話をする鍋


                    ☆

 昔、ある所にとても貧しい男がいた。その男は、おかみさんと、ぼろ家と、一頭の牝牛よりほか、後はまるっきり何も持っていなかった。
 日が経つにつれて、貧乏はますますひどくなってきた。残っているのは、一頭の牝牛を売ることぐらいだった。
「牝牛を売ってこよう」
 男は言った。
「そうするより仕方がありませんね」
 おかみさんが答えた。
 ある日、貧乏な男は、牝牛を連れて売りに出かけた。男が歩いていると、道の途中で、人柄の良さそうな一人の老人に出会った。
「やあ、太った立派な牝牛ですね。一体どこへ連れて行くのですか?」
 老人が尋ねた。
「どうも有難う。市場へ売りに行くところです」
 貧乏な男は答えた。
 牝牛は太っているどころか、げっそりと痩せていて、ちっとも立派でなどなかった。
「それでは、一つ、その牝牛を譲ってくれませんか」
 老人はまた言った。
 貧乏な男は喜んだ。そして、百クローネより上なら売ってもいいと返事をした。
 ところが、その見知らない人は首を横に振って、
「お金で払う訳にはいきません。私はとても素晴らしい鍋を持っています。それで、鍋と牝牛とを取り換えっこしましょう」
 そう言った。
 そこで、その人は袋の中から、三本の鉄の足がついた鍋と、自分のわきの下に挟んであった鍋のつるを出して見せた。
 その鍋は、本当に素晴らしい格好をしていた。どんな囲炉裏にかけるにも、ちょうどよいようにできていた。
 けれど、貧乏な男には、どう考えてみても、その鍋の中に入れる物が思い当たらなかった。食べ物はもちろん、水だって満足には無いのだから。
 で、男は牝牛と鍋を取り換える事はやめにしようと思い、
「私がいるのはお金です。だから、鍋では話になりません。その鍋は、あなたがお持ちになっていて下さい」
 男が、そう言うか言わない内の事、
「連れて行って下さい! 連れて行って下さい! あなたが、後で悔やむような事はありませんから」
 と、鍋がそう叫んだ。
 男は驚いた。鍋が話し出すなんて、珍しい事もあるものだ。
 そこで男は気を変えて、そのおかしな鍋と、牝牛とを取り換えっこすることにした。
(話が出来るような鍋なら、他にもっと何か出来る事があるかも知れない)
 と思ったからである。
 男は鍋を下げて、家へ帰ってきた。そして、家へ入る前に、男はその鍋を、今まで牝牛を入れていた小屋の中に隠した。
 さて、男は家の中へ上がると、
「おい、今日は随分歩いてきたんで、早く晩飯が食いたいもんだな」
 と、おかみさんに言った。
 この家に、ろくに食べるものなどあるわけがない。おかみさんは、男が市場でどんな風にうまく牝牛を売ってきたか、その話の方が早く聞きたかった。で、
「牝牛がうまく売れましたか?」
 と、さっそく尋ねた。
「うまくやったよ」
 男は答えた。
「そりゃあ、良かったわ。では、そのお金をすぐに色々と使えますわね」
 男は、途端に情けなさそうな顔つきをして、
「ところが、お前、受け取ったのはお金じゃなかったんだよ」
 そう言った。
「お金じゃないんですって! では、あなたは一体、牝牛の替わりに何をもらったんです?」
 おかみさんが叫んだ。
 男は言葉に詰まった。鍋だとは、ちょっと言いにくい。
 でも、黙っていたのでは、おかみさんが許してくれないので、牛小屋へ行って、三本足の鍋を持ってきて、それを見せた。
「あなたは、なんて馬鹿なんでしょう」
 おかみさんは、呆れてそう言った。


「そんなものを持ってきて、明日からの食べ物や飲み物はどうするんです? あんたが、もう少し力が弱かったら、その鍋に叩き込んでやるんだけど!」
 おかみさんは怒って、男をぶった。
 その時、鍋が口を開いて、
「おかみさん、私を磨いて、綺麗にして下さい。それから、炉にかけて下さいな」
 と言った。
「おや! お前は話が出来るのかい? それなら、他にも何かできる事だってあるんだろうね」
 おかみさんはそう言い、鍋をつかむと磨きに行った。
 そして、綺麗に磨いた鍋を炉に吊り下げると、
「飛ぶことだって出来ますよ。飛ぶことだって」
 と、鍋がまた口をきいた。
「どのくらい飛べるの?」
 おかみさんが尋ねた。
「向こうの丘の上までだって、谷までだって、金持ちの家までだって、ちゃんと飛べるよ」
 小さな鍋が叫んだ。
 そう言ったかと思うと、呆れた事に、鍋は炉の鉤からひとりでに外れて部屋の中を飛び越え、戸口の方へ飛んで行った。
 それから道を越え、土塀を越えて、金持ちの家へ飛び込んだ。
 金持ちの家のおかみさんは、ちょうどその時、台所でケーキやプディングを作っているところだった。
 そこで鍋は、テーブルの上に飛び乗ると、ただ、ちょこんと座っていた。
「まあ!」
 と、金持ちのおかみさんは、その鍋を見てびっくりしたように叫んだ。
「美味しいプディングをこしらえるのに、ちょうど、お前みたいな鍋がいるところだったのよ」
 鍋はものを言わないで、じっとしていた。
 おかみさんは、干しブドウやクルミや砂糖を入れて、丁寧にかき混ぜると、その鍋を火にかけた。
 しばらくして、おいしそうなプディングが出来上がった。すると鍋はいきなり跳ねて、戸口の所へ行った。
 おかみさんは驚いて、
「これ、お鍋や。一体どうしたの? どこへ行こうというつもりなの?」
 と尋ねた。
「私は、貧乏な男の家にいるのです」
 鍋は答えた。そして、
「さよなら」
 と言うと、金持ちの家から飛び出して、土塀を越え、道を越えて、貧乏な男の家へ帰ってしまった。
 貧乏な男の家では、鍋がおいしそうなプディングを持って帰って来たのを見て、男もおかみさんもとても喜んだ。
 男は、
「おい、どうだい、お前。おれは、上手い事をやったろう。あんなつまらない牝牛とこんな素晴らしい鍋とを取り換えたんだからな」
 と自慢そうに言った。
「ほんとにね」
 おかみさんは言いながら、鍋のプディングを食べた。そのプディングの美味しかった事!
 あくる朝になると、鍋はまた、
「出かけますよ。跳ねて行きますよ」
 と言った。
「どこまで行くのかね?」
 おかみさんが尋ねた。
「向こうの丘の上までも、谷までも、金持ちの仕事小屋へも、行ってみます」
 鍋はそう答えると、ぴょんと家を出て、この前の時と同じように道を飛び越え、金持ちの仕事小屋にたどり着いた。
 金持ちの百姓の仕事部屋では、召使たちが、麦のもみ殻を取り捨てる、脱穀の最中だった。そこで鍋は、床の真ん中の辺りまで跳ねて行くと、ただ、ちょこんと座っていた。
「おや!」
 と、召使の一人が叫んだ。
「こんなところに鍋があった。こいつは、麦を入れるのにちょうどいいや」
 そう言うと、召使たちは、次から次と、その鍋に麦を入れた。
 不思議な事には、小さな鍋のくせに、その中へはいくらでも麦が入った。気が付いてみると、そこらじゅうにあった麦がなくなってしまっていた。
「面白い鍋もあったもんだな。どんな炉にもうまくかかりそうな、いい鍋じゃないか」
 召使がそう言いながら、鍋を抱え上げようとした時、鍋はするりとその手を滑り抜けた。そして、戸口の方へ飛び越えて行った。
「おうい、どうしたんだい? どこへ行くつもりかね?」
 召使が言った。
「私は、貧乏な男の家にいるのです。さよなら」
 と言うと、戸の外に飛び出した。
「こら、待て!」
 召使は一生懸命になって追いかけた。が、鍋の足の方がずっと早かった。召使たちは、後の方に取り残されてしまった。
 鍋はまた、貧乏な男の家へ帰ってきた。そして、何にもない貧乏な男の小屋に、持ってきた麦をみんな移した。
 そこで、貧乏な男の家では、何年もの間、その麦を使ってパンやケーキを作るのに、少しも困らなかった。
 三日目の朝になって、鍋はまた、
「出かけますよ。跳ねて行きますよ」
「どこまで行くのかね?」
 おかみさんはまた尋ねた。
「向こうの丘の上までも、谷までも、今日もやっぱり、金持ちの家へ行きます」
 鍋はそう答えると、さっそく出かけて行った。
 金持ちの家では、金持ちの主人がちょうど金を数えているところだった。鍋は金持ちの家に着くと、テーブルの上に飛び上がって、金貨が置いてある真ん中に座った。
 主人は金を数える手を休めて、鍋を見ながら、
「これはいい鍋だな。金を入れるのにちょうどいい」
 そう言うと、金貨を鍋の中へどんどん入れ始めた。
 鍋の中には、ありったけの金貨が入った。そこで金持ちの主人は、鍋を抱えて金庫に隠そうとした。その途端に、鍋はするりとその手を抜け出して、戸の方へ跳ねて行った。


「待て、待て! 俺の命よりも大事な金貨が入っているんだぞ!」
 金持ちは叫びながら追いかけた。
「そう言ったって、すぐにあなたの物ではなくなりますよ。私が貧乏な男の家に持って帰りますから」
 と、鍋は言った。
 そして、鍋はそのまま、貧乏な男の家へ飛んで帰ってしまった。
 貧乏な男の家へ帰ると、鍋は金貨をざらざらと家の中へ移した。
「これは有難い!」
 貧乏な夫婦の喜びようといったらなかった。
「これで、じゅうぶんでしょう」
 鍋は言った。
 二人には、十分どころか有り余るくらいだった。
 そこでおかみさんは、鍋を念入りに洗って、磨きをかけると、部屋の中の横の方に休ませた。
 ところが朝になってみると、鍋はまたしても金持ちの家へと出かけた。
 いくらなんでも、そう上手い事ばかりが続くものではない。金持ちの主人は鍋を見ると、
「悪い鍋があったもんだ。うちのプディングや麦や金貨をみんな盗んで行ってしまったな。さあ、残らず全部、返してくれ!」
 そう言って怒り、鍋をしっかりと捕まえた。
 鍋は油断をしていたもので、どんなに逃げようとしても、もはや逃げることが出来ない。
「跳ねて行きますから。跳ねて行きますから」
 と、鍋は泣き声を出した。
 そこで金持ちの男は、とても恐ろしい顔つきをして、
「よし、北極の果てまでも、跳ねて行け!」
 と怒鳴った。
 怒鳴られた鍋は、男の手をしっかりとつかみなおすと、男を連れたまま跳ねだした。ぴょん、ぴょん、ぴょん――。
 丘を越え、山を越えて、いっときも休みなしに跳ね続けた。
 鍋は貧乏な家のおかみさんにも、さよならを言う暇がなかった。鍋はただ、跳ねに跳ね続けるばかりであった。ありったけの力を出して、出来る限り早く!
 それでも、北極はとても遠かった! そんなに早く跳ねる鍋にも、北極はとても遠かった、という事である。



おしまい


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