小麦のたたり


                    ☆

 昔、オランダに、スタフォレンという町がありました。この町に、心の優しい一人の金持ちが住んでいましたが、奥さんはたいそう欲深な、怒りっぽい人でした。
 お金持ちの男は船をたくさん持っていて、船に品物を積んで方々の国へ行っては、品物を売ったり、また、向こうから品物を買い入れてきたりして、商売をしていました。
 船が荷物を積んで、スタフォレンの町から出ていくとき、金持ちの男は、その船の船長に必ず、
「向こうから帰る時、何か珍しい物や、美しい物を持ってきておくれ。妻に贈ろうと思うから」
 と頼みました。
 そこで船長は忘れずに、行った先の国の美しい絵や、彫り物や、素晴らしい布地や宝石など、また、自分の国では見られない珍しい鳥や獣を持って帰りました。
 船が帰ってくると、金持ちの男は早く奥さんを喜ばそうと、すぐにそれらの品物を奥さんの目の前に並べてみせました。ところが奥さんは、これまでたったの一度も、嬉しそうな顔をしたことが無いのです。
「全く、張り合いがないったらありゃしない。何をやったら喜ぶのだろうか」
 と、金持ちの男はがっかりしていました。
 ある時、金持ちの男の船が、ダンチヒという所へ商売をしに行くことになりました。金持ちの男は、今度こそ奥さんを喜ばそうと、奥さんに、
「お前が欲しいと思う物をなんでも言ってごらん。そうしたら、船長に頼んで、それをダンチヒで見つけてもらうから」
 と聞きました。すると奥さんは、
「私の好きなものは、世界中で一番素晴らしい物ですわ。世界中で一番の物なら、何でもいいのです」
 と答えました。
(妻の好きなものが分かったので、今度こそは妻を喜ばせることが出来るだろう)
 と、金持ちの男は大喜びで、すぐに船長を呼ぶと、
「妻へ贈り物にするから、ダンチヒへ行ったら世界で一番素晴らしいと思う物を見つけて来てくれ。それから小麦をたくさん買い込んでくることを忘れないように」
 と頼みました。
 まもなく船は、スタフォレンの町から離れていきましたが、船の中で船長は、
(はて、世界中で一番素晴らしい物って、何だろう)
 と考えましたが、なかなか思い当たりません。
(うーん、困ったなあ。さっぱり分からないぞ。だが、待てよ、主人は小麦を買うのを忘れるなと言っていたが、その小麦が世界で一番いい物ではなかろうか。だって小麦は人間の命をつなぐパンのもとになるのだから、世の中にこれほど良い物は無いだろう)
 と、船長は考え付きました。
 でも、自分だけの考えでは心配だったので、水夫たちにも聞いてみる事にしました。
「出かけてくるとき、わしは主人から、世界で一番いい物を見つけて持ってきてくれと言われたのだが、それは何だと思う」
「さあ、何でしょう。なかなか分からないですねえ」
 水夫たちも、やはり首をかしげるばかりで、何も思い当たりません。船長は困ったように、
「本当に、何を持って帰ったらいいだろうね。ところで主人は小麦を買うのを忘れるなと言っていた」
 と言ったところ、水夫たちはポンと膝を打って、
「あっ、それ、それ、それですよ。世界で一番いい物は小麦ですよ。何しろ小麦は、人間の命をつなぐパンになるものなんですからね」
 と、みんなが言いました。
「ああ、これで安心した。みんなの考えも私とすっかりおんなじだった。だから、世界で一番いい物は、もう、小麦で間違いない。小麦なら、捜さなくてもどこにでもあるからすぐ手に入る」
 と喜びました。
 船は間もなくダンチヒに着きました。船長は、積んでいったいろいろの品物を全部売りつくしてしまうと、今度はたくさんの小麦を買い込みました。それからすぐに、スタフォレンの町へと戻ったのです。
 帰ってくると船長は、
「持って行った品物は高い値段でみんな売れました。それから、世界で一番いい物を見つけてきました」
 と、主人の金持ちの男に知らせました。
 金持ちの男はとても喜んで、いつもは滅多に喋らない無口な人なのに、その日はニコニコしてよく喋りました。奥さんが驚いて、
「あなた、今日はどうなさったのです、ばかに楽しそうですね」
 と尋ねると、
「ああ、お前がどんなに喜ぶかと思ってね……。まあ、それは後のお楽しみだ。昼ご飯が済んだら私についてきなさい」
 と、嬉しそうに言いました。
 お昼ご飯が済むと、金持ちの男は、
(今度こそ、妻の喜ぶ顔が見られる!)
 と、胸をワクワクさせながら奥さんをダンチヒから帰ってきたばかりの船に連れて行きました。すると、船長が二人を出迎えて、二人を船の倉に案内していき、水夫に倉の戸を開かせました。船倉の中には、小麦が山のように積まれているだけで、別に変ったものも見られません。奥さんは不思議そうに、
「これはただの小麦じゃありませんか。これがどうしたのです?」
 と聞きました。
「ああ、小麦だよ。これこそ世界で一番いい物じゃないか」
 金持ちの男は、奥さんの顔を見ながら得意そうに言いました。
 ところが奥さんは、喜ぶどころかぷんぷん怒って、
「なんですって、世界で一番いい物ですって? 冗談じゃありません。あなたは私を騙しましたね。そんな小麦なんかみんな海へ投げ捨ててしまうといい」
 と、大声で文句を言いました。
 すると、波止場に集まっていた乞食たちが、奥さんの大きな声を聞きつけ、船の側へ寄ってきて、みんな地面にひざまずきながら、
「どうか奥様、その小麦を海なんか捨てないで、私達に恵んで下さい。私達はお腹が空いてペコペコなのです」
 と、一生懸命頼みました、
 それを聞くと船長も、
「小麦が気に入らないとおっしゃるのでしたら、それを可哀想な人たちに分けてやってください。そうすれば、人々は奥様をご立派な方だと褒め称える事でしょう。是非、お願いします。その代わり、この次の商売の時は、どんな遠くにでも出かけて、奥様のお気に召すものを必ず持って帰りますから……」
 と、奥さんに頼みました。
 けれども、物凄く腹を立てている奥さんは、誰の頼みも聞き入れず、水夫たちをにらみながら、
「さっさと小麦を海へ放り込んでおしまい」
 と命令しました。


 水夫たちは勿体ないと思いましたが、命令なので仕方なく、小麦をザブン、ザブンと海の中へ投げ込みました。奥さんはせいせいしたという顔で、一粒残らず全部水の底に沈むまで船の上に突っ立ってみていました。
 これには、さすがの優しい金持ちの男も、顔色を変えて、
「もう、これから先、私は決してお前を喜ばせようとは思わない。それに、お腹が空いて食べる物も無い可哀想な人たちは、みんなお前を憎むだろうし、お前はこんな酷い事をした罰が当たって、きっと食べ物に困るようになるに違いない」
 と、奥さんを怒りました。
 奥さんは、ぷいと横を向いたまま、心の中で、
(ふん、私が食べ物に困るだなんて、何を馬鹿げた事を言っている。私には使い切れないほどのお金があるのに……)
 と思っていました。そして奥さんは、自分の手の指から指輪を外して海の中へ投げ込みながら、大声で、
「みんなよくお聞き! もしも、いま沈めた私の指輪が、また私のところへ戻るようなことがあれば、私は食べる物に困るかも知れない。だが、そんな事が起こらない限り、決して食べ物に困る事はありませんよ」
 と言いました。それだけ言うと奥さんは、一人で船を降りていき、乞食たちの間を通り抜けて、さっさと自分の屋敷へ帰ってしまいました。
 家に帰った奥さんは、夫の言った言葉が癪に触ってたまりませんでした。そこで奥さんは、自分はどんなに金持ちであるかという事や、外国から買い入れたいろいろの珍しい品物を友達に見せびらかして気晴らしをしようと、次の日おおぜいのお客を招きました。
 みんなが席についてご馳走を食べていると、召使が奥さんの側へ来て、
「今コック長が、魚を料理しようとしたところ、魚の口から珍しい物が出てきました。それでコック長がそれを奥様にお見せしたいと申しております」
 と告げました。
 奥さんは飛び上がるほど喜んで、お客たちに、
「私は、いつも世界中で一番素晴らしい物を自分の物にしたいと思っていましたが、どうやらその願いがかなったようです。今、その品物をここへ持ってくるそうです」
 と言いました。
 お客たちも喜んで、
「まあ、どんなものでしょう、早く見たいわ」
 と待っていました。
 間もなくコック長が、金のお盆を恭しくささげて宴会場へ入ってきました。コック長は、奥さんの前に行くと、丁寧にお辞儀をしてからお盆を差し出しました。
 お盆の上の品物をひと目見た途端、奥さんの顔は見る見る真っ青になりました。
 そのはずです。それは昨日、自分が夫の言った事に腹を立てて、
「この指輪か戻って来ない限り、私は絶対に困るようなことは無い」
 と言いながら、船の上から海に投げ捨てた、その指輪だったのです。
 金持ちの男は、奥さんにあんな酷い事をされて、悲しみのために床についていましたが、指輪が戻った夜、とうとう死んでしまいました。その次の日には、無い物は無いほどいろいろの、値段の高い商品をしまっておいた倉が火事になって、あっと言う間に全部灰になってしまいました。
 そればかりではありません。まだ夫の葬式も済まないというのに、商売をしに出ていた四艘の船が大嵐に遭って、みな沈んでしまったという知らせが、奥さんの所に入りました。
 こうして、あれほど金持ちを自慢して威張り散らしていた奥さんは、たちまちの内に貧乏人になってしまったのです。家や道具を売り払い、住むところもなくなった奥さんは、乞食のようになって、食べ物をもらおうと町中を歩き回りました。
 けれども人々は、可愛そうな者に何も恵まなかった奥さんを憎んでいたので、食べ物を恵んでくれる人は一人もいませんでした。奥さんの身体はすっかり弱って、一年と経たない内にある馬小屋で、ボロボロの服を着た可哀想な姿で死んでしまったのでした。
 そんな事があってしばらくの後に、スタフォレンの漁師たちは、潮が引いて海面が低くなった時、水の底に何か青い物が一面に生えているのを見つけました。その青い物は小麦だったのです。そこはまるで野原のようで、小麦は波にもまれてゆらゆらと揺れ動いていました。
 小麦と言っても、そこは砂地ですし、塩水に浸かっているので実は一つもつきませんでした。それどころか、そんなものがあるために、船の出入りが出来なくなってしまったのです。そうなれば、もう、商売も出来ません。
 町の人たちは日増しに貧しくなっていき、あれほど豊かで栄えたスタフォレンの町は、すっかり寂れてしまったという事です。



おしまい


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