ほら男爵の冒険


                    ☆

 吾輩(ミュンヒハウゼン男爵)は、ロシア旅行に出かけるのに、わざわざ冬の最中を選んだ。
 北ドイツからポーランド、クールランド、リーフランドを通っていく道はごつごつした酷い物だと聞いているが、今なら雪や氷で固まって、きっと楽な旅行が出来るだろう、と考えたからだ。
 吾輩は馬で出かけた。馬と乗り手さえ良ければ、旅行は馬の旅に限る。
 馬車の駅で、足元に付け込まれて高い料金をふんだくられることも無いし、馬車が飲み屋の前を通るたびに、飲んべえの御者に引きずり込まれて酒をねだられる心配もないではないか。
 このように、万事手抜かりは無かったが、身軽な服装をしてきたことは失敗だった。北東へ進むにつれて、寒さが厳しくなって、吾輩は馬の上でガタガタブルブル震えていた。
 ところがもっと酷いのがいた。
 冷たい北風がビュービュー吹きまくるポーランドの荒れ果てた草原に、穴だらけのぼろをまとった貧しい老人が横たわっているのに出会ったのだ。
「気の毒に」
 吾輩は、自分の寒さも忘れて、さっそく旅行外套を脱いで、老人の上に投げかけてやった。
 すると、突然天から、
「立派な行いじゃ。今にきっといい報いがあろうぞ」
 という声が響いてきた。神が吾輩の愛の心に感じたのに違いない。
 それには構わず、吾輩は馬を進めたが、やがて日は暮れ、雪は降りしきる。泊まろうと思っても人家の明かり一つ見えない。吾輩は、仕方なしに野宿する事に決めた。
 雪の中からにょっきりと突き出ている、先のとがった杭のようなものに馬をつなぐと、護身用のピストルを小脇に抱えて雪の上に寝転がった。
 朝になって目を覚まして、吾輩は驚いた。なんと、村の教会の庭に寝ているではないか。おまけに馬の姿も見えないのだ。
(しまった。眠っている間に盗まれたか)
 と思った瞬間、

 ヒヒヒーン!

 おや、頭の上の方で馬のいななきが聞こえる。寝ぼけ眼で見上げて、
「ひゃーっ」


 吾輩はまたまた驚いた。教会の塔の十字架に、吾輩の馬が縛り付けられて、ぶら下がっているではないか。間もなく、吾輩はやっと訳が分かった。
 雪があまり深く積もって、家も高い木も隠れてしまい、吾輩が暗闇の中で杭だと思って馬をつないだのは、教会の塔の上の十字架だったのだ。
 ところが夜のうちに気温が上がって、雪がどんどん溶けたので、吾輩の身体もそれにつれて地面におろされた、という次第である。
 それはさておき、塔の上の馬を放ってはおけない。そこで吾輩は、
「今、助けてやるぞ」
 と、ピストルで馬の手綱を狙って、

 ズドーン!

 弾は見事に命中して、馬は真っ逆さま、と思ったら、空中で一回転してぽんと地面に立った。さすがに吾輩の馬だけの事はある。
 吾輩は、再び旅を続けてロシアに入った。
 ところがこの国では、冬に馬にまたがって旅行する習わしが無いという事なので、“郷に入りては郷に従え”という吾輩の主義に従って、一台の小さなそりを買って馬に引かせることにした。そしてそれに乗って、いい気持ちでロシアの都ペテルブルク市さして急いだ。
 さて、エストランドだったか、インゲルマンランドだったか覚えていないが、恐ろしい森の真っただ中を突っ走っていた時だった。
 ふと、後ろを振り返った吾輩は、ぞっとした。ランランと目を光らせた一匹の狼が、舌なめずりをして追いかけてくるのだ。
「おのれ」
 吾輩は慌てて腰のピストルを取ろうとしたが、もう遅い。瞬く間に追いついた狼は、吾輩目がけてジャンプいちばん、

 ウォーッ!

 もはや絶体絶命。吾輩は、咄嗟にそりの中に身を伏せると、途端に、

 ヒヒヒーン!

 馬の悲鳴が聞こえた。
「おかしいぞ」
 と、恐る恐る顔をあげて見ると、こりゃどうじゃ、狼の奴、吾輩の身体を乗り越えて馬に飛びかかり、尻の肉をむしゃむしゃ食っているではないか。
 馬には気の毒だが、どうする事も出来ない。ハラハラして見ていると、狼はあっと言う間に馬の尻から腹にかけて肉を平らげ、自分の身体を馬の身体にめり込ませてしまった。つまり、馬の皮を被った狼が出来上がった訳だ。
 吾輩は、その狼に力いっぱい鞭をくれた。

 ウォーッ!

 驚いた狼は気が狂ったように走りだした。その速いこと、速いこと。吾輩は、まるで宙を飛んでいるみたいだった。
 こうして無事にペテルブルク市に到着すると、驚いたのは市民たちだ。
「狼を生け捕りにしたばかりか、馬の皮をかぶせてそりを引かせるとは……」
「知勇を兼ね備えた英雄とは、君の事だ」
 吾輩はほめそやされた挙句、最高の礼を持って軍隊に迎えられることになった。
 軍隊に努めるようになるまで二、三か月あったが、その間、吾輩はいたるところで歓迎攻めにあって、日夜カルタ遊びに宴会に、身体がいくつあっても足りない忙しさだった。
 ロシアの人は酒が強い。気候が寒いので、身体を温めるために飲む習わしだから、こうなったのだろう。いくら飲んでも、なかなか酔わない。
 中でも、吾輩が特に感心したのはよく宴会で一緒になる老将軍だった。赤銅色の顔にごましお髭をピンとはやしたこの歴戦の勇士は、トルコ戦争で頭蓋骨の上半分をなくしたので、いつも帽子をかぶったままだったが、新しいお客が入ってくると、身分の隔てなく、
「帽子をかぶったままで失礼させて頂きます」
 と、丁寧にあいさつをした。
 そして、食事の間に、いつもぶどう酒を二、三本からにする。さらに締めくくりのように、強いコニャックを数杯飲むのだが、いつも酔った様子もなく、けろっとしているのだ。
 そんな馬鹿な事が、と諸君はおっしゃるだろう。ごもっともだ。この目で見た吾輩だって、信じられなかったのだから。
(これは、何か秘密があるぞ)
 吾輩は興味を持った。
 しかし、老将軍に聞くのも失礼と、ひそかに観察している内に、ある日、やっとその謎を解くカギを見つけた。
 老将軍は、ときどき帽子をちょっと持ち上げる癖があった。いや、癖と言えるかどうか。誰だって帽子をかぶって酒を飲めば、頭が火照るから風を入れたくなるのだろう。
 ところが老将軍は実に用心深く帽子を持ち上げるのだ。吾輩の目を付けたのはここだ。
 そこで、例によって老将軍が帽子を持ち上げる拍子に、床に落としたハンカチを拾うふりをして、帽子の内側を覗いてみて、
(な、なあるほど)
 吾輩の謎はたちまち解けた。
 老将軍は、頭の銀の板ごと帽子を持ち上げていたのだ。銀の板とは、頭蓋骨の代わりに頭の蓋をしている物だ。
 それを持ち上げるたびに、老将軍の飲んだ酒は蒸気になって、ふわりふわりと出ていくのだから、いくら飲んでも酔う訳が無い。


 吾輩は、さっそくこの新発見を周りの連中に発表したが、
「馬鹿馬鹿しい」
「下らぬたわ言はよせ」
 と、まるっきり信用してくれない。
「よし。では証明してやるから驚くな」
 吾輩は、こっそり老将軍の後ろに回った。そして、老将軍がまたもや帽子を持ち上げた拍子に、手に持っていたパイプの火を立ち上る蒸気に近づけた。すると蒸気はたちまち世にも美しい青い炎になって、老将軍の頭の周りに輝いた。
「な、なんという無礼な」
 気が付いた老将軍は真っ赤になって怒りだしたが、吾輩がすかさず、
「お怒りになる事はありません。将軍の頭の後光は、どんな聖者よりも気高く立派です」
 と言うと、老将軍はたちまち機嫌を直した。そして、その実験を何べんもやらせてくれた。

                    ☆

 吾輩は、こうした愉快な出来事に数々巡り合ったが、それよりも、もっと奇抜でもっと面白い狩りの話をしよう。
 ある朝の事だ。ベッドから起き上がった吾輩は、部屋の空気を入れ替えようと、窓を開けた途端、
「こいつは凄い」
 と、思わずうなった。
 近くの池に、数知れないほどのカモの群れが集まっているのだ。
「眠気覚ましに、カモ狩りといくか」
 吾輩は、鉄砲を取るより早く、飛ぶように階段を駆け下りたが、あまり急いだので、不注意にも戸口の柱にしたたかおでこをぶっつけた。
「いたたた」
 目から火が出た。
 しかし、そんな事は構っていられない。池のほとりに駆け付けた吾輩は、胸を躍らせてカモに狙いを付けたが、
「しまった」
 何というそそっかしさだ。鉄砲の発火石が無い。さっき柱にぶつかった時、どこかへ飛ばしてしまったらしいのだ。
「これは弱った」
 さすがの吾輩も途方にくれた。いくら吾輩が鉄砲の名人でも、発火石が無くてはどうにもならない。もちろん、家へ取りに行く暇もない。どうしよう。
 瞬間、吾輩は、さっき目から飛び出した火花を思い出して、
「そうだ」
 とにっこりした。そして、カモに狙いをつけておいて、げんこつで力いっぱい自分のおでこを殴りつけ、ぱっと飛び散る火花を利用して引き金を引いた。
 ズドーン、ぱたり。
 ズドーン、ぱたり。
 そのたびに吾輩のおでこにはこぶの数が増えたが、五つがいのカモ、四羽の赤首ガモ、一つがいのバン(沼や湖の水辺に生息するクイナ科の渡り鳥)を仕留めることが出来た。これと言うのも、全て吾輩の頭の良さによるものである。
 そんなことがあって、ある日、吾輩が狩りをしての帰り道だった。とある湖のほとりまで来ると、またまた何十羽というのがもの群れを発見した。
 しかし、吾輩は残念ながら、狩りに弾を使い果たして、もう一発しかない。あわよくば、全部を仕留めて今夜は友達を呼んで大パーティーでも開きたいと思ったのだが、これではどうしようもない。
 ガッカリしている内に、吾輩は弾を使わずに野ガモを残らず捕まえる方法を思いついた。種は弁当の残りのハムの脂身一切れである。
 吾輩は、犬の首から綱を外すと、それを丹念にほぐして四倍ぐらいの長さのひもを作り、その先に脂身を結わえ付けた。そして、それを水上に放り投げると、吾輩は水際の葦の茂みに隠れた。
 さて、様子はいかにと見ていると、早くも脂身を見つけた野ガモの一羽がぱくりと飲んだ。
「しめ、しめ」
 吾輩がほくそ笑んでいる内に、すべっこい脂身は、野ガモの腹の中をつるつると抜けて、尻から出た。
 すると、それを見つけたほかの野ガモがぱくりとやったが、また、尻からつるり。それをまた、他の野ガモがぱくりという訳で、
 ぱくり、つるり。
 ぱくり、つるり。
 紐のくっついた脂身は、次々に野ガモのお腹をくぐり抜けて、たちまち数珠のように野ガモが繋がってしまった。
 吾輩は、それを大事にたぐり寄せると、紐を身体に巻き付けて、ゆうゆうと我が家に向かった。
 ところが途中まで来ると、吾輩の背中で気を失っていた野ガモたちが正気を取り戻して、いっせいに羽ばたいたから大変だ。
「あっ!」
 叫んだ時には、吾輩の身体は野ガモにぴっぱられて空中高く舞い上がっていた。


 これが普通の人間だったら青くなって悲鳴を上げるところだろうが、吾輩は平気だった。いや、
「足がくたびれていた所だから、ちょうど良かった」
 と、野ガモに感謝したくらいだ。
 しかし、放っておけば、どこへ連れられて行くか分からないので、我が家の方へ飛んでいくようにと、上着の裾でうまくかじを取った。
 そして、我が家の真上に来たと見るや、野ガモの頭を次々に押し付けた。すると、ふわりふわりと下に下がって、煙突を抜けてかまどの上に乗っかった。
「きゃーっ」
 ちょうど火をつけかけていた料理番がたまげて、腰を抜かした。いや、吾輩もたまげた。もう少しで野ガモもろとも焼き鳥にされるところだった。
 これに似た方法で、数羽のシャコを仕留めたこともある。
 ある日、吾輩は新しい銃を試しに出かけ、少しばかり持って行ったバラ弾をすっかり使ってしまった。こういう時に限って、獲物が現れるから不思議だ。とたんに吾輩の足元から、ぱっとシャコの一群が飛び立つではないか。
(あれを二、三羽撃ち取って、夕飯のおかずにしたいものだ)
 と思った時、またも吾輩の頭に名案が浮かんだ。
 銃に弾が無くなった時、諸君にもこの手をお勧めしたい。
 さて、吾輩は、シャコの降りた場所を見極めると、銃に火薬を詰め、バラ弾の代わりに、銃身を掃除するのに使う細長い鉄棒の先をとがらせて込めた。
 用意が出来ると、吾輩は、シャコのいる場所に小石を投げ、驚いたシャコたちが飛び立った途端に引き金を引いた。
 狙いは過たず、バラ弾代わりの細い鉄の棒に七羽のシャコが、焼いて食べて下さいとばかりに串刺しになって落ちて来た。


 ことわざに“窮すれば通ず”と言う言葉があるが、人間、どんなに困っても開ける道はあるものだ。
 また、ある時吾輩はロシアの大きな森で、見事な黒ギツネに出くわしたことがある。途端に吾輩は故国に残してきた妻が、かねがねキツネの襟巻を欲しがっていたことを思い出した。
(よーし、こいつを仕留めて、皮を土産にしよう)
 吾輩は妻の喜ぶ顔を想像しながら銃の引き金に指をかけたが、途端にこの貴重な毛皮に弾で穴をあけるのが惜しくなった。どんな立派な毛皮でも、穴が空いていては値打ちは半減する。
 そこで吾輩は、さっそく銃身から弾を抜いて、代わりに一本の釘を詰めた。そして黒ギツネの尻尾を狙ってズドンと一発、木の幹に尻尾を釘付けにした。
 そして吾輩はゆうゆうと近寄って、ナイフで黒ギツネの顔に十の字型に傷をつけた。
 さて、これからが吾輩の頭のいい所だ。静かに食料袋から肉切れを取り出すと、棒の先に突き刺して、
「さあ、食いたまえ」
 と、黒ギツネの鼻先一メートルぐらいのところに差し出した。
 食べたいけれども、口の届かぬもどかしさに、黒ギツネはいらいらしていたが、その内にたまらなくなったのか、

 コーン

 と、ひと声。顔の傷口から裸で飛び出して、肉にかぶりついた。もちろん、後には傷一つない美しい毛皮だけが残ったという訳だ。偶然と幸運とが、失敗を償ってくれることはよくあるが、黒ギツネの事件のすぐ後、吾輩は次のような一例にぶつかった。
 吾輩は深い森の中で、イノシシの子と母親らしい雌のイノシシが、ぴったり前後にくっついてかけてくるのを発見した。
「よき獲物、ござんなされ」
 とばかり、吾輩は銃をぶっ放したが、弾は外れた。
 その音に驚いて、前にいたイノシシの子は一散に駆けだしたが、雌の方は立ち止まったまま身動きもしない。
 怪訝に思ってよくよく見ると、この雌のイノシシは盲目で口にイノシシの子の尻尾の切れ端をくわえているではないか。
 イノシシの子は、自分の尻尾を盲目の母親にくわえさせて道案内をしていたのだが、吾輩のはずれ弾がその尻尾の中ほどを切ってしまったので、母親は立ち止まるよりしようがなかったのだ。何という美しい母子の愛情だ。吾輩は、思わずほろり。
「ああ、弾が当たらなくて良かった」
 と、ほっと胸をなでおろした。負け惜しみではない。親子のどちらに弾が当たったにしろ、一生、残酷な人間と恨まれたに違いない。
 吾輩は、親子のイノシシの幸福を祈りながら山を降りた。
 しかし、どのイノシシもこんなに優しい動物だと思ったら大間違いだ。
 ある時吾輩は、またも森の中で、子牛ほどもある猛々しい雄のイノシシに襲われた。
 突然の事で銃を構える暇もない。吾輩は、大きな木の陰に逃げ込むのがやっとだったが、イノシシは情け容赦もあらばこそ、牙を唸らせて突進してくる。
「もう駄目だ」
 吾輩は観念の目を閉じた。すると、その途端、

 ズシーン!

 大きな物音と共に、足元がグラグラと揺れた。驚いて顔をあげると、ありゃりゃ、イノシシの奴、なんと牙を木の幹に打ち込んで、ジタバタもがいているではないか。
「しめた!」
 吾輩は躍り上がって喜ぶと、さっそく石で叩いて牙をひん曲げ、逃げられないようにしておいて、我が家へ手押し車を取りに走ったという訳だ。
 言わば怪我の功名だが、吾輩ぐらいの豪傑になると、いくら説明しても誰も信じてはくれない。
「嘘おっしゃい。取っ組み合いをして生け捕りにしたんでしょう」
「そうとも、そうとも。それを威張りもせずに謙遜するとは、なんと奥ゆかしい方だ」
 吾輩は、くすぐったくて困った。
 さて、諸君は、きっと狩人や鉄砲撃ちの守り神、聖フーベルトウスが、森の中で出会ったという、角の間に十字架を付けた立派な鹿の事を聞いたことがあるに違いない。
 吾輩もこの聖者に、毎年仲間と一緒にお供えを捧げているし、教会の壁にこの鹿の絵が描いてあるのや、詩集をしたカーテンのあるのをいくたびとなく見ているが、果たしてそんな鹿がいたとか、いなかったとか、そういう議論には口をはさむことが出来なかった。
 ところが、ところが……。
 ある時の事だ。吾輩は、森の中で素晴らしく美しい鹿に出くわした。ところが残念な事に、弾をすっかり撃ち尽くした後だった。
 鹿は吾輩の弾入れが空っぽなのを見抜いているかのように、平気の平左でこっちを見ているから、腹が立った。
(よーし、今に見ておれ)
 吾輩は思案した挙句、銃に火薬を詰め、その上にサクランボの種を一握り詰め込んだ。
 そして、鹿の角と角の間の額の真ん中をズドンとお見舞い申し上げた。奴は面食らって、よろめきながら逃げて行った。
 これだけでは大して面白い話でもないが、それから一、二年経ったある日のことだ。
 吾輩が同じ森で狩りをしていると、なんと、角と角の間に三メートル以上もある桜の木を生やした立派な鹿が、のそのそ現れたではないか。そして、その木には枝もたわわに、サクランボの実がぶら下がっているのだ。まさしく、いつか吾輩が弾代わりにサクランボの種を撃ち込んだ鹿だ。
 吾輩は、その鹿を一発のもとに仕留めた。そして、シカ肉のカツレツと、サクランボで作った美味い酒に舌つづみを打ったという訳だ。
 だから、信心深い狩人や、狩りの好きな僧正が、吾輩と同じやり方で聖フーベルトウスの見た鹿の角の間に十字架を植え込んだという事も、まんざら嘘だとは言えない。
 それはさておき、勇敢な狩人となると、切羽詰まった場合でも、みすみす獲物を逃がしはしない。あらゆる方法で目的を貫くものだ。そのいい例が、この吾輩だ。
 ポーランドのある森の中で、吾輩は道に迷った。日は暮れるし、食べ物は無いし、心細くなっていると、突然、向こうの岩陰から、一匹の恐ろしい熊が吾輩を一飲みにしようと、真っ赤な口をあげてまっしぐらに走って来た。
 吾輩はすかさず、銃を取り上げたが、しまった、火薬も弾も無い。あったものは非常用にいつも持っている二つの火打ち石だけだ。
 吾輩は、その一つを夢中で熊のあんぐり開いた口をめがけて投げ込んだ。熊はそのご馳走があまりお気に召さなかったか、変な顔をして回れ右をした。


 吾輩は、得たとばかり、
「えいっ」
 もう一つの火打ち石を熊の尻の穴に投げ込んだ。
 途端に、その火打ち石と、口から入った火打ち石が熊のお腹の中でぶつかったからたまらない。

 バッカーン!

 大爆発と共に、熊の奴、粉みじんになって吹っ飛んでしまった。
 吾輩は、かすり傷一つ負わずに逃げることが出来たが、あんな悪戯は二度としたくない。狩人は、あくまで銃で勝負すべきである。
 それにしても、吾輩が身を守る武器を持ち合わさない時に限って、恐ろしい動物に出くわすのはどういう訳か。あいつらの本能が、吾輩の無防備状態をかぎつけるのだろうか。
 これもその一例だが、ある時吾輩が、火打ち石を尖らそうと思って銃から抜き出していると、折も折、化け物のような大熊が、唸り声を立てて迫って来た。
 吾輩は、咄嗟に傍らの木の上に逃げた。そしてこいつを迎え撃つ準備を始めようとしたのだが、運の悪い時はどこまでも悪い物で、手を滑らせて大切な短刀を下に落としてしまった。
 これが無くては、銃に火打ち石を入れてもネジを締め上げることが出来ないのだ。
 吾輩は、前に一度やった目から火花を出す方法も考えたが、あの時のおでこの痛さを思ったら、熊に食われた方がマシだ。
 吾輩は、雪の上に突き刺さっている短刀を恨めし気に見下ろした。
(ああ、あの短刀さえあれば……)
 その内に、吾輩は、やっといい考えを思いついた。
(少し変わっているが、物は試しだ)
 と、吾輩は木の上から短刀に小便をしゃあしゃあとひっかけた。
 すると、折からの厳しい寒さに、小便がたちまち凍って、見る見る短刀の柄の上にツララが立ち、木の枝まで届いた。
(しめた)
 吾輩はそれをつかんで、見事に短刀を引き上げた。
 その時には、熊はもう、木に登り始めていた。吾輩は素早く、火打ち石のネジを締め上げると、

 ズドーン!

 熊はたちまち血に染まってぶっ倒れた。
 吾輩はこの冒険で、狩人たるものは、たとい小便の一滴たりとも、粗末にしてはならないという教訓を得た。
 吾輩の武勇のほどは動物たちの間に広く知れ渡ったらしく、まともに向かっても歯が立たぬと思ってか、一匹の狼が、足音を忍ばせて近づいてきたことがあった。それに気が付いた時には、目の前で飛びかからん態勢だ。
 もちろん、銃を構える暇などある訳が無い。
 吾輩は、咄嗟にげんこつを狼の口の中へ突っ込んだ。
 それで狼が退治できるなどと考えたわけではなく、ただただ、わが身を守りたい一心からだった。
 それはともかく、吾輩はげんこつを狼の口から奥へ奥へと押し込んで、とうとう肩の所まで入れてしまい、自然に狼と顔を突き合わせる形になった。吾輩が渋い顔なら、狼も渋い顔だ。
 吾輩が腕をひっこめたら、奴はそれこそ猛り狂って飛びかかって来るに違いないから、滅多に引っ込められない。と言って、いつまでも狼とにらめっこしている訳にも行かず、困り果てている内に、例によって、吾輩は巧い事を考えた。
 さればと、吾輩は狼の腹深く手を突っ込むと、
「えいっ」
 気合もろとも、はらわたをつかんで引っ張り出した。すると狼の奴、手袋か何かのように裏返しになってしまったではないか。
「ざまあ見ろ」
 吾輩はそれを地べたに叩きつけて悠々と引き上げた。

                    ☆

 諸君、今までお話したように、吾輩はいつも運よく危険を切り抜けたが、それは、みんな偶然のおかげである。吾輩は勇気と落ち着きを持って、偶然を上手に利用したのである。
 世の中には、いつも偶然や運命に頼って腕も磨かず、必要な道具も揃えず、のんべんだらりとした人間がいるが、こういう奴らは狩人にしろ、何にしろ、決して成功するものではない。偶然や運命は、待っていても来るものではない。自ら招き寄せるものだ。
 その点、この吾輩は、自慢するわけではないが、常に馬、犬、鉄砲と、狩人の修練を怠らないから、何度危ない目に遭っても偶然と運命に助けられるのだ。
 いや、理屈はこれくらいにして、この機会に吾輩のために特別よく働いてくれた二匹の愛犬の事を話そう。
 一頭はポインターで、いくら働いても疲れを知らず、用心深く、注意深い犬だったので、誰でも羨ましがったものだ。吾輩は、この犬のおかげで夜でも狩りが出来た。何しろ尻尾に提灯を付けて、野山を駆け回ってくれるのだから。


 ある時、故国からはるばるとやってきた妻が、狩りをしてみたいと言うので、
「よかろう」
 吾輩は、日ごろの腕前を見せるのはこの時と、妻に先立って獲物を見つけるために馬を走らせた。犬も続いた。
 やがて、吾輩と犬は週百のシャコを見つけた。
 仕留めるのはたやすいが、妻の来るまでは我慢をしなければならない。吾輩はうずうずする腕をなでて、後から副官と馬丁の案内でやって来るはずの妻を待ったが、さっぱり姿が見えない。
 とうとう吾輩は心配になり出して、元来た道を急いで引き返した。
 およそ半分ぐらいまで来た頃だ。どこからか聞こえてくる酷く哀れっぽい声に、吾輩はぎくっとして、辺りを見回したが、人っ子一人いない。
(おかしいぞ)
 と、もう一度耳を傾けると、どうやらその声は足元から響いてくるようだ。
 吾輩は、慌てて馬から降りて地面に耳を当てて見ると、おう、聞こえる聞こえる。地面の底から響いてくる鳴き声は、妻と副官と馬丁の物だとはっきりわかった。
(はて、人間がめり込むほど柔らかい地面は無いはずだが)
 吾輩は、キツネにつままれたようにぽかんとしたが、やがて目に映ったものはほど遠からぬ炭坑の入り口だった。
(さては、あそこから落ちたのだな)
 やっと気が付いた吾輩は、
「じきに助けてやるぞ」
 と地面に向かって叫ぶが早いか、馬に一鞭くれて、全速力で近くの村から坑夫を連れて来た。
 坑夫たちは、長い事散々骨を折って、なんと九十メートルの深さの縦穴から、やっとのことで妻たちを救い上げた。
 幸い、誰も怪我は無かったが、もう狩りどころの騒ぎではなく、這う這うの体で我が家に引き上げた。全く、だらしのない話である。
 あくる朝、吾輩は公用で旅に出なければならなかった。そして半月後に帰ってきたのだが、いつも元気で出迎える犬のダイアナの姿が見えない。下男に訊くと、
「ダイアナは、旦那が旅に連れておいでになったのではなかったのですか」
 と怪訝そうだ。
 もちろん、吾輩の知った事ではない。
 さあ、大変だ。吾輩は、さっそく部下たちに手分けして八方捜させたが、ダイアナはどこにも見つからなかった。
 考えてみると、あの生き埋め事件の時、もうダイアナはいなかったらしい。もし、いたとしたら、あの賢い犬は吾輩よりもっと早く妻たちの在処をかぎつけただろうし、穴から救い出す時も大いに手伝ってくれているはずだ。とすると……。
 やがて吾輩は、
(ひょっとすると、あの犬はまだシャコの見張りをして頑張っているのではないか)
 と考えた。
 そこで、さっそくあの野原に飛んで行ってみた。
 するとどうだ。やっぱりいた。半月前に置いてきぼりにしておいた同じ場所で、吾輩の愛犬ダイアナは、相変わらずシャコの群れを睨んでいるではないか。吾輩は、その主人思いのいじらしさに涙がこぼれた。
「ダイアナ」
 吾輩はしっかりと犬を抱きしめると、この犬の好意に報いるためにと張り切って、たった一発の弾で二十五羽のシャコを仕留めた。
 しかし、ダイアナは歩くことも出来ないほど腹を減らし、疲れ果てていたので、吾輩は自分の代わりに馬に乗せて、手綱を引いて家に帰った。
 数日の間の吾輩の手厚い看護に、ダイアナは元通り元気になり、数週間後にはこの犬がいなかったら、おそらく永久に解けなかったであろう一つの謎さえ解いてくれた。その話と言うのは……。
 吾輩は、丸二日間ぶっ通しで一匹のウサギを追い回した。犬は何べんも吾輩の方へ追い戻してくれたが、ウサギはすごくすばしっこくって、どうしても狙いが決まらない。今までに随分変わった奴にぶつかっているので、魔物の仕業とは思わないが、この時ばかりはさすがの吾輩も自信を失いかけた。
 しかし、やっとのことで、ダイアナが弾の届くところまで追ってくれたので、どうにかして仕留めることが出来た。ところが、ダイアナが勇んで銜えて来たウサギを見て、吾輩はたまげた。
 そのウサギは、腹の下の四本の足の他に、背中にも四本の足が生えているのだ。つまり、下の四本の足が疲れると、水泳の泳ぎ、背泳ぎのように、くるりとひっくり返って走るという寸法だ。なるほど、吾輩の狙いが決まらなかったわけだ。
 その後、吾輩はこんな不思議なウサギに一度もお目にかかった事は無いし、このウサギだって、もし吾輩にあのとびきり優れた犬がいなかったら、とても手に入れる事は出来なかったろう。
 吾輩はダイアナに“天下無敵”というあだ名をつけてやろうと思ったが、じつはもう一匹“風犬”と呼ぶ自慢の犬がいるので、えこひいきになってはまずい、とやめた。
 この風犬は、スタイルはとにかく、恐ろしく足が速い事が特徴だった。諸君がその犬を見たら、吾輩が何故よく可愛がり、何故よく狩りに連れ出したかがすぐわかったはずだ。
 こいつは得意になっていつも走り続けたので、しまいには足が擦り切れ、年をとってからはアナグマ探しが専門になった。それでも、まだ何年も結構役に立った。
 この雌の風犬が、まだ血気盛んな頃の事だ。
 吾輩の狩りのお供をして一匹のウサギを追いかけた。
 その頃、風犬は、お腹に子供を持っていたので、走らせるのは気の毒と吾輩は止めたのだが風犬は聞かなかった。
 仲間が背中に四つ足のあるウサギを追い出して褒められたから、こっちも負けずに八本足のタコウサギでも捕まえようと思ったのかも知れない。しかし、そんなウサギがいるわけがないと諦めたか、風犬は馬鹿に太ったウサギを追いかけた。
 やがて、追いつ追われつ、草むらの中に入って行ったと思ったとたん、

 キャン、キャン、キャン

 ひどく弱々しい犬の鳴き声が聞こえてくるではないか。
 さては、追い詰められたウサギの死に物狂いの反撃に、風犬が悲鳴を上げているのかなと思ったが、その鳴き声はどうも一匹のものではない。
「これはおかしいぞ」
 吾輩はさっそく飛んで行ってみると、
「ありゃりゃりゃ」
 驚くのも無理はない。犬とウサギは、追いつ追われつ、走りながら子供を産んでいたのだ。そればかりか、同じ数の犬とウサギの赤ん坊が、これまた親たちに負けずに追っかけごっこだ。
 赤ん坊とは言え、さすが名犬風犬の血を引く連中は、たちまちそれぞれウサギの赤ん坊を捕まえた。
 おかげで吾輩は、親ウサギの他に、六匹のウサギの子と、六匹の犬の子を腕組みしているだけで手に入れることが出来た。
 この素晴らしい雌犬の事を思い出すのも楽しみだが、また、金では買えない見事なリトアニア馬の思い出こそ、またとない嬉しい事だ。
 この馬を手に入れたのは、全くの偶然で、そのおかげで吾輩は日ごろ鍛えた馬術の腕前を表して、名声を高めることが出来た。
 ある時吾輩は、リトアニアのプルツォボフスキー伯爵の素晴らしい別荘に招待されて、豪奢な応接間でご婦人たちとお茶の時間を過ごしていた。
 男性は吾輩一人で、他の連中はちょうど牧場から届いた伯爵御自慢の馬を見物するために、中庭に降りて行った。すると突然、
「助けてくれえ」
 と、ただならぬ叫び声が聞こえた。何事かと、急いで階段を降りてみると、なんと、馬が大暴れだ。
 垣根は壊す、花壇は滅茶苦茶にする。でも、誰も怖がって寄り付こうともせず遠巻きにして震えているだけだ。気の毒なのは伯爵だ。大切なお客にもしものことがあっては大変と、
「だ、誰か、馬を静めてくれえ」
 と、おろおろしている。それを見るなり、吾輩は、
「おまかせあれ」
 と一声叫ぶと、ひらりとその馬にまたがって、手綱をぐいと引いた。そして、馬の耳に、
「大人しくしないと、焼いて食ってしまうぞ」
 とささやくと、馬はぶるっと身震いして、たちまち大人しくなった。吾輩の豪傑ぶりは馬の世界でも有名らしい。
 これで、一応騒ぎは収まったが、座はすっかりしらけてしまい、
「暴れ馬を放し飼いにするとは、無責任にもほどがある」
 と、男たちは怒るし、
「また暴れ出さない内に帰りましょう」
 と、婦人たちはもぞもぞしだす有様だ。
 このままでは、伯爵家の面目は丸つぶれだ。なんとかお客たちの機嫌を直そうと考えた吾輩は、
「これから、馬術の妙技を御覧に入れます」
 と叫ぶと、手綱さばきも鮮やかに、開けっ放しの窓から応接間へ馬を乗り入れた。
 そこで吾輩は、並み足、駆け足、速足と、何度も繰り返して馬を操り、しまいにはテーブルの上で馬にちんちんをさせて見せた。馬もさるもの、テーブルの上の水差しもコップも、一つとして壊さなかった。割れるような拍手の内に演技を終えると、伯爵は満足そうに吾輩に向かって言った。


「お見事、お見事。あなたこそ、この馬の持ち主にふさわしい方だ、私の贈り物として受け取って頂きたい。そして、来たるべきトルコ遠征にはミュンニヒ将軍に従って、勇戦奮闘、輝かしい手柄を立てて下さるように」
「有難き幸せ」
 吾輩は、夢かとばかり喜んだ。かねがね、戦場に出て一働きしたいと思っていた矢先、なんと、幸先のいい事であろうか。
「しっかりやろう」
 吾輩が、優しく鼻面をなでると、

 ヒヒヒーン

 馬はよき主人を持った嬉しさに、美しいたてがみを震わせて、勇ましくいなないた。その時、吾輩は、かの勇将アレクサンダー大王が、愛馬ブツェファルスにうちまたがって出陣した時も、こうであったろうと思った。

                    ☆

 我々が戦地に出かけた主な目的は、前にピョートル大帝に率いられて、プルート川のほとりに出征した時、少しばかりの損害を受けたロシア軍の名誉を立て直すためだった。
 ある時、我々は、トルコ軍をオツァコフという町へ追い込んだが、その時吾輩の例のリトアニア馬は、吾輩をもう少しの所で地獄へ連れ込みそうになった。
 吾輩は、見張り役を務めていた。すると、敵が近づいてくるのが見えたが、それがもうもうたる土煙に包まれて、その数も分からなければ、何を目指しているかも全く見当がつかない。最も吾輩の方も、土煙のおかげで敵に発見される心配はなかったが、これでは何のための見張り役か分からない。
 そこで吾輩は、部下の兵士を左右に分散させ、
「敵に負けずに、出来るだけ土煙を巻き起こせ」
 と命令するが早いか、敵情を確かめるために、まっしぐらに突進した。
 それが見事図に当たった。敵は思いもかけない吾輩の出現に、びっくり仰天。そこへ、
「わーっ」
 と、後から兵士たちが襲い掛かったので、たちまち蜘蛛の子を散らすように退却を始めた。
「それっ、一兵も逃がすな」
 吾輩の命令に、兵士たちはさらに突撃すると、敵は肝心な要塞までほったらかして逃げて行った。
 わが軍の完全な大勝利である。
 吾輩は、悠々と城内の広場に馬を止めると、兵士たちを集合させようと、
「集合ラッパを吹け」
 とラッパ手に命令したが、一向に返事がない。
 変だと思って振り返ると、おやおや、ラッパ手どころか、ただ一人の兵士もいないのだ。リトアニア馬の足が速すぎて、置いてきぼりにしてきたらしい。
(なあに、すぐ追いつくだろう)
 と思った吾輩は、はあはあ息を切らしているリトアニア馬を広場の井戸に乗りつけて、
「ご苦労だった。さあ、たっぷり飲んでくれ」
 と、優しく労った。
 馬は喜んで、やたらにがぶがぶと水を飲んだ。よっぽど喉が渇いていたと見えて、いくら飲んでもきりがないのである。
 その内に、後ろの方でザアザアと音がするので、振り返って見ると、
「ひゃーっ」
 何たることだ。
 吾輩の愛馬の後ろ半分、つまり、腰と尻の部分が、すっぽり切り落とされたように無くなっているではないか。そして、そこから飲んだ水が音を立てて流れ出しているのだった。
 気の毒に、これではいくら飲んだって体の足しになるわけがない。
(それにしても、どうしてこんな事になったのか)
 と考えているよ、そこへ、やっと馬丁が駆け付けた。そして物語ったところによると……。
 吾輩が逃げる敵を追って城内に押し入った時、急に城内の吊り戸が落ちて、馬の後ろ半分が切り落とされたのだそうだ。
 ところが、切り離された後ろ半分は、群がる敵を散々に蹴散らして、恐ろしい損害を与え、それから意気揚々と近くの草原へ歩いて行ったという事だった。
「それが分かっていながら、ほったらかしにしてくる奴があるか」
 吾輩が怒鳴ると、
「へへへ、馬の輪切りはどうも気味が悪くて、それに、どこへ手綱を付けていいのか分かりませんので」
 と、馬丁は頭をかいた。
 こんな男にかまっていられない。吾輩はさっそく、元来た道を戻ることにした。
 馬の前半分は、後ろ半分に会えたことがよほど嬉しいらしく、勇んで駆けだしたが、何しろ身体が半分しか無いので、乗っている吾輩は不安定で落ちそうになって困った。
 さて、草原に来て見ると、よかった、よかった、馬の後ろ半分は、もうたくさんの馬たちと仲良くなって元気にふざけ回っているではないか。
 吾輩は、直ちに獣医を呼び寄せた。
 獣医は、
「馬の胴体をつなぐ手術なんて初めてだ」
 と、初めの内はぶつくさ言っていたが、ちょうど持っていた月桂樹の若枝で、両半身を見る見るうちに継ぎ合わせてくれた。
 傷口は、上手くふさがった。そればかりではない。一頭で二頭分の活躍をする不思議な名馬だけあって、まもなく月桂樹の若枝は、馬の身体に根を張り、すくすく伸びて美しい葉を付けた。
 おかげで吾輩は、どんな暑い日でも涼しく戦場を駆け回ることが出来たし、また、不意に敵に襲われた時も、馬をしゃがませるだけで敵の目をくらませることが出来た。
 やっこさん達は、
「こんなところに月桂樹が生えているぞ」
 と通り過ぎていくからだ。
 ついでだが、この戦闘で、吾輩はすこぶる厄介な事に悩まされた。
 それと言うのは、吾輩はあんまり長い間、疲れも知らずに敵に打ちかかっていったものだから、しまいには敵が逃げてしまってからも、右腕を上下させる動作をやめることが出来なくなった。
 寝ても覚めても右腕を上にやったり下にやったりしたが、とうとう、これが元で大失敗をやらかした。
 部下の一人が手柄を立てたので、
「偉いぞ、褒めてつかわす」
 と言ったとたんに、右腕がひとりでに動いて、部下の頭をぽかんとやったのだ。
 これに懲りた吾輩は、戦場に出るとき以外は、右腕を身体に縛り付けてこの癖を治した。
 諸君は吾輩がリトアニア馬のような荒馬を乗りこなせるくらいだから、もっと変わった曲乗りでも出来ると思うだろう。
 その通りだ。
 曲乗りと言っても、馬だけとは限らない。それと言うのは、ちょっと作り話のように思われるかもしれんが、こんなことがあった。
 何という町だったが、もう分からなくなったが、我々はある町を取り囲んだ。将軍は、城内の敵の様子をしきりに知りたがった。
 しかし、たくさんの見張りのいる城壁をくぐって中に入る事は、非常に難しい。いや、不可能な事に思われた。仮にうまく忍び込んで偵察しても、帰りにはきっと、敵に捕まるだろう。そうすれば命はない。
 だから、誰もしり込みした。しかし、ぐずぐずしているうちに敵の援軍でも来たら一大事だ。
 そこで吾輩は、
「それがしが参りましょう」
 と、この難しい役目を買って出た。もちろん考えあっての事だ。
 さて、吾輩は敵に向かって大砲を一発ぶっ放すが早いか、さっと弾に飛び乗った。あっと言う間に吾輩は敵の城の真上に達した。そして、玉の上から小手をかざして中の様子を細かく観察し終わると、折から敵側が、吾輩の味方の陣地目がけて撃った大砲の弾にさっと乗り換えて帰って来た。


 吾輩が詳しく探ってきた情報は、大いに役立って、その日の内に敵城は陥落した。吾輩は将軍から頭の良さを褒められたが、吾輩はあまりいい顔はしなかった。
 考える事は誰にでもできる。それを即座に実行に移すところに、吾輩の英雄としての価値がある事を忘れては困る。
 話は馬の事に戻るが、ある時吾輩は、馬で泥沼を飛び越そうとした。ところが飛び上がってから、その沼がばかに広い事に気が付き、慌てて空中で回れ右をして引き返し、今度は一段と弾みをつけて飛んだ。
 ところがそれでも駄目で、吾輩は馬もろとも沼に落ちた。
 しまった、と思ったが、瞬間、吾輩は馬の腹を両ひざに挟み、自分の腕で自分の襟髪をぐっとつかんで、馬もろとも泥沼から引っ張り上げた。吾輩の怪力もさることながら、事に当たっての落ち着きがものを言ったのである。

                    ☆

 トルコ戦争で、吾輩はかくかくたる武勲に輝いたが、ある日、連戦の疲れで居眠りしている所を敵に襲われて、捕虜にされてしまった。
 全く、油断は禁物である。
 ああ、昨日に変わる今日の我が身、吾輩は奴隷に売られて、トルコ王のミツバチの世話をさせられることになった。
 毎朝、ミツバチを野原に運び出して、一日中見張りをし、夕方になると、また箱に追い返すのが吾輩の日課だったが、ある晩、ミツバチが一匹いなくなった。気が付くと、おや、物陰で二頭の熊が、そのミツバチを捕まえておもちゃにしているではないか。
 昔の吾輩ならたちどころに銃で一発と言うところだが、悲しいかな、奴隷の実には武器としては銀の斧が一本あるきりだ。
 とても熊と戦える代物ではない。
 そこで吾輩は、脅かして追っ払うつもりで、熊たちにその斧を投げつけた。
 熊は這う這うの体で逃げた。ミツバチも助かった。ところが、ほっとする間も有らばこそ、大変なことが起こった。吾輩の投げ方があまりに強かったので、斧は空高く飛んで、あれよあれよと思う間に、とうとう月の中に落ちてしまった。
 途端に吾輩は、トルコのインゲン豆は非常に育ち方が早く、しかも、たいそう丈が高くなる事を思い出した。
「ようし、物は試しだ」
 そこで、さっそくインゲン豆をまくと、なるほど、伸びるわ伸びるわ、あっという間にそのつるは月の中の山のてっぺんに巻き付いた。
 しめたとばかりに吾輩は、そのつるをグングンよじ登って、無事に月の中から斧を拾い上げることが出来た。
「やれやれ」
 吾輩はほっとして降りようとすると、またまた一大事。いつの間にか、豆のつるは太陽の熱で干からびているではないか。絶対にすがって降りる事は不可能だ。
 さすがの吾輩も青くなったが、髪は見捨てるようなことはしなかった。やがて吾輩は、足元に落ちている二、三束のわらを見つけて、
(しめたっ!)
 吾輩は、そのわらで出来るだけ長い縄をなって、それを月の端に結び付け、それにつかまって降り始めた。


 長いと言っても縄の長さは知れているから、途中まで下りると、上に残った部分を切り取って、下に結び足した。こういう事を何べんも繰り返して、吾輩はやっとの思いで地上に帰ることが出来た。
 このつらい経験に懲りた吾輩は、その後もしばしば、ミツバチを襲って来る熊たちをやっつける巧い方法を考え、すぐさま実行に移した。
 ある夜の事、吾輩は農場で使う車の梶棒に蜜を塗りつけて、近くで待ち伏せしていると、思った通り、蜜の香りに誘われて一頭の熊がのこのこやって来た。そして棒の先をぺろぺろ舐め始めたが、どんどん舐めていくうち、棒は喉から胃、腸を通ってお尻へ抜けた。
 そこで吾輩は、さっと駆け寄って、熊がもう後ずさりできないように、棒に長い木釘を打ち込んで、一晩中さらし者にしてやった。熊の奴は、
「くまった、くまった」
 まさか……。
 その後まもなくトルコ戦争も終わって、吾輩は他の捕虜と一緒にペテルブルクに帰された。
 しかし、吾輩は故郷のドイツが恋しくなったので、そのままロシアに別れを告げた。ちょうどその年は全ヨーロッパに厳しい寒さが遅い、太陽までがしもやけにかかるという有様だったから、吾輩のドイツへの旅は、先にロシアへ来た時以上の苦労の連続だった。
 吾輩のリトアニア馬はトルコに置いてきたので、郵便馬車に頼ることにした。
 馬車が両側に高く茨の茂った狭いでこぼこ道に差し掛かった時、前方から来る馬車に気が付いた吾輩は、
「あの馬車と行き合って、この狭い道で立ち往生しないように、角笛で合図した方がいいぞ」
 と、御者に注意してやった。
 御者はさっそく、言われた通り角笛を吹いたが、おや、どうしたことかさっぱり鳴らない。顔を真っ赤に、頬をフグのように膨らましても、ピイともスウとも。
 その間に向こうの馬車がやって来て、思った通り二台とも立ち往生だ。
 角笛で合図さえ出来たら、相手の馬車を広い道で待たせて楽々すれ違うことが出来たのに、今となってはもう遅い。そこで吾輩は、日ごろの怪力を振るうのはこの時と、車から飛び降りて馬を外すと、四輪馬車を肩に担ぎあげ、
「やーっ!」
 鋭い気合もろともジャンプいちばん、相手の馬車の上を飛び越えて、向こう側の地面にぴょんと立った。
 そして、また元の所に戻ると、今度は二頭の馬を左右に抱えて、再び馬車の屋根を飛び越えた。かくして二台の馬車は無事に左右に分かれて走り去ることが出来た。さて、その夜は宿屋に泊って昼間の冒険の疲れを休めたわけだが、吾輩と御者が暖炉の前で世間話をしていると、実に不思議な事が起こった。
 暖炉の横にかけてあった御者の角笛が突然、テトテトテトと鳴りだすではないか。ところが、御者に訊いてみたら不思議でもなんでもなかった。寒さに凍り付いた角笛の音が、暖炉の温かさに解けて鳴りだしたのだった。これで、昼間御者がいくら吹いても鳴らなかったわけが飲み込めた。さて、吾輩のロシア旅行の話はこれで終わった。
 いよいよ、もっと驚くべき吾輩の船の冒険の話に入るが、吾輩の今までの冒険談に少しでも疑いの気持ちのある方は、お聞きにならずに帰る事をお勧めしたい。

                    ☆

 吾輩が海の旅に出たのは、これまで話したロシア旅行よりずっと前の事だ。たまたま、母方の親戚の者がセイロン島へ旅行すると聞いて、矢も楯もたまらず、両親の反対を押し切って同行させてもらったのである。
 吾輩たちは、オランダ国王並びに政府の重い任務をもって、アムステルダムを出港した。航海は平穏無事だったが、一度だけすさまじい暴風雨にぶつかった。
 その時、我々は、薪や水を積むためにある島に泊っていたのだが、その嵐の物凄さと言ったら、何しろ重さ数万キロもある無数の大木が根こそぎにされて、地上八キロの空中に吹き飛ばされたのだ。
 ところが嵐が収まると、木はそれぞれ元の地面に落ちてきて、根を生やしたのには驚いた。ただ一番大きい奴は例外だった。この木が嵐に引き抜かれた時には、貧しい農夫とその妻が枝に登って、キュウリをもいでいる最中だった。この地方では、キュウリは木になるのだ。
 二人は大木にしがみついたまま空中旅行をしたわけだが、その重みで、やがて木は水平になって地上に落ちてきて、島の住民たちの怨みの的の暴悪酋長の頭にぶつかったからたまらない。酋長はあっさり死んでしまった。
「これで、島に平和が来る」
「みんな、お前たち夫婦のおかげだ」
 住民たちは大喜びで、偶然ではあるが、島のために大変な手柄を立てたキュウリ取り夫婦を酋長の後釜に据えた。
 この夫婦は大木もろとも空中に吹き飛ばされた時、あまり太陽の近くまで行ったので目が悪くなったが、非常によく島を治めて、住民たちから慕われ、後で聞いたところによると、住民たちは、
「神よ、酋長を守りたまえ」
 と祈ってからでないと、誰もキュウリを食べなかったそうだ。
 この嵐で傷んだ船を直したわれわれは、再び航路につき、六週間の後に無事にセイロン島へ着いた。
 ある日、総督の息子に狩りに誘われたので、吾輩は大喜びでついて行ったが、ひどく暑い所へ持ってきて、相手が大男で足が速いと来ているから、吾輩はたちまち取り残された。
 仕方なしに川の岸に腰を下ろして一休みしていると、おう、なんと、向こうの方から一頭のライオンが吾輩目がけて走って来るではないか。
(しまった)
 吾輩の銃に中にはウサギを撃つ散弾しか入っていないのだ。しかし、ぐずぐずしていればライオンの餌食にされる。
(えい、どうともなれ)
 吾輩は運を天に任せて引き金を引いたが、恐ろしさに手が震えているので一発も当たらない。そればかりか、これがライオンの怒りに油を注ぐ結果になって、

 ウオーッ!

 猛り狂って飛びかかって来た。もう、逃げるよりほかに道はない。吾輩は咄嗟に身をひるがえして駆けだそうとすると、
「ひゃーっ」
 なんと、目の前二、三歩の所にものすごいワニが大口開けて待ち構えているではないか。しかも、後ろにはライオンが……。
「もう、駄目だ」
 吾輩は恐ろしさと絶望に頭がくらくらして、そこにぶっ倒れた。気を失ってしまったのだ。
 やがてふと気が付くと、吾輩は、そこに凄まじい光景を見た。ワニの口の中にライオンが入り込み、お互いに離れようと死に物狂いでもがき続けているのだ。
 なんという幸運だったろう。ライオンが飛びかかろうとした瞬間に吾輩が倒れたので、頭の上を素通りしたライオンは、勢い余ってワニの口の中に飛び込んだのだ。
 吾輩はすかさず跳ね起きて、銃の台尻で滅茶苦茶に殴って、ついに二匹の怪物をやっつけた。
 そして総督の屋敷に運ぶと、毛皮屋を呼んで、ライオンの皮で煙草入れを作らせて、世話になっている人たちに配った。
 ワニははく製にして、今ではアムステルダム博物館に飾られて、最大の名物になっている。最後に決まって、二つ三つおまけを付け加えることは、吾輩にとって迷惑この上もない。
 例えばこんなことを言う。
「ライオンはワニの口から体の中を突き抜け、お尻から首を出したところを、男爵はワニの尾一メートルと共に切り落とした。すると怒ったワニは向き直って男爵を飲み込んだが、途端に男爵の刀が心臓に突き刺さってワニは死んだのである」
 こんな見え透いた嘘を聞かされては、吾輩を知らない人は、吾輩のした本当の行いまで信じなくなるに違いない。こんなことは、名誉ある騎士を傷つけ、侮辱するものだ。

                    ☆

 一七六六年、ポーツマスで、吾輩は北アメリカへ行く、大砲百門と乗組員千四百人を乗せたイギリスの第一級軍艦に乗り込んだ。
 セントローレンス川の沖合、約五百キロの所まで来た時だった。
 船は突然岩らしいものにぶつかって、危なくひっくり返るところだった。舵は無くなり、船首のマストは真っ二つになり、帆は上から下までずたずたに切られる、という騒ぎ。いや、そのマストに登っていた水夫はもっと災難だ。約五キロもすっ飛んで海に落ちた。その水夫だけではない。他の甲板にいた水夫は、天にはね上げられた弾みに月の角に頭をぶっつけて、しばらくは気が変になった。それはさておき、ぶつかった岩を調べるために重りを降ろしてみたが、何の手ごたえも無い。そのはずだ。海は五百メートルよりもっと深かった。
 だが、その内に、やっと原因が分かった。
 岩だと思ったのは鯨が水面で日向ぼっこをして眠っていたのだった。
 ところがこの怪物め、船に昼寝の邪魔をされたのを恨みに思ったか、甲板の一部と周りの廊下を尻尾でたたき潰したばかりか、船の大錨を歯の間に銜えて、ぐんぐん船を引っ張って泳ぎ出した。時間にして十時間、一時間十キロの速さとして、約百キロも我々は引きずり回されたことになる。
 幸い、錨の綱が切れたので、我々は助かったものの、そうでなかったら地球の外へ出されたかもしれない。
 ところが、それから六か月後、我々がヨーロッパへ帰る道すがら、あの場所からほど遠くない所に、あの鯨が死んで浮かんでいるのが見つかった。なんと、それは全長八百メートルの大鯨だった。
 銜えて行ったままの錨を取り戻そうと水夫が十人がかりで鯨の口をこじ開けてみたら、なんと左側の虫歯の穴に引っかかっていた。
 これがその時の航海の、たった一つの変わった話である。
 いや、おっと待った。面白い話を一つ忘れるところだった。
 話は元に戻るが、鯨の乱暴で、船底に穴があけられて、そこからどんどん水が入り込んだので、水夫たちはありったけのポンプを使って汲み出したが、とても駄目だ。このままでは船は沈没してしまうと、みんな青くなったが、とっさに吾輩は世にも巧い思い付きで、この美しい船と乗組員の命を救ってやった。
 吾輩は、船底にお尻を当て、しっかり塞いだ。これでもう、水は入って来なくなった。こうして吾輩は、やがて大工が来て穴を繕うまで、お尻の冷たいのを我慢していた。

                    ☆

 ある時、吾輩は地中海でもう少しで命を落とすところだった。
 ある夏の午後の事だった。吾輩がマルセイユの近くで、いい気持ちで泳いでいると、一匹の名も知れぬ大きな魚が全速力で襲ってきた。
 こっちは裸で武器は無し、逃げようにも泳ぎは肴の方が上手いに決まっている。進退窮まった吾輩は、両ひざを曲げ、両腕を腹につけ、出来るだけ体を小さくすると、こっちから魚の口の中に飛び込んだ。
 そして、噛まれぬうちに、喉から胃袋へ滑り込んだ。胃袋の中は真っ暗闇だが暖かく、居心地はなかなかよろしい。
 しかし吾輩は、退屈になって来たので、飛んだり跳ねたり、スコットランド風の踊りを踊り始めたが、驚いたのは魚だ。腹の中で暴れられる痛さに、変な叫び声をあげ、白い腹を半分も水の上に出してばたばたした。
 そのために、折から通りかかったイタリア商船に発見され、たちまち銛を撃ち込まれてお陀仏になった。ところが、それからが大変だった。
 乗組員たちはその魚を甲板に引き上げると、さっそく料理を始めるではないか。まさか魚の腹の中に生きた人間が入っているとは知らないから、ところ構わず包丁でぶすり、ぶすり。
 そのたびに吾輩は肝を冷やしながら、右に左にと身体をかわした。それでもくたくたになった頃、身体のほんの一部からほんのりと外の光をさしてきたので、
「助けて下さって有難う」


 吾輩は夢中で外に飛び出した。乗組員たちがたまげたのなんの……。
「きゃーっ!」
「ば、化け物だ!」
 みんな揃って腰を抜かした。
 吾輩は手短にわけを話すと、着物を置いてある海岸へ泳ぎ帰った。
 後で調べて見ると、吾輩はあの怪魚の腹の中に二時間も閉じ込められていたのだった。

                    ☆

 吾輩が、まだトルコにいた頃よくマルマラ海で遊覧船を浮かべて楽しんだものだ。そこからは、トルコ王の宮殿のあるコンスタンティノープルの町全体がひと目で見渡せた。
 ある朝、吾輩は大空の美しさに見とれている内に、妙なものを発見した。空中高く、玉つきの玉ほどの丸い物が浮かび、それに何かぶら下がっているのだ。
「鳥にしてはおかしいが……」
 不思議に思った吾輩は、さっそく一番上等の鳥撃ち銃を取り出して、弾を込めて発射したが駄目だった。二発、三発と撃ったが、てんで手ごたえがない。イライラした吾輩は、次に五発まとめて発射すると、やっと当たったか、丸い物はふわふわと落ちて来た。
 だんだん近づくにつれて、吾輩は目をみはった。何と、玉つきの玉のように見えたのは、教会の丸屋根ほどもある大風船で、その下に金色の馬車が吊るされているのだ。それが岸についたのを見極めると、吾輩はさっそく船から降りて飛んで行った。すると、馬車からフランス人らしい男が、大きな羊の焼肉を抱えて降りて来た。


 胸のポケットには贅沢な時計の鎖が二、三本ぶら下がり、どのボタン穴にも金のメダルが輝き、指と言う指にはダイヤモンドの指輪がはまり、おまけに上着の左右のポケットは、お金がいっぱい詰まった財布がはみだしているという豪勢ぶりだ。
 それはともかく、空から落ちてきたこの男は、気分が悪くなったか、口もきけないのでぶどう酒を飲まして落ち着かせると、やっと元気になって話し始めた。
「私はありとあらゆる遊びをし尽くした男ですが、空だけは飛んだことがありません。そこでこんな物を作って一週間ほど前にイギリスのコーンワルの岬から飛び立ったという訳です。そして、大口開けて見上げる何千と言う人間に、大空の上から芸当をやってみせようと、羊まで乗せていったのですが、思うようにはいかないものです。風船が登り始めた途端に風向きが変わって、私が着陸するつもりだったエクセター市とは反対の海の方へ押し流されたのです。海の上で芸当をやって魚に見せても仕方が無いので引き返そうとすると、運の悪い事に、風船の空気を抜く弁のひもが切れてしまったのです。それで、ずっと空中をさまよい続けていたという訳です。月よりもずっと高い所に登り、さらに十六時間も登った時には、腹がペコペコになって、可愛そうでしたが連れて行った羊を太陽の光で焼き肉にして食べました。これはその時の残りです」
 そう言って、その男は持っていた焼肉を海へ放った。
「あなた様は私の恩人です。もし、鉄砲で風船を打ち落として下さらなかったら、私はいつまでも、いつまでも、空中をふんわかふんわか飛び続けることになったでしょう。これは、私のお礼の印です」
 と言って、気前よく吾輩に馬車をくれて立ち去った。

                    ☆

 吾輩は、ロシア大使とフランス大使にトルコ王を紹介されたが、王はひと目で吾輩がお気に召したらしい。
 そして、非常に重大で、また永久に秘密にしておかなければならない任務を果たすために、吾輩をカイロに派遣した。
 吾輩は、大勢の家来を連れて出発した。
 コンスタンティノープルから数キロばかりやって来た時だ。向こうから、ちっぽけなやせ男がすごいスピードで走って来るのに出会った。ところがなんと、その両足には五十キロもあろうかと思われる鉛の重りを付けているではないか。


 吾輩は不思議に思って、
「きみ、そんなに走ってどこへ行くのかね。わざわざ、重りを付けて走りにくくすることはなかろうに」
 と聞くと、男は答えた。
「私はある身分の高い人に仕えていたんですが、今日、暇をもらって、十五分前に、ここから千キロほど先のウィーンを出て来た所でさあ。これからコンスタンティノープルへ行って、飛脚でもやろうと思っていますが、急ぐ必要もないし、少し速さを緩めようと思いましてね」
 吾輩は、この男がすっかり気に入った。
「どうだ。これから私に仕えないか」
「へえ、お世話になります」
 この男を加えた我々は、さらにいくつかの町や村を過ぎて前進した。すると今度は草原に寝そべって、耳をピッタリ地面につけ、何か聞いている男に出会った。
「きみ、そこで何を聞いているのかね」
「暇つぶしに、草の伸びる音を聞いているんでさあ」
「君はそんなに耳がいいのか」
「自慢じゃないが、百キロ先で針の落ちる音だって聞こえるね」
「よし、私が雇ってやる」
 また、一人供が出来た。
 それからいくらも行かない内に、ある丘の上で、一人の猟師が何も見えない青空にズドンと発砲しているのに出会った。吾輩が思わず吹き出すと、
「何がおかしいかね」
 と、猟師は憤然とした。
「お前さんにはわからんだろうが、私はここから千五百キロ先のストラスブールの大寺院の屋根の雀を一羽撃ち落して、新しい銃の具合を試したところだ」
「うーん、気に入ったぞ」
 名人は名人を知る。この吾輩がこんな鉄砲撃ちの名手をほっとくわけがない。
「高給で召し抱えてやろう」
 これで供は三人になった。
 さて、リバノン山のふもとを通りかかると、杉の大森林の前で、一人の逞しい男が森全体にロープを巻き付けて引っ張っていた。
「きみ、そこで何を引いているのかね」
 と、吾輩が声をかけると、
「主人に材木を切り出すように言いつかってきたんだが、斧を忘れて来たので、まあ、うまくいくかどうか」
 そう言いながら、その男は吾輩の目の前で、二平方キロの森をそっくり、よいしょ、よいしょと引き倒した。
 もちろん、吾輩はこの怪力男をも家来の一員にした。
 我々は、さらに進んでエジプトのある土地までやって来ると、にわかに恐ろしい風が吹きまくって吹き飛ばされそうになった。
 道の左手にある七台の風車の羽も、うなりを生じて回っていたが、その少し離れたところに一人のがっちりした体格の大男が人差し指で右の鼻の穴を押さえながら、この嵐にも平気な顔でいる。


 しかし、我々がよろよろしているのを見ると、申し訳なさそうに振り向き、ぺこりと頭を下げた。
 するとどうだ。さしもの物凄い嵐が、ぴたりと止まってしまったではないか。
 吾輩は驚いて、その気味悪い男に声をかけた。
「これは一体どういう訳かね。君の身体には悪魔でも住んでいるのかい」
 すると男は答えた。
「とんでもない。ちょっと鼻息が強いだけですよ。主人の粉屋のために、ちょっぴり風を作っているんですが、風車がひっくり返っては大変と、片方の鼻だけ使っていたんですよ」
「な、なあるほど」
 吾輩は、この男にもほれ込んだ。またも雇ったのは言うまでもない。
 そうこうしている内に、我々はエジプトのカイロについた。そこで吾輩は無事に使者の役目を果たすと、余計な供の者たちに暇を出して、新たに雇い入れた五人のつわもの達を従えて、さっそうとコンスタンティノープルに帰ったのである。

                    ☆

 吾輩が、滞りなく重大な使者の任務を果たしてきたので、トルコ王の信頼は一段と厚くなった。
 片時も吾輩を側から離さず、吾輩がいなくては生きてはいられないという有様だった。
 ある時トルコ王は、こっそり別室に吾輩を呼ぶと、戸棚から一本のぶどう酒を取り出して言った。
「ミュンヒハウゼン、君たちキリスト教徒は、いつも美味いぶどう酒を飲んでいるそうだが、こんなに美味い物にありついた事は無いはずだ。まあ、飲んでみたまえ」
 そして、コップについでくれたぶどう酒は、飲んでみるとなかなか美味かったが、吾輩は王の自慢たらたらが気にくわなかったので、
「大変結構な味ですが、いつか私がウィーンで、カール六世陛下にお呼ばれして飲んだぶどう酒に比べると……」
 言い終わらない内に、王は見る見る顔色を変えた。
「ば、馬鹿な。これより美味いぶどう酒が他にあってたまるか。これはハンガリーの貴族が家宝にしていた物を特に私にくれたものだぞ」
「陛下は騙されたんですよ。あのけちんぼなハンガリーの貴族が、そんな上等なものをくれるわけがないでしょう。陛下にはぶどう酒の善し悪しが分からないのです。何なら、一時間の内にウィーン皇帝の穴倉から、一瓶取り寄せて飲んでみて頂きましょうか」
「ふざけるな。この大ぼら吹きめ。そんな事が出来るものか」
 王はかんかんになったが、正直を誇りとしている吾輩を、大ぼら吹きと罵られてはこっちもかんかんだ。
「出来るか出来ないか、やってみましょう。出来なかったらこの首をちょん切って下さっても結構です」
「面白い。その言葉を忘れるな。では、もしもお前が約束を果たしたら、お前は私の宝物蔵から担ぎ出せるだけの宝物を取って宜しい」
「本当ですね」
「くどい。わしはお前のようなほら吹きではないわい」
 売り言葉に買い言葉、吾輩は、大変な賭けをしてしまった。
 吾輩はさっそく、マリア・テレサ女王宛に、次のような手紙を書いた。

 陛下には、ご相続者として、先帝の穴倉もお受け継ぎあそばされた事と存じます。つきましては、私が父君のお側でしばしば頂きましたあのぶどう酒を一瓶、使いの者を通してお恵み頂ければ幸いと存じます。あれが無いと、私の命にかかわるので御座います。ご慈悲の程、伏してお願い申し上げます。

 そして、いつか雇った足の速い男に使いを命じた。
「では、ひと走り」
 と男は、例の足の重りを外して、風のように駆けだしたが、どうした事か、ニ十分経っても三十分経っても帰って来ない。その間にも、時計の針はどんどん回って、約束の時間まであと五分。ああ、王の命令で首切り役人はぎらぎらする刀を磨き始めたではないか。
 吾輩はいてもたってもいられず、早耳男に使いの男がどの辺を走っているのか調べさせた。
「おやすい御用です」
 と、早耳男は地面に耳を当てていたが、やがて、
「いくら待っても来ないはずです。はるか遠くで奴のいびきが聞こえますよ」
 と、呆れた顔だ。
「そんなバカな」
 吾輩は驚いて、目のいい射手を木に登らせて偵察させると、
「います、います。奴は、今ベルグラードのはずれの樫の木の下で眠っていますよ」
 という訳だ。しかし、そこは射撃の名手のこと。
「よし、くすぐって目を覚まさせてやろう」
 と、ご自慢のクーヘンロイター銃で、木の梢目がけて引き金を引いたので、顔にパラパラ降りかかるドングリや小枝に、さすがの寝坊助男も目を覚まして、一散に駆けて来た。そして、
「おまちどおさまでした」
 と、吾輩の目の前にマリア・テレサ女王からもらってきたぶどう酒の瓶を差し出したのは、なんと、三時五十九分五十九秒、あと一秒遅れたら、吾輩の首と胴はお別れを告げるという訳だ。
 王は大変な喜びようで、
「こいつは美味い。だが、お前は以前、ウィーンでたらふく飲んだのだから、もう飲むことはなかろう」
 と、そのぶどう酒を独り占めにしてがぶがぶ飲み始めた。しかし、吾輩は文句を言わなかった。
「ではお約束通り、宝物蔵から担げるだけの宝物を頂戴します」
 王にしてみれば、たかが宝物の一担ぎと思ったろうが、そうはいかない。吾輩は例の森ごとロープで縛って引き倒した怪力男を使って、蔵の宝物を縄で縛って洗いざらい引っ担がせた。彼は、
「軽すぎて物足りないから蔵も一緒に」
 と言ったが、それは騎士道に背くからやめさせた。
 これを見てたまげた門番は、さっそく王に知らせたが、その時は、もう、とっくに吾輩は宝物を船に積み込ませて、部下と共に海上を涼しい顔だった。
 ところが、我々の船がまだ三キロも進まない内に、けちな王は海軍司令長官に命じて、全艦隊を率いて宝物を奪い返しに追いかけさせていた。みるみる距離は縮まる。
「これはまずいことになったぞ」
 と思った時だ。例の風男が、
「閣下、私に任せて下さい」
 と進み出たかと思うと、右の鼻の穴をトルコ艦隊の方に、左の鼻を我々の船の帆にと、それぞれ向けて、
「ふーっ!」


 たっぷり鼻風を吹き起こすと、驚くべし、艦隊はあっと言う間に港へ逆戻りし、反対に我々の船は鉄砲玉のようなスピードで前進した。もう、トルコ艦隊は追ってくる元気もない。我々の船は数時間と経たぬうちに、無事にイタリアに着くことが出来た。
 おや、吾輩の寝る時間が来たようだ。諸君もゆっくり休みたまえ。

                    ☆

 ミュンヒハウゼン男爵は、立ち上がると、さっさと寝室に行ってしまった。
「惜しいな。もっと聞きたかったのに」
「全くだ」
 一座がガヤガヤし出すと、
「では、私が男爵の代わりに続きを話そう。ただし、この事件は男爵があまり話したがらない事だから、絶対に内緒だよ」
 と念を押したのは、ミュンヒハウゼン男爵のお供をしてトルコ旅行について行った男だった。
「話は回り道になりますが、まず、『トット男爵の回想録』という本の中にこんな事が書いてありますから聞いて下さい。
――トルコ人は、都からほど遠からぬシモイス川の岸辺にばかでかい砲台を据え付けていた。それで、少なくとも五百キログラムの大理石の弾を発射するのだった。
 私(トット男爵)は、それを発射してみたくてたまらなかった。しかし、それを聞くと、みんな身震いした。城も町も吹っ飛んでしまうと思ったからだ。だが、私は実行した。
 発砲には百五十キログラムの火薬を使った。弾は、先ほど言ったように五百キログラムだ。砲手にはとびきり肝の太い男を選んだ。
 私は砲台の後ろの砦から発砲の合図をしたが、地球が爆発したかと思われるような響きで、三百メートル離れたところで、破裂した弾は三つになって、向かい側の山に跳ね返った。
 そして、海峡全体が物凄い嵐になった――
 という訳ですが、この事件は、ミュンヒハウゼン男爵がこの地方を訪れる直前の事で、町はトット男爵の勇気と冒険の話でもちきりでした。
 ミュンヒハウゼン男爵は負けず嫌いな方ですから、
『それぐらいの事で騒ぐとは、ちゃんちゃらおかしい』
 と、よせばいいのに、その大砲を肩に担いで海中に飛び込み、向こう岸に泳ぎ着きました。もちろん、見物はやんやの喝采です。
 ところが、すっかり調子に乗った男爵は、今度は大砲を元の場所に投げ返そうとしましたが、うっかり手を滑らしたからたまりません。

 ドボーン!

 大砲は海底深く沈んで、もう、どうする事も出来ません。今頃は魚どもの住処になっている事でしょう。
 男爵がトルコ王と仲が悪くなった本当のわけは、これだったのです。大切な大砲をなくされた王はかんかんになって男爵を打ち首にしようとしました。
 しかし、男爵は情け深い女王に匿われ、ある夜、ベネチア行きの船に逃げ込んでやっと助かりました。
 これで、この事件をミュンヒハウゼン男爵があまり話したがらないわけがお分かりになったでしょう。試みは失敗したし、おまけにすんでの事で一命まで失う所だったからです。
 それを、まことしやかに成功した、などと吹聴しない所が男爵の偉いところです。
 ミュンヒハウゼン男爵の辞書には“うそ”という字はありません。それほど正直な方です」

                    ☆

 さて、この間の話の続きにかかりましょう。
 吾輩の古い友人エリオット将軍の護るジブラルタル要塞が、フランスとスペインの軍隊に囲まれたと聞いて、吾輩はロドニー卿の率いる食料船の一隊と共に応援に出かけた。
 将軍は、百万の味方を得たように喜んで、まず、要塞内部を案内して守備の状況やら敵の様子を説明してくれた。
 しかし、論より証拠である。吾輩は、かねて望遠鏡作りの名人ドロンドから買っておいた素晴らしい反射望遠鏡で敵の陣地を偵察すると、敵は今まさに我々の方に向かって、三十六ポンド砲を放たんとする一瞬だった。危ない、危ない。
 そこで吾輩は、将軍にわけを話して兵隊に四十八ポンド砲を持って来させて、敵が撃つと同時にこっちもぶっ放した。

 ドッカーン!

 両方の弾は、恐ろしい音を立てて空中で衝突したが、何しろこっちの弾は敵の弾より十二ポンドも違うから、たちまち跳ね返した。

 ブーン!

 弾は敵の陣地に逆戻りして、撃った砲手の首を跳ね飛ばし、アメリカ海岸を越えてバーバリ地方まですっ飛んだ。
 ちょうど、港内には三艘の船が泊まっていたが、その大マストを折り、最後には農家の屋根を撃ち抜いて、お婆さんの二、三本の歯を欠いて、弾は気の毒に、お婆さんの喉につかえてやっと止まった。
 びっくりしたお爺さんは、お婆さんの喉から弾を引っ張り出そうとしたが、どうしてもだめなので、磁石を使って引き寄せて、やっと命を救った。
 一方、敵の弾をはじき返した我が四十八ポンド砲は、我が方に向けられていた敵の大砲を台座もろとも吹っ飛ばし、軍艦の船倉に叩き込んだからたまらない。軍艦は大穴をあけて、千人に余る乗組員もろとも沈没した。
 将軍は吾輩の素晴らしい功績に対して、将軍の位を与えると言ったが、吾輩は硬く断った。半分は怪我の功名だったからである。
 後で分かったことだが、吾輩は味方の四十八ポンド砲に、間違って二回分の火薬を詰めたのだった。それだからこそ、あんなにすごい威力を発揮したのだ。
 吾輩は、その晩の祝賀会で将軍が将校全員の前で吾輩に感謝の言葉を述べた事だけで満足し、このうえは、さらにもう一つ手柄をあげて置き土産にしたいと考えた。そのチャンスは三週間後にやって来た。
 偵察の役目を引き受けた吾輩は、牧師の服装をして真夜中に要塞を抜け出し、敵の目をごまかして、まんまとその陣営深く潜りこんだ。
 そこではフランスの将軍アルトワ伯爵が高級将校と共に作戦会議を開いていた。あくる朝、一斉に突撃して要塞をせん滅しようというただならぬ相談だった。
 変装のおかげで、吾輩は誰にも怪しまれずにこの話を聞くことが出来たばかりか、コーヒーまでご馳走になった。
 やがて彼らがベッドに入り、陣営が寝静まると、吾輩は直ちに行動に移った。
 まず、三百に余る大砲を片っ端から台座から引きずりおろすと、五キロメートルも遥かな海上へ放り込んだ。
 次には大砲の台座と車を、陣営の真ん中にジブラルタルの岩ほどの高さに積み上げて、拳骨固めておでこを一発、お得意の手で、目から飛び出した火花で火をつけた。そして、延々と燃え盛るのを待って、頃はよしと、
「大変だ、大変だ」
 と騒ぎ立てた。
 もちろん、敵の陣営は大混乱に陥った。だが、まさか、吾輩の仕業と思うはずがなく、吾輩は咎められないどころか、
「あなたが見つけてくれなかったら、武器どころか我々全員まで焼け死ぬところだった」
 と感謝された。そして、おそらく要塞から七、八連隊の精鋭が密かに上陸してやったのだろうと結論した。
 かの有名なドリンクウォーター氏は、この時のことを本に書き表しているが、敵の陣営に起こった火災の原因については触れていない。知らなかったからである。知らないはずだ。吾輩は誰にも、エリオット将軍にも話していないのだ。これしきの手柄でちやほやされるのは、むしろ迷惑だと思ったからである。
 そんなことがあってから、約二か月の事だった。
 ある朝、吾輩がエリオット将軍と一緒に朝食のテーブルに向かっていると、突然、窓から一発の爆弾が飛び込んできた。将軍は肝をつぶして逃げ出したが、吾輩はびくともしない。
「こしゃくな」
 とばかり、それが破裂しない内に拾い上げて、岩のてっぺんに駆け上がった。さて、どこへ捨てようかと辺りを見渡すと、敵陣に近い丘に十人ほどの人影が見える。
 何をしているのかと例の望遠鏡で覘くなり、吾輩はドキッとした。
 夕べ、敵陣にスパイとして潜り込んだ味方の将校が捕まって、今まさに縛り首の刑に遭おうとしているではないか。
「これは好都合だ」
 吾輩は爆弾で将校を助けようと思ったが、素手でそこまで投げるには距離が遠すぎる。その時思いついたのは、ポケットの中の石弓だった。
 家を出る時、何かの時にと父がくれた石弓で、昔ユダヤのダビデが巨人ゴリアテを打ち倒したという、いわく付きの物だ。
 吾輩はそれに爆弾を挟んで、えいとばかりに岩の人だかり目がけて投げ込んだ。

 ドッカーン!

 爆弾は破裂して敵の奴らを吹き飛ばした。もちろん、首吊り台もろとも味方の将校も空に吹っ飛んだが、運よく、海上に浮かんでいた味方の船のマストに引っかかって危なく命拾いした。
 この時の石弓は、今でも我が家の書斎に永遠の記念として、大切に飾ってある。
 やがて、どうやら戦局も落ち着いたので、吾輩はエリオット将軍に別れを告げてジブラルタルからイギリスへ帰った。
 吾輩は、ハンブルクの友人たちに贈る土産物が船に積まれるのを見るためにウォッピングまで行ったが、その帰りの事だった。
 タワーウォーフまで来ると、ひどく疲れた。暑さは暑し、一休みしようにも木陰が一つも無い。するとそこに大砲があったので、その中に潜り込んだ。吾輩は、大砲の中がこんなに涼しく居心地のいい物とは知らなかった。いい気持でぐっすり眠ってしまったが、ちょうどその日がイギリス国王の誕生日で、一時になると祝砲が鳴らされるなどとは夢にも思わなかった。
 撃つ方だって、大砲の中で人間が眠っているなどと思う訳がない。正一時になると、遠慮なく大砲は発射された。
 人間大砲、つまり吾輩の身体は、野越え、山越え、川越えて、バーモンゼイとデッドフォードの間のある土地管理人の中庭に落ちた。と言っても、そこは大きな干し草の山で、気を失った吾輩は、そこで三か月も眠り続けた。


 その内に、辺りがあまり騒々しいので目を覚ますと、五百台もの荷車で、干し草の積み出しが始まっていた。だが、眠りがまだ抜けきらず、どこにいるかも気が付かない吾輩の事だ。
 驚いて逃げ出そうとすると、そのはずみに足を滑らせて、干し草の持ち主の頭に転げ落ちた。ところが大変な事が起きた。
 吾輩はかすり傷一つ受けなかったが、相手は打ちどころが悪かったか、そのまま死んでしまった。
 吾輩はどうなる事かと青くなったが、かえって村人から感謝されたのには驚いた。
 後で聞くと、この男は大変な悪い奴で、よその干し草を盗んできては売り飛ばし、またその金を高い利息で貸し付ける憎い鼻つまみであったことが分かった。まあ、天罰というものであろう。
 さて、吾輩の冒険談は……。おっと、喉が渇いた。お茶を飲んでからにしよう。

                    ☆

 諸君は、キャプテン・フィップスの北国探検旅行の事をお聞きになったことがあるだろう。その時、吾輩もキャプテンのお供をした。
 我々がかなり北方に進んだ頃、吾輩は獲物を探して望遠鏡であちこちを見回した。
 すると、いたいた。行く手、およそ八百メートルの所に浮いている高い氷山の上で、二匹の白熊が組討ちして遊んでいるではないか。吾輩は直ちに銃を抱えて、その氷山に登り始めた。鏡のようなつるつる道を一歩一歩踏みしめて、やっと天辺にたどり着いた。
 そんな事は知らずに、白熊たちは、盛んにふざけていた。吾輩は、しばらくは奴らの毛皮の美しさに見とれていたが、時は良しと、銃の狙いを定め、今まさに引き金を引こうとした瞬間、なんと不覚にも足を滑らせて、あおむけにひっくり返ったばかりか、硬い氷に頭をぶっつけて気を失ってしまった。
 しばらくして、やっと気が付くと、なんとたまげた事に先ほどの白熊の一匹が、吾輩のズボンのベルトに手をかけて引きずって行こうとしているではないか。
 吾輩は素早くポケットからナイフを取り出すと、奴の後ろ脚の指を三本切り落とした。途端に、

 ウォーッ!

 白熊め、恐ろしい唸り声を立てて足を引き引き逃げ出した。もうこっちのものだ。吾輩は、ズドンと一発、白熊を倒して、
(ざまを見ろ)
 と胸がすっとしたが、まさかこの一発の銃声が八百メートル四方の氷山に眠っていた何千と言う白熊を起こしてしまおうとは思いもよらなかった。そいつらは仲間の仇とばかり、猛然と雪を蹴立てて走って来る。
 ひと時もぐずぐずしてはいられない。吾輩は咄嗟に倒れている白熊の毛皮を剥いで、その中に身体を隠した。つまり、白熊に化けたのである。
 そこへ、白熊の大群がやって来た。だが死んだと思った仲間が、生きて立っているので、みんな怪訝な顔をした。だが、まだ疑い深く匂いをかがれた時は、さすがの吾輩も生きた気がしなかった。だから、
「やあ、元気で良かったね」
 と言うように、親方らしい白熊に肩を叩かれた時の嬉しさときたら……。
 我々は、すぐ仲良しになった。吾輩は、白熊の仕草を眺めて真似をした。吠えたり唸ったりすることは苦手だった。それにいつまでも熊と遊んでいる訳にもいかない。
 すると白熊たちは、あちこちで組打ちをおっぱじめた。吾輩にも、一匹が、
「さあ、来い」
 とばかりに大手を広げた。
 しめた。これこそ、こっちの思うつぼだ。吾輩は、熊に組み付くと見せかけて、隠し持った右手のナイフで両肩の間、つまり首筋を突き刺した。そいつが呆気なく、ころりと倒れると、
「じゃ、オレが相手だ」
 と、また次の熊が向かってくる。こいつもナイフでまた、ころり。吾輩は、この方法で次から次へと白熊を仕留めた。
 さて、足の踏み場もないような白熊の死体を乗り越えて船に戻った吾輩は、乗組員を総動員して白熊の皮をはぎ、もも肉を船に運び込んだ。
 そして、不思議にイギリスに帰ってきたのだが、航海の途中、毛皮と肉の重みで船が沈没しそうになって困った。
 おかげで吾輩の名声はイギリス中に鳴り響いたが、気の毒なのはキャプテンだった。誰も相手にしてくれないので、吾輩を逆恨みして、なんだかんだとケチを付けようとした。中でも、
「ミュンヒハウゼン君が熊の皮をかぶって熊を騙したのは感心できない。私なら、そんな変装などしないで熊の群れに入って行き、それでいて、自分を熊だと思わせることが出来たのに」
 と言ったのには吹き出した。
 なるほど、キャプテンの髭だらけのご面相なら……。いや、やめよう。騎士たるものは、みだりに他人の悪口を言うべきでない。

                    ☆

 その後、吾輩はキャプテン・ハミルトンと一緒に、イギリスからインドに向かって航海した。
 吾輩はその時、一匹のポインターを連れて乗船したのだが、その犬は、全く、いくら金を積んでも買えないような素晴らしい名犬だった。
 ある日の事、陸地まではまだ五十キロもあるというのに、我がポインターが猟師の獲物が近くにいると、吠えだした。
「どうです。こいつの獲物をかぎつける感覚は大したものでしょう」
 吾輩はさっそく自慢すると、みんな笑い出した。
「馬鹿馬鹿しい。獲物が近くにあるなら陸地が見えそうなものじゃないか」
「犬のいう事など信用できるものか」
 吾輩は憤然とした。
「じゃ、君たちの目とポインターの鼻と、どちらが正しいか、百ギニーの賭けをしよう」
「面白い。気の毒だが百ギニーはこっちのものだね」
 しかし吾輩は、ポインターの鼻を信じ切っていた。それでなければ、百ギニーなどという大金で賭けをするわけがない。
 すると、果たして、果たして。
 まもなく船の後ろに結わえ付けられたボートで釣りをしていた水夫が、とてつもなく大きいサメを仕留めて船に引き上げた。
「ポインターの嗅ぎつけた獲物はこれかね」
「君は、陸の獲物と言ったはずだが」
 みんなは相変わらず吾輩を馬鹿にしたが、いざ、サメの腹を開いて見ると、どうだ。サメの胃袋の中から生きたシャコが六羽も羽ばたきして出て来たではないか。
 こうして、吾輩は忠実なるポインターのおかげで、賭けに勝って百ギニーの大金を手に入れることが出来た。

                    ☆

 吾輩は、すでに銀の斧を取り返しに月に登った話を諸君にしたが、あまりに慌ただしい旅だったので、その内また行って、月世界の様子を詳しく調べたいと思っていた。折も折、吾輩の遠い親戚にあたる男が、ガリバーが大人国で発見したような大きな体の民族が月に住んでいるらしい、と思い込んで、吾輩にその民族を捜しに一緒に行ってくれと言いだした。
 吾輩がガリバーの大人国の話など信じるわけがないが、その人は吾輩に遺産を受け継がせてくれることになっていたから、吾輩は愛想をよくしておく義務があった。もちろん、承知した。
 さて、問題はどうして月に登るかである。インゲン豆のつるでは懲りているし、風船で登るのも、いつか失敗した例を見ているし、色々考えた末、暴風に頼るのが最上の方法だと結論した。
 そこで我々は、暴風で名高いオタヒチ島さして船を進めた。
 すると、果たして十八日目にものすごい暴風が起こって、船を千六百メートルも高く吹き上げてくれた。船は帆をはらませてぐんぐん、雲の上を走った。


 そして六週間後に、輝く丸い陸地に着いた。
 ここが目指す月だったのである。
 下を見下ろすと、町や木や山や川や湖水などのある陸地があったが、よく考えてみると、これが我々の去ってきた地球だった。
 月の世界では、人間はハゲタカにまたがって走っていた。そのハゲタカには、どれも頭が三つあった。また、大きさも大変なもので、船の帆綱の六倍もあった。
 大きいと言えば、食卓の上を飛ぶハエが地球の羊ぐらいあるのにも驚いた。こいつを鉄砲で撃ち落としながらする食事は楽ではない。
 折も折、月世界の王様は、太陽と戦争をしていた。
 吾輩の豪遊ぶりは月世界まで聞こえているらしくて、王様は味方になってくれと頼んだが、今回は学者として調査研究に来たのだからと丁寧にお断りした。
 月世界の人の船倉に使う主な武器は大根で、これを投げ槍代わりに用いるが、一突きで敵を殺すことが出来る。大根の季節が過ぎるとアスパラガスの茎を使う。盾はキノコで作られている。
 商用で来ているシリウス星の住人もよく見かけた。彼らはブルドッグのような顔をしていて、目は鼻の下の両側にあり、まぶたは無くて眠る時は舌を目にかぶせる。身長は六メートルもあるが、ここではチビだ。
 何しろ月世界の住民は十メートル以下の者は居ないのだから。
 月の住民の名前がまた変わっている。
 彼らは人間とは言わず、“煮炊きするもの”と呼ばれる。
 それは人間と同じく、食物を煮炊きして作るかららしい。しかしそれを食べる事にかけて人間より簡単で便利に出来ている。口に入れて噛むなどと言う面倒くさいことはいらない。お腹をちょっと開いて、胃袋の中へ料理を詰め込んでおけば一か月は食べなくてもいいのだ。だから、彼らの食事は一年十二回で事足りる。
 月世界では“煮炊きするもの”つまり、地球で言う“人間”は木に実る。
 その木は他の木よりずっと美しく、真っ直ぐな枝と肉色の歯があり、その実はクルミのように固い殻に入っていて、長さは二メートルもある。
 熟した頃にこれを摘み取って、大きな鍋でぐつぐつ煮ると、人間が飛び出してくるという塩梅だ。
 月世界の人は年をとると、死なずに空中で分解して煙のように消えてなくなる。だから、ここには火葬場は無い。とにかく何もかもが便利に出来ているのだ。
 身体はどこでも取り外しが出来る。散髪の時は床屋に頭を預けておいて、胴の方は風呂に入っている。目も、鼻も、口も自由に外せるから、気に入らなくなったら取り換えればいい。
 そのために交換する店もたくさんある。
 旅行するにしたって、重い鞄をぶら下げていく必要はない。さっき言ったように、お腹が開けられる仕掛けになっているから、要るものは何でも入れていけばいい。とにかく胃袋の他には何にもないがらんどうだから、何でも入るといった具合だ。
 少しでも疑わしいと思う人は、どうぞ一遍、月世界へ行って御覧になるといい。そうすれば、吾輩が本当の話どころか、少し控えめに物語ったことがはっきりするに違いない。

                    ☆

 さて、最後に、月世界旅行と同じような、いや、それに輪をかけた不思議で珍しい吾輩の冒険談をお聞かせしましょう。
 ある日吾輩は、たとえ命にかかわろうとも、という硬い決心のもとに、シチリア島のエトナ山火口の内部の作りを調べようと出発した。
 およそ三時間も険しい道を歩き続けて、やっと山のてっぺんに着いた。
 その頃、山は荒れていて三週間も荒れ続けた後だった。吾輩は火口の周りを三度も回ったが、そんな事では内部の様子はわかるはずも無いので、思い切って、えいとばかりに火口に身を躍らせた。
 吾輩の身体は、吹き上げる真っ赤に焼けた炭火のためにたちまち焼けただれて、それでもどんどん落ちて、ついに火口の底に着いた。
 ほっとした途端、向こうの方で恐ろしい物音と叫び声が聞こえてくるので行ってみると、どこかで見た事のある足の悪い神と、一つ目の巨人が大げんかをしているではないか。
 吾輩は頭をひねって、やっと二人の正体が分かった。いつか、昔話で読んだことのある、火と鍛冶の神ブルカーンと家来のサイクロプスだった。やれやれ、こんな連中が火口の底で暴れていては、山も荒れるわけだ。
 しかし、吾輩の姿を見ると、二人はたちまち喧嘩をやめた。そしてブルカーンは、親切にも油薬を塗って吾輩の手当てをしてくれたばかりか、酒まで飲ましてもてなしてくれた。
 ブルカーンは、エトナ山の起こりについて説明してくれた。
 何のことは無い。ブルカーンの鍛冶場から投げ出される灰が積み重なって出来た山だそうだ。つまりブルカーンは、ときどき家来に罰を与えるために真っ赤な炭火を投げつけるのだが、度重なるうちに、家来はよけ方が上手くなった。そこで外れた炭火は地上へ飛んで灰になって積み重なってエトナ山になったという訳だ。
 ブルカーンはなおも語り続けた。
「我々の喧嘩は二、三か月も続くことがあり、その事から地上に起こる騒ぎを、あなた方は爆発と言っているようです。ご存知のベスビオ山の大爆発も、我々のせいで申し訳ないと思っています」
「なるほど、なるほど」
 吾輩は、正直なブルカーンがすっかり好きになって、もっとこの地下の宮殿に居たかったが、ままならぬは世の、いや地底の常だ。
 口うるさい奴が、ブルカーンに吾輩のつまらぬ告げ口をしたらしく、お人よしのブルカーンはかんかんに怒って、訳も言わずに、
「この恩知らずめ、お前が来た、元の世の中へ帰っていけ」


 言い訳をする暇も有らばこそ、吾輩は底なしの深い井戸に投げ込まれた。
 吾輩の身体は深く深く、どこまでも吸い込まれて、次第に気を失っていったが、やがて我に返ると、眩しい太陽の輝く海の上に浮かんでいた。
「やれやれ、助かったぞ」
 吾輩は、ほっとしたがそれもつかの間の喜びで、どこを見回しても陸地らしいものは見えない。いささか心細くなっていると、小山のような氷山が流れて来た。吾輩は得たりと、それによじ登った。
 腹がペコペコだし、また白熊でも仕留めて焼肉にでもあずかろうと、方々探してみたが、足跡一つ見つからない。
 ガッカリしていると、なんという幸運だ。はるか彼方から、一艘の船が走って来るではないか。
「おーい、助けてくれえ」
 吾輩は夢中で叫んだ。


「今行くぞ、待ってろ」
 向こうも答えて、船はぐんぐんスピードを加えた。
 吾輩は、もう嬉しくて船の来るのが待っていられず、ざぶんと海中に飛び込むと、船に泳ぎ着いて、やっと引き上げてもらった。
 船員から、ここが南太平洋の真ん中だ、と聞かされた時にはからかわれているのかと思った。船員の言う事が本当だとすれば、吾輩はエトナ山の火口の底から地球の中心を突き抜けて、南太平洋の中へ落ちたことになるからだ。
 しかし、それは間違いのない事実だった。そして、それは吾輩以外のどんな人間も通った事のないコースだった。こんな事なら、気など失わずによく観察すればよかった、とつくづく後悔した。
 吾輩は、船員の手厚い看護ですぐ元気になった。そして聞かれるままに、今までの冒険のいきさつを細かに話したが、誰も信用しないばかりか、腹を抱えて大笑いした。
 吾輩は、自分の正直を疑われるのは我慢ならない性質だが、相手が命を助けてくれた恩人であっては仕方がない。煮えくり返る胸を押さえてこらえた。
 次の日の朝、我々の船はオーストラリアのボタニー湾へ着いた。ここは非常に自然に恵まれて上天気で、イギリス政府はここへ罪人を送ってよこすようだが、むしろ手柄のあった人をご褒美に連れてきた方が良さそうに思われた。
 我々は、ここに三日だけとどまってまた出港したが、その四日目の事だった。恐ろしい嵐のために、帆と言う帆は引きちぎられ、船首の斜めの帆もばらばらにされ、おまけに大きなつぎ帆柱が羅針盤の上にぶっ倒れて、羅針盤の箱もろとも無残に打ち砕かれた。
 さあ、大変。
 船に羅針盤が無くなったら、盲目が杖をなくしたのとおんなじだ。方角が分からなくなる。
 間もなく嵐は静まったが、我々の船は、あっちへふらふら、こっちへふらふら、あてどの無い航海を続けなければならなかった。
 そして三か月後の事だった。苦あれば楽あり。
 ある日、吾輩は何とも言えない良い香りに目を覚ますと、甲板の方で、
「ミルクだ、ミルクだ」
 と、船員たちが大騒ぎだ。
 何事かと行ってみると、これは驚いた。海の水が真っ白に変わっている。
 舐めてみると、なるほど、舌のとろけそうな甘いミルクだ。おまけに陸地も広い。
 我々は大喜びで、ミルクの海を突っ切って上陸した。すると、さらに驚いた事に島全体がチーズで出来ている事だった。
 島の住民は、このチーズを食べて生活している。しかも便利な事にいくら食べても、一夜のうちに元通りに生長しているから、ちっとも減らない。
 見事な実のついたブドウの木もたくさんあったが、食べて見るとこれもミルクの味だった。
 お化けキノコのような穂のついた麦も生えていたが、この実の中には、すっかり焼けて食べられるばかりのパンが入っていた。
 我々は、この島を歩き回っている内に、七つのミルクの川と、二つのぶどう酒の池を発見した。
 こんなわけだから、背丈が二メートル七十センチ、足が三本、手が一本、額に角が一本生えている奇妙なこの島の住民は、いつも働く必要もなく、飲んだり食ったりミルクの海で遊んでいる。平地と同じで絶対沈まないのも便利だ。
 このチーズ島で、我々は目と目の間に一本の角の突き出た二匹の野生の牛を仕留めて、焼肉にして舌つづみを打った。しかし、あとでこの牛は住民が乗り物に使うのだと聞いて、悪い事をしたと思った。
 いくら不思議な島でも、牛の骨に一夜で肉がついて生まれ変わるという事は無いからだ。
 また、ある時、吾輩は三人の男が高い気に吊るされているのを見た。
 一体この三人が、どんな悪い事をした罰かと聞いてみた。
 すると役人は、
「この連中は外国旅行をして帰ってきたのだが、出鱈目な冒険談を触れ回ったから厳罰を与えているのだ」
 と答えた。
 吾輩は、なるほどと同感した。
 いや、もっと酷い罰を与えてもいいと思った。旅行者としては、いつでも正直に本当のことを話すより大切な事は無いのだ。
 吾輩は、もっとこの島に居たかったが、船員に怠け癖が付くと困る、という船長の言葉に従って、再び出港した。
 羅針盤の無い船は、相変わらずあてずっぽうに海の上を走ったが、その内に、海は白から緑に、そして真っ黒に変わった。舐めてみると、なんとこれは世にも素晴らしいぶどう酒だった。
 と、その途端だ。我々の目の前に、一軒鯨のような巨大な怪物が現れた。船の中のありったけの望遠鏡をつなぎ合わせて覗いても、尻尾の方はかすんで見えないくらいだった。
 あっと言う間に、そいつは我々を船ごとぱくりとやると、がぶがぶ海水を飲んでのどから胃袋の中へ流し込んだ。
 我々の船は、胃袋の中でぽっかり浮かんだ。周りにも、怪物に飲まれた沢山の船が並んでいた。
 奴は時々水を飲む。その度に、船は水をかぶって沈没しそうになるので、ポンプで排水作業をするのだが、その大変な事ときたらありはしない。
 とにかく、この怪物ときたら、周りが数十キロメートルもあるジュネーブ湖の水よりも、さらにたくさんの水をがぶ飲みするのだ。
 誰も生きた顔色は無かったが、いつか怪魚の腹に駆け込んだ経験のある吾輩だけは、落ち着いていた。奴らの体内の地理には明るいことだ
し、船長や二、三の士官を励まして、松明を頼りに船を降りて、胃袋の中を視察に出かけた。  すると隅の方で、一万人近い人が、どうすればこの怪物の腹の中から逃げ出せるかと、真剣に会議を開いていた。
 我々も仲間に加わって、討議が一段と活発になった途端、

 ドドドドドッ!

 頭の上から滝のように海水が流れ込んできた。怪物が意地悪く水を飲んだのだ。
「わあ、助けてくれ」
「溺れるよう」
 みんな、あっぷあっぷの大混乱だ。しかし、そこは海を友とする船乗りたちばかりだから、どうにか危険を逃れて会議は続けられた。
 今度は吾輩が議長に選ばれた。
 そこで吾輩は、
「帆柱を二本継ぎ足して、怪物が口を開いた途端につっかい棒にして、その隙間から逃げる方法はいかが」
 と提案すると、
「なるほど、いい考えだ」
「賛成、賛成」
 たちまち可決された。
 そこで、百人の勇敢なものが選ばれて、二本の帆柱をつなぎ合わせてチャンスを待った。
 やがて時は来た。
 怪物が大あくびをしたので、
「それっ、今だ」
 わっしょ、わっしょい、力を合わせて頑丈な帆柱が怪物の上あごと下あごの間にしっかり立てられた。怪物は大口を開けたまま、目を白黒させている。もう、こっちのものだ。
「ばんざい」


 我々は、凱歌を上げると、胃袋の中の三十五艘の船で一艦隊を編成して、威風堂々、怪物の口から抜け出したのである。
 輪が舟の羅針盤は、うまく怪物のヘソの辺りに他所の船のが引っかかっていたのを頂戴した。
 例の帆柱は、怪物の口の中へ立てっぱなしにして、今後、他の人々が二度と我々のような目に遭わないようほったらかしておいた。
 噂によると、その後、この怪物は飲みたくなくても胃袋に水が遠慮なく流れ込み、ついに腹が膨張して、大爆発を起こして死んだと言われる。
 天罰覿面というものだ。
 さて、我々は死地を首尾よく逃れたのだが、今、どこにいるのかさっぱり分からない。
 しかし、吾輩は今までの行く先を色々と考え併せて、カスピ海らしいと思っていた。
 だが、よく考えてみると、カスピ海と言えばすっかり陸に囲まれていて、どの海にも続いていないから、船が陸を渡って来ない限り、我々がこんな所にいるわけがないのだ。
(おかしいぞ)
 と思っていた。
 そして、吾輩がチーズ島から連れてきた男が、
「なあに、ちっとも不思議じゃありませんよ。あの怪物が、私達を胃袋に押し込めたまま、地下を潜ってこのカスピ海まで来たんですよ」
 と、もっともらしい説明をした。
 さてある陸地に着くと、久しぶりに土を踏むことのできる喜びに、吾輩は真っ先に船を降りたが、途端に待ってましたとばかりに一匹の太った大きな熊が飛びかかって来た。
 吾輩はそれを歓迎と解釈して、
「お出迎え、ご苦労様」
 と言いながら、熊の前足を一本ずつ捕まえて、力いっぱい握手した。


 ウーッ!

 熊は変な声を出して唸ったが、あいにく熊語の分からない吾輩は、熊が喜んでいると思い込んで、何日も手を放さずにいたら、とうとう、熊は腹を減らして伸びてしまった。
 吾輩は、そこからロシアの都ペテルブルクへ行った。そこで、ある古い友人を訪ねると、記念に一匹の猟犬をくれた。狩りの話で、諸君ご存知のあの素晴らしい奴の血を引いた子供だ。
 あの猟犬は、へたくそな猟師に貸してやったばかりに、そいつに撃ち殺された。折角犬がシャコを追い出してくれたのに猟師は間違えて、犬を撃ってしまったのだ。全く、可愛そうなことをしたものだ。
 吾輩は、記念のためにその猟犬の毛皮でチョッキを作った。今着ているこのチョッキだ。このチョッキさえ着ていけば、猟に行くにも犬はいらない。忠実なる吾輩のチョッキは、黙っていても獲物のいる場所へ足を向けさせてくれる。
 射撃の出来る近くまで来ると、吾輩の足はひとりでに止まり、チョッキからボタンが飛んで行って獲物のいる場所へ落ちる。そこを狙って吾輩は引き金を引くという訳だ。
 吾輩の狙いは少しも狂わず百発百中、どんな猛獣だって逃れることは出来ない。御覧の通り、吾輩のチョッキにはもう、ボタンが三つしか残っていない。だが、猟の季節になったら、さっそく二つのボタンをつけ足して、野山へ飛び出すつもりだ。
 その時は、また尋ねてきたまえ。もっと面白い話もある事だろう。じゃあ、さようなら。



おしまい


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