人のいい竜


                    ☆

 昔、イギリスのある寂しい村の、丘のふもとの一軒家に、羊飼いの男が住んでいました。
 広い村でしたから、隣の家まではかなりあります。
 ですから、男は広い野原でただ羊だけを相手に、静かな日々を送っていました。
 ところで、この羊飼いには、おかみさんと一人の息子がありましたが、息子は大変本が好きで、暇さえあれば本を読んでいます。村の人の中には、
「本なんか読ませず、仕事の手伝いをさせたらどうだ」
 と言う人もありましたが、父親は自分が学校へ行けなかったので、せめて息子には、十分学問をさせてやりたいと思っていました。
「仕事はわしらの受け持ちだし、勉強は子供の受け持ちでさあ」
 と言って、息子の好きなようにさせておきました。
 そこで息子は、理科の本と言わず、おとぎ話と言わず、手に入る物は片っ端から読んで、広い、偏らない知識と、深い立派な考えを身に着けていきました。
 ところが、ある晩の事です。
 父親は、何に驚いたかガタガタ震えながら仕事から帰ってくると、縫物をしていたおかみさんに、
「マリア、オレはもうあの丘へは登らねえ。どんなことがあったって、二度と登らねえぞ」
 と、さも恐ろしそうに言いました。
 おかみさんは賢い、気性の勝った人でした。
「どうしたんだね、お前さん? いきなりそんな事を言ったって、私達にはわかりゃしないよ。何かあったんなら、話してごらんな」
「うん、今日始まった事じゃねえ」
 と、羊飼いは言いました。
「何日か前から、丘の上の洞穴で、変な音が聞こえていたんだ。タメ息みてえな音に混じって、ぐうぐう……いびきをかくような音……。おらあ、何だろうと思って、仕事を終わってから行ってみたんだ。そしたら、おめえ……」
「な、何がいたんだね?」
 と、おかみさんは釣り込まれて、気味悪そうに尋ねました。
「何がって、決まってるじゃねえか。奴さ、竜さ。胴体を半分、穴から乗り出して、こう前足をついて、考え事をしているみたいだった。大きさは、馬車四台分ぐらいで、身体全体がきらきら光る、青いうろこで包まれていた。そして息をするたびに、靄みてえなものが、辺りに立ち込めるんだ。驚いたの、何の……おらあ、今日ぐれえ驚いた事はねえ」
 羊飼いがそう言うと、本を読んでいた息子が顔を上げて、
「お父さん、何も驚くことは無いよ。そんなの、ただの竜じゃないか」
 と言いました。
「な、何だと?」
 羊飼いは目をむきました。
「おめえみてえに、家の中で本を読んでいる者に、あの恐ろしさが分かるもんか」
「だって、その竜は、父さんに何もしなかっただろう」
「当り前さ。何かされてみろ、こうして家へ帰って来られるもんか」
「だったら、竜の事は僕に任せておくれよ。僕、明日、竜の所へ行って話をしてくるから。そうすれば、もう大丈夫だよ。僕、竜の事は本で読んで色々知っているんだ。竜ってとても細かいことを気にするんだって……」
「そうだよ。この子の言う通りだよ」
 と、おかみさんも言いました。
「何も知らないお前さんが、いきなり竜の所へ行って、怒らせでもしたら大変だよ。それより、この子に任せておおき。この子は気立てが優しいから、誰だってすぐ懐いてしまう。竜だって、きっと手懐けてしまうよ」
「そうだなあ。じゃ、そうするか」
 と、父親は言いました。

                    ☆

 次の日の午後、男の子は岩だらけの道を伝って、丘の頂へやって来ました。
 すると、お父さんの言った通り、一匹の竜が洞穴の前の草の上に寝そべっていました。
 その辺りから麓を見ると、何キロという間、ただぼうぼうとした草原で、その向こうの谷間には家がごちゃごちゃ固まっています。そして、その遥か彼方には、町らしいものが見え、灰色の煙が空に広がっています。
 涼しい風が木の枝を揺すって、ネズの木(ネズミサシ。常緑喬木)の上には、銀色をした三日月が淡く光っていました。
 竜はそれを見ながら、満足そうにゴロゴロ……のどを鳴らしているのでした。
(へーえ、竜が猫みたいに喉を鳴らすなんて、どの本にも書いてなかったぞ)
 男の子は、つかつか竜の側へ歩み寄って、
「こんにちは、竜さん」
 と声を掛けました。


 竜は男の子を見ると、顔をしかめて、
「せっかくいい気持ちでいるんだ。石を投げたり、水をぶっかけたりしないでくれよ」
「そんな事をするもんか」
 男の子は答えて、竜のわきに腰を下ろしました。
「僕の家はこの丘のふもとにあるんだ。君が、この洞穴に引っ越してきたと聞いたものだから、お隣さんへあいさつに来ただけなんだ。邪魔なら帰るよ」
「まあ、待ってくれ、帰らないでくれ」
 と、竜は慌てて止めました。
「わしはここで、とても満足しているんだが、ただ話し相手が無くて、退屈でなあ……」
「しばらく、ここにいるんですか?」
「さあ、それは分からない。何しろ、わしは来たばかりなんだから。それに、お前に打ち明け話をすると、実はわしは手の付けられない怠け者でな、ここにこうしていられるのも、そのせいかも知れないんだ」
「へーえ」
「いや、本当なんだ」
 竜は話し相手の出来たのを喜ぶように、座り直して続けました。
「仲間の竜はみんな働き者で、そこいらじゅうを暴れ回って、山を崩したり、人を取って食ったりしている。ところが、わしは怠け者で、食事がすむと岩に寄りかかって昼寝をするのが癖なんだ。そして目を覚ますと、世の中の様々な出来事について考えるのが好きなんだ。先だっても、地の底で色々考えている内に、外へ出て、ほかの者が何をしているか、一度見てみようと思い立った。そこで、土を引っ掻いたり、岩をどけたりしている内に、いつの間にかこの穴へ出てしまったんだ。ここは景色もいいし、人間の気立ても良さそうなんだ。なんならここへ落ち着こうと思っている」
「他に、どんなことを考えるんです?」
 と、男の子は聞きました。
 すると、竜はちょっと恥ずかしそうに、
「詩さ」
 と答えました。
「わしは慰みに詩を作っているんだが、仲間は誰も分かってくれない。それどころか、わしを笑いものにするんだ。だが、お前には学問がある。ひと目見て、わしにはちゃーんと分かる。わしの作品について、遠慮のない意見を聞きたいものだ。お前に会えて、わしは本当に嬉しいんだ。この辺の人も、みんな気持ちが良さそうじゃないか。昨日も、大変人の良さそうな男がここへ来たが、わしの邪魔をしないですぐ帰って行ったよ」
「ああ、それは僕のお父さんです」
 と、男の子は答えました。
「父さんはとてもいい人です。いつか紹介しますよ」
「いつか……と言わずに、明日どうだね? 明日、ここで一緒に食事でもしようじゃないか」
「ええ、でも……」
 と、男の子は渋りました。
「僕たち、他所へ行くときは、いつも母さんと一緒なんです」
「じゃ、お母さんも連れてくるといい」
「ええ、でも、母さんが来るかなあ? だってあんたは人間の敵なんですものね」
「と、とんでもない。わしは詩人でへたくそな詩を作って、ほかの者に読んで聞かせるという悪い癖があるかも知れないが、人間には何も悪いことをしていない。敵なんて呼ばれる覚えはない」
「分かっちゃいないんだなあ。いいですか!」
 と、男の子は語気を強めました。
「僕だからいいが、もし他の人があなたを見つけたら、槍だの剣だのを持って、きっと殺そうとしますよ。人間の世界では、あなたは悪者と相場が決まっているんですから」
「分からん、わしにはさっぱり分からん」
「聞き訳が無いんだなあ。とにかく、僕はもう帰ります。そして、明日、何時になるか分からないけど、また来ます。その間に自分の立場をよく考えておいてください。さもないと、今に困ったことになりますよ」
 男の子はそう言って、家に帰ると、大人しい竜の話をして、お父さんやお母さんを安心させました。

 次の日、羊飼いは息子の紹介で、竜に会い、友達になりました。ところがお母さんの方は、繕い物でも洞穴の掃除でも、自分に出来ることは何でも竜にしてやるが、友達になるのだけはごめんだ、と言って聞き入れません。
 でも、男の子が竜と遊ぶのには文句を言いませんでしたから、男の子は毎晩のように芝草の上に座って、竜から昔の話を聞かせてもらいました。
 竜の話では、昔、昔、大昔、この地球は厚い氷の層で覆われていたのだそうです。そしてたくさんの竜が住んでいて、我が物顔で暴れ回っていたのだそうです。
 その竜を退治しようと、立ち向かった神々や、巨人との戦いの話は、男の子の血を湧き立たせずにはおきませんでした。
「それから……それから……」
 と、男の子は、夢中で話に引き込まれていました。
 ところがその内、男の子が心配していたような事が起こりました。
 いくら大人しい、遠慮深い竜でも、竜は竜です。
 そして身体が馬車四台分もあり、青いうろこに包まれているのですから、人の目につかないはずはありません。
「おい、見たか?」
「見たとも」
 口から口へ伝わって、村中大騒ぎになりました。
 別に竜が出てきて暴れたわけではありませんが、暴れようと暴れまいと、それは竜の勝手です。
「恐ろしい怪物を放ってはおけない。何とか退治して、村を守らなければならない」
 というのが村人たちの考えでした。


 だからといって、誰一人、剣や槍をとって、竜を退治しようという者はありません。
 その内誰かがやってくれるだろうと、お互い顔色を見ながら、口先だけで勇ましいことを言っているだけでした。ですから、竜は痛くもかゆくもありません。
 毎日、芝草の上に寝そべって、夕焼け空を眺めたり、男の子に昔の話をして聞かせたり、好きな詩を作ったりしていました。

                    ☆

 ある日、男の子が丘から降りてくると、村の様子がすっかり変わっていました。
 家の窓からは、絨毯や五色の紙テープがぶら下がり、教会からはゴーン、ゴーンと、ひっきりなしに鐘の音が聞こえ、狭い村道には花びらがまかれ、村中の人が道に出て、誰かの来るのを待っている様子です。
 そばにいた少年に、
「誰が来るのだい?」
 と聞くと、
「なあんだ、君、知らないのか」
 と、少年は呆れたような顔をしました。
「本当に知らないんだ。芝居か、サーカスか、何が来るのか教えてくれよ」
「イギリス一の大勇士、セント・ジョージ様が来るんだよ。竜の話を聞きつけて、わざわざ退治にやって来るんだ。すごいチャンバラが見られるぜ」
 男の子はそれを聞くと、はっと思って、人々の間をかき分けて、一番前の列に出ました。セント・ジョージがどんな人か、この目で確かめてやろうと思ったのです。
 その内、遠くでわーっという声が上がり、人々は身体を乗り出しました。
 ハンカチを振る者。
 赤ん坊を抱きあげる者。
 その中を、馬に乗ったセント・ジョージがカッカッと、ひづめの音も高くやってきました。何という勇ましい、美しい、そして優し気な勇士でしょう。
 鎧には金がちりばめられ、兜には羽飾りがピンと立ち、右手にはキラキラ光る長身の槍が握られています。気高く、たくましい顔は日に焼けて、ただ目だけがこの人の厳しさを表していました。
「ばんざあーい!」
「ばんざあーい!」
 村人たちは、万歳を叫びました。それにつられて、男の子もうっかり万歳を叫んでしまいました。
 セント・ジョージは、村の宿屋の前で馬を留めると、人々に向かって、重々しく優しい声で言いました。
「わしが来たからには、もう大丈夫だ。わしは必ず、竜を退治して、この村を災難から救ってやるぞ」
「うわーっ!」
 と、人々は喜びの声を上げました。そして、馬から降りた勇士の後について宿屋へなだれ込んでいきました。
 男の子は、はっと気が付いて、
「竜が危ない。早く知らせてやらなくちゃ……」
 そう思って、夢中で丘を駆け上っていきました。

「おーい、大変だあ! 大変だあ!」
 男の子が叫びながら、竜の所へ行くと、鱗を磨いてお洒落をしていた竜は、振り向きもしないで、
「うるさいぞ、坊主」
 と言いました。男の子は、はあはあ息を弾ませながら、
「それどころか、このニュースを聞いて驚かなかったら、君は大したもんだ。いいかい、よくお聞き。セント・ジョージという、イギリス一の勇士が、君を退治にやって来たんだ。長い槍を持って、馬にまたがって、とても強そうだったよ」
「何かと思えば、そんな事か。わしはその男には会いたくない。用があるなら手紙をよこすように言ってくれ」
「落ち着いてる場合じゃないよ。ぐずぐずしていたら、殺されてしまうよ。もちろん、君は戦うのだろうね? みんなも、それを望んでいるのだから……」
「あいにくだが、わしは戦う事は出来ないんだ。今まで一度も戦ったことが無いんだから、今更、他人を喜ばせるために戦うなんて気はこれっぽっちも無いぞ。いつかも話したろう。わしが今ここにこうして居られるのは、そのおかげだって事を……」
「困ったなあ。いくら言って聞かせても分からないんだから。君が戦わなかったら、あの人に首をちょん切られてしまうんだよ。それでもいいのかい?」
「良くはないなあ。わしは、いつまでもここにいて、夕焼け空を眺めたり、詩を作ったりしていたいんだから……。そうだ! お前、何とかうまく取り計らってくれないか。お前は頭もいいんだし、友達のわしにそれくらいの事をしてくれたっていいだろう」
 竜はあくまでのんびりしています。
 まるで人ごとのように、そう言いました。

                    ☆

 男の子は、がっかりして村へ帰っていきました。
 きっと竜がセント・ジョージを相手に勇ましく戦うだろうと思っていたのに、当てが外れたからです。
 そればかりか、このままだったら、竜はきっとセント・ジョージに首をちょん切られてしまうでしょう。
「竜くんたら、この大事件を何とも思っていないんだから……。うまく取り計らってくれないかだって……。ちえっ!」
 男の子が呟きながら村の道に差し掛かると、人々がこれから始まる竜退治の話に花を咲かせながら、家へ帰るところでした。
「残念ながら、竜が勝つと思う。セント・ジョージ様がいくら強いと言っても、人間と竜じゃ勝負になるまい」
「まあ、そうだろうな。だが、敵わないまでもセント・ジョージ様はきっといい勝負に持ち込むぞ。六分四分というところかな」
「まず、そんなところだ」
「オレはそれに賭ける」
「オレも賭ける」
 聞くともなしに聞いていると、村人たちは、そんな事を話し合っていました。
 男の子は、宿屋の前まで来ると、思い切って中へ入って行きました。すると、セント・ジョージがテーブルに向かって、しきりに作戦を練っている所でした。
「竜のことで、ちょっとお話したいのですが……」
 男の子が言うと、
「こっちへ来たまえ」
 と、セント・ジョージは優しく言いました。そして、男の子がそばへ行くと、
「お前の家の誰かが竜にやられたのだな。よし、よし、仇は必ずとってやるぞ。で、やられたのは、親か、それとも兄弟か?」
「違います。そんな事じゃないんです。僕はあなたに、あの竜が立派な竜だという事を言いに来たんです」
「分かっている、分かっている。確かにあいつは立派な竜だ。わしも相手にして不足は無いと思っている」
「ち、違うんです!」
 と、男の子はじれったそうに叫びました。
「僕の言うのは、そういう意味じゃないんです。あの竜は、僕と仲良しで、いろいろ僕に昔の話をしてくれるんです。そして、詩を作るのが大好きなんです。あなたの考えているような、悪い竜じゃありません」
「お前の言うのは嘘ではなさそうだ。あの竜には、いい所があるらしい。だが、村人の訴えも聞かなければならん。さっきから、ずっと村人の話を聞いていたが、その竜は人を殺したり、散々悪いことをしたというじゃないか」
「嘘です。この村の人たちは、大ぼら吹きの大ウソつきなんです。あなたが竜と戦う所を見たいものだから、ありもしない事を言って、あなたを焚きつけたんです。きっと、あなたの前では正義のためとかあなたが勝つに決まっているとか言って、おだてたでしょうが、陰では六対四で竜が勝つ方へ賭けているんですよ」
「なに、六対四で竜の方へだと?」
「そうです。僕は今聞いてきたんです」
「ふーむ、ことによると、わしは村人たちの話を信用しすぎたのかも知れないな。だが、そうだとしたら、わしはどうしたらいいだろう? ここまで来て、竜と戦わないわけにもいかないし、村人たちもそれを望んでいる。どうしたらいいか、さっぱり分からん。何とかうまく取り計らってくれないか」
「あなたも、竜と同じことを言っている」
 と、男の子はいらいらして叫びました。
「二人とも、僕に押し付けてしまうんだもの、酷いや。一番いいのは、あなたがここからいなくなっちまう事なんだけど、そんなことは出来ないでしょうね?」
「もちろん、わしの名誉にかけて……」
 と、セント・ジョージは答えました。
「じゃ、まだ早いから、これから竜の所へ、僕と一緒に行ってみませんか。そして、話し合ったら、何かうまい方法が見つかるかも知れませんよ」
「そうだな。そうするよりほか方法はあるまい」
 セント・ジョージは立ち上がって、外出の支度にとりかかりました。

                    ☆

 男の子は洞穴の近くまで来ると、
「友達を連れて来たよ、竜くん!」
 と、大きな声で叫びました。
 寝ていた竜は目を覚まして、
「やあ、これは、これは……お初お目にかかります」
 と、セント・ジョージに挨拶をしました。
「こちらはセント・ジョージ様。こちらは竜くんです」
 と、男の子は二人を引き合わせて、
「竜くん、この方が君を退治に来られた方だ。ざっくばらんに、何でも話し合って、巧い解決法を見つけたらどうだね?」


 と勧めました。ところがのんびり屋の竜は、とんでもない話をし始めました。
「承れば、あなたは随分旅をなされたそうですが、私はものぐさで、余り出歩きません。でも、しばらくここに滞在なさるのでしたら、あちこちご案内して差し上げても良いと思いますが……」
「まあ、まあ……」
 と、セント・ジョージは押しとどめて、さっぱりとした態度で切り出しました。
「それよりも、大事な問題を先に片づけてしまいましょう。いかがです? 早いとこ戦いを済ませて、強い方が勝つという事にしたら、一番簡単だと思うのですが……」
「なるほど、それはそうでしょうが……私には、どう考えても、あなたと命を懸けて戦わなければならない理由が見つからないんです。したがって、ファイトがこれっぽっちも湧かないんです」
「もし、私が戦いを仕掛けたら?」
 と、セント・ジョージが苛立たし気に尋ねました。
「その時は、洞穴の奥に引っ込んで、外へ出ません。あなたは穴の外で待ちくたびれて、やがて行ってしまうでしょう。そしたら私は、また出てきますよ。断っておきますが、私はこの土地が気に入って、ここに落ち着くことに決めたんです」
「困ったなあ」
 セント・ジョージは、本当に困ったような顔をしました。
「とにかく私は、君と戦って、君のどこかを刺さなければ、村人の手前収まりがつかないんだ。君を殺そうと言うんじゃない。酷いケガをさせる必要も無い。どこか、刺されても痛くない場所を私に槍で一突きさせてくれないか? 例えば足の裏なんかどうだね?」
「足の裏は、くすぐったくて……」
 竜は恥ずかしそうに言いました。
「じゃ、喉なんかどうだね? ここなら厚い肉がひだになっているから、少しぐらい突いたって痛くあるまいさ」
「ええ、でも、間違いなくそこが突けますか?」
 と、竜は心配そうに尋ねました。
「突けるとも。任しておいてくれたまえ」
「まあ、そうするよりほか、手が無いでしょう」
 と、竜は承知しました。
 その時、男の子が、
「ね、竜くん」
 と口をはさみました。
「戦って、君がやっつけられるところまでは分かったが、それから先はどうなるんだい? 僕は、心配だな」
「そうそう、それからどうなるんですか?」
 と、竜はセント・ジョージに尋ねました。
 するとセント・ジョージが言いました。
「多分、君を村の市場かどこかへ引いていくことになるだろうな」
「それから?」
「それから万歳を叫んで、わしがみんなに演説をする。君が心を入れ替えたから、もう悪いことはしないだろう……というような事を……」
「それから?」
「その後は、お祝いの酒盛りになるだろうよ」
「分かりました。やりましょう」
 と、竜は答えました。
「私も今まで退屈していたのですから、あなたが力を貸して下さるなら、喜んで世間のお役に立ちましょう。村人たちを喜ばせましょう。私だって、それくらいサービス精神は持ち合わせているんです。さあ、これで何もかも決まった……と。敵味方になるのですから、余り話し込んでいてはまずいでしょう」
「それもそうだ」
 と、セント・ジョージは立ち上がって、
「では、暴れたり、火を吐いたり、適当に頼むよ」
 と、竜に念を押しました。
「暴れまわるのはお安い御用ですが、火を吐くのは練習不足で、巧くいくかどうか。まあ、一生懸命やりますよ」
 と、竜は答えました。
 そこで二人は竜と別れて丘を下りましたが、途中まで来るとセント・ジョージは、
「あ、そうだ!」
 と叫んで、急に立ち止まりました。
「何か忘れたと思ったら、お姫様を忘れていた。お姫様が竜にさらわれ、嘆き悲しんでいるというのでないと、話が盛り上がらない。君、お姫様を一人連れて来られないか?」
「僕は……僕は……。あ、あーっ!」
 と、男の子は大きなあくびをして言いました。
「僕はもう疲れちゃった。うちでは母さんが待っているんです。用があるなら明日にして下さい」

                    ☆

 次の朝早く、村人たちはめいめい、ブドウ酒の瓶の入ったバスケットをぶら下げて、続々、丘を登っていきました。そしてセント・ジョージと竜が戦うのを見物するのに都合のいい場所に陣取りました。
 列の一番前には、親の手をすり抜けた子供たちが並び、後ろの方では母親たちが心配して、金切り声を上げていました。
 あの男の子は、洞穴近くにいい場所を取り、竜の現れるのを、今か今かと待っていました。
 竜はああ言いましたが、本当に出てくるでしょうか。急に気が変わって、
「馬鹿馬鹿しい」
 と、すっぽかすかもしれませんし、事によったら怖気づいて洞穴から出てこないかも知れません。
 男の子は用心深く、洞穴の入り口を見張っていました。その内、辺りの人垣が崩れて、どっと歓声が上がりました。
 何だろうと思って伸びあがってみると、セント・ジョージの兜の羽飾りが、人ごみの中にひらひらし、続いて軍馬にまたがった勇士の姿が目に入りました。
 右の手には槍を持ち、その先には紅十字の旗がひらひらし、金色の鎧兜は日にきらめいて、見るからに強そうです。
「竜くんたら、何をしているんだろう?」
 男の子はじりじりしながらつぶやきました。
 とたんに洞穴の奥で、低いうめき声が聞こえたかと思うと、たちまち凄まじい唸り声が辺りに響き渡りました。
 そして、洞穴からもうもうと煙が吹き出し、その中から真っ青な鱗を煌めかせて、あの竜が躍り出てきました。長い尻尾は木や草をなぎ倒し、鋭い爪は地をかきむしり、怒り狂った鼻の穴からは、凄まじい勢いで炎と煙が噴き出ています。
「すごいぞ、竜くん!」
 と、男の子は夢中で叫びました。
「君がそれだけやるとは思わなかったよ」
 セント・ジョージは竜を見ると、槍を小脇にして、
「うおーっ!」
 と叫び声を上げながら、まっしぐらに馬を飛ばせていきました。竜も負けずに突進しました。


「あっ、ぶつかるっ!」
 と人々が手に汗を握った瞬間、金色の鎧と青い竜の胴体が入違って、すうっと離れセント・ジョージを乗せた馬は、洞穴の入り口まで突っ走って、やっと止まりました。
 セント・ジョージはすぐ馬の首を巡らせました。
「一回戦の終わりだな。二人とも、なかなか芝居がうまいぞ」
 男の子が竜に目を移すと、竜は余興に素晴らしい芸当を見せています。ぐるぐる回りながら、頭のてっぺんから尻尾の先まで、大波小波を打たせ、のたうち回っているのです。青いうろこがきらきら光って、何とも言えない美しさです。
 人々が褒めるのも忘れて、うっとり見とれている間に、セント・ジョージは馬の腹を蹴って、また突進してきました。
「竜、危ないぞっ!」
「早く、早く」
 竜はその声に、回るのをやめ、身体を起こし、原人のような叫び声を上げながら、辺りを飛び跳ねました。
 馬が驚いて、ヒ、ヒーンといななきながら、鉄砲玉のようにそばを走り過ぎると、竜はその尻尾をめがけてぱくりとやりました。
 可哀想に、馬は気が狂ったように、丘の端まですっ飛んで行きました。さあ、見物人は大喜びです。
「やれっ、やれっ、もっとやれ!」
「いいぞ、竜!」
 口々に竜を褒めました。
 自分たちを喜ばせようと苦心している竜の気持ちが良く分かったからです。それを聞くと、竜はますますいい気になって、胸を突き出し、尻尾を持ち上げ、得意になってその辺を歩き回りました。
 セント・ジョージは馬から降りて、馬の腹帯を締め直しました。男の子がそばへ寄って、
「ジョージ様、大成功ですね。もっと戦いを延ばしたらどうです?」
「いや、これくらいにしておこう。竜の奴、拍手にのぼせて何をしでかすか分からないからな。さあ、今度奴を仕留めてくれるぞ」
 セント・ジョージは馬にまたがり、槍を構えました。
「まさか、本気じゃないでしょうね?」
 男の子が心配して尋ねると、
「心配無用、筋書き通りにやるさ」
 とセント・ジョージは答えて、小走りに竜に近づいていきました。そして槍をかざして、竜の周りをぐるぐる回り始めました。
 竜の方も、調子を合わせて、一緒にぐるぐる回りました。見物人は芝居とは気が付きません。
 どっちが勝つかと固唾を飲んで見守っていました。
 やがて、セント・ジョージは前もって約束しておいた場所を、槍の穂先でちょっと突きました。
 すると、竜はいかにも苦し気な叫び声をあげて、どうと倒れ、芝草をかきむしったり、地をのたうち回ったりしていましたが、やがてぐったりと動かなくなりました。
 人々は、
「うわーっ!」
 と叫んで、竜の周りに駆け寄りました。

                    ☆

 男の子が人込みをかき分けて前に出ると、竜は仰向けに倒れ、その上にセント・ジョージが誇らしげにまたがっていました。
 それがあんまり本当らしく見えたので、男の子はもしかしたら、竜が殺されたのではないかとドキッとしました。でも、竜が男の子を見ると、片目をつぶってウインクをしてみせたので、ほっと安心しました。
「そいつは首を斬るんですか?」
 と、一人が心配そうに尋ねました。
 きっと竜が可哀想になったのでしょう。
「そうだなあ。今日の所は助けてやろう」
 と、セント・ジョージは言いました。
「切るのはいつでも切れるのだからな。それより、みんなで村へ帰って、一杯やろう。そして、わしがよくこの竜に言い聞かせてやろう。そうすれば、もう悪いことはするまい」
 男が頷くのを見て、セント・ジョージは竜の上から飛び降りました。
 それから馬にまたがり、行列の先頭に立って、丘を下って行きました。竜と男の子がその後に続き、ずっと遅れて村人たちがぞろぞろついていきました。
 宿屋の前で、お祝いの酒を酌み交わした後、セント・ジョージが演説をしました。
 その中で、セント・ジョージは、
「竜があの通り大人しくしているのだから、もう心配はいらない。必要以上に竜を怖がったり、また竜のために苦しんだり、困ったりしているというような嘘を言ってはいけない。それから、無闇に戦いを好んではならない。ただ見ているだけなら害は無さそうだ」
 と、人々をいさめ、竜については、
「悪いことはしないで、ここに落ち着こうと考えているのだから、気持ちよく迎えてみんなの仲間に入れてやってはどうか?」
 という意味のことを述べました。
 もちろん、村人たちは大歓迎です。
 嵐のような拍手の内に、セント・ジョージの演説が終わると、村人たちは酒盛りの用意をするため、いったん家へ帰りました。酒盛り――というものは大変楽しいもので、一仕事済んで、何もかもうまくいったという時にするものです。
 では、何もかもうまくいったのでしょうか?
 まず、セント・ジョージの場合はうまくいきました。
 誰も殺さずに済んだからで、もともと彼は殺すことは大嫌いでした。
 竜の場合もうまくいきました。ケガをするどころか、かえって人気が出て、村の人の仲間入りができたからです。
 男の子は、竜とセント・ジョージが仲良しになったので言う事はありませんし、村人たちは勇士と竜の戦いを、たとえ芝居にしろ、たっぷり楽しむことが出来たので、満足です。
 何もかもうまくいき、誰も彼も上機嫌でした。
 ですから、酒盛りが始まると、みんな良く飲み、よく喋りましたが、一番よく飲み、よく食べ、よく喋ったのは竜でした。竜は抜け目なく愛嬌を振りまいて、人気を独り占めにし、まるで会は竜のための歓迎会みたいになってしまいました。
 でも、セント・ジョージと男の子は、ニコニコしながら温かい目で、じっと竜を見守っていました。


 そのうち竜は酔っぱらって、口が回らなくなりました。とろんとした目を据えて、ときどき男の子に、
「坊や、わしをうちまで送って行ってくれるな?」
 と言うのです。男の子はその度、
「うん、いいとも」
 と頷くのですが、竜はすぐ忘れてしまって、また同じことを繰り返します。やっと酒盛りが終わって、お客たちが帰って行ったのは、もう夜がすっかり更けてからでした。

                    ☆

 最後のお客を送り出して、男の子と竜は外へ出ました。ひんやりと冷たい風が吹いて、辺りはしーんと静まり返っています。
「危ないよ、竜くん」
「大丈夫だ」
 と言った途端、竜はよろよろとよろけて、道端にどすんと尻餅をつきました。
 そして、そのまま座り込んで、星を見上げました。
「いい晩だった」
 と、竜は満足そうにつぶやきました。
「星も綺麗だし、村の人もみんないい人ばかりだ。わしは、ここがすっかり気に入った。もう丘へ帰らず、このままここにいる事にするよ」
 竜はそう言ったかと思うと、ぐうぐういびきをかき始めました。男の子は困って、泣きそうな顔で、
「おい、起きろよ、竜くん!」
 と叫びました。
「うちでは母さんが寝ずに、僕の帰りを待っているんだ。世話を焼かせずに、起きてくれよ。送って行ってくれと頼んだのは、君の方じゃないか」
 男の子は竜の身体を揺すりましたが、竜はびくともしません。
「むにゃ、むにゃ……」
 と口の中でわけの分からない事を呟いています。
「困ったなあ。こんなことになるんだったら、約束なんかするんじゃなかった」
 男の子は、竜の傍らに座って泣き出しました。
 その時、後ろの戸が開いて、セント・ジョージが出てきました、
「おや、どうしたんだ?」
「竜くんたら、しょうがないんです」
 と、男の子は涙を拭きながら答えました。
「僕に、家まで送って行ってくれと頼んでおきながら、こんなところで寝ちまったんです。呼んでも起きないし、僕のうちじゃ、母さんが待っているんです」
「よし、よし、わしが手伝ってやろう。おい、起きろ、起きろ!」
 セント・ジョージは大声で呼んで、竜の肘を揺すりました。竜は目を覚まして、眠そうに、
「ああ、いい気持だ。ここはどこだい?」
 と、きょろきょろ辺りを見回しました。
「この子が君を送って行こうとして、さっきから呼んでいるのが分からないのか? 本当なら、もうとっくに寝床に入っているはずだぞ」
「あっ、しまった!」
 と、竜は叫んで飛び起きました。
「ごめん、ごめん。ちっとも知らなかった。さあ、すぐ行こう。坊や、手を貸してくれ。ジョージさん、すみません。肩を貸してください。仲良しの友達二人に助けられて、こうして家へ帰れるなんて、わしは全く幸せ者だなあ……。坊や、ジョージさん、これからもよろしく頼みますよ」
 三人――いいえ、二人と一匹は、肩を組んで星空の丘へ登っていきました。
 村人たちも家へ帰りついたでしょう。村の明かりは次々に消えて、やがて闇の底から、夜風に乗って誰かの歌う声が途切れ途切れに聞こえてきました。
 声の調子では、それはどうやら竜のようでした。



おしまい


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