はりつけ武士


                    ☆

「強右衛門(すねえもん)のおじさん」
 孤児の小平次は、いつも強右衛門をそう呼んだ。時には、ただ、おじさんとだけ呼ぶこともある。
「作手の生まれで、鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)」
 初めて会った時に、名前を教えてくれた。作手は小平次たちの立てこもっている三河(愛知県)の長篠城から歩いて半日もかからない。
 年は三十五、六だろうか。兜をかぶり、鎧を着てはいるが、強右衛門は、どうやらそんなに偉い武士ではないらしい。無口で強そうにも見えないし、どこかの戦で手柄を立てたという噂も、一度も聞いた事が無かった。
 もしかすると、強右衛門は戦の無い時は、作手で田や畑を耕していたのかも知れない。とにかく、どうひいき目に見ても、ちっとも強そうではなかった。その証拠に、
「鳥居殿」
 などとは誰も呼んでくれず、大抵の者が強右衛門、強右衛門と呼び捨てにした。小平次は、それが癪でならない。
「おじさん。ほんとは強いんだろ?」
 ある日、思い切って尋ねると、強右衛門は人の良さそうな笑いを浮かべて、こう答えた。
「さあ。あまり強くも無いだろうな」
 てんで頼りない返事に、小平次はがっかりしてしまった。でも、小平次は強右衛門が好きだった。だれも見向きもしない、孤児の小平次を、強右衛門だけは、
「小平次、小平次」
 と、まるで自分の子供のように可愛がってくれるからだ。しかし、武士はやっぱり強い方がいい。
「強右衛門のおじさんは、本当は強いんだ。強いけれど、隠しているんだ」
 小平次はそう思いたかった。
「大勇は勇ならず」
 いつだったか、そんな諺を誰かに聞かされたことがある。易しい言葉に直すと、
「本当に勇気のある人間は、つまらぬことで強がったり、人と争ったりはしないものだ。だから、普段は勇気が無いように見える」
 そういう意味だ。きっと、強右衛門おじさんもそれだろう。
「そうだ。試してやれ」
 ある日、小平次は、後ろからいきなり棒を振りかざして、力任せに打ち込んだ。ところが、ひらりと身をかわすどころか、強右衛門は、
「あいたたたっ」
 大げさに顔をしかめて、前にのめった。
「ちぇっ、しょうがないなあ……」
 小平次は拍子抜けがしてしまった。

                    ☆

「絶対に、城を敵に渡すな。あくまで守り抜くのだ」
 徳川家康に命ぜられて、二十四才の若武将、奥平九八郎貞昌(おくだいらくはちろうさだまさ)の守る長篠城に、甲斐(山梨県)の武田勝頼の率いる大軍が押し寄せてきたのは、二十日ばかり前の天正三年(一五七五年)四月二十一日のことであった。
 国境の城は「境目の城」と呼ばれる。徳川の領地と武田の領地の境にある長篠城も「境目の城」の一つで、戦いの度に取ったり取られたりした挙句、二年前にやっと取り戻したものだ。それだけに、どんなことがあっても武田方に奪われてはならなかった。
 だが、戦いが始まって十日経っても、十五日経っても、助けはまだ来ない。長篠城には、五百人足らずしかいないのに武田方の人数は次々に増えて、城の回りはアリの這い出る隙間も無かった。
「助はまだか」
「何をグズグズしているのだ」
 味方は焦り始めた。段々乏しくなる。食べ物が無くなれば、城を守り通すことは出来ない。みんな、じりじりしながら助けを待った。
 梅雨時なので、良く雨が降った。雨が止むと、武田方はなぶるようにときの声を上げて城に迫り、鉄砲を撃ち、矢を射かけては、頃合いを見計らってさあっと退いた。
「誘いの隙だぞ。追うな。敵が退いても追ってはならぬ」
 奥平貞昌は、味方を戒めた。門を開いて追いかければ、引き上げる時、武田方が付け入ってくる。貞昌はそれを恐れたのだ。
「やあい、徳川方の臆病者」
「後を追ってもこれんのか」
「ここまでおいで。甘酒進上」
 何とか罠にかけようと、武田方は尻を向けて囃し立てた。
 こうした小競り合いの内に日が経って、今日はもう五月の十三日だった。太陽が沈み、やがて夜が来た。
 長篠城は、大野川と寒狭川が一つに落ち合うあたりにあって、本丸、二の丸、三の丸、瓢(ふくべ)丸、野牛郭、弾正郭、服部郭などに分かれている。
 城の要である本丸の真下には、寒狭川が流れていた。寒狭川は、またの名を滝川ともいう。昼間はそうでもないが、夜になるとその寒狭川の水音が、ごうごうと耳に迫ってくる。
 小平次は不安でならなかった。
「おじさん。戦は一体どうなるだろう」
「どうにもなりはせん。なるようになるだけだ」
 小屋の壁にもたれていた強右衛門は、面倒くさそうに答えた。酷く落ち着いて見えた。けれども、顔は少し青ざめているような気もする。
「眠るんだ、小平次。眠らないと、身体が参ってしまうぞ」
 そう言ったかと思うと、強右衛門はすぐに、軽いいびきを立て始めた。
「おじさん。もう眠ったの?」
 肘でつついてみたが、返事もしない。小平次も、仕方なく目をつぶった。

                    ☆

 それから、どのくらい経っただろう。
「武田方が押し寄せて来たぞ。瓢丸が危ないぞ」
 けたたましい叫び声に、小平次は跳ね起きた。まだ真夜中だった。
「小平次、お前はここにおれ。俺は瓢丸へ加勢に行ってくる」
 強右衛門は槍を取って出て行った。
 瓢丸は、大野川に沿った所は高くて険しい崖になっているが、そのほかは石垣も土手も無く、板塀を巡らせてあるだけだ。
「塀を引き倒せ」
 武田方は、鉤縄や長い棒の先に結び付けた鹿の角を塀に引っかけて、えんやえんやと引っ張った。その度に塀はグラグラ揺れた。塀を破られたらひとたまりもない。
 強右衛門たちは死に物狂いで防いだが、何といっても武田方は人数が多かった。倒されても倒されても、入れ代わり立ち代わり、元気な新手が攻めかかってくる。
 とうとう、塀のひとところが崩された。すると、もういけない。武田方はときの声を上げて、そこからなだれ込んできた。味方はじりじり下がった。
 瓢丸が完全に抑えられたら、連絡を断ち切られて、服部郭や弾正郭も危ない。
「ただちに二の丸、本丸へ引き上げよ」
 奥平貞昌の命で、伝令が飛んだ。
 瓢丸、三の丸、服部郭、弾正郭の兵は、続々と二の丸や本丸に退いた。強右衛門も無事に戻って来た。
 五月十四日の夜が明けた。
 城の回りを見回した小平次は、思わず息を飲み込んだ。他の者も真っ青になった。
 無理もない。瓢丸にも服部郭にも、三の丸にも弾正郭にも、武田方の兵がひしめいているのだ。味方に残されているのは、本丸と二の丸、それに本丸の東の野牛郭だけだった。
「もう駄目だ」
「いよいよ最後だぞ」
 そこここで、ささやきが起こった。
「慌てるな。本丸、二の丸の回りには深い堀がある。まだまだ、三日や四日は大丈夫だ」
 強く励ました奥平貞昌は、二の丸を守っている副将の松平景忠(まつだいら かげただ)と相談して、本丸の主な者をひとところに集めた。
「あと五日の内に援軍が来れば、この城を守り通す頃が出来る。誰か、わしの手紙を家康公に届ける者はないか」
 答える者は一人も無かった。殺されに行くようなものだからだ。まともに城から抜け出る方法は無い。
 道はただ一つ、夜に紛れて本丸の裏の崖から、五十メートル下の寒狭川に降り、川底を密かにくぐり抜ける。それしか無かった。しかも川の中には、至る所に縄が張り巡らされ、ちょっとでも縄に触れたら鈴が鳴り出す仕掛けなのだ。
「誰もいないのか」
 今度も答えは無い。貞昌は、奥平次左衛門(おくだいら じざえもん)というたくましい身体の武士に目をとめた。
「次左衛門、お前は泳ぎが上手だと聞いた。お前が行け」
「嫌で御座います。そのような事は出来ません」
「どうしてだ?」
「ここから抜け出した後、もしこの城が落ちれば、わたくしは臆病者と笑われます」
 次左衛門は貞昌を睨みつけるように答えた。名前を大切にする武士として、当然の考えだった。

                    ☆

「他に誰もいないのか。城が落ちるか落ちないかの瀬戸際だぞ」
 やはり、答える者は無かった。
「仕方がない」
「どうせ助からぬものなら、いっそのこと打って出て、一人残らず討ち死にしよう」
 二、三人がやけくそのように叫んだ。すると、それをきっかけに、人々は口々に騒ぎ立てた。
「そうだ、そうだ」
「一塊になって、武田方に切り込むのだ」
 貞昌は、両手を広げてそれを止めた。
「待て。早まってはならぬ。人の命は大切なものだ。いよいよの時は、この貞昌が腹を切る」
 貞昌は、家康の本陣にいる父の奥平貞能(おくだいら さだよし)と共に、以前は武田勝頼に仕えていた。そのために、勝頼は貞昌を憎んでいた。
「だから、勝頼が欲しがっているのは、この貞昌の首だ。貞昌が腹を切れば、おそらく他の者の命は助けてくれよう」
「奥平殿。何をおっしゃるのだ。あなた一人に腹を切らせて、どうして我々だけが生きておられようか」
 副将の松平景忠は貞昌をかばいながら、
「この景忠からも頼む。城を抜け出て家康公の元に駆け付けてくれる者はいないか。長篠城五百人の命を救ってくれる者は誰もいないか」
 ゆっくりと一同を見渡した。その時、隅っこの方からのそのそと貞昌の前に進み出た者がある。
「わたくしがやります」
「おう、良く言ってくれた。その方、名は何という」
「作手の者で、鳥居強右衛門と申します」
「なに、作手の者だと……。聞いた事のない名前だな……」
 小平次は、またがっかりさせられた。奥平貞昌は、もともと作手の領主だった。その貞昌が、顔も名前も知らないとしたら、強右衛門はいよいよ大した武士ではない。
 だが、貞昌の顔には喜びがあふれていた。きっと、名前を聞いた事も無い強右衛門に、城の運命を賭けるつもりに違いなかった。
「鳥居強右衛門と申したな。見事にやり遂げてくれるか」
「はい、必ず」
「よし。それならば、すぐに手紙を書こう。それを家康公に届けてくれ」
「かしこまりました」
 強右衛門は顔を上げて、これからの手はずを言った。
「寒狭川をうまくくぐり抜けることが出来ましたら雁峰山(がんぽうざん)にのろしを上げます。また家康公にお目にかかった結果も、やはりのろしでお知らせいたしましょう」
「うん。助けが来ない時は二度、佐助が来る時は三度のろしを上げよ」
「承知いたしました」
「では、しっかり頼むぞ。長篠城の運命はお前ひとりの肩にかかっているのだ」
「分かっております」
 強右衛門は両手をついたまま、貞昌を見上げて、ゆっくり頷いた。いつの間にか、とっぷりと日が暮れて、東の山際に五月十四日の月が顔を出していた。

                    ☆

 夜が更けた。満月に一日足りない十四日の月は、もう中天高くかかっている。空のところどころに雲が流れていた。
 兜も鎧も脱ぎ捨てた強右衛門は、濡らさぬように油紙で包んだ貞昌の手紙を腹に巻きつけ、百姓の着物に着替えると、本丸の裏の崖際に行った。長い刀は邪魔なので、短刀を腰に差した。火打石も袋に入れて腰に下げた。
 崖際に、高い銀杏(いちょう)の木がある。強右衛門についてきた小平次は、幹に寄りかかって足元を見下ろした。目がくらみそうな気がした。五十メートル下の寒狭川の水面が、月の光を浴びてキラキラと光っている。
 強右衛門は、長い縄の一方を銀杏の根元に巻き付けると、もう一方を少しずつ下に垂らし始めた。かなり時間がかかりはしたが、縄はようやく水際の岩に届いた。
「おじさん、おいらも下まで一緒に降りるよ」
「いかんいかん。危ないからよすんだ」
「だって……」
 小平次は、強右衛門の袖をつかんだ。今にも泣きそうな顔だった。
「ねえ。いいだろう、おじさん」
「しょうがないな、好きなようにしろ」
 強右衛門は空を見上げた。丁度その時、月が雲に隠れた。
「今のうちだ」
 強右衛門は、崖の土塊を落とさぬように用心しながら、縄伝いに下に降り始めた。
 ずいぶん時間が経ったなと思った頃、強右衛門の身体の重みで、今までぴんと張っていた縄が急にたるみを見せた。強右衛門が水際の岩に降りたのだ。今度は小平次が縄を伝い降りた。
「滑るから気をつけろ」
 やっと岩に足が届いた時、強右衛門が小声で注意した。岩は濡れてぬるぬるしている。
 寒狭川の水は、岩の半ばまで来ていた。夕べよりも流れはいくらか緩やかなようだ。下流の大野川と落ち合うあたりは、激しい水音がしているが、ここはひっそりしている。
 川の向こう岸には番小屋があった。灯りは消えているが、わざと消しているのかも知れない。川の水面すれすれに、縄が張り巡らされ、その所々に鈴が下げてある。鈴を下げた縄は、水面の下や川底の縄とつないであるらしい。
「いくぞ、小平次」
「おじさん。死んじゃ嫌だよ」
「大丈夫だ。それより、お前こそ崖を登るとき用心しろ」
 強右衛門は音もたてず、滑るように水の中に入った。その後、すぐに体が見えなくなり、わずかに波が立った。小平次は息を止めて、やや下流に目をやったが、強右衛門はどのあたりにいるのか見当もつかない。
 リ、リン。微かに鈴が鳴った。強右衛門が川底の縄のどこかを、短刀で切ったのだろう。幸い番小屋では気がつかなかったようだ。
 やがて、ずっと下流の草の生い茂った崖の裾近くに、黒いものが顔を上げた。強右衛門が息をつくために浮かび上がったのだ。一息つくと、強右衛門はまた水に潜った。
 そこまで見届けた小平次は、縄を伝って崖を登り始めた。中ほどまで届いた時、リ、リン。リ、リンと、今度はかなり強く鈴が鳴った。
「しまった。おじさんが川底の縄に足を取られた」
 崖の途中で縄にぶら下がったまま、小平次は青くなった。
「鈴が鳴ったぞ」
 番小屋から、二人の男が飛び出してきた。小平次は動けなかった。下手に動いて見つかれば、強右衛門おじさんのことまで感づかれる。小平次は歯を食いしばって、じっとしていた。まるで宙づりになったようなものだった。汗が目に沁み込んだ。
 二人の男はしきりに水面に目を凝らしている様子だったが、その後、鈴は鳴らなかった。
「魚が縄に触ったのかも知れんな」
「うん。いくら命知らずでも、ここから逃げ出す馬鹿はおるまい」
 それでも男たちは、しばらくそこに立っていた。
「おじさん。見つからないでおくれ」
 腕が千切れそうなのを必死にこらえながら、小平次は男たちが番小屋に戻るまで、縄にぶら下がって神に祈った。

                    ☆

 夜明け前ごろ、雁峰山の頂に火が見えた。強右衛門が合図ののろしを上げたのだ。のろしは夜は火を燃やし、昼間は煙で知らせる。狼の糞の乾いたものと、枯草を混ぜて燃やすのが、一番いいと言われていた。
「やったな、おじさん」
 小平次は小躍りした。
「でかしたぞ強右衛門」
 奥平貞昌も、松平景忠も喜んだ。けれど、手放しで安心するのは早すぎる。強右衛門はやっと、長篠城から抜け出しただけなのだ。
「おじさん。無事に岡崎まで行っておくれ」
 小平次はまた祈った。
 のろしを上げた強右衛門は、濡れた着物のまま、雁峰山から駆け下りて西に向かった。武田方のいそうなところでは用心したが、後は恐れることはない。急ぎに急いで、夕方、岡崎城に着いた。着物はすっかり乾いていた。
「命がけで、よく知らせてくれた」
 奥平貞昌の手紙を受け取った徳川家康は、普段は御前に出ることも許されぬ強右衛門を身近に呼び、目に涙を浮かべて礼を言った。そばには貞昌の父、奥平貞能も控えていた。
 家康は、はっきりと言った。
「強右衛門。安心するがよい。長篠城は見殺しにはせぬ。必ず助けてやる」
「有難う御座います」
 強右衛門は両手をついた。
 岡崎城には、織田信長も大軍を率いて到着していた。武田方の強さは天下に知れ渡っている。その武田軍を破るには、織田軍と徳川軍が力を合わせて戦う以外にないからだ。
「あっぱれじゃ、強右衛門」
 信長も誉め言葉をかけてくれた。
 強右衛門は、貞昌にあてた奥平貞能の手紙を預かると、すぐ引き返すことにした。
「疲れているだろう。ゆっくり休んでから帰るがよい」
 家康も貞能もそう言ったが、長篠城のことが気がかりだった。一時でも早く、味方を安心させ、勇気づけてやりたかった。
 真夜中過ぎに、雁峰山にたどり着いた。
 貞昌との約束通り、のろしを三度上げてから、強右衛門は山を下りた。十五夜の月が出ているので、うっかりは動けない。寒狭川の岸にも大野川の岸にも、武田方の小屋がいくつもあった。
 強右衛門は大野川の方に回った。野牛門から城に入ろうと思ったのだ。だが、川岸に近づいて驚いた。二重にも三重にも、柵が作られている。それだけではなく、辺り一面に細かい砂が敷き詰めてあった。これなら足跡がすぐ見つかる。
「夕べ、川底の縄を切ったのに気がついたな」
 強右衛門は腕を組んで考え込んだ。とても今夜は川を渡れそうにもない。
「そうだ。武田方の人足に化けよう」
 とにかく、瓢丸でも服部郭でもどこでもよい。城に入り込みさえすれば、本丸に行ける。そう思いついて、武田方の小屋の一つに近づいた時、後ろからいきなり声をかけられた。
「火!」
「水っ!」
 とっさに強右衛門は答えた。火の合言葉なら水だろうと判断したのだが、それがまずかった。
「曲者だぞ」
 たちまち、ばらばらと足音が集まって、ぐるりと周りを囲まれた。武田方の武将、穴山梅雪(あなやま ばいせつ)の部下たちだった。
 武田方には「風林火山」と呼ばれる有名な旗がある。合言葉はそれからとってあった。火には山と答えなければいけなかったのだ。
 しまったと思ったがもう遅い。
「殺すな」
「生け捕りにしろ」
 槍と刀がじりじりと迫ってくる。人足に化ける為、強右衛門は短刀を捨てていた。こぶしを握り締めて、一歩下がった。
 その途端、槍の柄で足を払われ、よろけて起きあがる所を後ろから抱き着かれた強右衛門は、身体を沈めて相手を投げ飛ばした。次に横から来るのを肘で突き倒した。
 だが、敵は二十人以上いる。それに、強右衛門は夕べからひと眠りもせず岡崎まで往復して、へとへとに疲れていた。最後は折り重なって取り押さえられ、武田勝頼の前に連れていかれた。むろん、奥平貞能の手紙も見つけられた。
 穴山梅雪が鞭を突き付けた。
「何もかも素直にしゃべれば加減してやる。隠し立てすれば痛い目に合わせてくれるぞ。名は何という」
「奥平貞昌の家来、鳥居強右衛門」
「城を抜け出したのはいつだ?」
「夕べの夜中です」
「岡崎へ行ったのだな?」
「はい」
 強右衛門は、何もかも呆気ないほどすらすらと白状した。
「意気地のない奴だ」
「こんな腰抜けを使者にするとは、呆れてものが言えん」
 武田方の武士たちは嘲り笑った。後ろ手に縛られた強右衛門は、しおしおと首うなだれている。
「舌を噛んで死ぬことも出来んのか」
 ぺっと、誰かが唾を吐きかけた。武田勝頼が穴山梅雪に行った。
「この男をうまく利用する方法は無いか」
「御座います」
 梅雪にはいい考えがあった。――助けが来ることが分かれば、城中が勢いづく。――そうさせてはならないと考えた。

                    ☆

 穴山梅雪は優しく言った。
「強右衛門、命が惜しいか」
「はい。助かりとう御座います」
「ただでは助けてやれんぞ」
「命さえ助けて下さるならば、どんな事でも致します」
「よし。それなら、明日の朝、寒狭川の岸から城に向かって大声で叫べ。助けは来ませんと。そうすれば、たんまりと褒美をくれたうえ、勝頼公の家来として重く取り立ててやろう」
「本当で御座いますか」
「武士に二言はない」
「有難う御座います。有難う御座います」
 強右衛門は、何度も頭を下げた。
(馬鹿な奴め。味方を裏切ってまで、命が助かりたいのか)
 自分が利用しようとしているくせに、穴山梅雪は、心の中で嘲笑った。
 こんな事になっていようとは、城方では夢にも知らなかった。
「助が来るぞ」
 雁峰山に三度上がったのろしを見て、皆勇み立っていると、夜明け頃、武田方から二通の手紙を結び付けた矢文が射込まれた。

『鳥居強右衛門という男をとらえて、何もかも白状させたが、武士の情けで手紙だけは届けてやる。
          武田勝頼』

 一通にはこう書いてあった。もう一つは、奥平貞昌にあてた、父の貞能の手紙だった。

『家康公も、信長公も、助けの兵を出すことがお出来にならない。悔しくとも、城を明け渡せ。
          奥平貞能』

 これを見て、奥平貞昌の顔色が変わった。手紙を持つ手がぶるぶると震えた。
「嘘じゃ。にせ手紙じゃ。父上が、こんな手紙を書かれるはずがない」
 貞昌は大声で叫んだ。だが、心の隅に不安があった。手紙の文字は、見れば見るほど父の筆遣いと似ている。とても、にせ手紙とは思われなかった。ひらがなの癖、漢字の崩し方、どこをとっても怪しい所は無かった。
 人々は動揺した。
「強右衛門は、のろしの数を間違えたのかも知れない」
「きっと慌てたのだ」
「のろしが上がったと思ったのは、幻を見たのではないか」
 しまいには、そんなことまで言い出す者がある。
「もう、この城もおしまいだ」
 人々はすっかり元気をなくし、不安におののいた。やがて、五月十六日の夜が明けた。
「長篠城の人々に物申す」
 大きな声が、風に乗って城内に届いたのは、それから間もなくだった。人々は、野牛門や本丸の裏手の崖際に走って行った。
 寒狭川の岸から少し離れた、有海原(あるみばら)のひとところに、白々とした朝の光を透かして、妙なものが見えた。磔柱だった。
 その磔柱には、下帯一つの裸に剥かれた一人の男が「大」という字の形に縛り付けられている。
「あ、強右衛門のおじさんだ……」
 小平次はわなわなと震え始めた。
「おじさんの馬鹿……。なんだって……なんだって……」
 ぼろぼろと涙がこぼれた。悔しかった。小平次の夢は、跡形もなく崩れてしまった。
「おじさんは、やっぱりへまな人間だ。強右衛門、強右衛門と呼び捨てにされ、馬鹿にされても仕方がないや……」
 磔柱のそばに、槍を持った武田方の足軽が、五、六人立っていた。一人がにやっと笑って、強右衛門を見上げた。
「うまいことやれよ」
「分かっている」
 強右衛門は、低い声で答えた。そのやり取りは、小平次たちには遠すぎて聞こえるはずもなかった。

                    ☆

「おじさんの馬鹿……。何もかも、白状するなんて……」
 小平次は、情けなさそうにまた呟いた。そして、二、三度瞬きをした。その時、意外な事が起こった。磔柱の強右衛門が、あらん限りの大声で叫んだのだ。小平次は、その声をはっきりと耳にした。
「城のかたがたあー。三日の内に助けが来るぞおー。力を落とさず、しっかり城を守るのじゃあー。信長公も、岡崎まで来てござるぞおー」
 その途端、
「おのれ、よくも騙したなっ」
 五、六本の槍が一度にきらめき、強右衛門の身体に食い込んだ。激しく血しぶきが飛び散って、強右衛門は、見る見る顔も体も真っ赤に染まった。いつもは優しい強右衛門が、まるで恐ろしい赤鬼のようであった。
 槍がまたきらめいた。それでも強右衛門はまだ死なない。かっと目を見開き、もう一度、叫んだ。
「城の方々、さらばでござる――」
 その声が最後だった。強右衛門の首が、がくっと前に倒れた。
「強右衛門どの……」
「強右衛門どの……」
 そこかしこで、いっせいに男泣きの声が上がった。誰もが跪いて両手を合わせた。奥平貞昌や松平景忠の目にも涙が光った。
 ただ小平次だけは、手を合わせる事も忘れて、震えながら立っていた。
「おじさんは、やっぱり、おいらの思った通りの立派な武士だった……。これが、本当の勇気なんだ……これが、本当の勇気なんだ……」
 ついに長篠城は落ちなかった。
 五月二十一日、長篠城からさほど離れていない設楽ヶ原で、武田方は織田、徳川の連合軍に戦いを挑んだ。この時、連合軍は新しい戦術を使った。
 武田方は騎馬武者が強い。そのため連合軍は、馬を遮る馬防柵を三段に築いたのだ。鉄砲隊も三段に構えた。
 第一隊が鉄砲を撃ってすぐ伏せる。次には第二隊が鉄砲を撃つ、第二隊が伏せると、ただちに第三隊が一斉に火ぶたを切る。その時には、第一隊がすでに次の弾込めを終わっているという訳だ。
 この一斉射撃に掛かって、武田方は強い武将がほとんど討ち死にし、武田勝頼はわずかの部下に守られて、命からがら甲斐(山梨県)に逃げ帰った。「長篠の戦い」と呼ばれるのがこれだ。
 この時の敗北が元で、武田方は七年後に天目山で滅びてしまった。
 もし、鳥居強右衛門がいなかったら、そして、決戦よりも一足先に長篠城が武田方の手に落ちていたら、おそらく日本の歴史はもっと違っていただろう。
 武田勝頼が甲斐に逃げ帰った後、小平次はたった一人で、有海原に行った。そこにはもう、磔柱は無かった。血もこぼれてはいない。けれど、小平次は覚えていた。
「ここだ……。ここで、おじさんは殺されたんだ……」
 胸がじいんと熱くなった。
「強右衛門のおじさんのおかげで、長篠城の五百人の命は助かった……。その後の設楽ヶ原の戦いにも、味方が勝った。だけど……。だけど……」
 嬉しいよりも、悲しかった。
「戦なんて、なけりゃいいんだ……。戦なんて、戦なんて……」
 小平次は、赤鬼のようになって死んだ強右衛門の姿を目に浮かべた。設楽ヶ原で死んだ何百人、何千人と言う、敵味方の戦死者の姿も目に浮かんだ。
 血まみれの顔、歯を食いしばった顔、目をむき出した顔――。そして、最後にまた、大きく強右衛門の姿が目の前に迫って来た。まるで、赤鬼のようになった、凄まじい強右衛門の姿が――。
「作手には、きっとおじさんの子供がいるはずだ。おいらとおんなじ位の……」
 小平次は、声をあげて泣いた。
「戦なんて、なけりゃいいんだ。戦が無ければ、おじさんは死なずに済んだんだ。手柄など立てるよりも、田や畑を耕していた方が、おじさんはよっぽど幸せだったのに……」
 いつまでも小平次は泣いていた。太陽が沈み、夜になっても、小平次は座り込んだまま泣き続けていた。
 徳川家康に仕えていた落合佐平次(おちあい・さへいじ)という武士は、長篠の戦の後、鳥居強右衛門の磔姿を布地に描いて、それを旗指物にした。その旗指物は、掛け軸に表装されて、今は東京大学の史料編纂所に残っている。
 だが、有海原で小平次が泣きじゃくった事は、誰も知らない。どの本にも書かれてはいない。



おしまい


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