オランダで死んだ日本の鬼


                    ☆

 むかし、むかし、日本の将軍が、オランダの王子に贈り物をすることになりました。
 そこで将軍は、家来たちを日本国中回らせて、珍しい品物を集めさせました。家来たちが探してきた色々の珍しい品物は、江戸の将軍の屋敷の中に、大事にしまわれました。
 その蔵の中に、ある夜、一匹の若い鬼が紛れ込みました。鬼は周りを見て、びっくりしてしまいました。今まで見た事のないような、金でできているぴかぴかの箱や、真珠をちりばめた小箱や、金銀まきえの立派な机、七宝の壺などの宝物が、たくさん並んでいるではありませんか。
「なんと素晴らしいのだろう!」
 鬼は目を輝かせて、品物の上に飛び回ったり、美しい着物をひっかけて、お神楽の真似などをしていました。
 その時、ふいにガチャンと、蔵の錠に鍵を差し込む音が聞こえました。
「あっ、いけないっ、人間が入って来るぞ。見つかったら大変だっ」
 鬼は慌てて近くにあった醤油壺をつかむと、タンスの引き出しを開けて、その中に入り込みました。
 蔵の中に入って来た人は、そんな事には少しも気が付きません。大勢の職人を指図して、並んでいる品物の荷造りをさせました。職人たちは、大きな箱に品物を詰め、蓋をかぶせて釘付けにしてから、それを長崎へ送り出しました。
 長崎に届いた箱は、今度はそこに待っていたオランダの船に積み込まれ、オランダのロッテルダム目指して船出しました。
 何日も何日も、波に揺られた後、船はようやく無事にロッテルダムに着きました。すぐに荷物は船から降ろされ、ヘーグという所に住んでいる、王子の御殿に運ばれました。
 箱の中から贈り物が取り出されました。品物は次の日、王子と王女に見せることになっているので、品物のほこりを落とすために、女の召使がやって来ました。
 召使は、贈り物が目の覚めるほど美しいので、掃除するのも忘れて品物に見とれていました。それから、タンスのそばへ歩いて行って、引き出しを一つ一つ開け始めました。すると、いきなり引き出しの中から、得体の知れぬ恐ろしい物が飛び出しました。召使はびっくりして、尻餅をつきました。
 引き出しを飛び出した鬼は、階段を転げるように走り降りて、下の部屋へ逃げ込みました。そこは御殿の食堂で、六人の男が食事をしていましたが、ふいに見た事のない怪物が飛び込んできたので、みんな真っ青になり、ご飯を放り出して逃げ出しました。けれども六人の内、コック長だけは勇敢な男だったので、包丁をつかむと鬼に向かっていこうとしました。
「た、助けてくれっ」
 鬼は悲鳴を上げて、地下室へ逃げ込みました。
 地下室には、チーズや塩漬けの魚やパンなどの食料品がいっぱい置いてありました。みな、王子たちが食べるご馳走となる物ばかりでしたが、日本から来た鬼は、今まで一度も食べた事も、見たこともありません。チーズの匂いにはびっくりして、
「うわー、なんて臭いんだろう。まるで鼻が曲がりそうだ。こりゃあ、たまらない。こんな所にいたら、死んでしまう」
 と、鬼はまた、食堂の方に引き返しました。
 幸い、もうそこには誰もいなくなっていたので、鬼は食堂をぱっと駆け抜けるが早いか、ドアを開けて外へ飛び出し、畑の方へ駆けだしました。
 すると、前の方から、干し草をかきまわす棒を持ったお百姓がやって来たので、鬼は、
(あっ、大変、あいつに見られたら、きっとあの棒で叩かれるに違いない)
 と思い、そばにいた雌牛の背中に飛び乗りました。なんとも分からないものに、いきなり角をつかまれた雌牛は驚いて、
「モウーッ、モウーッ!」
 と鳴きながら、牛小屋目がけて走り出しました。


 一方、王子の御殿では、召使たちが御殿に怪物が出たと大騒ぎをしていました。王女がその騒ぎを聞きつけて、
「どうしたのですか、何をそんなに騒いでいるのですか」
 と、不思議そうに、自分の部屋から出てきました。
 すると、タンスの引き出しを開けた途端、鬼に飛び出され、尻餅をついた女の召使が、ほうきを持ったまま、
「はい王女様。明日、王子様や王女様にお目にかけることになっていた日本からの贈り物を私がお掃除しようとしたところ、タンスの中から何か、それはヒヒのような獣で御座いました、そしてそれが、ロシア語のような言葉で叫んだので御座います」
 と話しました。ところがコック長は首を振って、
「いいや、ヒヒなんかじゃなかった。あれは確か、黒い羊が後ろ脚二本で突っ立って、歩いたのに違いありません。それに叫んだのはロシア語ではなく、ドイツ語で御座いました」
 と言います。また、料理人のデブの女は、
「いえ、いえ、そんなものではありませんよ。あれは真っ黒い犬です。だけども、私はその獣の背中だけしか見えませんでした。それから、言葉は英語です。間違いありません」
 と言いますし、男の召使は、
「私は、あまりびっくりして、その獣の姿ははっきりと見えませんでしたが、言葉だけははっきりと分かりました。あれはスウェーデン語で御座います。私は前に、水夫たちがスウェーデン語で話しているのを聞いた事がありますが、獣の叫んだ言葉は、それとすっかり同じで御座いましたから……」
 と言いました、そして一番おしまいに、使い走りの小僧が、
「私は、あの怪物は獣ではなく、悪魔に違いないと思います。もし、獣でしたら、言葉など喋るはずがありませんもの……。その言葉ですが、あれは確かにフランス語で御座いました。これはもう、間違いありません」
 と口を出して、てんでに知ったかぶりをしました。
 王女は召使たちがオランダ語しか分からない事はよく知っているので、話を聞いて、可笑しくなるやら呆れるやらで、
「お前たちは、馬鹿ばかりが揃っていますね」
 と、みんなを叱りつけて、そのまま部屋へ入ってしまいました。そして、はるばる東洋の国から送られてきた珍しい品物を、広間にずらりと並べさせました。
 その内ヨーロッパ中に、オランダの王家には、日本から運ばれた珍しい贈り物がたくさん飾られているという噂が伝わり、毎日毎日、大勢の人々が見物しにやって来るようになりました。
 ところで、タンスの引き出しの中に隠れたために、いつの間にかオランダまで連れて来られた、あの可哀想な日本の鬼はどうなったのでしょう。
 鬼は御殿から逃げ出して、牛の背中に飛び乗ったところ、牛は驚いて鳴きながら自分の牛小屋に駆け込みました。その家の百姓のおかみさんが、牛のただ事ではない鳴き声を聞きつけて、急いで外へ飛び出しました。見ると、牛の背中に得体の知れない恐ろしい怪物が乗っているではありませんか。
「きゃー、助けてっ!」
 おかみさんが悲鳴を上げたので、近所の人たちがびっくりして、手に手に棒を持って駆けつけてきました。
 それを見た鬼は、
「殴られたら大変!」
 と、牛の背中から飛び降りて、おかみさんの部屋へ逃げ込みました。
 その部屋で、おかみさんがタンスの中から何かを取り出していたらしく、引き出しが開いたままになっていたので、鬼は、またその中に飛び込みました。ところがその時、ずっと手に持っていた醤油の入った壺から醤油がこぼれて、タンスの中に入っていた綺麗なレースや帽子などを汚してしまいました。おかみさんはそれを見ると、今度は怒り出して、
「まあ、なんて事だ。私の一番いい帽子を台無しにしてしまって……」
 と、大声で叫びながら、ほうきを振り上げて鬼の方へ近寄ってきました。
 鬼はすぐまたタンスを飛び出して、逃げ道は無いかと部屋を見渡すと、壁に大きな穴が開いていました。
「しめた、助かったぞ」
 鬼は喜んで穴の中に潜り込みました。そこは煙突の口でしたが、その頃日本にはまだ煙突などなかったので、鬼はそんな物とは知らず、喜んで隠れていました。そして、ふと上を見ると、ずっと上の方に、青空が見えているのです。
(おやっ、天井の方にも穴が開いているぞ。すると、あそこから外へ出られるんだな)
 そう思った鬼は、煙突の中をよじ登っていきました。ところが登っていくうちに、煙突の中にたまっていた煤がばらばらと落ちてきて目の中に入るし、鼻の中に入って息も出来なくなりました。
「うわー、これはたまらぬ。目が痛くて潰れてしまいそうだ。こんな酷い目に遭いながら上へ登るより、おかみさんに頭を叩かれた方がまだましだ」
 鬼は上へ出るのをあきらめて、そこから下へ飛び降りてしまいました。
 煙突の口へ逃げ込んだ鬼が、煤だらけの姿で、また部屋の中に飛び出してきたので、おかみさんは持っていたほうきで思い切り殴りつけました。頭ががーんとして、気も遠くなりそうになったのを、鬼はやっとこらえて、地下室へ駈け込みました。


「ああ、良かった、これでもう、あの怪物をここへ閉じ込めてしまえる」
 おかみさんはほっとしてそう言うと、さっと地下室の戸に鍵をかけてしまいました。
 けれども、なんだか分からぬ恐ろしい怪物を、いつまでも家の中に閉じ込めておくわけにはいかないので、怪物を退治する事にしました。そこでおかみさんの主人のお百姓は、よその家に鉄砲を借りに行き、手伝ってもらう男の人を一人連れて帰ってきました。
 鬼が地下室に逃げ込んでから、一時間ばかり経っていましたが、いよいよ怪物退治を始めることになりました。
「私がここで狙いをつけていて、怪物が飛び出してきたところを撃つことにするから、お前さんは、地下室のドアを開けてくれ」
 と、お百姓が男の人に頼みました。男の人は、ドアのカギを外し、びくびくしながら戸を開けましたが、怪物は飛び出してきませんでした。
「おや、どうしたのかな?」
 男の人は、恐る恐る中を覗いてみると、なんという事でしょう。怪物はもう、床の上に倒れて死んでいたのです。
 可哀そうに、鬼は、日本からいきなり遠い遠いオランダまで運ばれ、見る物みな見慣れぬものばかりですし、恐ろしい目に遭ったりして、寂しさと悲しさで気が狂ったようになり、とうとう死んでしまったのでした。
 お百姓の家の地下室で、変な怪物が死んだという噂を聞いて、村中の人たちがそれを見に集まってきました。
「ふーむ、こりゃあ何だろう」
 みんな、いくら首をひねっても、その死んだ怪物がなんであるかは、さっぱり分かりませんでした。
 ところで、そのお百姓の家に、
「その人間のような奇妙な怪物を、私に譲ってはもらえないだろうか」
 と言ってきた男がいました。お百姓は、なんだか得体の知れない怪物を家に置いておいても仕方がないので、すぐに男に譲ってしまいました。
 男はとても嬉しそうに帰っていったので、人々は、
「あんなもの、何にするのだろう」
 と、不思議に思いました。
 家に帰った男は、さっそく鬼の姿を石に彫刻したり、粘土を焼いたりして、それに真っ赤な色を塗りつけました。そして、
「これは、今度、聖人様のお祈りで対峙された悪魔です」
 と言いふらしました。
 すると男の思った通り、みんな珍しがって、あとからあとから、見物に押しかけてきました。その中で、瓦屋や建築師などは、男の作ったものを見ると、
「これは素晴らしい。これを見本にして、新しく悪魔の顔を掘った瓦を作ったら、いい物が出来るぞ」
 と言って喜び、どんどん買い込んでいきました。それでその男は、うんとお金をもうけたという事です。



おしまい


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