天使のさかな

――エンゼル・フィッシュの思い出――


                    ☆

 ふき子おばさんをお送りして東京駅に着いた時は、三時をちょっと過ぎていました。家を出る時、ふき子おばさんは、「まゆみちゃん、送って頂かなくても結構よ。お勉強だってあるでしょうし……」と言いましたが、私は「何が何でもお送りするわ」と言って聞きませんでした。
 そんな私を見て、お母さんは笑いながら、
「まゆみはあなたの大ファンなのよ」
 と言いました。私はちょっと恥ずかしくなりましたが、でも、それは本当の事でした。
 私は、ふき子おばさんが大好きでした。おばさんは、とても優しいし、子供みたいに気持ちが明るくて、それにお母さんと同い年ですけれど、とても若く見えて美しいんです。
 大人になったら、ふき子おばさんみたいな美人になれないかしら――私はよく、そんな事を考えます。
 いつか、その事を家の人に話したら、
「ちぇっ、お前みたいなオタンコナスが、なれるはずないじゃないか」って、お兄さんは言いました。
 ふき子おばさんは、お花の先生をしていて、両親と九州で暮らしています。時々、お花の勉強のために東京に来ますが、その時は、私の家に泊まります。私は、いつもその日が楽しみでならないのです。
 長崎行き特急「さくら」の発車時刻は、十六時四十分でした。
 ふき子おばさんは駅の中のデパートで買い物を済ませると、
「まだ時間があるわ。お茶でも飲みましょうか」
 と、私を誘って喫茶店に入りました。どの席もいっぱいで、私達は入り口近くにやっとテーブルを見つけて座りました。
「まあ、綺麗だこと……」
 テーブルの横に熱帯魚の水槽がありました。それを見ながら、ふき子おばさんは呟きました。
「これがグッピー、あれがネオン・テトラ、それから、この赤いのはソード・テール、今こちらにやってくるのがリニアタスよ」
 ふき子おばさんは、まるで子供みたいに目を輝かせて、美しい魚たちの名前を次々と教えてくれましたが、
「まゆみちゃん、このお魚、知っているでしょう?」
 そう言って、しゃれた黒い縦縞を付けたおかしな形の魚を指さしました。
「エンゼル・フィッシュでしょう?」
「そう、そうね」
 ふき子おばさんは、何だか百点の答案を返す時の先生みたいに、嬉しそうな顔つきをしました。
「フィッシュって、お魚の事ね。エンゼルって、何のことか知っている?」
「さあ……」
 確か、どこかで聞いた事のある言葉でした。でも、私には、思い出せませんでした。
「天使という事よ。だから、天使のように美しい魚という名前ね。このお魚はアフリカのギアナにいるの。それを初めて見た外人が、あんまり美しいのでそんな素敵な名前を付けたんでしょうね」
「ふき子おばさんは、ずいぶん詳しいのね。お家で熱帯魚を飼っているの?」
「いいえ……」
 不思議そうな私の顔つきを見て、ふき子おばさんはおかしそうに笑いましたが、急に真面目な顔つきになって、
「でもね、ずっと昔、一度、あのお魚を飼った事があるの」
 と言いました。
「ずっと昔って、いつ頃?」
「そうね、私が女学生の四年だったから、十六か、十七の時だったわ」
「まあ、そんな昔なの……」
 私は驚いて、目を見張りました。
 ふき子おばさんは、運ばれてきたコーヒーを一口すすると、腕時計をちらっと見て、
「まだ時間があるわね。まゆみちゃんに、その時のお話をしましょうか」
 と言いました。
 もちろん、私は頷きました。ふき子おばさんの事なら、何でも私は知りたかったのです。
 ――私が女学生だった頃、私には、秋本さんという、仲良しの友達がいました。
 ある日、秋本さんが私に言いました。
「とても素敵なものを見せてあげるわ。うちへいらっしゃらない?」
「素敵な物って、なあに」
 でも、秋本さんはにこにこ笑って、
「いらっしゃれば分かるわ」
 そう言うだけです。一体、素敵な物って何だろう? 秋本さんの家はお金持ちだから、珍しい洋服か着物の布地でも手に入ったのかしら。私はそう思いました。その頃、日本は戦争の最中で、洋服や着物の布地など、もう、余程の事でなくては手に入らなかったのです。
 ところが、秋本さんが見せてくれたのは、そんなものではありませんでした。珍しい魚――エンゼル・フィッシュだったのです。それが二匹、水槽の中で、ひらひら泳いでいました。
 今でこそ熱帯魚なんて、少しも珍しい物ではありませんが、その頃の私達には、こんな美しい魚がこの世にいるなんて、思ってもみませんでした。私は息が止まるほど驚きました。
「一体、この魚、何て言うの? どうしてこんな素晴らしい魚が手に入ったの?」
 すると秋本さんはにこにこして、
「お兄さんが、大学の先生から頂いてきたの。お兄さんは大学で魚の事を研究しているものだから」
 と言いました。
 私達は、水槽の中をゆっくり泳ぎ回っている二匹の魚を、いつまでも眺めました。いくら眺めても、見飽きませんでした。
 やがて、秋本さんがため息をつきながら、
「この魚が羨ましいわね」
 と言いました。私も頷きました。
 その頃の私たちは、青や赤の派手な洋服を着ることなど、一切許されていませんでした。洋服は粗末なへちまえりでしたし、頭はおさげで、スカートの代わりにモンペをはいていました。
 今のまゆみちゃんが、その頃の私達を見たら、吹き出してしまうでしょう。でも、それがその頃は当たり前のことだったのです。
 女の子なら、誰だって自分の気に入った、美しい物が着たいでしょう。でも、私達には、そんなわがままは許されなかったのです。
 このエンゼル・フィッシュを見た時、私は身体がぞくっとするような感動を受けました。名前の通り、本当に天使のように美しいと思いました。
 それから後、私は時々秋本さんの家に行っては、この魚を見せてもらいました。
 こんな世の中に、まだこんな美しい生き物がいると思うと、それだけで幸せな気持ちになれたのです。
 遊びに行くと、秋本さんのお兄さんがいらっしゃることがありました。お兄さんは、私達に熱帯魚の飼い方や、珍しい、色々な魚の話をしてくれました。このお兄さんも、秋本さんに似て、口数の少ない、穏やかな方でした。
 こうして一年が経ちました。戦争はますます激しくなりました。私達は勉強どころではなく、兵器を作るために工場で働かなくてはなりませんでした。
 もともと体の弱かった秋本さんは、その時の無理がたたったのかも知れません。その夏、病気にかかると一月も経たない内に、亡くなってしまいました。
 一番仲良しだった秋本さんに死なれて、どんなに私が悲しんだか――それは、まゆみちゃんにもよくお判りでしょう。
 でも、私はめそめそなどしていられませんでした。相変わらず、朝から晩まで、機械の油にまみれて夢中で働きました。どうしても、日本が勝たなくてはならない、と思っていたからです。働きながら、時々、私は秋本さんの家の水槽で泳いでいる、二匹の魚を思い浮かべました。
 あの美しい魚たちは、今どうしているだろう。そう思いました。
 すると、ある日、突然秋本さんのお兄さんから、私あてに手紙が届きました。「相談したい事があるので、是非、家に来て頂きたい」と書いてありました。
 一体、何の相談だろうと思いながら、私は秋本さんの家に行ってみました。すると、秋本さんのお兄さんが言いました。
「いよいよ僕も、兵隊として戦地に行くことになりました。こんなに戦争が酷くては、無事に帰ることは出来ないかも知れません。それで、自分の持ち物を整理してみたのですが、あのエンゼル・フィッシュの始末には困りました。両親にあんな手数のかかるものを任せるわけにはいかないし……。その時、僕はあなたの事を思い出したんです。あなたがあの魚を、どんなに気に入っているか、いつも僕は死んだ妹と話し合っていましたからね。――――それで相談というのは、僕の代わりにあの魚の世話をあなたに引き受けては頂けないか、という事です。でも、ご都合もあるでしょうし、決して無理とは言いませんが……」
 私は、はっとしてお兄さんの顔を見つめました。そして、自分でも思いがけないほど、きっぱりと答えてしまいました。
「やってみますわ。なんとかして、飼い続けてみますわ」
 美しいエンゼル・フィッシュが手に入るという事は、思いがけない喜びでした。でも、果たして、自分の手で飼い続けられるかどうか、私には心配でした。
 でもお兄さんのいかにも困った顔を見ると、どうしても、そう言わずにはいられなかったのです。
「有難う」
 お兄さんは、嬉しそうに言いました。それから、
「どんな激しい嵐だって、いつかは必ずやむものです。戦争だって、そうでしょう。必ずやむ時が来ますよ。それまで、無事にこの二匹の魚が生きているといいんだけど……」
 呟くように、そう言いました。
 私はその言葉を聞いて、はっとしました。本当に、そんな時が来るのだろうか? 何だか、お兄さんの言葉は、夢のような気がしました。何故かと言うと、その頃の日本は、私達が子供の頃からずっと戦争ばかり続いていたからです。
 この国では、戦争が当たり前のことで、平和なんてまるで遠い、夢の世界の事のように思えたのです。
「もし、戦争が終わって、お兄さんが無事に兵隊から帰って来られ、元気な二匹の魚たちとお会いになったら、どんなに嬉しいでしょう」
 その時、私はお兄さんにそう言いました。
 秋本さんのお兄さんが軍隊に行き、二匹のエンゼル・フィッシュは私の家で飼われることになりました。
 この魚は熱帯の魚ですから、冬でも温度を二十五度ぐらいにしておかなくてはなりません。そのために、絶えずヒーターに気を配らなくてはなりませんでした。餌はイトミミズやボウフラでしたが、毎日それを探すのも大変な苦労でした。それが無ければ、しらす干しか卵の黄身をやればよい、と秋本さんのお兄さんは教えてくれましたが、もう、その頃は、そんな食料でさえ人間の口にも滅多に入らなくなっていました。でも、私はこの二匹の魚を死なせまいと思って、必死でした。
「どうして、そんな厄介なものを貰ってきたの? 返してしまったらいいじゃないか」
 お母さんは、私に言いました。
 でも、物が乏しくなり、人々の心がすさむ一方の時、この二匹の美しい魚を見る時だけが、私にとって何よりの慰めだったのです。
 戦争は、ますます激しくなりました。
 東京を始め、大きな都市は次々と空襲を受けて、たくさんの家が焼け、多くの人が死にました。
「今度はこの町がやられるかもしれない」
 人々は噂し合っていました。
 でも、厳しい冬の間でも、二匹の魚は不思議に元気に生き続けていました。
「どんな激しい嵐でも、いつかはやむ時が来る」
 私は秋本さんのお兄さんの言葉を思い出して、
「もう少しの辛抱だわ。もう少しの……」
 そう自分に言い聞かせながら、夢中で二匹の魚の世話を続けました。
 二月十日、突然アメリカの飛行機が、私達の町に襲い掛かって来ました。私達は、町はずれの山に逃げました。雨のように降る爆弾で、たちまち町中は火に包まれました。
「死ぬわ、死んでしまうわ、あの二匹の魚が……」
 私は燃え盛る火を見ながら、お母さんの胸に取りすがって泣き出しました。
「馬鹿な子、魚が死ぬぐらいで、泣く人がいるもんですか」
 お母さんは、私を叱りつけました。でも、その時の私は、家の中のどんなものが燃えてもいい、ただ、あの二匹の魚だけは生きていてほしいと思ったのです。
 恐ろしい夜が明けました。
 私達の町内も、私の家も、すっかり焼けていました。焼け跡を探して見ると、火の勢いで水も無くなり、飴のように曲がった水槽の底に、ちりちりに焦げた二匹のエンゼル・フィッシュが見つかりました。
 それを見つけた時、私は思いっきり涙を流しました。生まれてからこれまで、これほど泣いた事は無いと思ったほどでした。
「私たちの身代わりに、死んでくれたと思えばいいじゃないか」
 そんな私を見て、慰めるように、母は私に言いました。
 ふき子おばさんはそこまで話すと、ふっとため息をつきました。
「あら、随分おしゃべりしちまって。もう、そろそろ発車の時刻だわ」
 私達は、喫茶店を出てホームに向かいました。
「ふき子おばさん……」
 と、私は言いました。
「それで、戦争に行った大学のお兄さんはどうしたの? 生きて帰って来たの?」
「亡くなったわ。南の海で……」
 ふき子おばさんが答えました。私は黙ってしまいました。何だか、胸がいっぱいになって、何も言う事が出来なかったのです。
「可哀そうだったのね、おばさんの若い頃って……」
 私は、心の中で、そっと呟きました。
 発車のベルが鳴り、出発のアナウンスが聞こえました。
「まゆみちゃん、お見送り有難う。では、お元気でね。おうちの方によろしく……」
 ふき子おばさんは、列車に入ると、窓から美しい顔をのぞかせて、私に手を振りました。
「さようなら……」
 見えなくなるまで列車を見送っている内に、私一人がホームに取り残されました。ふと気が付くと、ビルの向こうに真っ赤な夕焼けが見えました。
 その夕焼けが、私には、さっきのふき子おばさんのお話の、空襲の火事のように思えました。
 すると、その中で苦しみもだえる二匹のエンゼル・フィッシュが、私の目に、くっきり浮かんで来ました。



おしまい


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