メクラヨコエビのゆめ


                    ☆

 地面の下を、地下水の川が流れています。
 暗闇の中を、急に細い光が走りました。
 メクラヨコエビでした。
 ひゅるるる……。
 メクラヨコエビは、かすかな光を放ちながら、するどく水を切って泳ぎました。
 メクラヨコエビには目がありません。長い間、地下の暗闇の中で暮らしている間に、いつしか無くなってしまったのです。
 メクラヨコエビは、ぐんぐん川上に向かって登って行きました。その後ろには、子えびが泳いでいました。
 どうしたことか、子えびには、目がありました。目のある子えび、それは、目の無いえびたちの間ではのけものでした。
 メクラヨコエビは、今、この子えびを仲間の知らない遠い所へ、捨てに行くところでした。

                    ☆

 メクラヨコエビは、美しい光を放って泳いでいました。子えびは母親の光の中を泳いでいました。
 たまたま後ろを振り向くと、後ろは深い暗闇に覆われて、吸い込まれてしまいそうに思えました。
 川の流れが激しくなりました。氷のように冷たい水が、川底で渦を巻いています。
 メクラヨコエビは、子えびが押し流されないように、小さな身体をそっと抱きかかえました。
 子えびには、母えびの身体がはっきり見えました。
 光に包まれて、白く透き通った身体、長くて立派な二本のひげ、太く力強い尾びれ。
 川の流れは、光の当たるところだけ青く澄んで、その向こうは深い藍色をしていました。
 体に当たる波のしぶきは、銀色に輝いて、目を開けていられないほど眩しく感じられました。
 子えびは思わず、
「お母さん」
 と小さく叫びました。
 子えびには、この美しい母えびの姿がとても誇りに思えたのです。

                    ☆

 流れに逆らって泳ぎながら、メクラヨコエビの身体はかすかに震えていました。仲間に知れないように、早く捨てに行かねばなりません。
 もし、仲間に気づかれれば、間違いなく子えびは殺されてしまうからです。
 メクラヨコエビは急ぎました。
 川の流れはメクラヨコエビを押し流そうと、ぐいぐい襲い掛かってきました。
 流れと戦いながら、母えびは思いました。
(ああ、嫌だ。嫌だ。可愛い子えびを捨てに行くなんて、こんな子えびはみんなで温かく庇ってやるのが本当なのに、殺されてしまうなんて。誰がどうして、こんな間違った掟を作ったのかしら)
 川の流れが、急に緩やかになりました。川はそこから二つに分かれて上に続いていました。
 しばらく行くと、川は少し浅くなってきました。
 メクラヨコエビはほっとしました。
「さあ、着きましたよ。今日から、ここがお前の住処です」
 メクラヨコエビは、無理に元気な声を出して言いました。
 子えびはすっかり疲れ切ったものか、母えびにしがみついたまま、かすかな寝息を立てていました。
「無事に暮らしておくれよ。その内きっと、間違った掟を改めて迎えに来ますからね。それまでの辛抱です」
 母えびはそう言い残すと、仲間達の所へ帰っていきました。

                    ☆

 岩の伝う激しい水しぶきの中で、子えびはふと、目を覚ましました。周りは暗く、目に見えるものは何もありません。
 目を大きく開けば開くほど、恐ろしいほどの暗闇が、ぐいぐい子えびに襲い掛かってきました。
「お母さん!」
 子えびは思わず大声で叫びました。
 でも、答えはどこからも返ってきません。激しい落ち水の音だけが、ますます激しく子えびを包みました。

                    ☆

 メクラヨコエビは流れに身体を任せて泳ぎながら、胸が苦しくてなりませんでした。
 誰も住まない寂しい所で、子えびはこれからどうして暮らしていくでしょう。
 食べ物の事、巣作りの事、心配な事がいっぱいです。それに、子えびにはその後きっと迎えに来ると言ったけれど、掟はそんなに容易く改める事が出来るものではありません。たとえ改める事が出来たとしても、それまで子えびは生きていることが出来るでしょうか。
(でも、ひょっとしたら)
 と、メクラヨコエビは思いました。
 子えびを捨てた所に、光の世界に通じる岩穴があるという噂がありました。
 もしうまく岩穴を見つけて、光の世界に出ることが出来れば、立派に暮らしを立てることが出来るはずです。
 メクラヨコエビは、祈るような気持ちで言いました。
(どうか、噂が本当でありますように。可愛い子えびが、光の世界にたどり着くことが出来ますように)

                    ☆

 子えびは目を泣きはらして、岩陰に横たわっていました。
 泣いても叫んでも、答えるものは何もありません。
 その時です。
 子えびの目の中に、ふと、優しい母えびの姿が浮かびました。光に包まれて、はっとするほど美しい姿です。
 母えびの後ろに、不思議な光の景色が広がっていました。
 それは明るい緑の木々に包まれた、泉の景色でした。泉は青く澄み切って、水底の白砂が、きらきら光って見えました。
 水の面には、目のある子えび達が、楽しそうに泳ぎ戯れていました。
 子えびは「アッ」と小声で叫んで、息をのみました。それは子えびが、まだ一度も見た事のない景色でした。


 と、光の景色は急に消えて、後には深い暗闇が、前と同じように広がっていました。
 岩を伝う落ち水のしぶきが、強くなったり弱くなったりしました。水は足元から湧き上がるように流れ出していました。
(今、見た景色は何だろう。ひょっとしたら、あれと同じ景色がこの近くにあるのではないかしら)
 子えびは思いました。

                    ☆

 冷や冷やと、落ち水のしぶきが子えびの顔を打っていました。
 子えびは、ふと上を見ました。
 落ち水の中に、何かしら、光のにおいがしたように思ったのです。子えびは少しずつ、少しずつ、岩を這い上っていきました。
 岩の裂け目に沿って登って行くと、裂け目は次第に広くなって、落ち水のしぶきも激しくなりました。
(そうだ。この上に、きっと光の景色があるのだ。そうでなければ、あんな景色を見るはずが無い)
 子えびは岩の裂け目に潜るようにして、足を進めました。
 と、急に後ろの足が軽くなりました。
 落ち水は、ゴーゴーとうなりをあげて、岩壁を走っていきました。
 岩壁は狭くなったり細くなったり、刀の刃先のように尖ったりして、上に続いていました。
 子えびは体をかがめ、へばりつくようにして足を進めました。足がまた一本、軽くなりました。
 足の付け根が少し熱く感じられましたが、それっきり、何も感じませんでした。
 尾びれで探ってみると、さっきまで身体を支えていた足が、岩に挟まれてぶるぶる震えていました。
 上っているのか、下りているのか、区別がつきません。周りは相変わらず暗闇が続いています。
 けれど、子えびの目の奥には、はっきりと明るい光の景色が映っていました。
 水音は子えびを飲み込むと、ぐんぐん上に登っていきました。

                    ☆

 深い森に囲まれて、静かな泉がありました。
 泉の底からは、綺麗な清水がふくふくと湧き上がっていました。
 清水に乗って、子えびがすっと水の面に浮かび上がりました。
 目のあるメクラヨコエビでした。
 メクラヨコエビは、あまりの眩しさのため、気を失いそうになるのをこらえながら叫びました。
「お母さん、光の世界に着きました」




おしまい


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