ローフェルの娘


                    ☆

 ローフェルと言う所の近くに、とても大きな洞穴がありました。
 入り口は、人の頭を出し入れできるほどの大きさです。中は深く、真っ暗で、その奥からちょろちょろ水が流れ出ていました。
 耳をすますと、洞穴の奥から、人の声が聞こえてくるようです。
「あの声はね、この穴の奥で、娘さんが泣いている声なのだよ」
 洞穴の入り口に来ると、誰でもじっと聞き入りながら、そっとこんな事をささやき合うのでした。
「この洞穴に、娘さんが閉じ込められて、もう何年になるだろうか」
「それは、私のお爺さんの、そのお爺さんのそのまたお爺さんの頃の話だから、何百年も昔の事さ」
「それじゃあ、その娘さんはもう死んでしまっているはずだね」
「ところが、可愛そうに娘さんは死にきれないのだよ。一度は穴から出てみたい、誰かに救い出してもらいたいと、何百年もの間、こうして泣き続けているのだ」
 この娘さんも、一度、この洞穴から救い出されようとしたことがありました。
 それには、こんな言い伝えがあるのです。

 昔、ローフェルに子供の二人いる夫婦が住んでいました。とても貧乏で、その日の食べ物にも事欠く有様でした。
 近くに、やはり貧乏な、年寄りの乞食が住んでいました。
 子供二人は、食べる物が無いので、この乞食の道連れになって、一緒に物乞いをして歩いていました。
 ある日、あちらの家、こちらの家と物乞いをして歩いていた年寄りの乞食が、あのローフェルの洞穴の前に来ると、付いてきた二人の子供に言いました。
「どうだね、この洞穴の中に入ってみないかね」
 今では入り口が頭を出し入れできるほどの大きさですが、その頃は、子供なら自由に出入りできるほどの大きな穴がぽっかり開いていました。
 乞食に、穴に入ってみないかと勧められて、
「どうする」
 と二人の子供は顔を見合わせました。
 この年寄りの乞食は、ローフェルの穴に入ると祟りがある、という事を知っていました。しかし、小さな子供たちならきっと無事に出てくるだろう、と思っていたのです。そして、この洞穴の奥には素晴らしい宝物が隠されている、と言う噂を聞いていたのです。
「さあ、早く入ってごらん。中にはきっと面白い事があるだろうよ」
 子供たちを中に入れ、宝物を持ち出させようと乞食は考えていました。
 二人の子供は、乞食に勧められて、洞穴の中へ、順々に入っていきました。
 入り口からは、ちょろちょろ水が流れ出ていましたが、中へ入ってみると、洞穴の奥には水は溜まっていませんでした。そして、細い道が穴の奥までずっと続いていました。
「奥まで歩いてゆこうよ」
「迷子にならないように、手をつないでね」
 兄と弟の二人は、ずんずん歩いてゆきました。奥はだんだん広くなっていました。
「わあー、すごいや」
 そこには広々とした、牧場がありました。辺り一面に美しい花が咲き乱れていて、その牧場に二件の家があります。
 一軒の家の前に、美しい娘さんが立っていました。
「こんな立派な家だもの、頼めば何か貰えるかもしれない」
 二人は、年寄りの乞食が洞穴の入り口で待っているのを思い出しました。
「何か貰って、お土産にしよう」
 兄さんの方が声をかけようとしたとき、娘さんの方から近寄ってきて、
「さあ、おうちへいらっしゃい」
 戸を開けて、家の中へ入れてくれました。
 部屋の中には、暖かそうにストーブが燃えていました。テーブルの上には、ケーキだの、ミルクだの、果物だの、色々なご馳走が並んでいました。
「さあ、お腹が空いているのでしょう。このテーブルの上にあるものは、みんな食べていいのよ。今はこれだけしかあげられませんけど」
 二人がおいしそうに食べていると、また、娘さんが言いました。
「今夜はここへ泊っていらっしゃい。明日になると、とてもいいお土産をあげますよ。あなた方のお父さんやお母さんが、一生幸せに暮らせるだけのプレゼントです。でも、一つだけ約束して欲しい事があるの」
「どんな約束です」
「それはね、今夜、真夜中に、とても恐ろしい事があるの。でも、あなた達は、じっとしていればいいのよ。声を立てずに、黙っていてくれれば、私は救われて、この洞穴から出ることが出来るの」
 娘さんは二人の手を握り締めて、是非約束して、と何度も頼みました。
 それから、二人を寝室に案内しました。
 娘さんの寝るベッドの側に、二人のベッドが並べられていました。
「おやすみなさい」
 と言っても、二人の兄弟は、なかなか眠れません。真夜中に、どんな事が起こるのでしょう。
「でも、どんなに恐ろしい事があっても、黙っていようね。そうすれば、あのお姉さんを、僕たちの力で救い出せるんだからね」
 声を出しちゃあいけないよ、としっかり約束すると、二人は目をつぶりました。
 それから何時間経ったのでしょう。
 パチパチ、パチパチ、という音に、二人は目を覚ましました。
「あっ、大変だ」
 思わず、声を出そうとしました。
 すぐそばで寝ている娘さんのベッドが、真っ赤な炎に包まれているのです。そして、パチパチと燃える火の中で、娘さんは転げまわっています。


 その側に、真っ黒な服を着た悪魔が三人もいて、大きな団扇のようなもので、火をあおいでいるのでした。
(ああ、酷い事をする)
 二人は、声を出しては大変と、口を押さえて、ベッドから飛び出しました。が、そのまま気を失ってしまったのです。
 あくる朝、二人はベッドの下から這い出しました。すぐ、娘さんのベッドを見ました。
 夕べ、パチパチ、真っ赤に燃えていたのはどうなったのでしょう。
 娘さんは、まるで天使のような優しい顔をして、ベッドの上で、すやすや眠っていました。
「夜中の事は、夢だったのかしら」
 二人は朝の食事が終わった後で、娘さんに、夕べの怖かった事を話しました。
「私はね、毎晩悪魔のために、火攻めにあっているのですよ。でも、あなた達の優しい子供の力で、私の苦しみも救われると思っています。これからも、私を励ましに来てください」
 娘さんは、大きな壺の中から、たくさんの金貨をつかみだすと、袋にいっぱい詰めて、二人に渡しました。
「これは、あなた達へのお土産です。おうちへ帰ったら、困っている貧乏な人にも分けてあげて下さいな」
 そして、
「あなた方をここへ連れてきた、あの年寄り乞食には、金貨一枚だって分けてやってはいけませんよ」
 と言い添えました。
「三週間たったら、もう一度ここへ来てください。私を救い出すための相談をしてください」
 娘さんは、別の道を通って、子供たちをこっそり穴の外へ出しました。
 あの年寄り乞食は、洞穴の入り口で、子供の出てくるのを待ち構えていました。きっとお土産を持ってくるだろう、それを自分だけで独り占めにしようと、悪いたくらみを持っていたのでした。
 子供たちは、別の道から家へ帰ってくると、両親に昨日からの事をすっかり話して、お土産にもらった金貨をテーブルの上に並べました。
 その金貨のおかげで、今までの貧乏を忘れたように、子供たちの家に、幸せが訪れてきました。
 年寄りの乞食は、うらやましくてたまりません。
 そして、
「私にも、少しだけ恵んで下さいよ」
 と言いました。
 他の貧しい人たちに金貨を分けてやっても、子供たちはこの年寄りの乞食には、一枚もやりませんでした。あの時の約束を、固く守っていたからです。
 しかし、乞食は、毎日のように金貨をねだりに来ます。あまりしつこく頼むので、娘さんとの約束を破って、金貨を少しだけ分けてやりました。
 あの日から、三週間たちました。ちょうどその日の朝、子供たち二人は、ローフェルの洞穴の前に行ってみました。
「おや、これはどうしたのだろう」
 穴の入り口には、真っ黒な水がたまっていて、出入りが出来なくなっていました。
 隙間から覗いてみると、穴の向こうで、いつかの娘さんが、両手を揉み合わせて、声高く泣き叫んでいるのが見えました。
「僕たちが、約束を守らなかったためなんだ」
「あの乞食に金貨をやったので、お姉さんは、穴から出られなくなったのだ」
 二人の様子を、遠くの木陰から、年寄りの乞食が意地悪そうに見つめていました。
 洞穴の中の娘さんは、とうとうそれっきり救い出せませんでした。今も穴の奥で、泣き続けているというのです。
 一体、その娘さんは誰だったのでしょう。きっと、どこかの国のお姫様が、敵に捕らえられて、この穴に閉じ込められたままになっていたのでしょう。
 ローフェルの洞穴の前に立って、泣き声を聞くたびに、人々は、いつもこの話を思い出していました。



おしまい


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