない。その内に、その待ち合わせ場所が避難民で一杯になり、馬車では身動きが取れそうもなくなってきた。仕方がなく、馬車を進めて人気のない道へ踏み込んだところ、この追い剥ぎたちに襲われた、ということだった。
「そんなわけで、私達、これから先をどうやって、女だけで旅をすれば良いのか心細くてなりません」
 夫人は言った。
「お話はよく分かりました。それでしたら、ご主人にお会いできるまで、私もお供させて頂きましょう」
 弟が答えると、
「まあ」
 二人の婦人は感謝のまなざしで、弟を眺めた。
 そこで、エルフィストーン夫人が言い出して、ピストルは弟が預かる事になった。弟は、渡されたピストルを受け取りながら、
「お二人がさっき御覧になった通り、僕は腕力は大して強くありません。でも、ピストルなら自信があります。何しろこれでも、ピストルの射撃の競技大会で一等をとったことがあるくらいですから」
 と言った。
「まあ、頼もしいわ」
 実を言うと、弟が言った事は出鱈目だった。弟は、怖気づいている女の人たちを安心させたかっただけで、ピストルの弾の詰め方もろくに知らないのである。
 婦人たちは十分に弁当を用意してきていた。弟は婦人たちに勧められ、馬車から降りて、草の上に座って弁当を食べた。その間にも、ロンドンからの避難民は次々に傍らの道を通り過ぎていく。弟は駆け出していっては、避難民をつかまえてあれこれとロンドンの様子を聞き、その有様がますます酷くなってきている事に顔を曇らせた。
 そこで、弟は二人の婦人に、
「いよいよ大変な事になってきました。もう、この世の終わりかも知れません。ぐずぐすなどしていられないのです。さあ、出かけましょう」
 と言った。
「私達、お金はかなり用意してきているのです。出来るだけロンドンから離れた所まで汽車に乗せてもらえないものでしょうか」
 と、夫人は言った。
「お金は僕も持ってます。でも、今はお金など問題にならないのです。命がけでも汽車に乗り込めるかどうかわかりません」
 弟は続けた。
「僕はさっきから考えていたのですが、ロンドンが駄目だとすると、イギリスはいずれ国中が焼け野原になってしまうでしょう。そこで僕だけの事を言いますと、僕はこれからハーウイッチ(ドーバー海峡に面した町)まで行って、そこから船でイギリスを離れようと思います」
 と、新しい決心を打ち明けた。
 弟のその大決心を聞くと、エルフィストーン夫人は、急におろおろし、
「でも、ジョージを置いていくわけにはいきませんわ。ああ、ジョージ。私のジョージ!」
 と、主人の名を口にした。
 すると、妹の方が、
「でも、姉さん。義兄さんはきっと大丈夫よ。後から追いかけて来るに決まってますし、うまく連絡を付ける事だって出来るはずですもの。私達はこの方にお願いをして、一緒にお供をさせて頂いた方がいいと思うわ」
 と言った。
 そんなわけで、エルフィストーン夫人も、とうとう同意し、三人は再び同じ旅をまた続けることになった。
 ハーウイッチへ! 海峡へ!
 弟たち一行が馬車で通り過ぎる町々の混乱は、どこでもやはり酷かった。弟は馬車を降りて人をかき分けかき分け、馬を引っ張って歩かなければならない事が何べんもあった。
 ある所では、車の上で救世軍の服を着た男が手を高く差し伸べながら、
「ああ、神様。私達人間を、火星人の手から救いたまえ!」
 そう言って喚いていた。
 その町から馬車で逃げようとしている人、やっとこの町まで、馬車で逃げてきた人。馬車、馬車、馬車で、道がうずまっていた。その種類も、辻馬車、箱馬車、貨物馬車、配達用の馬車、それに郵便馬車、道路掃除用の馬車、木材を運ぶ馬車、酒屋の馬車、その他にもまだ、色々の馬車がたまったり、つっかえたりしている。
「道を開けろ!」
「さっさと歩け! 火星人が追いかけて来るぞ!」
 用用の事で、歩けるだけの道はあった。歩いている人を見ると、怪我した兵士、赤帽らしい男、シャツ一枚の者、担架で運ばれる病人。実に様々だが、どの人の顔にも怖れと疲れの色がありありと浮かんでいた。
 一人の男が弟の側にかけてきた。
「どこかに水はありませんか」
「この町の者ではないので、良く分かりません。ここいらに水は無いようですけれど……」
 弟は答えた。
「ギャリック裁判長が死にかけておられるのです」
「えっ、あの有名なギャリック裁判長が!」v  偉い人も、名高い人も無かった。火星人のために、地球人全体がどうなるか分からない運命に追い込まれているのだった。
 ますます酷くなるばかりの避難民の馬車、人ごみにすっかり怯えている婦人たちを励まして、元気いっぱい、出発にかかった。どうしたってこの混雑の中を突破しない事には、他に道はない。弟は自分で馬車の馬の手綱を握った。
 弟は人波を横切って、道の右側に出る機会をとらえた。一キロ半余りも行った所で、幾らか楽な所へ出た。そこで、東へと進んだ。
 道のそばで、多くの人が川の水を飲んでいた。飲み水さえも、今度の騒ぎで絶えてしまっていたのである。
 さらに進んで丘にかかった時、列車がゆっくりと北に向かって走っていくのが見えた。機関車の後ろの石炭の上にまで、人がいっぱいすずなりになっていた。
 途中で日が暮れた。三人は馬車を停めて、道端で一夜を明かすことにした。くたびれているうえに、食べ物も少なくなり、おまけに夜は寒かった。誰も眠れなかった。三人が馬車を止めているそばの道を、夜でもたくさんの避難民の群れが通って行った。
 あくる水曜日、弟たちの一行は、ようようのことで目指すハーウイッチへ着いた。

                    ☆

 火星人は、その気になりさえしたら、すでに月曜中にロンドン全市民を皆殺しにする事も出来たろう。
 ところで、もしも、その六月の朝、気球にでも乗って、ロンドンを空から見下ろしたならば、その眺めはどんな風だったか。ロンドンから、東へ西へ、南へ北へ、その道という道には、取り乱した避難民の群れが、アリの行列のように黒く、もぞもぞと蠢いていたに違いない。六百万の人間が、武器もなく、食料も無く、目当ても無く、滅茶苦茶に、ただ逃げて行くだけだ。これほどの大集団が、一時に動くというのも珍しく、物凄い大敗走だった。
 なおも気球で見ると、ロンドンの南の方の空が、大きなペンでインキを振りかけたように、黒く汚れていた。その黒い染みは、次第に広がり、あちこちへすうっと飛び、丘にぶつかっては止まり、峰を超えては谷間に流れ込んだ。そして、それはちょうどインキの染みが、吸い取り紙ににじむみたいに散って、大きくなっていく。言うまでもなく、この染みのように見えるのが、火星人がまき散らした黒煙の広がった跡だ。
(見えた)
 火星人共は、テムズ川の南の丘の向こうにいた。その鎧をぎらぎらと光らせて、右、左に動き、盛んに黒煙を振りまいている。そして、その目的を果たすと、今度は蒸気を放射して、煙を鎮め、どんどん占領を進めて行った。
 火薬が貯蔵してある所へ来れば、火星人はそれを爆発させ、全ての道を壊し、通信機関をズタズタに断ち切る。火星人は地球人を、手も足も出ないようにしているのだった。
 しかし、火星人共は、勝利を急がなかった。その日はとうとうロンドンの中心部を越えては進出しなかった。そして、いったん退いた。
 ところがその一時間後に、火星人が川上に現れて、黒煙が川の面をひとなめした時には、川にいた船も、人の影も、全く消えてしまった。後にはわずかに、霞みたいな物や、屑のようなものが残されていたきりだった。


 その日、方々へ散らばり、逃げた人々は、食べ物が無いので困った。で、がつがつしてきて、人の持ち物であろうと、何のお構いなしの有様だった。お腹がペコペコになった者どもは、よその家の果物だの、野菜だの、ニワトリだの、卵だの、豚だのまでも、勝手に盗ろうとした。
 農夫たちは盗まれまいとし、鋤や鍬を持って見張りをしたり、
「泥棒、待て!」
 と、悪い奴の後を追いかけまわしたりした。
 中には食べ物が欲しいばかりに、ロンドンへ引き返すという無茶な人もいた。この人たちは、飢え死にをするのも火星人の黒煙で倒れるのも、どっちだって同じだと言う考えのようだった。
『政府で雇った工夫たちが、イギリス本土の中部地方一帯に地雷を仕掛けようとしている』
 そのような噂が人々の間では交わされていた。
 ロンドンを取り巻く地方の混乱を救うために、ある鉄道会社が再び運転を始めて、列車を走らせているとも言われた。
 また、北部の町や村には、小麦がたくさん蓄えられてあるので、飢えている避難民には二十四時間以内にパンが配給されると言っている人もいた。しかし、実際にはパンは配られなかった。
 その他、誰が言い出したともしれない、根も葉もない噂がしきりに乱れ飛んだ。
 そんな中で、第五、第六、第七の、火星からの円筒が落下したというのは本当だった。それを目で見た人が何人もいる。
 さて、医学生の僕の弟と、二人の婦人が着いた町では、教会の高い塔の上で、火星人を見張る番人が辺りを睨んでいた。
 弟たちは外国へ逃れるつもりで、さっそく海岸へ進んだ。時期に海が見え、海はあらゆる種類の船でうずまっていた。
 船がそんなにたくさん集まっているのは、火星人に邪魔されて、テムズ川を船が遡れなくなったため、ここいらの海岸にどっと押し寄せたからだった。岸に近い辺りには、イギリスの船ばかりではなく、フランス、オランダ、スウェーデンなどの漁船がいて、それに、テムズ川から渡ってきた小型蒸気船、帆前船、モーターボートがぎっしり並んでいる。沖には大型の貨物船、石炭船、商船、家畜を積んだ船、油送船、客船、大洋通いの不定期船、定期船、そのほか、古ぼけた輸送船が数えきれないくらい集まっており、まるで船の展覧会みたいであった。
 海岸線にはボートの群れがかたまっていた。そして、岸にいる人々と、船賃の事で声高く談判し合っていた。
「それっぽっちの金では駄目だ」
「高すぎるじゃないか。もう少しまけてくれ」
 中には厚い札束を振り回して、
「乗せてくれ、乗せてくれ!」
 と喚いている客もいた。
 沖合三キロほどの所に、鋼鉄艦が一隻、海面低く横たわっているのが見えた。これは万一の時、敵艦に体当たりをするように造られた軍艦で、『雷号』という名がついていた。ずうっと遠くの水平線には、まだいくつかの軍艦が控えている。
 弟の連れのエルフィストーン夫人は、海を見るとすっかり怖気づいてしまった。この人はこれまで一度もイギリスを離れた事が無く、知らない人ばかりが住む外国で暮らすのは、死ぬほど辛いらしかった。
「私、フランスにもドイツにも行きたくありませんわ。フランス語もドイツ語も知らないので、そんなところへ行ったら、買い物一つ出来ません。私はやはり、イギリスにいます。そして主人が追いつくまで、どこへも行かないつもりです」
 夫人は言った。
「そんな事を言っている時ではないと思うのですがね。イギリスは隅から隅まで火星人に占領されるかも知れないのです。とにかく、逃げなければいけません」
 弟は、地球人が今、火星人のためにどんな立場に追い込まれているかをいろいろ説明してやった。
 夫人はやっとのことで納得し、とうとう弟の考えに従う気になった。
 そこで弟は二人の婦人を、一隻の汽船のそばまで連れて行って、水夫と談判を始めた。
「君たちの汽船はどこへ行くのかね?」
「ベルギーのオステンドまでだ」
「客は三人だが、そこまでいくらで運んでくれるかね?」
「三十六ポンドだ」
「高いね。もう少し、安くしてもらえないか」
「乗りたい人はいくらでもいるんだ。高いんなら、やめたらいいだろう」
 仕方がなく、三人は言われただけの金を払うことにした。汽船に乗り込んだのは、午後の二時頃だった。幸いに、船の中には食べ物もあって、弟たちは食事をする事が出来た。
 船はすでに七、八十人の客が載っていて、客はもう、これで一杯と言う所だった。が、船長は欲張りで、この時とばかり金を儲ける事を考えていた。船をいつまでも沖に止めたまま、海岸から次々に客を拾ってくるのだった。
「人がいっぱいで、もう乗れないぞ」
「早く船を出せ!」
 客たちは騒いだ。
 船長は知らん顔をして、水夫がボートで客を連れて来るとすぐまた客を捜しに、ボートを海岸へ向けた。
 待ちくたびれた五時ごろの事、南の方からにわかに砲声が聞こえた。と、それにこたえるように、海にいた鋼鉄艦が小さな砲を発射し始めた。
 客たちは不安そうに、
「何が始まったのでしょう?」
「どうしたのかしら?」
 と、ささやき合った、
 その内に、だんだん砲声が大きくなって、ひっきりなしに響いてきた。やがて、東南の水平線上に、三席の軍艦の帆柱が次々に現れた。
 弟は、南の方の遠い砲声に、耳を澄ましていた。遠くの灰色の靄の中に、一筋の黒い煙の立ち上るのが見えるような気がしたからだ。
 弟たちが乗った小さな汽船は、やっと動き出していて、大きな水の輪を描きながら、錨を下して止まっている船の列を抜け、のろのろと東へ進んでいた。向こうに海岸が青くかすんでいる。
 その時だった。一人の火星人が、陸の遥か彼方に小さく微かに浮かび、こちらを目指して海岸沿いに進んでくるではないか。
「わあっ、火星人だ!」
 船の客たちはみんな、甲板に出た。
 火星人を見ると、船長はこう言って喚いた。
「だから、わしが早く出帆をしろと言ったろう。どうしたらいいんだ? とうとう化け物がやって来たじゃないか」
 船長は、出帆を遅らせたのは自分であることを、全く忘れた顔だった。
 みんなは火星人をじっと見つめて、余りの驚きに声も出なかった。
 見よ。火星人はそこらに生えている木々や、教会の建物よりも高くそびえ立ちながら、人間と同じような格好で、ゆうゆうと大股に進んできた。
 弟も、火星人を初めて見たひとりだった。弟は怖れよりも、ただ、驚きにうたれた。
 巨人は並んでいる船の方へゆっくりと進み、次第に深くなる水の中へどんどん入ってくる。見ると、川のずっと向こうにもう一人の火星人が木々の上をまたいでいく姿が眺められた。さらにもう一人が、それよりももっと遠く、銀色に光る海岸の砂地を渡っていくのが見えた。
 これら三人の火星人が、そうやって海の方へ進んでくるのは、たぶん、海岸にかたまっているたくさんの船が逃げ出すのを邪魔しようと言うつもりに違いない。その事に気がつくと、
「船をもっと早く走らせろ!」
「火星人に追いつかれてしまうぞ」
 船の中の人々は、わめいたり、泣き声を出したりした。
「神様、お助け下さい。どうぞ、火星人を追い払って下さい」
 実際、弟たちが乗った汽船はかなりの速力で走っているにもかかわらず、化け物たちの足の速さに比べると、まるでのろのろしていた。
 気の早い客は、救命具を見つけて身に着け、今にも水に飛びこみそうにしている。弟の連れの二人の婦人は、もう生きた心地も無いみたいにぐったりとし、互いに縋りついていた。


 弟が西北の方を見ると、船の列は大混乱をしていた。他の船の後ろに回って隠れようとしている船があるかと思えば、横向きからま向きに変わろうとする船があった。汽船は盛んに汽笛を鳴らし、煙を吐き続け、帆前船は帆を張るのに忙しく、小蒸気船は大きな船の間をあちこちと駆け抜ける。その有様は、
「火星人にやられるぞ、急げ、急げ!」
 そう掛け声をかけながら、慌てふためいている事を物語っていた。
 弟が汽船の右側を眺めた時、船べりから百メートルと離れない所を、軍艦がすさまじい勢いで突進していた。その跳ね飛ばす大波が、汽船にざぶりと打ち寄せて、そのために甲板が水に浸かりそうなほどに傾いた。おまけに、ざあっと水しぶきが襲いかかって弟は目を開けていられなかった。
「うわあっ」
 弟が再び目を開いたころには、軍艦はずっと先の方を港に向かって進んでいた。この軍艦が『雷号』で、『雷号』は今、危険にさらされている船の群れを救おうとし、勇ましく突進していくところなのだった。
 弟はなおも甲板に立ち、火星人の方を見つめ続けていた。火星人は三人寄り固まって、その足がすっかり水に浸かるほど、海の中に入って来ていた。まさに船を襲うつもりらしい。が、たった今、弟たちの汽船を脅かすようにして突進して行った『雷号』に比べると、火星人なんて、大して恐れる事も無い相手のように見えた。
 実際、火星人たちはこの新しい敵『雷号』が突き進んでくる姿を、びっくりしながら見守っている様子でさえあった。
『雷号』は砲弾を一発も撃たないで、火星人に向かってぐんぐん迫って行った。火星人たちは、何の手出しもしないで、じっと突っ立っていた。奴らには、咄嗟にこの鋼鉄艦をどう取り扱ったらよいか、分からないらしかった。
『雷号』が全然発砲しないで火星人に近づいて行ったのは、利口な事だったと言って良い。何故なら、もし一発でもぶっ放していたら、そばまで近づかない内に、奴らの熱線を浴びて海底に沈んでしまっていたろう。
『雷号』は海面に白い水の尾を引きながら、なおも火星人に突進して行く。
(どうなることか?)
 汽船に乗っている弟たちは、怖いことも忘れ、息を凝らしてじっと見つめていた。
 突然、先頭にいた火星人が、持っている管をすうっと差し上げて、軍艦に向かい、黒煙の弾丸を発射した。黒煙の弾丸は、軍艦の左の船べりに当たり、墨のような物を跳ね飛ばしながら、海面に滑り落ちた。見る間に黒煙の渦がぱあっと広がった。
(わあっ、やられたか)
『雷号』は一時、その煙に包まれてその姿がすっかり見えなくなった。が、じきにくっきりと浮かび出た。で、汽船の上から見ていた弟たちは、
(おうっ、『雷号』が、火星人の中に暴れ込んだ)
 と、そう思った。
 その時、三人の火星人は分かれて、岸の方へ退きかけた。と見る間に、一人が熱線の発射機を高くかざして、それを斜め下に向けた。見る見る熱線を受けた海の水が、シュッと蒸気を吹き上げた。
 その途端、立ち上る蒸気の中に、さっと一筋の火炎が閃いた。同時に火星人の身体が、大きくグラっと揺れて、次にはその化け物ががくっと倒れた。倒れた時、太い水柱と、激しい蒸気が空高く吹き上げた。この時噴水の様な水柱を貫くみたいに、『雷号』の砲声が立て続けに、陰々轟くのが聞こえてきた。『雷号』の砲弾で、火星人がやっつけられたのだ!
「それ見ろ、命中だ!」
「ばんざあい!」
 弟たちが乗った汽船の船尾にいた客たちは、ときの声を上げた。
 その声も終わらない内に、薄れた煙の中に『雷号』の黒い、長い胴体が、ぼんやりと浮かび上がった。それどころか、『雷号』はその中央部からも、通風管からも火を吹きながら、猛烈な勢いで火星人の方へ突き進んで行った。『雷号』は、火星人に熱線を浴びせかけられても、まだエンジンに故障もなく、動けるだけは動けたのだ。ごうごうと火を吐き、横に傾いてはいたが、それでも第二の火星人を目がけて百メートルばかり真っ直ぐに迫ったのだった。
 それを見て、火星人は再び熱線を発射した。ぱっと辺りが赤らんだ。ものすごい、グワンという音が轟いた。『雷号』が吹っ飛んだのだ。空に、粉々に砕けた甲板や煙突が、鳥のように舞い上がった。
 爆発があまりにもすさまじかったので、近くにいた火星人はゆらりとよろめいた。その瞬間、炎に包まれた『雷号』が突き進んで、火星人と衝突した。と、火星人はまるでボール紙細工みたいに、へたりとくず折れた。
「また、やったぞ!」
 弟は思わず叫んだ。
 その時、わき返る水煙が全てを隠した。
「二つ、片づけたぞ」
 船長が、自分がしたことでもあるかのように、大声で喚いた。
 やがて立ち込めていた黒煙が静まった。見ると『雷号』の跡形もなく、残った一人の火星人の姿も見当たらなかった。『雷号』は海の底に沈み、火星人は海岸伝いに逃げ去ったのだろう。
 弟たちが乗った船は、かなり沖へ出ていた。もう遠くなってしまった海岸の近くには『雷号』に変わって、いつの間にか数隻の軍艦が浮かんでいるのが見えた。
 空が暗くなり、星が瞬き始めた。弟が目を凝らしながら、相変わらず陸の方を見つめ続けていると、夕闇の中から、平たい、幅の広い物が、大きな曲線を描いて空に飛び立ち、あっと言う間にだんだん小さくなって見えなくなった。その正体は、何であったか。後には、暗い夕闇があるばかりだった。

                    ☆

 一方、僕はその頃、ロンドンの西南にあたるハリフォードにいた。この火星人騒ぎの中で、たまたま道連れになった牧師と一緒にここまで来た時に、あの怪しい黒煙を見たものだから、安全のため、一軒の空き家に潜り込んだのである。
 そして、僕と牧師は、日曜の夜と次の日一日、黒煙によって外の世界と切り離されたその家の中に、震えながらとどまっていた。
 僕は妻の事が心配でならなかった。
 が、危険が去るのを待つよりほかにはどうしようもなかった。
 牧師は愚痴っぽくて、一日中ため息をついていた。
「こんなことがいつまで続くのでしょう? ああ、神様、僕たちをお見捨てになってしまったのでしょうか。私は気が狂いそうです」
 そこで、僕は牧師に、
「静かにしてくれ、僕だって、気が狂いそうなんだ」
 と、邪険に言った。
 その後では、お互いに反省をし、お詫びをし合い、二人で仲直りの握手をした。
 次の日の午前中も、僕たちは家の周りを取り巻く黒煙に閉じ込められて、何の希望も見いだせなかった。
 昼頃の事だった。何と、突然に火星人の一人が野原を横切って、この家の近くへ現れた。そして、どういうつもりか自分で蒸気を噴射して、自分が発射した黒煙を鎮めにかかった。蒸気はシュウ、シュウッと音を立てて、僕たちが潜んでいる家の壁にぶつかり、窓という窓を壊したばかりではなく、表に近い部屋にいた牧師の手に火傷をさせた。
 しばらくして、僕は窓から外を覗いて見て、驚いた。見渡す限り北の方一帯は、黒い吹雪が通り過ぎた後のようで、何にもなく、川の向こうの牧場は黒く焦げている。
「君、見たまえ」
 と、僕は牧師に言った。
 牧師は火傷をした手をさすりながら、臆病そうに外を覗いた。
「とにかく、僕たちは黒煙からだけは逃れられたわけだ。今のうちにここを逃げて、どこかへ行こう」
 僕は言った。
 牧師は決心がつかないらしかった。が、それでも僕が言い出したとおりにするより他にどうしようもないので、一緒に行こうという事になった。
 僕は家中を探して、少しの食べ物と水を用意し、火傷をする危険があるので、油薬と包帯も持って行くことにした。
 二人は揃って表へ出た。午後の五時ごろだった。焼けただれた道端には、人や馬が、あっちにもこっちにも転がり、馬車は引っくり返って荷物が投げ出されていた。何もかも黒いほこりを被っていて、被害の物凄いことが知られた。
 八時半ごろ、僕と牧師はバーンズという町へ出る橋を渡った。橋の手すりはとれて、歩くのにも危なかった。町は空っぽだった。
 次の町へ近づいた時、だしぬけに向こうからかけてくる大勢の人たちに出会った。どうしたのかと思う間もなく、僕たちがいる所から数メートルと離れていない家の屋根に、火星人が一人、ぬうっと姿を現した。
「あっ」
 僕たちは足がすくんで動けなくなった。
 火星人は上を見ていた。もし、下を向いていたら、僕たちは助からなかったに違いない。僕と牧師は、這うようにしてそこにあった家の庭の、小屋の中に潜り込んだ。声も立てないでじっとしていると、恐ろしさに身体が冷や汗でびっしょりになった。
 一時間。途方もなく長い時間に思えた。何事も無かった。火星人はどこかへ行ってしまったらしい。辺りはしいんとしていた。
 僕と牧師は、そろそろと小屋から這い出した。あとで考えてみると、これは確かに無茶な冒険だった。火星人が一時、姿を消したにしても、この近くにいる事は分かり切った事だったのだ。
 外は暗かった。僕たちが道へ出た時、夜目にもはっきりと、火星人の一人が、牧場の辺りを大股で急いでいくのが見えた。その先を、豆粒ほどの小さな人影が五つ、六つ、一生懸命になって逃げて行く。火星人は、その人影を追いかけているのだった。
(あっ、追いつかれた!)
 見ていた僕たちは息をのんだ。
 火星人は人影に追いつくなり、その一人をつかみ上げた。
 僕たちがいる所から、火星人までの隔たりはかなりあった。が、捕まえられたものが、じたばたと騒ぐ有様までありありと見えた。
 火星人は捕まえたものを、その背中に突き出ている労働者の道具箱のような、大きな金属の入れ物の中に、ぽんと放り込んだ。それからまた、もう一つをひょいとつまみ上げて、同じように入れ物の中に投げこんだ。続いて、また一人、さらにまた一人・…・。可哀想に、気の毒な人たちはみんな、火星人に捕まって入れ物の中に突っ込まれてしまった。
 それを見て、僕は、
(火星人は人を殺すことの他に、何事かを目論んでいるらしい)
 と、気がついた。
 僕と牧師は、その恐ろしい有様を目の前に見ながらいつの間にか、溝の陰にうずくまって隠れていた。自分たちの上に、いつ、同じ運命が降りかかってくるか分からないと思うと、気が気ではなかったのだ。
 夜更け、僕たちは勇気を奮って溝から出た。
「君は右を警戒してくれたまえ。僕は左を用心するから」
 二人は辺りを見回しながら進んだ。
 その内に、そこら一面、黒く焼けただれた辺りへ出た。暗闇でもわかるほど、たくさんの人たちが火傷をして死んでいた。大砲や砲車が、滅茶苦茶に壊れたり、潰されたりしている。
 次の町へ入った。やはり人けが無く、しいんとしていた。僕たちはどうやら、火星人から逃げ延びたらしい。そう思った途端に、急に疲れが出て、お腹がグウグウ鳴りだした。
「何か食べる物が欲しいね」
「そこらの空き家へ入って、捜してみるより他は無いでしょう」
 やむを得ない。僕たちは、釘付けになっている立派な別荘風の家の窓ガラスを破って、その家の中に入り込んだ。そして、部屋部屋を食べ物を探して歩いた。
 見つけたのは、台所にあった、カビてしまったチーズの一かけらきりだった。それでも二人はそれを分け合って、むさぼり食べた。ただ、有難いことに、この家には飲み水があったので、僕たちは水をがぶがぶ飲んだ。
 僕は、この家を出る時に何か役に立つかもしれないと思って、そこで見つけた斧を持って行くことにした。
 ほんとにやむをえなかった。次には、石の塀を巡らした白い家を見つけて、その家に入った。訳なく入れたのに、この家にはたくさんの食べ物があった。かまどの中にはパンが二本、それに、まだ焼いていない肉切れが一枚、ハムが半本、おまけに棚の下にはビール、インゲン豆が二袋、それからしなびているけれど、チシャ(レタス)が少しあった。
「有難いね」
 僕たちは久しぶりで、にこにこし合った。
「この分では、まだいろんなものがあるかも知れないぞ」
 探してみると、ブドウ酒が一ダース近く出てきたうえに、缶詰のスープ、ビスケットが二缶見つかった。
「大したご馳走だ。さっそく頂こう」
「賛成」
 二人は台所で食べることにした。が、明かりをつける勇気は出なかった。
 僕たちは食べたり飲んだりしたので、にわかに元気づいた。
 二人はこの家に長くいるつもりは無かった。少し休んだら出発するつもりでいた。
 ところが、やっとひと心地が付いたという矢先、目もくらむばかりの明るい緑色の光が、窓の外でぱっと閃いた。途端にその家の台所にある品々が、緑と黒に浮き出して、それが消えたと思うと、今度は考えられもしないような、猛烈な振動が起こった。
 ドシン! ガラ、ガラ! たちまち窓ガラスが割れ、そこらじゅうの壁や天井が崩れ落ちて、僕たちの頭の上に土だの砂だのが、ざあっと降ってきた。
「げえっ!」
 僕は床の上に叩きつけられた。その拍子に台所道具に頭をぶっつけて、そのまま気を失ってしまった。
 しばらくして気がつくと、牧師が僕に水をかけていた。
「大丈夫ですか」
 辺りは暗闇に包まれていてはっきりはしないが、僕の顔を覗いている牧師の額からも血が出てるらしい様子だった。
 僕は咄嗟に、ずきずきと痛む頭でこう考えた。
(目もくらむばかりのあの緑色の光! そして、あの激しい振動! こいつは、火星人のあのバカでかい戦闘機械が、僕たちがいるこの家にぶつかったのかも知れないぞ)
 そこで、僕は気がかりと恐ろしさのあまり、いきなり身を起こそうとした。すると、
「動いては駄目です。戸棚が壊れて、そこら中に瀬戸物の欠片が散らばっています。動いたら、ガチャガチャ音がしますよ。どうも火星人たちは、すぐこの近くをうろついているらしい様子なのです。静かにしてないと、気づかれてしまいます」
 牧師が僕の耳に口を寄せて、小声で言った。
 僕は聞き耳を立てた。なるほど、外の方で金属の触れ合うガラガラという音が、途切れ途切れに行ったり来たりしている。僕は怖さに身を縮めた。
「聞こえるでしょう」
「聞こえる」
「やはり、火星人ですか」
「間違いなかろう」
 それにしても、僕は熱線でなくて良かったと、震えながら気休めに考えた。もし熱線だったら、とうに死んでいたはずである。
 牧師は祈った。何を言ってるのか分からないが、その歯の音が、かちかちと微かに鳴っていた。
 生きた気持ちは無かった。二人は夜が明けるまでの三、四時間、身動き一つもしないでじっと小さくなっていた。
 やっと朝の光が差し込んできた。家の中を見回すと、壁は割れ、壊れた窓から庭土がなだれ込み、あらゆるがらくたが散らかって、まるで大地震の後みたいだった。
「凄いことになったものだ」
 僕と牧師は今更のように顔を見合わせて、ため息をついた。
 僕は壁の割れ目から、外を覗いて見た。
「ひえーっ!」
 思いがけない近くに、一人の火星人の胴体が眺められた。火星人は、この辺りから去らないで、まだ居たのだ。
 震えながら、僕はもう一度、割れ目越しに外を伺った。
「や、やっ!」
 火星人が立っている向こうに、どっしりと構えた円筒が見えた。
「きみっ、大変な事になったぞ」
 僕は低い声で牧師に言い、
「夜のあの地響きは、すぐそこに円筒が落ちた音だったんだ。そのために家が崩れて、僕たちは土にうずまった、その家の中にいるんだ」
「ひえっ」
 牧師は悲鳴を上げたきり、後は何も言えなかった。しばらくして、
「ああ、神様、私達を哀れと思い、どうぞお救いください」
 彼はすすり泣きをしながら祈った。
 外ではガンガンという、火星人が何か作業をしている金属の響きが聞こえ、それに汽笛みたいなけたたましい音が鳴り渡っていた。それが止むと、エンジンの唸るような音に変わり、次にはドシンドシンという振動が始まった。物音は、長く続いている……。
 後で分かった事だが、僕たちがいたその家のそばに落ちたのが、第五の円筒で、ちょうどその時、火星人たちは新たに攻撃の準備を進めていたのだった。

                    ☆

 食べる物はその家の中にあった。
 食べる事と眠る事は、一時忘れるようなことがあっても、人は生きている限り、やがてはそれを求める。
 僕と牧師も、いつまでも火星人におびえてばかりいられなくなって、食べ物を持ち出して来ては食べたり、うまい具合に眠ったりした。
 家のすぐ外に円筒が控え、火星人がいる事は、既に分かり切っていた。それにしても、形勢によってはここから逃げ出すなり、もうしばらくこの家に潜んでいるなり、決心をしなければなるまい。
 食べて眠った後、僕は用心の上にも用心をしながら壁の割れ目に忍び寄って、外の様子を探り始めた。
 五番目の円筒が命中したのは、僕たちがこの家へたどり着く前に潜り込んで、一かけらのチーズにありついた、あの別荘風の家の真ん中らしかった。家は砕け散って、跡形もなくなってしまっている。
「やれ、やれ」
 今度もまた、僕たちは危ない所を助かったらしい。だって、もしあの家でもうしばらくまごまごしてでもいたら、僕たちは家と共に吹っ飛ばされてしまっていたろう。
 僕は自分たちが隠れている家がどんなふうになっているのかと、それも注意してみた。そして、思わずひやっとした。家はもう倒れかかって、土の中にめり込み、やっとのことで円筒が落ちた時に出来た大きな穴のふちに引っかかっているのだった。つまり、円筒の方へ向いた辺りが少し空いているだけで、後は家全体がほとんど土にうずまっていたのである。
(何と危ない目にばかり遭うことだろう)
 僕は呆れた。
 今、目の前には火星人の姿は無かった。
 見れば、円筒がある穴の向こう端では、金属でできた昆虫の大きなクモみたいな、怪しく光る機械が、何か盛んに作業をしていた。いや、クモみたいと言うよりは、ギラギラした甲羅があるカニと言った方が良いかも知れない。そいつの胴体には、五つの節がある素早く動く足、言わば節のついたてこのような物や、棒みたいなものがくっついていて、おまけに生き物のように自由自在に伸び、物をつかむことが出来る触手が数知れず並んでいた。腕と思われるものは引っ込んでいるが、その代わりには、三本の長い触手があって、今、てきぱきと活動の最中なのだった。


 この機械について、うまく説明することは難しい。機械と言ってもぎくしゃくした物とはまるで違い、その動きが実にしなやかで、どんな細かいことでも鮮やかにやってのける。陰でそれを操りその触手を自由に働かせている火星人はこのクモか、カニみたいなものの頭の役目をしているにすぎないと言って良いだろう。
「変わって、今度は私にも見せて下さい」
 牧師が不服そうに僕の腕を引っ張った。
「やあ、失敬。見たまえ」
 壁の割れ目からは、せいぜい一人しか外を覗けなかったのだ。
 僕たちは変わり合って、何べんか外を覗いた。おかげで僕は、火星人について色んな事を知った。
 火星人の事を、詳しく知りたいと言う人もいるだろうから、次にそれを書き留めておこう。v  まず、火星人の身体がその大きな丸い胴体(胴体というより、頭だけでできていると言った方が良いかも知れない)は、直径一・二メートルばかりある。その前面には顔があって、顔には鼻の穴は無いが、大変大きな二つの黒い目があり、そのすぐ下に、一種の肉のくちばしがついている。この鳥のくちばしそっくりの物の周りには、十六本の細い鞭みたいな触手が八本ずつ、二束になって生えていて、これが人間の手でやる働きを何から何までする。頭の後ろにはぴんと張った太鼓の皮みたいなものが一枚付いており、後で分かったことだが、これは人間の耳の役目をしているのだった。
 ずっと後になって、火星人を解剖して見てわかったことまで付け加えておく。
 解剖の結果、火星人の内臓はごく簡単な物だった。身体の大部分が脳で、そこからは目、耳、手に数知れない神経が走り、他には大きな肺があって、それに心臓、嘴、血管などが繋がっている。
 火星人の腹の中にあるのはそれだけで、あとは何もない。人間だと、食道だの、胃だの、腸だのといったものが大きな部分を占めているが、火星人にはそんな込み入ったものは無く、頭だけが火星人の内臓器官のほとんどすべてと言って良かった。
 火星人は物を食べないから、消化などという事をしなくてもよい。それでよく生きていらるものだ、と思うかも知れないが、その代わりには、他の生き物の新鮮な生き血を取って、それを自分の血管に注射する。酷いことのようだが、人間だって、牛だの豚だの、鳥や魚などを殺してむしゃむしゃ食べているのだから、火星人だけを責めるわけにもいくまい。
 ただ、人間にとって困った事には、火星人は生き血を取る生き物の中で、人間が一番好きらしいということだ。これは人間にとって、全く迷惑な話である。
 不思議と言えば、人間の心臓は、寝ていようと休んでいようと活動をしているけれど、火星人の身体の器官は筋肉の疲れを治さなくてもよいので、寝たり休んだりしないでもいい。火星人は地球へやって来て、色々の様子が違い、骨が折れただろうに、それでも一日二十四時間、ぶっ通しで働き続けた。
 もとは火星人も、人間に似たものだったに違いない。それが、身体の他の部分を犠牲にして、脳と手がだんだん発達し、その手もしまいには二束の触手に変わり、今のような姿に進化したのだと思われる。これは、知恵だけが進歩し、身体の器官が退化して、極めて簡単なものになった生物の、最後の姿でもあった。
 火星人は、着物というものを全然身に着けていない。火星人は、気温の変化などまるで感じなかったし、またそのために、健康を損ねるという事も無いらしかった。たぶん、病気などというものは、征服してしまったのだろう。
 僕は思い出す。今度の火星人騒ぎの中で、僕は何度か、あちこちで赤い花を見かけたものだった。
 赤い花! この地球では、今まで見た事も無かった、赤い、赤い、血よりももっと赤い花!


 それが火星の国の植物だったのだ。火星人がわざわざ運んで来たのか、それとも何の気なしに持ってきたのか、どっちともわからない。が、彼らが持ってきた植物の種からは、至る所、見る見る赤い植物が生長した。
 今度の事件で、僕は図らずも長い事空き家に閉じ込められてしまう始末になり、この植物について実に身近に見た。僕たちは、それを『赤草』と呼んだが、そいつは驚くほどの勢いで生い茂り、空き家の壁を三、四日の内に這い上って、サボテンのような葉で、家を赤く包んだ。
 これから考えてみると、火星には緑の植物が無く、植物はみんな、真っ赤であるように思われる。赤い葉を付けた木。赤い草が一面に広がった野原、地球人から見たら、物狂おしいような火星の国の植物を想像してみたまえ。
 さて、火星人は、自分ではやっと、のろのろと動き、触手を振り回すだけの生物だが、その頭の働きは素晴らしい。で、自分が作り出した機械に、自分の代わりの作業をやらせて、地球の侵略という大きな仕事を怠りなく進めていたのだった。
 彼らはたちまちの内に、素晴らしい戦闘機械を組み立てあげた。これが第二の戦闘機械だった。
 一方、僕と牧師は、その日一日、空き家の壁の割れ目から、火星人がする事を眺めて暮らすよりほかに、時間の送りようが無かった。目の前に円筒があり、火星人がいるからには、どうしたってここから逃げ出せるものではない。
 牧師は自分の不運を嘆き、めそめそと泣いていた。絶望のあまり、何時間も泣くことをやめなかった。
「おい、泣くのだけはやめろ」
 僕は牧師を叱った。
「泣かないでいられるか。こんな風に閉じ込められて、一体これからどうなるんだ。俺はもう、頑張り切れないぞ」
 そのくせ牧師は泣き止むと、子供みたいにごそごそと食べ物をあさり始める。
「おい、そのように何でもかんでも食べてしまうと、今に困るぞ。僕たちは、火星人がどこかへ行ってしまうまで、ここでじっと頑張るより他は無いんだからな」
 僕は牧師に注意した。
「食べたっていいじゃないか」
 何よりも、あまり気心が知れない相手と一つ場所に長く閉じ込められているということがいけなかった。僕は牧師と言うのは、神様にお仕えする立派な人だと考えていた。が、この空き家での牧師は、とてもそうした人とは信じられなかった。たぶん、恐ろしさに、彼の頭はおかしくなってしまっていたのだろう。
 僕たちは、薄暗い家の中で、声をひそめてよくケンカをした。つまらないことが元で、つかみ合い、取っ組み合い、数分間も争った。あさましい話だが、危機に落ち込んでいる時の人間なんて、普段の人間らしさをまるっきり忘れてしまうもののようだった。そんな事をしている間にも、火星人たちの仕事はどんどん続けられていた。

 ズシン、ズシン、ズシン……

 土堀り機械が相変わらず地響きを立てて、緑色の蒸気を吐きながら、土を掘っている。この機械は掘り上げた土から、ひとりでに黒いカスを取り除け、白い粉にしては鉢の管へと送り込む。やがて、突き出ている工作機械の一本の触手がするすると伸びたかと思うと、ぎらぎら光る白いアルミニウム棒をつかみ上げていた。なんと、その機械はただの土からアルミニウムの棒を作り出すという、火星人だけにしか考えつかないような仕事をやってのけているのだ。アルミニウムの棒は、次々に何本も生み出された。それが戦闘機械の部分として使われたのだった。
 夜になっても火星人たちがいる穴の辺りはアルミニウムを作る緑色の火に明るく照らし出されていた。その火に戯れるように、コウモリがひらひらと飛び回っている。
 その時、穴のそばに火星人の這いまわる姿は見られなかった。が、足を引っ込め小さくたたまれた、あの巨人風の戦闘機械が一つ、穴の隅に立っているのが眺められた。
 その時、いくつもの機械のゴウゴウという音の中から、人間の声らしいものが微かに流れてきた。僕は、自分の耳がどうかしているのではないかと思った。
 僕は、その戦闘機械に目を注いでいた。そいつは足を畳んではいるが、中に火星人が入っているように思えてならなかった。見ていると、そいつの肩越しに、一本の長い触手が、背中にこぶみたいにくっついている、小さな籠へと伸びた。そして、その蓋を開けると、籠の中から何か激しくもがき、わめき叫ぶものをつかみ出した。
「うわっ、助けてくれ!」
 その声は、まぎれもなくそう怒鳴っていた。聞き違いではなく、人間の声だった。
 緑色の光に照らし出され、空高く差し上げられたものは、でっぷりと太った赤ら顔の中年の男で、立派な服を着ていた。何ということだ! その紳士は手足をバタバタさせ、逆さに掴み出されて、ポケットからはだらりと時計と鎖が垂れ下がり、ぴかぴかと光った。
「あっ!」
 僕は気が気ではなかった。
 何とかして助けてやりたいが、今の僕にどうすることが出来よう。
 その男の叫び声は、次第にかすれた。機械の触手は、その男を丘の陰に運んで行った。そして、ほんのしばらく、しいんとなったかと思うと、
「ぎゃあっ!」
 という一声が聞こえた。
 その後、火星人の長く尾を引いた、嬉しそうな吠え声が、夜空に不気味にこだました。
 火星人にさらわれた人間が、どのような酷いことになるかという、その時の有様は、僕ばかりではなく、牧師も実際に見ていたのであった。

                    ☆

 その晩、僕はこの空き家にいて、ひしひしと身に迫る危険を感じながら、どうにかして、ここから早く逃げださなければいけないと、しきりに心が焦った。が、どうやって逃げたらよいか、いくら考えても良い方法が思いつかなかった。
 牧師はあの怖い有様を見てから、一層頭がおかしくなったみたいだった。物を考える力を、まるっきり無くしてしまったのだ。
 僕はこれまでに追い込まれても、絶望をするにはまだ早いと思った。火星人たちは僕たちの目の前にある穴を一時の陣地にしているだけで、その内にどこかへ移るだろうと、それを充てにしていた。その時こそ、逃げることが出来る。
(火星人がいる穴とは反対の方向に、横穴を掘ったらどうだろう)
 僕はそう思いついた。
 だが、それをやるには牧師は頼りにならないので、自分一人でする他は無い。
 一日目が過ぎた。長い二日目が始まり、その日も虚しく過ぎた。
 三日目。僕は、目の前で火星人に捕まった若者が、また一人、殺されるのを見た。それで、僕の決心はついた。
(穴道を掘って、逃げ延びられるだけ逃げる事にしよう)
 僕は食器洗い場の下にもぐって、出来るだけこっそりと、斧で土を掘り始めた。
 何時間かかかったか分からないが、ほんの六十センチばかりの深さに掘ったところで、緩んだ土がドウッと音を立てて崩れ落ちた。僕は震えあがった。火星人に気付かれはしないかと、しばらくじっと息を殺した。大丈夫と分かると、僕は気抜けがして、床に身を投げ出した。そして長い事、そのまま横になっていた。
(穴を掘って逃げだすなんて、出来そうにもない)
 僕は諦めた。
 残る希望は、火星人が早くどこかへ行ってしまってくれればいい、ということだけだった。
 四日目か、五日目の夜、重砲の響きのような物を耳にした。
(おう、軍隊が火星人と一戦をする為に、攻めてきたのかも知れないぞ)
 僕は急に元気が出て、のぞき穴へと走った。
 夜が更けて、月が明々と輝いていた。巨人のあの戦闘機械が一つ、穴の向こう側に立っており、工作機械が相変わらず仕事をしているほかは別に変った事も無かった。
 どこかで犬の吠える声がした。僕には長く聞いた事が無かった。懐かしい声だった。
 その時、間違いも無く大砲の音らしい、ドーンという響きが聞こえた。音ははっきりと六発続いた。しばらく間をおいて、また六発響いた。
 それっきり、後は大砲の音はしなくなった。
(やっぱり駄目か)
 僕はがっかりした。
 六日目のことだった。食器洗い場の暗闇の中で、牧師が一人で何か飲んでいた。それを見つけるなり、
「おい、何を飲んでいるんだ」
 僕はそれを取り上げようとした。ブドウ酒の瓶だった。
「無闇に飲んでは、あとで困ると言ってるじゃないか。瓶をよこせ」
「やるものか」
「渡さないなら、力ずくでも取ってみせるぞ」
「取れるなら、取ってみろ」
 物凄い取っ組み合いになった。争いはきりも無く続いた。
 突然、ブドウ酒の瓶が床に落ちて砕けた。二人ははあはあ息をつきながら、暗闇の中で向かい合っていた。やがて、僕は落ち着きを取り戻し、
「ね、きみ。僕たちが出鱈目に飲んだり食べたりしたら、どういう事になるか分かっているだろう。逃げ出せるときが来ても、逃げる力さえなくなってしまうのだ。今からでも、一日にどれだけ食べ、どれだけ飲むとするか、ちゃんと決めようよ」
 と、牧師に言い聞かせた。
 それなのに、あくる日になると、僕が眠っている隙に、牧師はまた出鱈目をやりだした。勝手にパンを食べようとしているのだった。
「駄目だよ」
 僕は走って行って、牧師の手を押さえた。
「俺は飢え死にしそうなんだ」
 そんなわけで、僕はろくろく眠っている事も出来なくなった。
 忌まわしい巡り合わせ、と言うより他は無かった。二人はなにかと言うと、すぐに取っ組み合いを始めた。声を潜めて罵り合い、掴み合った。
 八日目になると、牧師は平気で大きな声を出すようになった。火星人がいる事も忘れて、本当に気ち○いになりかけたとしか思えなかった。
「僕たちがこんな風になったのは、当たり前のむくいなんだ。神様が、僕たちに罰を下されたのだ。神様なんかへお願いしたってもう無駄さ」
 牧師はそう言ったかと思うと、
「おい、ブドウ酒をくれ。パンをくれ。なんだって? 駄目だって、このけちんぼ野郎。泥棒め。お前は自分で独り占めをしようというつもりなんだろう」
「おい、きみ。もっと声を小さくしないか。火星人に聞かれたらどういう事になるか、分かっているはずだ」
「パンをよこせ。でないと火星人を呼ぶぞ」
「そんな事はやめてくれ」
 地獄のような毎日だった。八日目も過ぎて、九日目になると、牧師はいよいよ声を大きくして、怒鳴り立てるようになった。僕は放り出しておくわけにいかなくなって、
「しいっ、静かにしたまえ」
 何べんも注意をした。
 すると、牧師はかえって火星人たちがいる所まで聞こえそうな大声で、
「静かにしてるじゃないか。このうえ、静かに出来るもんか。ああ、神様、こんな事になったのも、みんな私のせいです。ああ、神様……」
「黙れ!」
 僕はたまりかねて怒鳴った。
 そんないがみ合いの最中の事だった。
 突然、外の方で、壁土がざらざら、どさっと砕け落ちる音がした。その時、壁の割れ目越しにちらっと見えたのは、ゆっくりとこちらへ近づいてくる、あの金属の足だった。
 僕が我を忘れ、化石になったみたいにじっと目を見張ったまま、その場に立ち尽くしていた。と、ふいにそいつの顔の辺りが僕の目の前にきた。見れば、その顔らしいところに付いたガラス板のような物を通して、火星人の本物の顔と、薄黒い大きな目が覗いている。その目付きと言ったら、とてもものすごく、あのクラゲみたいにグニャグニャした奴とは思えない、恐ろしいものだった。
「あっ!」
 僕は素早く隠れた。すると、そいつの金属でできた蛇のように長い触手が一本、家の中を探るようにニョロニョロと伸びてきた。一メートル、また一メートル……。触手は部屋の中に滑り込んできて、不気味にぴくぴくと動き、あちこちとのたくり廻っている。


 僕は息をのみ、食器洗い場へ逃げ込んだ。身体が震えて、ちゃんと立っている事さえできなかった。が、やっと石炭庫の戸を開けると、僕はその暗がりの中に飛びこんだ。そして、戸口からさす薄明りに、台所口の方を覗き、じっと耳を澄ましていた。
 家の中ではそろそろと動き回るものが、時々壁にぶつかったり、微かな金属の音をたてたりしていた。
 牧師はその触手に捕まったようだった。物音で分かった。僕は石炭庫の戸を閉めて、暗闇のずっと奥深く、石炭の中に身を潜めた。
 台所の床を探っているらしい音がする。こちらへ近づいてくる。そいつは食器洗い場をはいずり回っている。
 僕は神様に祈るよりほかに、どうしようもなかった。
(神様、どうぞあいつを早く、向こうへ行かせてください)
 石炭庫の扉を、すうっと撫でる音がした。
(気づかれたかな?)
 僕の額から、冷や汗がたらたらと流れた。
 扉の錠を弄っている音。ガタガタとゆすぶる音。
 扉が引っ張られて、すうっと開いた。象の鼻のような触手が、揺れながら伸びてきた。たちまち、壁や石炭や、天井を探って、今にも僕の身体に触れそうなところまで来る。
 目の無い、黒い芋虫だ。頭をふり立てるみたいに、ふらふらと動いて、僕の靴のかかとにさわった。
(もう駄目だ!)
 と、僕がそう思った途端、触手は横に這った。向こうへ引っ込んだ。ガチャンという音。石炭庫から出て行った。
(有難い!)
 だが、それは勘違いだった。もう一度、そろそろと忍び寄ってきた。
 職種は再び石炭庫の中に入ってきた。丹念に、隅々まで撫でまわし、たたいてもみる。
 石炭に潜り、壁にへばりついている僕のすぐそば、もう二、三センチのところを、そいつはもぞもぞと探り回った。
(あっ、また引っ込んだ)
 食料を置いてある辺りのビスケットの缶を、ガラガランと落とし、ブドウ酒の瓶を壊した。そして、そいつはやっと遠ざかって行った。そこいらが、しいんとなった。僕は胸を撫でおろしかけた。が、
(いつまた戻ってくるかもしれないぞ)
 そう思うと、安心も出来なかった。
 僕はその日一日、暗闇の、石炭の中にうずまっていた。身動き一つしなかった。
 思い切って僕が石炭庫から出たのは、それから二日経った十一日目の事だった。思った通り、牧師はいなくなっていた。食べる物ひと欠片、ブドウ酒の一滴も無かった。
 僕は十一日目も、十二日目も、飲まず食わずで過ごすより他は無かった。口が渇き、身体から力が抜けた。
 僕はぼんやりと座り込んでいた。頭の中では食べ物の事ばかり考えた。
 十二日目の夕方ごろになると、僕は自棄になり、火星人に見つかるなら見つかったっていいぞという気になった。そこで、雨水をためる桶のそばのポンプを動かして、雨水をコップで二杯飲んだ。水は黒く濁っていたが、大変美味かった。ポンプの音がしても、火星人は現れなかった。で、僕はかなり大胆になった。
 十三日目。雨水を飲み、うとうとしながら、ぼくはまた、食べ物の事を考えた。逃げる計画も決して忘れてはいなかった。
 十四日目。台所に入ってみて、僕は驚いた。赤い草の葉が、壁の穴まで伸びて来て、辺りが真っ赤だった。なんという赤さ! とても、この世のものとは思えなかった。
 十五日目であった。朝、僕は不思議な物音を聞いた。普段なら何の不思議もない話だが、この空き家のそばで、一匹の犬が鼻をクンクン鳴らしながら、足で地面をほじくっているらしい音がしたのだ。
 僕が台所に行ってみると、赤い葉に包まれた穴から、まぎれもなく一匹の犬が覗いていた。
(この犬、どうやって生き延びたのだろう? 何で、こんな所へ来たのだろう?)
 僕を見るなり、犬は短く吠えて、すぐにどこかへ隠れた。
 僕は思わず、犬を追いかけて、ふらふらと外へ出た。
「おやっ!」
 見れば、これまでこの家のすぐ前にあったはずの大円筒も、火星人の姿も見当たらなかった。どの方角を見ても、その影も形もない。僕は自分の目を疑わずにはいられなかった。
 ただ、それと思われるところには、土を深くえぐられた大きな穴があって、火星人に血を吸い取られた人間の、いくつもの死体が転がっていた。そして、その死体の上に、カラスが群がり集まっている。
 今まで暗闇に閉じ込められた目に、外の明るさは痛いほどだった。その辺り、壊れたレンガだの、土や砂の山で、それを血のような赤い草がべっとりと包んでいた。
 近くにある家は、全て壊れている。が、火炎で焼かれた様子はなかった。人はどこにもおらず、生きてるものと言ったら、たくさんのカラスとひょろひょろと遠くを歩いている猫一匹だけだった。外の空気が、言いようもなく美味しく思われた。
 僕は危険も忘れて、ガラクタと赤草ばかりの、この変わり果てた世界をふらふらと歩き出した。
 僕はやはり、何よりも食べ物を求めていた。道端に、少しばかりのキノコがあるのを見つけて、それをガツガツと食べ、水たまりの水をむさぼるように飲んだ。赤草も噛んでみた。これは食べられなかった。僕は歩いた。名もない村へ入った。村は荒れてはいたが、ここらまで来ると、赤草はずっと少なくなった。村の家はがらんとしており、食べる物も見つからなかった。人には全く出会わず、飢えた目をした犬を見かけただけだった。
 日が暮れかけてきた。行けども行けども、荒れ果てた町続きで、黒ずんだ木、黒ずんだ家があるばかり。そんなところには、またしても赤草が生えていた。そして、死のように深く黙った世界。恐らく地球人は、一掃されてしまったのだろう。こうして一人立っている僕が、生き残った最後の人間なのかもしれない。
 イギリスは全滅したのだ。火星人は、このすっかり滅びた国イギリスを去って、ドイツのベルリンか、フランスのパリへ、その恐ろしい手を伸ばしているのだろう。この地球が赤い草で覆われ、ガラクタの土の塊に過ぎなくなるのも、遠い日の事ではなさそうである。

                    ☆

 僕は、その晩は山の頂にある、人のいないホテルへ入り込んで夜を明かした。食べる物は、ネズミがかじったパン切れ、パイナップルの缶詰、ビスケットなどが見つかった。それだけあれば十分だった。
 僕は久しぶりに、ベッドへ入って寝た。あれっきり会えなかった牧師の事や、妻の事が気にかかって、なかなか寝付かれなかった。
 それでもいつの間にか眠り込んだと見え、目を覚ました時、空は明るく晴れていて、いくつもの小さな雲が金色に輝いていた。僕はすぐにホテルを出て、木の茂みや藪に沿った道をてくてくと進んだ。
 向こうから、僕と同じようにほこりまみれの男が歩いてきた。僕は人の姿を見たので、心が弾んだ。
「どこから来たのかね」
 相手の方から僕に言いかけた。
「火星人の円筒が落ちたすぐ近くにいて、やっと逃げ出して来た所さ」
「あっ、その声で思い出した。旦那じゃないか。よく生きていなすったね」
「おう、うちの庭に入ってきた、砲兵の兵隊さんだね」
「いや、はや。こんなところで巡り合おうとは。旦那の髪は真っ白になってしまったじゃないか」
 話し合ってみると、兵隊は火星人の攻撃を受けた時に、僕と別れ別れになった後、溝伝いに野原へ逃れ、穴の中へ潜り込んでいて助かったということだった。
「ところで現在、火星人が見えなくなったのはどういう訳だったんだろう」
「奴らは空から来たんだから、空を飛ぶ機械を持っているんだ。空中に上って行くのを見たという人もいたよ」
「空を飛ぶんだって」
 僕は、空まで火星人に占領されてはかなわないと思った。
「これからまだまだ、恐ろしいことが起きるだろうと思うね。今の所、火星人は家を焼いたり大砲や船を壊したり、鉄道を叩き潰したりしてるけれど、それが済んだら奴らはきっと人間を捕まえる事を始めるよ。そして、私達が馬や牛を飼うように、火星人が人間を養って、色んな仕事にこき使うようになるだろう」
「ほんとかね」
 僕はあの化け物共に追いまくられて、辛い仕事をあくせくとしなければならないのかと思うと、ぞっとした。
「そこで、人間はどんなことがあっても火星人に負けない覚悟を決めないといけないんだ。まず、深い地下室をこしらえて、その生活に慣れることだよ。そして、火星人が襲ってきた時は、そこへ潜り込んで、奴らが去ったら地上へ出て働くようにする。それよりも、もっといい事はね、火星人が油断をしている隙を見て、あの戦闘機械を一台ぶんどることさ。人間だってあの機械が操縦できない事はないだろう。人間があれを手に入れて、火星人に熱線を浴びせかけてやるんだよ。奴らは狼狽えるだろうよ。愉快じゃないか。そうすると、最後にはやっぱり地球人が勝つことになるだろうと思うね」
 砲兵は言った。
 気持ちが衰えていた時だけに、空想でも良かった。僕は、砲兵の話にたちまち元気づけられた。
(火星人なんかを怖がってばかりいないで、自分の目で一つ、ロンドンの様子を見届けてやろう。僕だって、栄えあるイギリス人じゃないか)
 僕はそのように考え、決心した。
 あまりにも疲れすぎていたので、ばか勇気かも知れなかった。が、僕はその時、大真面目で、自分にも使命があると考えたのだ。ただ逃げ回ってばかりいる事が卑怯のように思われ、男として、滅びかけている人類のために、裏切り者にはなりたくはなかったのである。
 ロンドンへ! 僕は砲兵と別れて、道を進んだ。
 赤草。これが廃墟の印だった。道には黒いほこりが泥雪のように積もっていた。そして、死体がいくつも転がっている。
 市内は、どの通りも気味悪くしいんとしていた。壊されずに残った店は、みな戸を閉め、鎧戸を下して休んでいる。泥棒に荒らされた店は食料品店とかレストランに限られていたが、中には宝石店を襲った奴もいたらしく、金時計だの鎖だのが、そこらに散らかっている。僕が町の奥深く進んだ時だった。死刑を言い渡されて、そのまま放り出されたような都の一角で、

 ウラー、ウラー、ウラー

 すすり泣くような吠え声が聞こえた。
(火星人だ。それにしても、あの悲しげな声はどうしたのだろう)
 僕は耳を澄ました。その声は低くなったかと思うと、潮のようにまた膨れ上がった。

 ウラー、ウラー、ウラー

 それはまるで人々に見捨てられた、この荒れ果てた家々の砂漠の上を、わびしい風がむせびながら吹き渡るみたいに思われた。
 僕はハイド・パークの方へ進んだ。この公園の門の近くには、乗合馬車が引っくり返っていて、肉をすっかりしゃぶられてしまった馬の骨が転がっていた。僕が池にかかったこずえを渡っていく時、火星人の吠え声はまたまた一段と悲しそうに高まってきた。

 ウラー、ウラー、ウラー

 心に沁みとおる、寂しい叫び声だった。
(本当にどうしたんだろう?)
 僕は火星人への恨みや怖さを忘れて、一時、裏が無しい気持ちに襲われた。
 僕はただ一人、この死人の町をさまよっている事に、耐えられなくなってきた。疲れてもいたし、ひもじさやのどの渇きも激しくなっていた。
 やがて僕は空き家になっている酒場に入ると、ほんの少しの食べ物と飲み物を見つけることが出来た。それを食べたり飲んだりした後、僕はそばにあったソファーに引っくり返ってそのまま眠り込んでしまった。
 夕方近く目を覚まし、僕はまた、町へさまよい出た。晴れ渡った夕空にそびえる木々の向こうに、火星人のあの巨大な怪人の笠が見えた。
 僕は別段、驚かなかった。怯えることに慣れたというよりも、僕には、どうせ死ぬ命なら、死ぬ前にじっくりと火星人を見ておこうという、半分やけくそな気持ちがあったのかも知れない。
 それに、不思議な事には怪物はちっとも動かなかった。僕はすぐそばまでは近づけなかったが、そいつにじいっと見入った。


(何故、動かないんだろう)
 僕は首をひねった。
 それもこれも、僕が半分きち○いみたいになっていて、目や心の迷いのせいだったろうか。
 大通りの辺りまで来ると、たくさんの犬の鳴き声が聞こえ、赤い肉切れをくわえた一匹が、僕の方へ駆けてきた。何の肉だろう。続いて犬の群れが、先の一匹を追いかけ、土煙を上げながら走って過ぎた。
 犬の姿が消えて、辺りが静まり返った時、また、

 ウラー、ウラー、ウラー……

 あの悲しい声が響いてきた。
 僕が足を早めて駅の方へ行こうとしている途中、無残に引っくり返っている家があった。何気なく覗くと、
(うへっ!)
 機械でできたあの怪人が、こちらを向いていた。僕は肝が潰れるほど驚いたが、よく見ると、機会の触手は潰れ、ねじ曲がり、みじめな形をしている。どうやら機械は火星人の命令通りに動かないで、無茶苦茶に突進して家にぶつかったものらしい。おかしなことになったものである。
 夜が迫ってきた。暗闇は恐怖を募らせた。ロンドンが亡霊のように僕を見つめている。家々の暗い窓が、骸骨の目の穴にそっくりだ。
 僕は恐ろしさに我慢しきれなくなり、いったん馬車屋らしい家に隠れて夜を過ごした。
 夜が明けて、僕はまた恐ろしさをけろりと忘れたみたいに外へ出た。夢中で歩き、たどり着いたところは郊外の丘の上だった。ここでもまた、あの機械の怪人がじっと動かずに、にゅっと立っているのを見た。何故、彼らがこんな風になってしまったのか。僕は夢を見ているのではなかった。頭は思いのほかはっきりしていた。
 その丘の頂には、大きな塚があって、それが手頃の要塞のようになっていた。塚の後ろから、細い煙が一筋立ち上っている。
 僕は見た。その要塞の様な所の穴の中は、驚くほど広々としていて、そこに火星人のたくさんの戦闘機械や材料が散らばっていた。火星人はここを最後の、そして最大の陣営にしていたのだ。
 よく見れば、火星人のあの戦闘機械はみな、ただの動かない人形になって、じっと突っ立っているのだった。そしてその笠の下からは、何か茶色い物がぐんなりと垂れ下がり、飢えた鳥がそれにたかって、引き裂いたりついばんだりしている。火星人は機械の中でひっそりと静まり返ったきり、ぴくりともしない。
「あっ!」
 僕は大声で叫んだ。
 火星人は死んでいたのだった。
(こいつは、どうしたわけだ)
 僕は考えても分からなかった。
 広い穴の中にいた火星人は、ざっと五十人にも近かった。そいつがみんな、死んでしまっていたのである。
 後で分かったのだが、火星人たちは地球に蔓延る目に見えないばい菌のために、もろくもやられたのであった。彼らには地球のばい菌に対する抵抗力がまるで無く、わけの分からない病気に取りつかれたものらしい。
 その点、地球人は大昔から色んなばい菌と戦って来て、そう簡単にはびくともしなくなっている。地球人が大砲をもって立ち向かっても滅ぼすことが出来なかった火星人が、目に見えない小さなばい菌のために、わけもなく征服されたとは!
 何にしても、地球人の恐怖の的だった火星人は、そんなようにして滅びてしまったのだ。
 僕が何とも言いようのない気持ちで穴の中を見下ろしている時、日の光がぱあっと明るく差してきた。穴の底に、大きなエンジンがはっきりと見える。穴の向こうのふちには、平べったい妙な形をした空飛ぶ機械が眺められた。しかし、火星人がそれらの機械を使う事は、もう無いのである。
 その穴の中では、たくさんの犬がうろうろしていた。黒々と横たわっている火星人の死体をむさぼろうとして争っているのだった。

 それに続く三日間の事は、僕は余りにも疲れすぎていて、何一つ覚えていない。僕が正気に返った時、ロンドン郊外のある親切な人に救われ、その家で看護を受けていた。
 助かったのは、むろん、僕ばかりではなかった、火星人が全滅したのを一番先に発見したのも、僕だけと言う訳ではない。火星人全滅! そのニュースは早くも、世界中に伝わっていた。
「おめでとう」
 人々は笑顔で握手を交わし合った。
 やがていくらか元気になった僕は、自分の家へ戻ってみた。
 見れば、空き家になっている僕の家の戸は誰かにこじ開けられて、二階の窓も開けっぱなしになっており、カーテンがひらひらと風になぶられていた。
(きっと泥棒にやられたんだ)
 僕は打ちのめされたような気がした。
 僕はよろめくように、玄関に足を踏み入れた。家の中はしいんとしている。妻もいない、多分、レザーヘッドのいとこの家で、火星人のためにやられてしまったのだろう。
 その時、庭で誰かの話し声がした。僕は窓へ駆け寄って、覗いて見た。妻といとこが立っていた。
 妻は変わり果てた僕を認めると、
「おう、あなた。私は信じていましたわ。きっと、あなたはご無事でいつかは私達の家に戻っていらっしゃると」
 嬉しさのあまり、少しかすれた声でそう言った。
 書き添えておくと、僕の弟も無事だった。弟と一緒に旅行をしたエルフィンストーン夫人も、うまくご主人に巡り合うことが出来たそうである。



おしまい


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