歴史改造計画


                    ☆

「遅いな、いつになったら飛ぶんだろう」
 隣の座席で本を読んでいたたかし兄さんが、顔を上げてボヤいた。
 まさしは窓から外を見た。向こうの滑走路から、また一機の旅客機がごうごうとすごい音を立てて舞い上がった。
 だが、まさし達の乗ったジェット機は、まだ全然動こうとしない。
 もう、出発の予定時刻は一時間近く過ぎている。
 天気が悪いわけではない。強風注意報が出ている訳でもない。
 ベトナムから飛んでくるアメリカの特別機のために、待たされていたのだった。なんでもその飛行機には、アメリカの偉い政治家が乗っていて、東京へ、日本の政治家と会議を開くために急いでいるのだという話だった。
「全く困るな、大阪に急用があるのに。こんな事なら新幹線にすればよかった」
 客室の中には、大声でぶつぶつ言う人もいた。たかし兄さんも、イライラ、そわそわし始めていた。
 たかし兄さんとまさしは、夏休みを利用して、今、大阪で開かれている万国博を見に行くところだったのだ。大阪の空港には、兄さんのガールフレンドが迎えに来ているはずで……兄さんは、あまり遅れると、そのガールフレンドが待ちくたびれて帰ってしまうんじゃないかと心配し始めていたのだ。
 でも、まさしは、それほど退屈はしていなかった。
 飛行機に乗るのは初めてだったし、飛行機の中の様子も、格納庫や滑走路の周りで動いている他の飛行機や、地上整備員たちの働く姿もみんな珍しく、面白かったからである。
「皆さま、長らくお待たせいたしました。ただいま離陸許可が出ましたので、大阪に向け、出発いたします」
 スピーカーから、スチュワーデス(=客室乗務員)の声が流れた。
 そして、ジェット機は滑走路を滑り出し、腹の底に響くような物凄い爆音と共にたちまち青く澄んだ大空へ、舞い上がっていった。

                    ☆

 ジェット機は、ぐんぐん空へ登っていった。スモッグに煙る大東京が、見る見る下に小さくなり、東京湾が地図の通りに見えてきたらと思ったら、もう向こうから青い大海原の中の大島の姿が近づいてきた。
 まさしは窓にしがみつくようにして、初めて見る素晴らしい下界の景色に見とれていた。
 海も島も、打ち寄せる白い波も、ぎらぎら光る雲の峰も、その向こうのぼうっと霞む青い空も――何もかもが素晴らしかった。
 特に、しばらくしてはるか向こうに美しい富士山の姿が見えてきた時は、胸がどきどきした程だった。
「すごい……」
 まさしは唸った。
 その時、まさしの声に、窓を覗いた兄さんが、
「あ、向こうからもジェット機が……」
 と呟いた。
 まさしもすぐそれに気が付いた。今、富士山の上空にかかるレースみたいな薄い雲の下を、一機のジェット旅客機が、大きな翼を広げてぐんぐんこっちへ向かってくる……。
「アメリカの特別機だ」
 と、兄さんが言った。その瞬間だった。いきなり、飛行機がぐらぐらっと激しく揺れた。
 まさしは座席から放り出されそうになって、必死に窓にしがみついた。どこかで、どたんばたんという何かの落ちるような音、「きゃーっ」という女の人の悲鳴がした。
「ベルトをお締め下さい!」
 という、スチュワーデスの叫び声が聞こえた。
 その途端、真っ白い眩しい光がまさしの目を貫いた。頭の中で、五色の光がくるくる回った。
 まさしは最後に、


(ああ……飛行機が空中分解したんだな。墜落して死んでしまうんだな)
 と思いながら気を失った。

                    ☆

 どのくらい時間が経ったのか分からない。いきなり、ぽっかり目が開いた。
 最初に見えたのは、高い、白い、光り輝く天上だった。次に、大きな渦巻の形をした、不思議なトンネルみたいな機械が見えた。そして最後に、自分が広い病室のような部屋の真ん中のベッドに寝ているのに気づいた。
 ベッドも、手術台みたいなベッドだった。
(ここは一体どこだろう。どうして僕はこんな所にいるんだろう。確か、飛行機が墜落して、僕は死んだはずなんだが……)
 まさしは、そっと起き上がってみた。手足を動かしてみた。だが、どこも痛くもかゆくもない。ベッドから降りて歩いてみた。
 ちょっとふらっとするが、どこも怪我はしていないようだった。
(おかしいな。飛行機が墜落して死ぬはずなのに、怪我一つしないなんてはずはない。まるで、夢でも見ているようだ)
 まさしは考えながら、辺りを見回した。ドアはどこにもなく、だだっ広い部屋の一部に窓が一つあるだけだった。まさしは部屋を横切って窓の方へ近寄った。そして、窓からひと目外を覗いた時、思わず、
「あっ!」
 と大きな声を出してしまった。
 そこには今まで見た事も無い、不思議な光景が広がっていたのである。
 小さい子供の時読んだ。おとぎ話の本の中の、お化けキノコのようなビル。恐竜が、ぬうっと長い首をもたげたような建物。巨大なシャボン玉を、いくつもいくつも積み重ねたような塔。
 その他、ねじ曲がり、曲がりくねり、膨らまし、押しつぶし、引っ張り、こね合わせたような……魔法の粘土細工みたいな建物で出来た大都会が、目の下一帯に広がっていたのだ。
 そして、その周りを、キラキラ光るヘリコプターのような小型の乗り物や、空飛ぶ円盤そっくりの大型の乗り物が音もなく飛び回っている……。
 まさしは初め、自分の頭がおかしくなったのかと思った。それから、自分が死んで、天国か――それとも地獄に来たのか、と思った。
 そして不意に、この不思議な大都会が、今日見に行くはずだった、万国博の会場によく似ている事に気が付いた。
(すると、ここは……事によったら未来なのかもしれないぞ)
 まさしがそう考えた時、部屋の外から人の話し声と足音が響いてきた。まさしは慌ててベッドに飛んで帰り、元のように横になって目を閉じた。

                    ☆

 ほとんど同時に、のっぺらぼうの白壁の一部が割れて、そこから三、四人の人物が現れた。薄目を開けて見たまさしは、もう一度ぎょっとした。
 それはどう見ても人間ではなく、奇怪なロボットのような姿をしていたのだ!


「一体、どうしてこんな間違いが起こったんだ。重大な責任問題だぞ!」
 一人のロボットが赤い目を光らせて言うと、もう一人が首を傾げた。
「多分、タイムトンネルの故障だろう。電子頭脳は、絶対に間違いをしないから」
「それに、運も悪かった。ちょうど、あのアメリカの特別機が飛んできた時、この子供の乗ったジェット機が反対方向からやって来た――それで、狙いが狂ったんだ」
 別の一人が首を振りながら言った。
(タイムトンネル? 電子頭脳? 狙いが狂った? 一体、何の事を言っているのだろう?)
 まさしは忙しく考えた。
「とにかく、困ったことになったぞ。これで今度の歴史改造計画は失敗だ。もう一ぺん最初から計画をやり直さなければならない。とにかく、何とかしてあの時代の歴史を変えなければ、悲劇は防げないのだから……」
 まさしははっとした。いろんな事がいっぺんに分かってきた。
 やっぱりここは未来なのだ。この未来世界では、ロボットが人間を征服したのだ。そしてロボットたちは、時間旅行の技術を完成したのだろう。あのトンネルみたいなのがその装置なのだ。
 ロボットたちは、何の目的か分からないが、まさしの時代の歴史を変えようとしているらしい。その為に、タイムトンネル装置でアメリカの政治家を飛行機から未来へ誘拐しようとして、間違って、まさしを連れてきてしまったのだ……。
「それはそうと、この子供はどうする?」
 一人が不意に言ったので、まさしはぞっとして縮こまった。
「もちろん、あの時代に帰してやるわけにはいかない。万が一にも我々の計画を悟られては困るからな。生物学の実験にでも使う事にしよう」
 最初のロボットが、重苦しい声で言った。
「我々はさっそく会議を始める。君はここに残って子供を見張っていたまえ」
 まさしが薄目を開けて見ると、ロボットたちは一人だけを残して出て行った。

                    ☆

(大変なことになったぞ。どうしよう)
 まさしは必死で考えた。
 だが、どうしようもなかった。
 ロボットに見張られていては逃げられないし、仮に逃げられたにしても、この未来世界ではどこへ行っていいのか見当もつかないのだ。
「いい体格だ……まだ小学生くらいだな」
 不意にそんな声が聞こえたので、まさしは驚いて、その拍子にうっかり目を開けてしまった。そして、上から覗き込んでいるロボットの赤い目と、ばったり目を合わせてしまった。
「気が付いていたのか……」
 ロボットは、意外に優しい声で言った。
「可哀想に」
 まさしはもう一度びっくりした。跳ね起きると相手をにらみつけて、
「ロボットのくせに、可哀想なんて気持ちが分かるのか」
 すると、ロボットの目がきらりと強く輝いた。
「ロボットだって? 私がか?」
 そして、自分の身体を見ていたが、ゆっくり頷いた。
「そうだな。君たちから見ると、私はロボットのように見えるだろうな。しかし、我々はロボットではない。人間なのだ」
「嘘つけ! そんな、金属と機械で出来た人間なんてあるもんか」
 まさしは思わず怒鳴りつけた。だが、ロボットはもう一度はっきりと首を振った。
「わけがあるのだ。これは放射能のせいなのだ。君たちの時代からしばらく経って、世界中が原水爆戦争に巻き込まれた。人類はほとんど全滅し、ごく一部だけが生き残って、再び世界を再建した――だが放射能のために、その子孫である我々の身体はすっかり衰えて、自分の力では、歩くことも手を動かすことも出来なくなった。我々がロボットのように見えるのは、自動式の服を着ているからなのだ」


 まさしは余りの驚きに、口もきけず、相手を見つめていた。
「我々が、タイムトンネル装置で君たちの時代の歴史を変えようとしているのはそのためだ。歴史を改造して、原水爆戦争が起きないようにしようとしているのだ。あのアメリカの政治家を誘拐しようとしたのも、そのためなんだ」

                    ☆

 そこで未来人は、不意にまさしの腕をつかんだ。
「来たまえ。君を、元の時代に帰そう」
「帰してくれるんですか?」
「そうだ。さっきまで我々は考え違いをしていた。君たちの時代に、一人でも多く、戦争をなくし、平和を守ろうという気持ちの人間が多くなれば、それだけあの悲劇の来るのが遅くなる。君も戦争は嫌だろう?」
「もちろんです!」
「それじゃ、帰って勉強をして、大人になったら平和のために働きたまえ」
 まさしはタイムトンネル装置の入り口に立って、未来人を振り返った。
「でも……原水爆戦争は、結局起こるんですか?」
「このままでは起こる」
「いつ起こるんです?」
 未来人は首を振った。
「それは言えない。しかし、君たちの時代の人が、出来るだけ戦争を避けようと努力すれば……戦争の起こるのは遅れるはずだ。そうしたら、我々の歴史改造計画が間に合って、戦争が起きなくなるかも知れない。そのために頑張ってくれ」
 未来人は、スイッチに手を伸ばした。
「さあ、行くんだ。まっすぐトンネルの奥に向かって、どこまでも歩いて行くんだ」
 まさしは歩き出した。たちまちトンネルの中に、赤や青や黄や紫の光が稲妻のように走り、飛び、渦巻き始めた。思わず立ち止まろうとすると、後ろから未来人が叫んだ。
「立ち止まるな、進め! そして、私の言った事を忘れるな!」
 まさしは歯を食いしばり、前進した……。

「まさし、まさし、ああ、気が付いたな」
 不意に、耳元でたかし兄さんの声がした。目を開けると、そこは元のジェット機の中で、まさしは座席に寝かされ、兄さんやスチュワーデスに囲まれていた。
「ぼく……どうしたの?」
「ジェット機が乱気流に巻き込まれて揺れた時、頭をぶつけて気を失ったのよ。でも、もう大丈夫。すぐ元気になるわ」
 スチュワーデスがそう言って立ち上がると、窓の外をちらりと見て、
「あら大変。もう大阪だわ。すぐ着陸しますからね」
 と言って立ち去った。


 まさしは窓から下界を見下ろした。すると大阪市の郊外に、色とりどりの不思議な格好をした、パビリオンの立ち並ぶ万国博会場が見えた。
 それは、ついさっき見た未来都市そっくりだった。



おしまい


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