いのちの綱


                    ☆

 むかし、南の方のある島に、とても仲のいい若い夫婦がいました。
 貧しい暮らしでしたが、夫のエネエネも、妻のクララも、正直者で誰からも好かれていました。
 ある日の事……。妻のクララが、ヤシの実を捕ろうと大きな木に登りました。が、ちょっとの油断で足を滑らせ、真っ逆さまに落ちてしまいました。
 と、その途端です。地面が二つに割れて、その割れ目に入ったクララの身体は下へ下へと落ちていきました。
 どれだけ深く落ち込んだのか、止まったところは、地の底の死人たちの集まっている世界でした。
「おい、いい物が転がり込んできたぞ。久しぶりのご馳走だな。早く食べようよ!」
 と、死人たちは喜びました。が、
「でも、閻魔大王の許しをもらってから出ないと怒られるぞ!」
「それもそうだな。だったら逃げられないように、家の中に入れて、柱に縛り付けておこう!」
 という事で、死人たちはクララを家の中に運び込み、柱に縛り付けました。そして、盲目の老人に、見張り番をさせる事にしました。
 一方、地上の夫は、急に見えなくなった妻を捜して、あっちこっちと捜し回っている内に、地面の割れ目から死人の世界に落ちて言った事が分かりました。
(――これは大変なことになった。早く助けに行かないと、そのまま死んでしまうかも知れない)
 しかし、エネエネには、どうして死人の世界まで下りていけばいいのか見当もつきません。思い余ったエネエネは、村の人たちにわけを話して、力を貸してくれるように頼みました。
「そうか、それは気の毒な事だな。みんなで何とか、その方法を考えよう」
 そして、結局、村の人たちはみんなで、長い長い綱を作ることにしました。
 綱が出来ると、それを地面の割れ目から、下へ下へと垂らしてやりました。
「さ、もう死人の世界まで届いたろう。――いいかい、エネエネ! 登ろうと思う時は、この綱をぐいっと引いて合図をするんだよ!」
「はい、分かりました。では、お願いします!」
 どうしても妻を助けたいエネエネは、綱を伝わってどんどん下へ降りていきました。
 長い長い綱ですが、やっとのこと、死人の世界に降りることが出来ました。
 けれども死人の世界は、暗い迷路になっていました。どの道を行けばいいのか、妻がどこにいるのか、見当もつかないエネエネは、足に任せて歩きました。でも、帰る時の目印に、用意に持ってきた綿をちぎって、所々に置いて歩いました。
 どれだけ歩いた事でしょうか……。やがて、ほんのりと明るくなっている場所に出ました。
 と、どこからともなく人の声らしいものが聞こえてきました。
「クララ、いるだろうな!」
 と、妻の名前を呼んでいる声です。そして、
「ええ、いますよ」
 と答えているのは、確かに妻の声でした。
 喜んだエネエネは、足音を忍ばせて、声の方へ行きました。と、大きな家があって、入口の戸は開いていました。
 エネエネはそっと、家の中を窺ってみました。すると、太い柱に縛り付けられている妻の姿が見えました。
(――やっと見つけたぞ!)
 けれども、少し離れたところに、盲目の老人が番をしています。
 盲目だから、時々名前を呼んで、いるのかいないのかを確かめているのでした。
(よし、番人は盲目なんだから……)
 エネエネは考えました。いったん家を出ると、そばにあるヤシの木に登って、たくさんの実を落としました。その実をいくつもいくつも老人の側に転がしてやりました。
 すると間もなく、たくさんのネズミが集まってきて、その実をガリガリとかじり始めました。その音がやかましいので、エネエネが少しぐらいの音を立てても、盲目の番人には悟られずに済みます。
「ちえっ、やかましいネズミどもだよ。――クララ、いるだろうな!」
 盲目の老人は顔をしかめながら、また、クララの名前を呼んで確かめました。
「ええ、いますよ」
 クララは答えています。
 エネエネは、そっと妻の側に行きました。
 妻は驚いて、危なく声を出しそうになりました。が、エネエネは素早くその口を押さえつけてから、耳へ口を寄せて言いました。
「助けに来たんだよ! ここから逃げ出すんだけど、お前は体が弱っていて、早く歩けないだろう。だから、二人が一緒に逃げだせば、すぐに捕まってしまうよ。それで考えたんだ。まずお前だけが出口の所まで行っていなさい。白い綿の落ちている道を辿って行けばいいからな!」
「あんたは、どうするの?」
「おれは、お前が出口に着いたと思う頃まで、ここにいるよ。そして、呼ばれたらお前の声を真似て、返事をしていて、その後、お前を追いかけるよ。いいな、早く!」
 柱の綱を切ってもらったクララは、弱っている身体でよろめきながらも、先に逃げ出しました。
 しばらく経って、
「クララ、いるだろうな!」
 盲目の番人は、また名前を呼びました。
「ええ、いますよ」


 エネエネは、クララの声を真似て答えました。
 それから、またしばらく経って……もうクララが出口のそばまで行った頃です。
 エネエネは、そっと家を出ると、後は夢中で走り出しました。
 綱のある出口の所に来ると、妻の方も、今やっと着いたばかりの所でした。
「いいかい。痛くても我慢するんだよ!」
 エネエネは、自分の身体と妻の身体を綱の端に結び付けると、その綱をぐいっと引きました。
 地上で待ち構えていた村の人々は叫びました。
「おいっ、合図があったぞ! さ、早く引き上げろ!」
 掛け声を合わせて、みんなで引っ張り始めました。
 一方、盲目の番人は、クララの声がしないので、その後は大騒ぎになりました。みんなで出口まで来た時は、二人の身体が見る見る上に登っていて、もうどうすることも出来ませんでした。
「お前が、とんまだからだぞ!」
 みんなで盲目の番人を叱りつけている所に、閻魔大王も来ました。
「なにっ、せっかくのご馳走を逃がしてしまったんだとっ!」
 大王は大声で怒鳴りました。
「へえ、こいつがとんまなもんで……」
「馬鹿もん! 大体、盲目に番人をさせておくお前たちがとんまなんだぞ! それにいつも、ここの大門を開けておくのがいけないんだ。生きている人間どもは頭がいいから、いつ、どんな奴が下りてくるか分からないぞ。この大門を閉めてしまえ!」
 閻魔大王の言葉で、死人の世界の大門は固く閉められてしまいました。
 ですから、その後、生きたままで死人の世界に入って行った人はいなくなりました。
 また、長い綱のおかげで夫婦の命を助けることが出来た村の人たちは、その綱を、いつまでも村の宝物にしていました。



おしまい


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