星のむすめ
☆ クリスマスの前の夜の事でした。 フィンランドの北の雪の山を、トナカイの引く二台のソリが滑っていました。 先へ行くソリには、ラプランド人の若い男が乗っていました。後ろのソリには、トナカイの皮でくるんだ赤ちゃんを抱いた奥さんが乗っていました。 「もう一つの山を越えれば、町へ着くよ」 若い男は、鞭をビュウビュウ振り回しながら、後から滑って来るソリの奥さんに声をかけました。 奥さんはにっこりして、胸に抱いている赤ちゃんの顔を覗き込みました。 空には、数え切れぬほどの星が光っていました。そしてオーロラが、炎のカーテンのように燃えていました。雪の山は、星やオーロラの光の下で、ちかちかと輝きました。 ラプランド人の若い夫婦のソリは、雪の上を気持ちよく滑っていきました。 ピシリ! 鞭が鳴りました。 ラプランド人の夫婦は、美しい星やオーロラを眺めてうっとりとしていました。トナカイは、ときどき耳をぷるると震わせ、硬い雪の上にカッカッと足音を立てました。 突然、後ろで獣の唸り声がしました。 ラプランドの夫婦は振り返りました。 「あっ……」 白い雪の上に、真っ黒な獣の影が、いくつも見えました。 「狼だっ! 逃げろ!」 夫が叫びました。 数十匹の狼が、ソリの後を追ってくるのです。雪の山では、飢えた狼が四、五十匹でソリを引くトナカイを襲うことが度々あるのでした。 「お前! いいかい! 鞭を力いっぱい振るんだ! 麓まで逃げるんだ!」 ピシリ! ピシリ! 鞭が鳴りました。 トナカイは、狂ったように駆けだしました。トナカイも狼の唸り声を聞いて、危険が迫った事を悟ったのです。 ソリは、雪の上を激しく揺れながら滑っていきました。 奥さんのソリが、こんもりと高い雪の上に乗りあげ、がくんと跳ね上がりました。奥さんの身体が大きく傾きました。そのはずみに、胸に抱いていた赤ちゃんが、腕から離れました。 「ああっ!」 赤ちゃんは、雪の上に投げ出されてしまったのです。 奥さんは悲鳴を上げて、ソリを止めようとしました。けれども狼の足音におびえたトナカイは、長い角を振り立てて、全速力で走り続けました。 「赤ちゃんが。……赤ちゃんが!」 奥さんの叫びを乗せたまま、ソリは雪の斜面を矢のように滑り降りていきました。そして、深い谷へ下っていってしまったのです。 ソリから雪の上に投げ出された赤ん坊は、トナカイの皮にすっぽりと身体を包まれて、小さな顔だけを出していました。 赤ん坊は、雪の上にちょこんと大人しく寝ていました。泣きもせずに、茶色の丸い目で、じっと上を見ていました。 ソリを追って来た狼の群れは、赤ん坊の周りを囲みました。赤ん坊は、ちっとも怖がらずに、可愛い目をみはっていました。 狼たちは、赤ん坊があまりに大人しいので、気味が悪くなったのか、くるりと向きを変えると、ソリを追いかけて行ってしまいました。 雪の山は、しんと静かになりました。 オーロラの炎のカーテンは燃え続け、星は震えながら光りました。赤ん坊は、澄んだ目で、星の光を見つめていました。 空にきらめくたくさんの星も、雪の上にたった一人で横たわっている赤ん坊を、瞬きながら見下ろしました。 空の星は、誰もいない雪の山で、泣きもせずに大人しく寝ているラプランド人の赤ん坊を、とても可哀想に思いました。 星は、赤ん坊を慰めるように、ちかちかと輝きました。やがて、その光は静かに下りてきて、小さな赤ちゃんの目に入りました。赤ちゃんの可愛い丸い目は、星のように光りました。 エナーレの村に住んでいるお百姓のシモンは、クリスマスのご馳走を買いに、雪の山を越えて、遠くの町へ行ってきました。 シモンは酒やニシンや小麦粉や、塩をソリに積んで、夜の雪の山を帰って来ました。クリスマスの朝の礼拝の鐘が鳴る前に村について、三人の子供たちに贈り物をやりたいと、ソリを急がせました。 夜中、雪の山で、シモンは驚いてソリを止めました。 輝く白い雪の上に、トナカイの皮に包まれた小さな赤ん坊が、たった一人横たわっていました。 (この赤ん坊は、一体どうしたんだ) シモンはソリから飛び降りて、赤ん坊を抱き上げました。 「よしよし、よしよし、可愛そうにな……。誰がお前をここに連れてきたんだい……」 シモンは赤ん坊が寝ていた周りの雪を調べました。二台のソリの跡や、たくさんの狼の足跡がありました。 シモンは赤ん坊を、自分のソリに乗せて、村へ帰っていきました。 シモンのソリが家に着いた時、エナーレの教会からクリスマスの朝の礼拝を知らせる鐘の音が響いてきました。 「あっ、父ちゃんだ!」 「父ちゃんが帰って来た!」 シモンの三人の子供たちが、ソリから降りた父親に飛びつきました。 「父ちゃん、お菓子を買ってきてくれた?」 「クリスマスの贈り物は?」 三人の男の子は、父親の上着に飛びついたり、袖を引っ張ったりしました。 「ああ、お土産をいっぱい買ってきたぞ。だが、ちょっと待っておいで……」 シモンは三人の男の子にそう言うと、ソリに乗せて来た赤ん坊を抱き上げて、暖炉の火が赤々と燃えている居間に入りました。 「どうだい、可愛いだろう。この子が、クリスマスの一番素晴らしい贈り物だよ」 シモンは奥さんに赤ん坊を渡して、雪の山で子供を拾った事を話しました。 奥さんは赤ん坊の顔を覗き込んで、 「まあ、可愛い事!」 とにっこりしました。 「髪が黒くて、目が茶色で、ラプランド人の子ですね。一体どうして、そんな夜中に雪の山に落ちていたのでしょうね」 「多分、狼に襲われたソリから落ちたのだろうな。周りにソリや狼の足跡があったから……」 と、シモンは答えました。 「可哀そうに……。うちには女の子がいないから、育ててあげてもいいけれど……。でもラプランド人は、なんだか怖くって……。魔法を使うそうじゃありませんか」 と、奥さんは言いました。 「そんなことがあるもんか! ラプランド人は、寒くて不便な土地に住んでいるから、わしらとは暮らし方やしきたりが違うだけだ。魔法など使うものか。下らない噂を信じてはいけないよ」 と、シモンは言いました。 「そうね。迷信ですわね……。まあ、なんて可愛い子でしょう。いいわ、クリスマスの前の晩に拾われたのも、神様の思し召しかも知れませんね。私達の子供にして、育ててあげましょう」 奥さんは、赤ん坊の身体にまいてあったトナカイの皮を脱がせました。そして、パチパチと薪が燃えている暖炉の側に連れて行って、ミルクを飲ませました。 「今日からお前はうちの子ですよ。お父ちゃんの名前はシモン・ソルサですよ。お母ちゃんはエリザベートだよ。それから、お前のお兄ちゃんたちの名前はシームとパッテとマッテですよ」 シモンの奥さんは、赤ん坊をあやしながら言いました。 シモンの一家は、赤ん坊を連れて教会へ行きました。 シモンは牧師さんに頼みました。 「この子に洗礼を授けてやって下さいまし。町からの帰り道、雪の上で拾った赤ん坊で……。ラプランド人は、不便な所に住んでいるせいか、子供が生まれてもすぐに教会へ連れて行かないそうですからね。この子は、まだ、洗礼を受けていないと思いますんで……」 牧師さんは、シモンの頼みを承知しました。そして、髪の黒い茶色の目をしたラプランド人の赤ん坊に、洗礼を授けました。赤ん坊は、シモンの奥さんの名前をもらってエリザベートと呼ばれることになりました。 牧師さんは洗礼を授ける時、赤ん坊の瞳が星のようにキラキラ光っているのに驚きました。 牧師さんは、式が終わってから、シモン夫婦に言いました。 「星のような目をした子だな。エリザベートよりも『星の娘』と呼んだ方が良いくらいだ」 シモンは嬉しそうに、 「全く、その通りで……。この子の目は、見た事が無いほど綺麗です!」 と言いました。 そばで聞いていたシモンの奥さんは、つまらなそうな顔をしました。――牧師さんは、自分の三人の男の子を今まで一度も褒めてくれたことが無かったからです。 奥さんは、 「牧師様、シームやパッテやマッテの目も、灰色の海のように澄んでいますよ。この赤ん坊が、それほどいい目をしているとは思いません。ちょっと光り過ぎて、猫の目のようですわ。あだ名をつけるなら、猫目ちゃんと呼んだ方が可愛く聞こえます。……でもね、妙なあだ名は付けたくありません。何しろラプランド人ですから……。変なあだ名で呼ばれている内、魔法を使うようになったら困りますわ」 と言いました。 けれども牧師さんは、シモンの奥さんの言葉など気にしないで、 「シモンさんとこの星の娘は、本当にいい子だ」 と、村中の人に話しました。 それで村の人たちも、この赤ん坊を星の娘と呼ぶようになりました。 シモンの奥さんも諦めて、機嫌のいい時は、 「星の娘ちゃんや」 と呼んだりしました。 星の娘は、お父さんやお母さんから可愛がられて、三人の兄さんと一緒に、すくすくと大きくなりました。 星の娘は、とても大人しい子供でした。兄さんに転がされても、おもちゃを取り上げられても、決して泣いたりしませんでした。 いつも喧嘩をするのは三人の男の子たちでした。シームとパッテとマッテは、髪の毛をつかみ合ったり、お菓子を取りっこしたりして、年中、騒いでいました。奥さんはかんしゃくを起こして男の子たちを叱りましたが、星の娘を怒る事はほとんどありませんでした。星の娘が、とてもいい子だったからです。 星の娘が来てから、シモンの家の暮らしは驚くほど楽になりました。 それまでは、狼に羊を取られたり、牝牛がクマに食われたり、畑の野菜が霜でやられたりしましたが、そんな事が全くなくなりました。病気がちだった三人の男の子も元気になり、見違えるほど太りました。 シモンも奥さんも、毎日、機嫌よく暮らしました。いたずらっ子のシームとパッテとマッテも、大人しい小さな妹を可愛がりました。 星の娘がシモンの家へ来てから、三年の月日が流れました。星の娘は三つになりました。 髪の毛は黒々として、茶色の目は、いつも星のように輝いていました。大人しく、優しく、そして明るい心の子でした。 星の娘は、村の他の子供たちと、どことなく違っていました。 村のいたずらっ子が星の娘に石を投げつけても、星の娘は泣きもせずに、悲しそうにその子の顔を見つめるだけでした。すると、いたずらっ子は、自分のやった事が恥ずかしくなって、逃げていきました。 暴れ犬のケティも、わんわん、吠えかかって、噛みつこうとしますが、星のような目で見られると、大人しくなってしまいます。誰でも引っ掻く野良猫も、星の娘に抱かれて喉を鳴らしました。 ある晩、シモンの奥さんが外へ出ると、家の前で星の娘が遊んでいました。 「もう遅いから、お家へお入り」 と、奥さんが声をかけると、星の娘は、 「はあい、母ちゃん」 と、返事をしました。 その時、奥さんは、星の娘の瞳が暗い所でちかちかと光ったような気がしました。まるで夜空に瞬く星のようでした。 奥さんは恐ろしくなって、星の娘の手をぎゅと引っ張ると、家の中へ駈け込みました。 また、ある日の事です。 朝から山に吹雪が荒れていたので、山の向こうへ行く用事があったシモンはイライラしていました。 「吹雪が止んでくれればなあ。これでは用事が済みゃしない……」 星の娘は、不機嫌そうなお父さんを心配そうに見上げていましたが、家の人たちがちょっと目を離したすきに、外へ出ました。星の娘はすぐに戻って来ましたが、山の上で吹き荒れていた吹雪はやんでしまったのです。 シモンはソリの用意をして、急いで山を越えていきました。 奥さんは星の娘が、輝く目で山を見つめて、吹雪を止めたような気がしました。 (あの子の目は、妙な力を持っている……。ラプランド人の魔法かしら……) 奥さんはラプランド人の娘を、自分の子として育てているのが、なんだか気になってきました。 ある日、シモンが馬に乗って隣村へ行きました。奥さんは居間の窓の側に座って、糸車を回しながら、シモンの馬の事を考えていました。 (……あの馬は、左の後足の金靴を落とす癖があるけれど、今日は大丈夫かしら……。鍛冶屋さんから離れたところで、金靴が落ちたら、あの人が困るでしょうねえ……) 奥さんは糸車を回しながら、 (馬の金靴が落ちなければいいけどねえ) と、考えていました。 そばでは、シームとパッテとマッテが、猫のヒゲを切ったり、尻尾を引っ張ったりして遊んでいました。 星の娘は、部屋の隅の小さな椅子にまたがって、 「走れ! 走れ!」 とお馬ごっこをしていました。 奥さんが、シモンの馬の金靴の事を心配していた時です。 星の娘は、自分のまたがっている椅子に向かって、 「後足の金靴を落としちゃだめよ。母ちゃんが心配しているからね!」 と言いました。 奥さんは顔色を変えました。 「お、お、お前は、どうして、そんなことが分かるんだい!」 奥さんは、険しい顔をして訊きました。 「母ちゃんが、馬の金靴の事を考えてるのが、どうして分かったの、お前は!」 「だって、あたし、見えちゃったもの。母ちゃん」 星の娘は、輝く目で母親を見つめて、嬉しそうに言いました。 「母ちゃん、父ちゃんの馬が、金靴を落とさなければいいわねえ」 「何を言うんだよ、この子は!」 奥さんは身震いして立ち上がりました。 「おう、嫌だ! この子の目は、人の心まで見透かしてしまう。こんな子と一緒に暮らすのはごめんだよ!」 奥さんは、すがりつきそうな目で自分を見つめている星の娘に向かって、 「そんな目で母ちゃんを見るんじゃない! 向こうをお向き!」 と、怒鳴りました。 星の娘は、泣きそうな顔をしてうつむきました。 それを見ると、シモンの奥さんは自分が怒鳴った事を恥ずかしく思いました。 奥さんは、星の娘の髪をなでながら、 「泣くんじゃないよ。母ちゃんが悪かったね……。お前は母ちゃんの可愛い娘だもの、ラプランド人に生まれたのは、お前のせいじゃないよねえ」 と、言いました。 けれども、それからまたしばらくして、シモンの奥さんを、酷く気味悪がらせる事が起こりました。 ある夕方、旅の男がシモンの家の前を通りかかり、一晩、泊めてもらいたいと頼みました。シモンは男を家へ入れて、奥さんにベッドの用意をさせました。 あくる朝、シモン夫婦が目を覚ますと、暖炉の上に置いてあった奥さんの指輪が見えませんでした。 シモンと奥さんは、暖炉の灰の中まで探しましたが、見つからないので、泊めてやった旅の男に訊きました。 「あんたは暖炉の上に置いてあった指輪を知りませんかね」 「何だって! 変な事を聞くじゃないか。オレが指輪を盗ったと言うのか!」 旅の男を、自分の荷物をシモン夫婦の前に投げ出して怒鳴りました。 「さあ、調べてくれ。オレの服でもズボンでも、捜すがいいや。だがな、指輪が無かったらどうしてくれるんだ」 シモン夫婦は、男の荷物や服を調べましたが、指輪は出てきませんでした。 その時、星の娘は、旅の男の顔を不思議そうに見上げながら訊きました。 「おじちゃん、どうして口の中に指輪をしまっておくの!」 男は慌てて口から指輪を吐き出しました。旅の男は盗んだ指輪を口の中に隠しておいたのでした。 指輪は無事に戻りましたが、シモンの奥さんは、ますます星の娘を気味悪く思いました。 (……あんなに何もかも見抜くのは、ラプランドの魔法に違いない。ああ、ラプランド人の子なんか育てるんじゃなかった……) 今まで、三人の男の子と同じくらい可愛く思った星の娘が、急に嫌いになりました。 けれども、奥さんは自分の気持ちをシモンには話しませんでした。 シモンはラプランド人が魔法を使う噂など信じていないので、奥さんの心配を聞いても、馬鹿にして笑うだけだろうと思ったからです。 星の娘がシモンの家へ来てから、三年目の冬が来ました。 シモンはソリに乗って、何日もかかる旅に出ました。クリスマスの前に家へ帰ってくるはずでした。 その留守中に、パッテがはしかにかかりました。 奥さんはエナーレの教会の牧師さんを家へ連れてきて、パッテの病気を見てもらいました。お医者のいない村では、牧師さんが病人の手当てをしてくれるのでした。 パッテのはしかは軽く済みそうでした。牧師さんが帰る支度を始めた時、シモンの奥さんは、 (牧師様にお礼をあげなければならないけれど、何をやったらいいだろうねえ……。そうそう、戸棚に塩鮭が二匹しまってあるから、その中の一匹をあげよう。大きいのと小さいのと、どちらにしようかね……) と、考えました。 奥さんは、牧師さんを横目でチラチラ見ながら、大きい鮭をやった方がいいか、小さい方にしようかと、ちょっとのあいだ迷いました。 (そうだわ……。大きい鮭はクリスマスのご馳走にとっておきたいから、小さいのにしよう) 奥さんは小さい鮭をやることに決めて、戸棚を開けました。 その時、星の娘は、部屋の隅で遊んでいました。ほうきやはけを、牧師さんと病気の兄さんの代わりにして、お医者ごっこをしていました。 星の娘は、シモンの奥さんが小さい鮭をやろうと決心して戸棚を開けた時に、楽しそうに大きな声で言いました。 「牧師様には大きい鮭より小さい鮭をあげましょうね。だって、大きい鮭は、クリスマスのご馳走にとっておくのよ」 戸棚から小さい鮭を出していたシモンの奥さんは真っ赤になりました。奥さんは牧師さんに、どぎまぎしながらお礼を言って、小さな鮭を渡しました。 牧師さんが帰ってから、シモンの奥さんはかんしゃくを爆発させました。 「この恩知らずめ! お前を育ててやった母ちゃんに、恥をかかせていいのかい! その目が悪いんだ! 人の秘密を見抜く魔法の目がいけないんだ! ラプランドの魔法使いめ!」 奥さんは部屋の隅の床板を跳ね上げ、下の穴倉に星の娘を突き飛ばしました。 「そこに入っておいで! もう、上がって来るんじゃないよ。お前と一緒にいると、こっちの命が縮まりそうだよ」 シモンの奥さんは穴倉の戸をバタンと閉めてしまいました。 星の娘は暗い穴倉の中で、じっとしていました。泣いたりしませんでした。優しい母ちゃんが、自分を酷い目に遭わせるはずがないと思っていました。母ちゃんは怒っても、またご機嫌がよくなるでしょう。だから、穴倉の中でじっと大人しくしていましょうと、幼い心で考えました。 シモンの奥さんは、悪い人ではありませんでした。けれども迷信深いので、ラプランド人の魔法が怖くてたまらなかったのでした。 奥さんは、穴倉に娘の寝床を作りました。風邪をひかないように服を着せ、食事も十分にやりました。 けれども、星の娘を穴倉から出そうとはしませんでした。星の娘の何もかも見通す目が怖かったからです。 星の娘は、穴倉の中で一人で遊んでいました。穴倉にあったガラクタの中から、遊び相手を選びました。棒切れや、壊れたお鍋や、口の欠けた土瓶や、古い糸巻きでした。 「棒切れは父ちゃんよ。お鍋は母ちゃんよ。土瓶と、糸巻きと、板切れは兄ちゃん……」 星の娘は独り言を言いながら、空き箱にお鍋や土瓶や板切れなどを入れました。 「父ちゃんは旅に出ているのよ。だから、箱のおうちにはいないのよ」 星の娘は、棒切れの父ちゃんを箱から離したところに置きました。 「母ちゃんと兄ちゃんに、あたし、歌を歌ってあげるわ」 星の娘は、空き箱をゆすぶりながら、歌を歌いました。 それを聞いているのは、穴倉のネズミだけでした。 優しいシモンは、その頃、遠い土地を旅していました。 クリスマスの前の日になりました。 シモンの三人の男の子は、明日は父ちゃんが帰ってくると言うので、はしゃぎまわっていました。星の娘は穴倉の中で、土瓶や棒切れを相手にして、遊んでいました。 シモンの奥さんは、暖炉の側に座ってショールを編んでいました。 昼過ぎ、隣の家のムーラおばさんが来て、世間話を始めました。 ムーラおばさんはラプランド人が、恐ろしい魔法を使った噂をしました。 その後、ムーラおばさんは部屋の中を見回して、 「ところで、あんたの家のラプランドの娘の姿が見えないじゃないの。どこへ行ったのさ」 と、訊きました。 シモンの奥さんは、 「床下の穴倉に入れてあるんだよ。私、気味が悪くてねえ……」 と言って星の娘が、何でも見通してしまうのが、嫌でたまらないと愚痴をこぼしました。 「ラプランドの魔法に違いないよ」 と、ムーラおばさんは言いました。 「小さな子供でも魔法を使うんだから、ラプランド人は恐ろしいよ。あんたはよくあの子を育てたわねえ」 その時、穴倉から、星の娘の歌う声が聞こえてきました。 「あの子は何をしているんだい」 と、ムーラおばさんが訊きました。 「ままごとをしているのさ。鍋や棒切れに、歌を聞かせて喜んでいるのさ」 と、シモンの奥さんはつまらなそうに言いました。 「ちょっと、あの歌の文句をお聞きよ」 ムーラおばさんが、シモンの奥さんの膝をつつきました。 母ちゃんはショールを 編んでるの シームはお金を いじってる パッテはレンガを カアンカン マッテは子猫と ニャアンニャン あたしは糸巻き 寝かせてる お日様キラキラ いい天気 「ちょっと、ちょっと、あの子は穴倉にいても、上の事が分かるんだね」 ムーラおばさんは目を丸くしました。歌の文句の通り、シモンの奥さんはショールを編みながらムーラと話していたのだし、シームはお金を弄っていました。パッテはレンガを叩き、マッテは猫の尻尾を引っ張っていたのです。家の外には太陽が輝いていました。 「何て怖い目だろう。床板を通してお日様が照ってることまで分かるんだから……」 ムーラおばさんは、大げさに身震いしてみせました。 「ああ、恐ろしい。あんたは魔法使いと一緒に暮らしているんだね。私なら、あんな子は一日も家に置いとかないよ」 と、ムーラおばさんは言いました。 「だから、嫌でたまらないんだよ」 シモンの奥さんは顔をしかめました。 「でもね、うちの人があの子を可愛がっているから、追い出すことも出来ないんだよ」 「じゃあ、こうしたらどう。あの子に目隠しをするんだよ。薄い布ではだめ。厚いのをね。そして、一枚では見通してしまうから、七枚あててごらん。穴倉の蓋の上にも、毛布を七枚重ねるんだよ。そうすれば、いくら魔法の目でも、見えなくなるだろうよ」 ムーラおばさんが勧めるので、シモンの奥さんは布を七枚用意し、穴倉へ降りていきました。 「いいかい、母ちゃんが外してあげるまで、目隠しを取ってはいけないよ」 シモンの奥さんは、七枚の布を星の娘の目にあてて、後ろでしっかりと縛りました。 それから穴倉の入り口の床板の上に、七枚の毛布を重ねました。 「魔法の目でも、これで見通すことが出来ないだろうよ」 ムーラおばさんは、意地悪そうにニヤニヤしました。 夕方になって、空には星が輝き始めました。虹のような二つのオーロラが、山にかかりました。 「話し込んでいる内に、日が暮れてしまったわ。クリスマスのご馳走を用意しなくちゃ」 ムーラおばさんは慌てて立ち上がりました。 その時、穴倉から、星の娘の歌が聞こえてきました。 お山の上に オーロラ二つ そばでお星さま きいらきら 赤いオーロラ こんばんは 空のお星さま こんばんは 明日は楽しい クリスマス 「ちょっと、あの子は山の上に、赤いオーロラが二つかかって、そばに星が光っていることが分かるんだよ。ああ、恐ろしい!」 ムーラが叫びました。 「あの子、目隠しを取ったのかも知れないわ。見てこよう」 シモンの奥さんは七枚の毛布をあげて、穴倉へ降りていきました。 星の娘は七枚の目隠しを取らずに遊んでいました。 「お前、目隠しを外さなかったかい?」 と、奥さんは聞きました。 「母ちゃん、あたし、この布とらなかったわよ」 星の娘は無邪気に答えました。 「お前、山の上にオーロラがかかっているのが見えるの?」 と、シモンの奥さんは震え声で聞きました。 「赤いオーロラはとても綺麗ね。二つ並んだ虹みたい……。母ちゃん、明日はクリスマスね。父ちゃんが帰ってくるのね」 目隠しをされたまま、星の娘はにっこりしました。 奥さんは穴倉から這い出ると、床にぺたんと座り込みました。 「もう、恐ろしくて、どうしていいか分からない……。あの子の目は、七枚の布と七枚の毛布を通しても外が見えるんだよ。あたしは気が狂いそうだよ」 シモンの奥さんが泣き声をあげると、ムーラおばさんが言いました。 「私なら、深い穴を掘ってあの子を埋めてしまうね。上からどっさり土をかけてね。あんたも、そうしたらどう?」 「うちの人に怒られるわ。うちの人はラプランド人の魔法を信じていないんだから……。あの子の目が何でも見通せるのは、星のように綺麗な心を持っているからだなんて言うんだよ」 シモンの奥さんはタメ息をつきました。ムーラおばさんが言いました。 「でも、あの子は放ってはおけないよ。大きくなったらもっと恐ろしい魔法を使うようになるかもしれないから……。今の内に追い払った方がいいね。こうしたらどう? あの子が元居たところへ帰してやったら……」 「私達は、あの子がラプランド人という事は分かっていても、どこで生まれたのか知らないんだよ」 「大丈夫。私に任せておくれ。元の所へ帰してやるから……」 「ムーラおばさん、もし、そう出来たら助かるわ」 「そうともさ。シモンさんも文句を言えないだろう。元の場所へ戻せば……」 ムーラおばさんは、星の娘を穴倉から連れてきました。 そして、三年前、星の娘が拾われた時、包まれていたトナカイの皮で、身体をぐるぐる巻きました。 「さあ、お前を三年前と同じようにしてやったよ。そして、三年前と同じ所へ帰してやるよ」 ムーラおばさんは、星の娘を抱いて、山へ登っていきました。 山は深い雪に覆われていました。 ムーラおばさんは、トナカイの皮で包んだ星の娘を雪の上に寝かせました。 「お前は、ここに居たんだからね。元の所に、大人しくしておいで……」 ムーラおばさんは身動きできない星の娘を山に置き去りにして、家へ戻りました。 星の娘は、トナカイの皮に包まれて、三年前と同じように雪の上に横たわっていました。星の娘はつぶらな茶色の目で、空の星を見上げました。その目には、シモンの奥さんやムーラおばさんを恨む色は、少しもありませんでした。 空の星は瞬きながら、可哀想な子供を見下ろしました。星は三年前と同じように、優しくちかちかと震えていました。その美しい光が、星の娘の二つの瞳に映りました。 すると、星の娘の目は、前よりももっともっと輝き、遠くのものまで見通すことが出来るようになりました。 星の娘は、遥か彼方の神様の国を眺めました。そこでは、白い翼の天使が神様を褒め称えながら、ひらひらと飛び回っていました。 オーロラは炎のように燃え、星の娘の横たわる山の上に、美しい光の虹をかけました。 エナーレの教会のクリスマスの礼拝の鐘が鳴る前に、シモンが旅から帰って来ました。朝早いので、子供たちはまだ眠っていました。 シモンはソリから降りると、髪にかかった霜を落とし、白い息を吐きながら、 「子供たちは元気かい?」 と、奥さんに訊きました。 「パッテがはしかにかかったけれど、牧師様に手当てして頂いたので、軽く済みましたよ。子供たちは三人とも、パン菓子のように太っていますわ」 と、奥さんは答えました。 「星の娘はどうだい」 と、シモンが訊きました。 「あの子も変わりがありませんよ」 と、奥さんは答えました。 奥さんは星の娘を追い出した事を気にしていました。後で訳を話して謝ろうと思っていましたが、旅から帰ったばかりのシモンに、嫌な事を聞かせたくなかったので、つい、嘘をついてしまいました。 シモンは居間に入りながら、 「それは良かった……。わしは旅をしている間、何となく星の娘の事が気になってね……。夕べもソリを走らせながら、うとうと眠ってしまったが、その時、不思議な夢を見たのだよ。空の星が一つ、すうっと落ちてきて、わしのひざ掛けの上に乗った。そして、こんな声が聞こえた……。『私を拾って下さった方には、神様のお恵みがあるでしょう』とな。わしは考えた。あの子がうちに来てから、わしらには神様のお恵みがたくさんあった事をな。あの子が来るまでは、牝牛は熊に取られるし、羊は狼にさらわれた。畑の野菜は霜にやられ、子供たちは病気ばかりしてろくなことが無かった……。ところがあの子が来てからは、良い事ばかりだ。あの子を拾って育てていることを、神様が喜んで下さるからだろう。わしらはこれからも、星の娘を大事にしなければならないよ。あの子の目が星のように輝いて、何でも見通せるのは、とてもきれいな心を持っているからだよ」 シモンの奥さんは、鋭いナイフで胸をぎりぎりとえぐられているような気がしました。本当に星の娘が来てから、シモン一家はとても幸せになったのです! 奥さんは星の娘をムーラに渡したことが、ますます言いにくくなりました。 父親の声に目を覚ました子供たちが起きてきて、にぎやかに飛びつきました。 「あっ、父ちゃんだ!」 「お帰りなさあい!」 シモンは子供たちの頭をなでながら、 「星の娘はどうしたんだい。珍しくお寝坊だな」 と言いました。 「星の娘はうちにいないよ。母ちゃんがムーラおばさんにやっちゃったから」 と、シームが言いました。 「母ちゃんは星の娘を穴倉に入れて、七枚の布で目隠ししたよ。それから穴倉の入り口に、毛布を七枚敷いたんだ」 と、パッテが言いました。今度はマッテが、 「その後、母ちゃんは星の娘をムーラおばさんにやっちゃったの。ムーラおばさんは星の娘を、山へ連れてったよ」 と、教えました。 シモンは顔を真っ赤にして立ち上がりました。奥さんは真っ青になりました。 「後でわけを話そうと思ったんですよ。あんた。あの子は人の心の奥まで見抜いて……。ラプランドの魔法を使うんですもの」 奥さんは震えながら言いました。 シモンは奥さんの身体を突き飛ばして、家の外へ走り出ました。とても疲れていましたが、馬小屋に行って、馬にソリを付け、ムーラの家まで走っていきました。 「あの子をどこへやったんだ。悪魔のような奴め! 案内しろっ!」 シモンはムーラを自分のソリに引きずり込みました。それから鞭をビュウビュウ振り回して、山の方へ急ぎました。 山に着くと、ソリを降りて、スキーを付けました。ムーラにもスキーを履かせました。 シモンの剣幕に驚いたムーラは、びくびくしながら雪の割れ目を越えて滑っていきました。 「ここらに、あの子を置いたのだけれどねえ……」 と、山の上の深く雪の積もったところを指さしました。 そこには星の娘の姿は見えませんでした。シモンは目を皿のようにして、周りを調べました。雪の上には星の娘が寝ていたらしい、微かな窪みがありました。けれどもトナカイの皮に包まれた子供を見つけ出すことは出来ませんでした。 シモンはそこらじゅうを捜し回りましたが、窪みの側にうっすらとスキーの跡があるのが見つかっただけでした。 シモンはがっかりして、山を下りかけました。すると、うしろで、 ぎゃあっ! と悲鳴が上がりました。 シモンよりもだいぶ遅れて滑っていたムーラが、数十匹の狼に襲われたのです。 シモンは急いで引き返しました。しかし、そこへ着いた時、ムーラも狼の群れも見えませんでした。 シモンは震えながら、村へ帰りました。エナーレの教会の朝のお祈りを知らせる鐘が鳴り終わったところでした。 家へ着くと、シモンの奥さんが泣き叫んでいました。餌をやりに行ってみると、羊小屋の羊が全滅していたのです。羊小屋が、昨夜、狼に襲われたのでした。 シモンは悲しみをこらえて言いました。 「みんな揃って教会へ行こう。わしらは疑う事を知らない優しい娘に、とんでもない事をしてしまったのだ。神様の罰を受けても仕方がない。さあ、神様にお詫びしてこよう!」 星の娘は、どこへ行ったのでしょうか――。 酷い目に遭わされても、誰も恨まずに、汚れない目で空の星を見上げていたラプランドの子供は、どこへ行ったのでしょう――。 星の娘が寝ていた窪みの近くに、スキーの跡があった事から考えると、親切な人が拾い上げて、家へ連れて帰ったのかも知れません。――三年前に、シモンがそうしたように――。 星の娘は、優しい心の人に助けられて、きっと幸せに暮らしているのでしょう。そして、澄み切った目で、この世の人々を見つめ、美しい神の国まで見通しているのでしょう。 おしまい 戻る |