大岡越前守
☆ ギイッ、ギイッ。暗い海の上を舟が近づいてきた。 「本当に捕まえるのですか?」 部下が心配そうに訊いた。 「ああ、捕まえる」 大岡忠相は、自信たっぷりで頷く。部下は困った。 「でも、舟に乗っているのは将軍の親戚の子です。あとで、どんな仕返しがあるか分かりませんよ」 「将軍の親戚だろうと何だろうと、魚を取ってはいけない海で漁をするのは泥棒だ。懲らしめてやる」 忠相は、昨日、この伊勢の奉行(市長と警察署長を一緒にしたような役目)として江戸からやって来た。 来てすぐ、この魚泥棒の話を聞いた。隣の紀伊(今の和歌山県)の大名の子供の徳川徳太郎だという。 「犯人が分かっているのに、なぜ捕まえないのか?」 と、忠相が部下を叱ると、部下は、 「徳太郎は将軍の親戚です。捕まえたら反対に罰せられます」 と、恐れおののいて答えた。みんな見て見ないふりをしている――忠相はそう思った。舟が止まった。 ザッ。水の上に網を投げる音がした。緊張する忠相に、部下はそっと訊いた。 「でも、お奉行様は、どうして、みんなが怖がる徳太郎を捕まえるのですか?」 忠相は部下を見た。そして、あの話をしてやろうと思った。 「私が子供の頃の事だ……」 忠相は話し出した。忠相は一六七七年の生まれだから十歳の時の事である。 「私の家の庭に、子供が数人、柿を盗みに来た……」 忠相はその時部屋で勉強していた。柿泥棒は近所の武士の子ばかりだ。木に登って次々と盗む。忠相がいるのに気がつかず、留守だと思っているらしい。 その時、垣根の外を一人の町人の子が通りかかった。木に登っていた武士の子が、その子に仲間に入れと言った。町人の子は、嫌です、と首を振った。 忠相の家の下男が、柿盗人を見つけた。泥棒! と叫んで追うと、みんな大騒ぎで逃げた。外へ追った下男は、すぐ犯人を捕まえて来た。捕まったのは柿を盗んだ武士の子ではなく、ただ通りかかった町人の子である。下男は、この泥棒め! と、その子を殴った。忠相は、 「待て。その子は盗人ではない」 と下男に、自分の見たままを話した。ところが町人の子は、 「違います。私が盗んだのです」 と言い返した。忠相は、それは嘘だと言った。しかし町人の子は、あくまでも私が犯人です、と、頑張る。忠相は下男を去らせて、何故、嘘をつくのか、と訊いた。 町人の子は、急に泣き出して言った。 「私のうちは貧乏で、さっきの子供たちの親からお金を借りています。犯人になれと頼まれたのです。もし、本当のことを言えば、お金が借りられなくなり、私の親が困るのです……」 貧乏のために、盗みもしないのに、柿泥棒になったのだ。忠相は暗い気持ちになった。 (貧乏な町人の子は、偽の犯人にされる。でも、これが柿泥棒でなく、人殺しだったら死罪になる……。こんなことは許せない――。大人になったら、こういう弱い人の役に立とう――) 「十歳の時、私はそう心に決めた。だから、将軍の親戚をいい事に、魚を盗んで威張る奴は許せないのだ」 伊勢の人たちのために、絶対に許せない! 忠助は強い言葉で語った。部下は黙って何も言えなくなった。網を引っ張る音がして、同時に、 「取れた! 取れたぞ! 大きな鯛だ!」 手を叩いてはしゃぐ徳太郎の声がした。よし! 忠相はいきなりその舟に乗り込むと、 「この魚泥棒め!」 と、徳太郎の頬を拳骨で殴りつけた。びっくりした徳太郎は、 「何をするっ。おれは徳川徳太郎だぞっ」 と威張った。忠相は驚かない。 「出鱈目を言うな。徳川徳太郎様と言えば将軍の親戚だ。将軍の親戚が、魚泥棒などするか。お前は偽物だ! 懲らしめてやる!」 そう怒鳴って、ポカポカ徳太郎を殴りつけた。 そして、 「今日はこれで許してやるが、今度泥棒に来たら、牢屋に入れてしまうぞ」 と脅した。徳太郎は頭を抱えて逃げて行った。 「大丈夫でしょうか?」 まだ心配する部下に、忠相は平気さ、と笑った。本物の徳太郎が泥棒だと知れたら問題になる。偽物にして逃がしたのは、忠相の思いやりであった。 その日から何年か経ち、江戸から忠相に使いが来た。将軍が会いたいという。前の将軍が死んで、新しい将軍が決まったばかりだった。江戸城の立派な座敷に通されると、待っていた将軍が言った。 「大岡、私を覚えているか?」 顔を見て忠相はびっくりした。徳太郎である。 徳太郎が将軍になったのである。 (あの泥棒息子が将軍に?) さすがに忠相は困った。昔の仕返しをされる、と思ったのだ。徳太郎が言った。 「大岡、今日からお前に江戸の町奉行をやってもらう」 「えっ」 忠相は驚いた。江戸の町奉行と言うのは、都知事と警視総監と、最高裁判所の裁判官を一緒にしたような重い役目だ。お辞儀をする忠相の手を握って徳太郎は言った。 「昔、将軍の親戚である私を恐れず、法律を守ったお前は立派だ。江戸の町の事は、お前のような人間に任せたい」 徳太郎は、吉宗と名前を変えていた。忠相は嬉しかった。これで、子供の頃から考えていた事が実行できると思った。弱い者、貧しい者の味方になれるのだ。吉宗は、さらにこんな事を言って笑った。 「大岡、お前の拳骨は痛かったなあ」 ☆ 吉宗は張り切っていた。老中や奉行たちを集めて、毎日のように口頭試問をした。 「財政担当の老中、今年の国の税金はどのくらいか?」とか、 「商業担当の老中、今日の米の値段は一升(一・八リットル)いくらか?」とか、 「軍事担当の老中、全国には城がいくつあるか?」 とか、ぽんぽん質問する。しかし、長い間勉強していない老中たちは、一つも吉宗の質問に答えられない。みんな、恥ずかしそうな顔をして下を向く。その中でたった一人だけ、何を聞かれても正しい答え方をする人間がいた。大岡忠相である。 忠相は、自分の仕事に関係のある江戸の面積、人口、家の数、道路の幅や長さなど何でも知っていた。それだけでなく、老中たちが答えられない国の税金や米の値段や城の数も知っていた。 「立派なのは大岡だけだ。他の者は月給泥棒だ。少しは大岡を見習え」 吉宗は厳しく老中たちを叱った。 吉宗は狩りが好きで、良く馬を走らせた。ところが馬の練習を怠けていた老中たちは、ころころ馬から落ちた。最後までついていけるのは、いつも忠相だけだった。吉宗は言った。 「心細いなあ、大岡。老中たちは自分の仕事の事は何も知らず、馬にも乗れない。この国はどうなるのだろう……」 そして、いつも、 「大岡。お前だけだ、頼りになるのは」 と言った。はい、と答えながら、しかし忠相は困っていた。自分が褒められるのは嬉しい。しかも反対に老中たちはいつも叱られている。恥をかかされた老中たちは、吉宗を恨まないで忠相を恨んでいた。 生意気だ、自分だけが利口ぶっている、一度懲らしめてやろう――。そんな悪だくみがどんどん進んでいるのを、忠相は知っていた。そして、思った通り、一人の老中が吉宗に行った。 「難しい事件が起こりました。大岡に裁判をしてもらいたいと思います」 そして、その裁判は老中はもちろん、江戸の市民が大勢見ている前でやってほしい、と言った。 吉宗は老中たちの意地悪だなと思ったが、どうするか? と忠相に訊いた。忠相はにっこり笑って、 「やります」 と答えた。 裁判の日が来た。裁判所の傍聴席に大勢の人が集まった。吉宗も来た。 事件と言うのは、ある男が三両(今の三万円くらい)のお金を拾って落とし主に届けたら、落とし主が落とさないと言って受け取らないので、泥棒にされてしまった事であった。 「確かにこの人が落としたのです」 と、拾った方が泣きながら言うのに、落とした方は、絶対に落としません、と言い張る。 「変な事件だ」 みんな、そう思った。 大岡がどう裁くだろう――。 老中たちは、意地悪く笑った。 事件のあらましを聞いて、忠相は「落とした方に訳がある」と思った。落としたことが分かると、困る訳があるのだ。 忠相は裁判の前に落とし主の主人を呼んだ。落とし主はある商店の集金係だった。主人は、あの男が金を落とした事は無い、と言った。忠相にはピンときた。 (落としてすぐ、自分のお金で弁償したのだ) しかし、落としたことが知れると集金係の信用がなくなる。そこで無理をして、落とさない、と頑張っているのだ。本当は弁償して暮らしが困っているのに違いない。 忠相はこれだけの事を調べると、裁判を始めた。 拾った方は相変わらず拾ったと言うし、落とし主は絶対に落とさないと言う。 それでは私は泥棒になってしまう、と拾った方が泣くが、落とした方は知らん顔をしている。忠相は判決を下した。 「落とし主の分からない金は、この大岡が預かる」 ――判決を聞いて、みんながっかりした。 何て知恵の無い裁判だろう――。 そんな事を言いながら、ぞろぞろ帰って行った。 ところが数日後、この事件の判決の、本当のことが分かった。落とし主の主人が発表したのである。 「大岡様は、裁判の後、三両のお金に自分のお金を一両足して四両にし、拾い主と落とし主の二人に、二両ずつ分けた。 集金係が信用を落とすことを心配して、落とした事を内緒にしようと三人で約束なさったのだ。だから、三人とも一両ずつ損をしようではないか(落とした人も一両、拾った人も一両、そして忠相も一両の損)――そうおっしゃったのだ。本当に、温かい思いやりのある裁判だ」 これを聞いた町の人は感心した。 誰も傷つけまいとする大岡の思いやりが、感激させた。知恵の無い裁判ではなかったのである。 「やっぱり大岡は偉いな」 吉宗は褒めた。老中たちも、それからは意地悪をしなくなった。 ☆ 「今の人間は少し遊びすぎる。生活をもう少し質素にして、国を豊かにしよう」 吉宗はこんな考えを持っていたが、これはみんなに歓迎されなかった。食べる物や着る物に贅沢が許されず、あれもいけない、これもいけない、という物が増えたからである。特に吉宗は賭け事やお酒の相手をする、女の人のいる酒場をやめさせたので、遊び好きな町の人の不平不満が多くなった。 これはいけないと思った忠相は、板橋の飛鳥山に桜の公園を作ったり、中野に桃の大庭園を作ったりして、町民に開放した。しかし、街の不平はまだ消えない。 「法律を厳しくするだけでは駄目です。政治のやり方がいいか悪いか、町の人の声を聞きましょう」 忠相は吉宗にそう言って、江戸城の前に大きな投書箱を取り付けた。 そして、町や暮らしの事について、将軍にどんどん意見を寄せなさい、とPRした。箱は十日ごとに吉宗が自分で開けることにした。吉宗はその箱を開けるのを、何よりも楽しみにした。老中や役人たちは、町民の声を一つも吉宗の所に届けなかったからである。投書を読みながら、 「大岡、また勘定奉行所で付け届けを貰った役人がいるぞ」 吉宗は言った。ここのところ、不正な事をする役人の事を書いた投書が多かった。町民に贅沢をするな、と言いながら、取り締まる役人が悪い事をしていたのでは何にもならない。 「すぐやめさせます」 大岡は答えた。でも、投書はそんな物ばかりではなかった。いい意見もあった。 「大岡、日本人は米ばかり主食にしているから、米の取れない年はどうするのだ? という投書があるぞ」 「私もそれを心配していました。さつまいもと言うのが薩摩に伝わっています。あの芋を国中に植えてみましょう」 忠相は、すぐに青木昆陽という学者に、さつまいもを植えさせた。日本人がさつまいもを食べるようになったのはこの時からである。 冬が来ると、悲しい投書があった。 「大岡、貧しい人が医者に掛かれず、病気で死んでいる。何とかならないか?」 「税金で賄う病院を建てましょう。貧しい人はただで入院させるのです」 すぐ小石川に養生所という病院を作った。この病院は、その後百五十年も続いた。 この頃、忠相には大きな悩みがあった。 火事の事である。 江戸は百万人近い人口があり、同じ頃のロンドンやパリの人口は五十万ぐらいだから、江戸は世界一、人の多い町だった。 ところが、この百万人の人々は、全部紙と木でできた家に住んでいた。火事があるとたちまち燃えた。 火事を消すのは大名が作っている消防隊だったが、どの消防隊も火事を消すことよりも、どっちが先に火事場に着いたかでケンカばかりしていた。だから、火事は余計に広がった。 吉宗への投書にも、このケンカのために火を消してもらえず、燃えてしまった家からの不平が多かった。 「大名の消防隊にも困ったものだ……」 暗い顔をする吉宗に、忠相は、 「町の火事は、町の人が消さなければだめです。思い切って、町の消防隊を作りましょう」 そう言えって、町の責任者を集め、江戸の町々を“いろは……”順に分け、四十七組の消防隊を作らせた。 この消防隊は今も残って、消防庁と一緒に東京の火事を消している。 隊の人たちは、忠相の死んだ日が来ると、必ず揃ってお墓参りをして、忠相の御霊にお礼を言う習わしを続けている。 「大岡、お前は本当に江戸の町の人を大事にするな」 吉宗は、よく感心してそう言った。 忠相にすれば、いつも十歳の時の思い出があった。 「貧しい人や、弱い人が間違って罪人にされてはいけない」 そういう世の中であってはいけない。――それが忠相の考えだった。 また、忠相のその考えを、吉宗はよく理解した。吉宗がいなかったら、忠相もこれほど思い切った仕事は出来なかったに違いない。 江戸の町の人は、忠相を江戸の恩人と呼んだ。 そして、忠相にかかわりのない事まで、良い事は忠相がやったことにして褒めた。忠助は、それほど人気者だった。 大岡越前守忠相は、二十一年間も江戸の町奉行を務め、一七五一年に、七十五歳で死んだ。忠相を一番信頼していた吉宗も、同じ年の六月に死んでいる。 おしまい 戻る |