くまの養子


                    ☆

 北の方の国のある村に、一人暮らしのおばあさんが住んでいました。
 狩りの名人だった夫が死んでから、一人で暮らしている内に、いつか年をとってしまったのでした。
 ある寒い夜の事。家の外で、不思議な音がしました。
「はてな、なんだろう?」
 おばあさんは、外へ出てみました。
 と、月の明かりでぼんやり見えるのは、黒い身体の生き物のようでした。
 こわごわそばに行ってみると、熊でした。でも、まだ小さな子熊でした。
 子熊はケガでもしているのだろうか、病気なのだろうか、地べたに寝ころんだまま、時々手と足を動かして唸っていました。
「どうしたんだい? よしよし……」
 子熊だから怖くもないので、おばあさんは家の中に抱え入れました。
 すると、どうやら寒さと空腹でまいっているらしいことが分かりました。
「可哀そうに……」
 そして、おばあさんは火を焚いて温めたり、手や足を揉んでやったり、アザラシの肉を食べさせたりすると、子熊はだんだん元気になってきました。
 やがて、家の中をのそのそと歩き回った子熊は、安心したのでしょうか、おばあさんの身体に自分の身体を擦り付けて、ぐっすり眠りこんでしまいました。
「なんてまあ、無邪気なこと……」
 おばあさんは、この子熊がだんだん可愛くなってきました。
 一人暮らしの寂しさからも、この家において、面倒を見ようと心を決めました。――つまり、熊の子はおばあさんの養子のような形になって、一緒に暮らす事になったのです。
 熊の子はますます元気になり、ますます大きくなってきました。
 おばあさんにもよく懐き、近所の子供たちと一緒に遊ぶようになりました。
「いいかい、くま公。お前の爪は尖っていて危ないから、子供たちと遊ぶ時は、絶対に爪を出してはいけないよ!」
 おばあさんが言い聞かせると、子熊はそれをよく守りました。
 そうこうしている内に、熊は驚くほど大きくなりました。
 身体からすると、もう立派な大人です。
 ある日、村の人たちが四、五人で、おばあさんの所にやって来ました。
「ね、おばあさん。くま公があんなに大きくなったんだから、狩りに連れていきたいと思うけど、貸してもらえないかね……。だって熊は、アザラシを見つけるのがうまいんだから……」
 そう頼まれると、おばあさんも考えました。何しろ、長い間の一人暮らしで、村の人たちにはいろいろと世話になっています。断るわけにもいきません。
「いいですとも。一緒に連れて行っておくれ」
 おばあさんは承知しました。そして、今度は熊に向かって言いました。
「いいかい。お前は、いつも風下の方から獲物に近づいていくんだよ。風上からだと、お前の身体のにおいを嗅ぎつけて、獲物が逃げ出してしまうからね」
 これは、おばあさんが、狩りの名人だった夫から聞いていた事でした。
 熊はおばあさんの身体を舐めてから、村の人たちと一緒に狩りに出かけました。
 さて、その日の夕方。村の人たちは、くま公のおかげでいつもの三倍の獲物が取れたと、喜んで帰ってきました。
「そうかね……そうかね……」
 おばあさんは、熊の背中をなでながら、目を細くして喜びました。
「ところで、おばあさん。明日も頼みますよ」
「いいですとも……」
 という事で、そんな日がしばらく続いたある日。狩りから帰ってきた村の人たちが、おばあさんに言いました。
「おばあさん。今日はくま公が、北の方からやって来た猟師たちに、もう少しで殺されそうになったんだよ。だからこの熊は、ただの熊ではないという目印をつけておかないと、これからも危ない目に遭うよ。何か、幅の広い首輪をこしらえて付けたらいいと思うけどよ!」
「そうだね。では、そうしよう!」
 おばあさんは、キツネのなめし皮で幅の広い首輪を編むと、熊の首に巻いてやりました。
 幅の広い首輪は、首輪と言うより襟巻のような格好です。けれどもおかげで、他の熊とは間違えられる心配はありません。
「いいかい、くま公や。人間に出会った時は、どんな時でも自分の仲間だと思うんだよ。そのために、首輪をつけているんだからね。相手がかかって来ないなら、絶対に自分の方からかかっていくんじゃないよ!」
 おばあさんは、くどくど言って聞かせました。
 それから幾日か経った、風の強い日でした。いつものように狩りに出かけた熊が、いつまでも帰ってきません。心配になったおばあさんは、一緒に行った人たちの家に行って訊いてみました。
「え、くま公がまだ帰っていないって……。おかしいな。山の途中で見えなくなったから、先に帰ったのだろうと思っていたのに……」
「そうだよなあ。おかしいなあ……」
 そんな言葉に、おばあさんはますます心配になってきました。でも、ともかく、家に帰って待っていると、夜になってから、のこのこ帰ってきました。
 おばあさんはほっとしました。が、でも、帰ってきた熊は、おばあさんの身体を舐めてから、着物の裾をくわえて家の外に引っ張るのです。
「え。お前、どうしたというんだい?」
 おばあさんは外に出ましたが、とたんに驚きました。そこには、一人の男が死んでいるのです。
「これは誰だろう? 一体どうしたというんだろう?」
 おばあさんは、すぐに村の人たちに来てもらいました。
「おっ、これは、北の方からやってくる猟師の一人だよ。それにしても、着物がこんなにずたずたに破れているのは、このくま公と格闘をやったらしいな?」
「うん、どうもそうらしい。となると、この男はくま公に首輪のついているのを知っていながら殺そうとしたんだよ。それでこいつが怒って、格闘になったんだろう。俺にはそうとしか思えねえよ!」
 村の人たちは、そう言いあっています。
 おばあさんにしても、そうだろうと思いました。――あれほど言い聞かせているのだから、熊の方からかかっていくはずがない。この人が先にかかったから、仕方なく、格闘になってしまったのだろう……。そうでなかったら、自分の殺した人を、わざわざ引っ張ってくるはずがないだろう……。
 そんな騒ぎをしているところに、二人の猟師が、酷く怒った顔で走ってきました。一目で死んだ猟師の仲間だとわかります。
「おい、その熊は、オレ達の仲間を殺したんだ! さあ、こっちへ渡してもらおう!」
 一人が大声で怒鳴ると、
「そうだとも! さ、こっちに渡すか、でなかったら、ここで殺させてもらおう!」
 と、もう一人も目を剥きました。


 すると、おばあさんも男たちを睨みつけながら言いました。
「お前さんたちは、熊が、この人を殺すところを見ていたと言うんですかい!」
「殺すところは見ないが、引きずって歩いているところを見たんだ。こいつが殺した事には間違いないんだからな!」
「殺したのはこの熊だろうけど、でも、そっちの方から先に殺そうとしたから、仕方なく熊の方でもかかって行ったんだろうよ! 私はね、いつもこいつに言って聞かせているんだからね。こいつの方から先にかかってなんていくもんか。さ、帰ってくれ!」
 おばあさんも、もう負けてはいません。
「そうだともよ! この熊はな、普通の熊とは違うんだからよ!」
「そうだともよ! こうして、きちんと首輪をつけてあるんだしよ!」
 村の人たちも、おばあさんに加勢します。
「ちぇっ、そんなうまいことを言ったって、だまされるもんかい! さあ、どうしても渡さないと言うなら、ここでオレ達が殺してやるぞ!」
 二人の男は長い刃物を振りかざして、熊に襲いかかろうとしました。
 と、おばあさんは、慌ててその前に立ち塞がりました。
 と、それまで黙っていた熊が、おばあさんをはねのけると、大きな口を鳴らして、二人の男に襲い掛かろうとしました。
 その恐ろしい格好に、二人の男はひるみました。自分たち二人だけではとても敵わないと思ったのでしょう。
 震えながら後ずさりしていきます。すると、熊の方は、それ以上前に進んでは行きません。
「畜生! 覚えていろよ。いつか、きっと殺してやるからな!」
 二人の男は捨て台詞を残し、仲間の死体を引きずって、悔しそうに帰っていきました。
 さて、その夜――。おばあさんは、寝もやらずに考え込んでいました。
(――この熊を、このままここに置いていてもいいだろうか……。あの男たちは、きっと、熊の命を狙ってくるだろう。別れるのは悲しいけれど、やっぱり山へ帰してやる方が……)
 そして、熊と別れる事を心に決めたおばあさんは、よく分かるように訳を話して聞かせました。
 熊は悲しそうに、何度も何度もおばあさんの身体を舐めまわしました。
「さ、夜の明けない内に、こっそり出ていくんだよ……。いいかい、身体に気を付けるんだよ。きっと、親たちに会えるように祈っていてやるからね」
 いよいよ最後の時、おばあさんは油の中に両手をひたし、その上にすすを塗ると、その手で熊の腹をなでました。
 いつまでも消えない印でした。
「さ、今なら誰も見ていないから……。それじゃ、さようならよ……」
 熊は、何度も何度も後を振り返りながら、やがてどことなく消えていきました。
 その後、北の方に住んでいるたくさんの熊の中に、一匹だけ、脇腹に黒いあざのついたのが混じっていたそうです。



おしまい


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