タツオの島


                    ☆

 タツオの家の狭い庭に、池がありました。もちろん、それほど大きな池ではありません。もともと庭が狭くて、大きな池は作れません。
 タツオのうちのお風呂より、少し大きいくらいで、ソラマメのような形をしています。深さも大したことはありません。タツオの膝の下ぐらいしかないのです。
 ところが、見えない所に横穴があって、その横穴の下だけは、うんと深くなっていました。前に水を取り替えた時、タツオはその事に気が付いて、お父さんに聞いてみました。
「何故こんなことしてあるの」
「これかね、これは寒い冬の間、魚たちがじっと隠れている所だよ」
 お父さんは、そう教えてくれました。
 タツオはこの池が好きでした。
 庭のツツジの陰にあって、赤い金魚や小さなコイがちらちら泳いでいて、時々葉っぱや花びらが浮いていたり、水すましやアメンボウが滑っていたり、スズメが水を飲みにやってきたりするのを見ると、池の側から離れられなくなるのです。
 笹舟の作り方を習って、浮かべてみたのもこの池でしたし、おもちゃのヨットを浮かべたのもこの池でした。
 もう少し大きくなって、モーターボートを初めて組み立てて、走らせてみたのもここです。
 夜店で小さなゼニガメを買ってきた時も、この池に放しました。そのゼニガメは、すぐにどこかへ行ってしまいましたが。
 池の真ん中に島があればいいなあ、と、タツオは思いました。と言うのは、いつか山の湖へ、お父さんとお母さんと三人で行った時の事を思い出したからです。
 その山の中の湖には、島がありました。その島には、小さな神社がありました。その湖の主(ぬし)を祀ってあるのだそうです。
“主(ぬし)”というのが、タツオにはどういうものだか良く分かりませんでしたが、何でも大きな魚の姿をしていて、その魚がナマズだったか、ウナギだったか、もうタツオは忘れました。湖の中の生き物を守っているのだそうです。
(神社にお祭りしてあるくらいだから、たぶん神様みたいなものなんだろうな)
 タツオはそう思いました。そして、ふとこんなことを考えていたのです。
(僕のうちの池にも、小さな島を一つ作って、そこにこの池の主をお祭りしよう。こんな、ちっぽけな池にだって、きっと主がいるに違いない……)
 そこで、どうしたら島が作れるか考えました。
 いきなり土を入れたのでは駄目です。水に溶けて、ぐずぐずになってしまいます。コンクリートで作ればいいのでしょうが、タツオには無理です。
(土も駄目、コンクリートも駄目、大きな石があれば、それでいいんだけど、そんな大きな石も無いから駄目)
 何かいい物はないかな、と、タツオは考えながら家の周りをグルグル回りました。
 大きな植木鉢がありました。中には土がいっぱい詰まっています。去年のクリスマスに、クリスマスツリーを植えた植木鉢です。その時のクリスマスツリーは、今いま庭の隅に植え込んでしまいました。だから、この大きな植木鉢だけ残っていたのです。
「いい物見つけた、いい物見つけた」
 タツオは声を出しながら、植木鉢を持ち上げようとしました。
 ところが持ち上がりませんでした。何しろタツオの腕で、やっと抱えられるくらいの大きさに、土がいっぱい詰まっているのですから、とても持ち上げるわけにはいきません。
 仕方が無いので、少しずつ、少しずつ、動かして行きました。池まで運ぶのに、家をほとんど半分回らなければならなかったので、汗びっしょりになって、服も手も泥だらけになりました。
 ようやく池の中に植木鉢を落とし込んだ時、大変な水しぶきが上がって、タツオは頭から池の水を浴びました。おまけに植木鉢は水の中で横に転がってしまいました。タツオは池の中に入って、起こしました。
 植木鉢の高さと水の深さとは、ちょうど同じくらいでした。これでは島に見えません。
「よーし、土を運んできて、上に盛り上げてやる」
 スコップとバケツを持って来て、庭の隅から土を取って、せっせと運びました。
 それで、だんだん島らしくなりました。
「土だけじゃ、寂しいぞ」
 独り言を言いながら、芝草を取って来て植えました。丁寧に植えて、水をかけました。
「出来たあ、島が出来たあ」
 タツオは池のふちで両手をついたまま、声を上げました。確かに立派な島でした。
 山の湖にあったような、綺麗な可愛い島に見えました。そこで、神社の代わりに小石を持って来て、そっと置きました。
(ちっちゃな島だ。でも、池の主に貸してあげるよ)
 タツオは泥だらけのまま、いつまでも可愛い島を眺めていました。
 夜になると、三日月が出ました。
 池の水の上に、ぷかりと大きな水の泡が浮かんだと思うと、ぱちんと弾けました。
 するとその後に、木の葉が一枚浮いていてその上にちょこんと小さい小さいお爺さんが、立っていました。
 お爺さんは、真っ白な着物を着て、真っ白な長いひげを膝まで垂らしていました。
 つつつっと、木の葉が動いて、タツオの作った島へ近づきました。
 小さいお爺さんは、島へと飛び移りました。
 三日月の光で、ひらりとバッタが跳んだように見えました。
 お爺さんの癖に、随分身軽です。
 それから小さいお爺さんは、ゆっくりと島を歩き回りました。まっすぐ歩いて、首をひねり立ち止まって、頷くと、またゆっくり歩きました、
 どうやら、歩きながら島の大きさを測っているような様子です。
 そして、とうとう島の真ん中に立つと、三日月に向かって、ぽんぽんと――音なんかしませんでしたが――手を叩きました。
 タツオの作った小さな島の上に、可愛い不思議な家が、きらきら光りながら現れました。
 反り返った屋根も、模様を掘りつけた柱も、床に登る階段も、まるで月の光を集めて作ったように、キラリキラリと輝きました。
 小さい不思議なお爺さんは、何度も頷いて、その光る階段を登り、光る扉を開けて光の家の中に入って行きました。
 すると、お爺さんを飲み込んだ不思議な可愛い家は、つっくりつっくり、溶けるように消えていったのです。
 タウトが作った池の中の小さな島は、お父さんもお母さんも褒めてくれました。もっとも、お母さんは、その島を作るためにタツオが頭のてっぺんから足のつま先まで、泥だらけになったことは忘れませんでした。
「あれだけ汚れたんだもの、本物の島が出来上がったって、不思議じゃないわね」
 そう言って、タツオの頭をぽんぽんと叩きました。
「まあいいさ、タツオが一人でやったんだ。なかなか、いい島じゃないか」
 お父さんはそう言いました。それから、池を覗いてみて付け加えました。
「水が随分汚れたな。どうだい、タツオ、折角いい島が出来たんだし、思い切って池を掃除して、綺麗な水に取り換えようか」
 もちろん、タツオも賛成しました。そこで、さっそく池を空っぽにし始めたのですが、その時、池の中から、びっくりするような綺麗な銀色のコイが出てきました。
「おやあ」
 お父さんは驚きました。
「こんなコイ、この池に入れたかなあ」
「入れないよねえ」
 タツオも言いました。お父さんは首を傾げて、その銀色のコイを大切そうにバケツに移しながら言いました。
「たぶん、普通のコイだったのが、何かの加減で白くなったんだろう。珍しいことがあるもんだな」
 タツオはその時、思いました。
(このコイは、きっと、この池の主なんだ。僕が島を作ってやったから、僕たちに姿を見せてくれたんだ。きっとそうだ)
 でも、その事は、お父さんには言いませんでした。



おしまい


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