花がさいたら


                    ☆

 丘の上の学校です。
 地図そのままの、静かな青色をした瀬戸内海を窓から見下ろせる教室です。
 洋二は、勉強の良く出来る男の子。中でも理科は得意中の大得意で、三年生全部の組を合わせても、洋二にかなう友達はいないでしょう。
 ところが、その埋め合わせをするように、泣き虫、弱虫、べそっかきの方でも、一番は洋二でした。
 そして、べそっかきの洋二の友達というのがこれまた学校中で一番の暴れん坊で、いじめっ子の新平なんです。ご丁寧に新平の成績ときたら、三年生全部の組を合わせたって、ビリから一番間違いなし。
 この一番と一番が仲良くなったのは、ついこの間――つまり、三年生になって間もなくの事です。
 学校の帰り道、犬に吠えられて立ちんぼうだった洋二を、新平がわけなく助けたのでした。
 新平は犬好きですし、犬の方でも新平には特別親しみを感じるようです。
 次の朝、洋二はお返しに、新平が忘れてきた宿題を、こっそり教えてあげました。
 感激した新平は、その日勉強が終わった後、洋二を取り巻いていた五年生のワル達を一人で追い払ったのです。
 それをまた感激して、洋二は次の日も宿題を――。
 またまた感激した新平が、弱虫の洋二のために一働き――。
 とまあ、こんな具合に助け合っているうちに、二人は、いつの間にか二人合わせて一人のような仲良しになっていたのでした。
 丘の上の学校です。
 もう、みんな帰ってしまった、空っぽの教室です。
 いえ、まるきり空っぽと言う訳ではなく、洋二と新平の二人だけ残って、何か言い争っていました。
 珍しい事です。洋二と新平が喧嘩をするなんて。
 けれども、ほら、新平はあんなに口をとがらせているし、洋二は今にも泣きだしそうな顔。
 一体、何を言い争っているのか、もう少し、二人のそばへ近寄ってみましょう。

                    ☆

「いるもんか、そんなもんが」
 新平が、二十六回目の「いるもんか」を言いました。
「だって、いたよ。見たんだもん……」
 洋二は二十七回目の「いたもん」を言って、ますますべそをかきました。
「いやしないよ」
「いたんだってば」
 新平も洋二も、辛抱強く繰り返します。
「ばっかあ、幽霊なんてもんが、今の時代にいるかって」
「なら、昔はいた?」
「まあ、な。だけど、恐竜やなんかと一緒に、とっくの昔、滅びちゃってらあ」
「じゃあ、僕が見たの、生き残りの幽霊だよ。ほんとなんだ。窓に明かりがついてて……影が……」
 そこまで言って、洋二はぞくっと肩をすぼめました。海の色が、ここまで届くはずは無いのに、洋二の顔は真っ青です。
 分かった! 洋二は昨日お使いの帰りに見た、「つるばら館」の話をしているのでした。

 つるばら館というのは、隣町との境目辺りにある、古ぼけたコンクリートの建物の事です。
 春になると、窓を少しだけ残して、壁も屋根もすっかり、つるバラに隠れてしまうのです。
 遠くで見ると、点々と紅色をした、小さな森のようでした。
「つるばら館」の他に、もう一つ、町の人達が陰で呼んでいる名前があります。
 それは「ゆうれい館」。
 昔は立派な写真館だったそうです。が、もう二十年以上も、空き家のままでした。
 それなのに、何故でしょう……。
「あそこには、百歳を超すお婆さんが、明かりもつけずに住んでおるそうな」
 なんて、不思議な噂があるのです。
 そんなお婆さんの姿など、誰も見た人はいないのに……。
 とにかく、つるばら館というのは、薄気味悪くて、人の近寄らない建物でした。
 ところが、そのつるばら館のすぐ横を、洋二はお使いの帰りに通ったのです。
 いえ、洋二が急に強い子になったわけじゃありません。行くとき通った道に、大きな犬が寝そべっていたからでした。
 もう、薄暗くなっていたので、洋二はわざと声を出しながら歩きました。
「怖くないったら、怖くない。幽霊なんか、いやしない――」
 でも……幽霊なんか……いたのです!
 なるべく見ないように下を向いて通ったのですが、それでも目の端に、つるばらの窓が映りました。窓には、ほの暗い明かりがともって、おまけに黒い影法師が、ゆらゆらと揺れているではありませんか。
 ゆうれい館!
 洋二はつるばら館のもう一つの名前を思い出したのです。後はもう、夢中で逃げて帰ったのでした。

「ちぇっ、洋二らしくないなあ。人がいないのに、何で明かりが点くんだよ」
 新平はいらいらした口ぶりで言いました。
「影なんか、映る訳ないじゃないか。誰も住み手が無いから、ゆうれい館って言うんだぞ」
「幽霊がいるからゆうれい館だい」
 そう言って洋二は、自分でもどうかしてるな、と思いました。幽霊なんて科学的ではありませんもの。
 けれど、見たものは見たもの。後へは引けません。
「そうだ!」
 洋二は言いました。
「君も見に来るといいよ。これから、行ってみない?」
「え、つるばら館へかい?」
 少し驚いている新平の手を、洋二はぐいぐい引っ張ります。
 そしてまあ、海側の窓を一つ、閉め忘れて――二人は、教室を飛び出していきました。

                    ☆

 草ぼうぼうの庭に立って、洋二と新平は、しばらく見とれていました。
 金色の五月の日差しを受けて、赤いつるバラの花が、そこにもここにも、ほら、あんな高い所にまで、咲いています。黒ずんだガラス窓が、さび付いたように閉まっていますが、今にもそれが開いて、童話のお姫様が顔を出しそうな感じでした。
 こうして明るい所で見ると、洋二は昨日の事なんか、まるで嘘のような気がしてきました。
 まして新平は、初めから本気にしていなかったので、
「それ見ろ、幽霊なんて、いないじゃないか」
 と、勝ち誇ったように言うのです。
「夢でも見て、寝ぼけたのさ。もう、でまかせなんか言うなよ」
「誰がでまかせ言った? 見たから見たって言ったんだ」
 珍しく、洋二が食って掛かりました。
「まだ言ってら。しつこいぞ、洋二も」
「君こそ、疑い深いや。男らしくないよ」
「なに!」
「なんだよ……」
「よーし、お前なんか、絶交だ」
「いいよ、こっちこそ、絶交だい」
 仲良しというものは、ケンカする時にまで、気を合わせるのでしょうか。洋二と新平は、同じような事を言い合っています。
 絶交なんて、出来るわけがないくせに。
「あやまれ、洋二」
「君こそあやまれ」
 二人は絶交どころか、決闘でもするみたいに、一歩ずつ詰め寄りました。
 ……その時です。
 ギィー、ザリリーッと、重い音を立てて、窓の扉が開いたのです。
「ひゃあ〜〜〜!」
 この大きな悲鳴、洋二だと思うでしょう?
 ところが、洋二ではなくて新平でした。
 洋二は声も出せないで、後ろに飛び下がっていたのです。バラのトゲで指をひっかいてしまうほど慌てて――。

                    ☆

 もちろん、洋二は泣き出しました。
 けれど、そう長くは泣いていられませんでした。何故って……。地べたに座り込んで、えんえんやっていた洋二の耳に、女の声が聞こえたからです。
 ぎくりとして顔を上げると、幽霊――じゃなかった。百歳過ぎのお婆さん――でもなかった。洋二ぐらいの女の子が、窓の中で笑っているのです。
 洋二と新平は、ぽかんと顔を見合わせました。
 すると、女の子は、歌うような声で言うのです。
「ねえ、どっちが謝るのか決まった?」
「き、きみ、誰さ」
「ど、どこから来たのさ」
 見知らぬ女の子の前で、男の子二人は、どぎまぎしながら尋ねました。
「分からないわ。一人ずつ言ってちょうだい」
 女の子は、記者会見のスターみたいに気取って、そのくせちゃんと聞き取っていたのです。
「あたしミカコ、あっちから来たわ」
 女の子は、海の方を指さしました。そう言えば、女の子の服は海の色、襟のレースは波がしらの色です。けれど洋二が、
「へえ、海から来たのかい?」
 と聞いたら、首を振って笑うのです。
「まさか。海坊主じゃあるまいし。それより、ケンカしてたんでしょ? どっちかが謝るんでしょ?」
「大きなお世話だい」
 たまりかねた新平が、口をとがらせて言いました。
 でも、この人を食った女の子、ミカコには敵いそうもありません。
「あたしが、謝る方を決めてあげる」
 ミカコはそう言って、窓から手を出しました。
 何か、紙に包んだものを新平に渡したのです。
「なんだ、こりゃあ?」
 紙を開いて新平は言いました。洋二にもわかりません。鉛色で、あわ粒よりも小さなものです。
 さらさらした小さな粒が、一握りほど入っていました。
「それ、お花の種よ。何の花かは、咲けば分かるわ。二つに分けて、この庭に蒔くの。早く咲いた人が勝ち。負けた人が謝る……っての、どう?」
 ミカコは、得意そうに言いました。
 ちょっとしゃくだけど、洋二と新平はミカコの言った通りに決めました。二人とも、謝るのも、謝られるのも、あまり好きではなかったのです。
 種を二つに分けて、さあ、競争が始まりました。
 ぼうぼうの草をむしるのは一苦労です。でも、二人は汗びっしょりになって、頑張りました。瓶の壊れたのを拾ってきて、土を柔らかくしたり、溝から水をすくってきてかけたり――。
 そして日暮れ近く、洋二と新平は、自分の種を、やっと蒔き終わりました。


 ところが、どうでしょう。
 窓に腰かけて、二人を応援していたミカコが、いつの間にか消えているのです。
「おい、きみ――」
「ミカコちゃーん」
 何度呼んでも、返事はありません。ミカコが腰かけていた窓は、きっちりと閉まっていて、ガラスに夕焼けが映っていました。

                    ☆

 五日間というもの、洋二も新平も、つるばら館の事はわざと口に出しませんでした。その事を話すのが何となく、恐ろしかったのです。
 え、二人のケンカですか? ああ、あれはひとまずお預け――と言うよりも、二人とも、忘れてしまったのではないかしら。洋二と新平は、元通り、仲良くしているようですから。
 ただ、お互いに、つるばら館の庭の花の競争だけは、負けたくないと思っていました。それで、種を蒔いてから、まだ雨の降っていない事が気がかりでなりません。

 そしてまた、五日経ちました。
 五時間目の国語の時、洋二の所へ後ろから電報が来ました。
 洋二は、先生が黒板に字を書いているすきに机の陰で読みました。

『きよう つるばら館へ いてみよう。あの子 いるかも しれたいよ。 花のめが 出てるかも しれないよ』

 少し、間違ったところがありますが、電報は新平からでした。洋二は、新平がちぎったノート裏に、「りょうかい」と書いて、後ろの友達に頼みました。新平の席は、洋二と同じ列の、一番後ろでしたから。
 学校が終わると、洋二と新平は、誰にも内緒でつるばら館に来ました。
 建物をぐるっと回ってみたけれど、窓はきっちりと閉まり、女の子もいません。二人は庭へ入りました。十日の間に、また新しい草が生えています。洋二たちは、黙って草をむしり、水をまきました。
「まだ、目を出さないのかなあ」
 新平が、土の上を撫でながら言いました。
「何の花か知らないけど……。もう生えてもいい頃だよね」
 洋二は答えて、それから、あっと青くなりました。
「ミカコちゃんが、ゆ、幽霊だったら? 幽霊のくれた花の種だったら?」
「幽霊がくれた? 花の種を? ばかだなあ、幽霊なんか――」
 いやしないよ、と、言いかけた新平は、
「ひゃあ〜〜〜」
 とまたまた悲鳴を上げました。洋二も、ぶるぶる震えています。
 だって、つるバラに囲まれた窓の中で、
「フフ、ウフフフ……」
 と、誰かの笑う声がするんですもの。
 洋二と新平は、転ぶように走って、そこから逃げ帰ったのでした。

                    ☆

 十日経ち、二十日経ち、ひと月が過ぎました。
 海は太陽を映して走り、風は夏の香りを運んできます。
 洋二も新平もあんなに怖かったつるばら館の事を、いつの間にか忘れてしまいました。水遊び、植物集め、ザリガニ取りと、結構忙しかったのです。
 そうしたある日、洋二たちの組に、一人の転校生が来ました。
 先生の後ろから、教室に入って来たその子を見て、洋二は、はっとしました。
 あの子です! つるばら館にいたあのミカコなのです。
「これから皆さんと勉強する事になった小山ミカコさんです。ミカコさんは、海を挟んだ向かいの島、四国の学校で勉強していました。新聞社にお勤めの、お父さんの転勤で、この町に来たのです」
 受け持ちの女の先生がミカコを紹介すると、
「あたし、つるばら館へ引っ越してきました。どうぞよろしく」
 ミカコはぺこんとお辞儀をしました。
「まあ、つるばら館ですって……」
「あの、ゆうれい館のことだぞ」
「幽霊、怖くないのかしら」
「幽霊じゃないよ。姿の見えない、お婆さんがいるんだ」
 教室の中は急にざわざわしてきました。でも、ミカコはみんなの言葉をにこにこして聞いているのです。
 そして、新しい友達の中に洋二の顔を見つけると、「あら」と言って、手を上げました。洋二が赤くなっているのに、
「幽霊なんて、いないわよね」
 と、ミカコは平気で話しかけます。
「うん、まあ、いるような、いないような……」
 洋二は、下を向いたまま答えました。
「じゃあ、百歳過ぎのお婆さんは?」
 後ろの方から、女の子が聞きました。
「え、ま、まあ、いるような、いないような」
 今度はミカコが、少しどもって答えました。
 でもミカコは、洋二のように下なんか向かないで、つるばら館の話をみんなの前で話し始めたのでした。

 昔、日本が戦争をしていた頃――。
 つるばら館は、今のようにおんぼろではありませんでした。写真屋さんだったお父さんは、戦争に行って、南の島で死んでしまい、学校へ上がったばかりの女の子、女の子のお母さん、それに、八十歳を過ぎたお婆さんの、三人家族が住んでいました。
 夏のある日、熱を出したお婆さんを連れて、お母さんは病院のある町へ、バスで出かけていきました。
 その日です。お母さんたちが行った町に、大きな爆弾が落とされたのは……。


 その町も、お母さんやお婆さんも、みんな灰になってしまいました。一人で留守番をしていた女の子は、お母さんたちを探しに出たまま、行方不明になってしまったのです。
 その爆弾で、親戚の人達も死んでしまい、お婆さんやお母さんの死んだことを届ける人はいませんでした。
 そこで、戸籍には、まだ生きている事になっているのです。
 その頃八十歳のお婆さんですと、今、生きていれば百歳は過ぎるはず――それで、不思議な噂が流れたのでしょう。

 ミカコは、そう話したのです。
 そして、おしまいに言いました。
「行方不明になった女の子ね、四国の人が育ててくれたんですって。大人になって、新聞記者のお嫁さんになって、それでつるばら館の事が分かったんですって。私の母さんなの、その女の子」
 みんな、しーんとして、ミカコの話を聞いています。
 この組の友達は、家に帰って、ミカコの話をするでしょう。家の人は、近所の人に話し、近所の人は、また誰かに話して、そのうち誰もあの建物の事を「ゆうれい館」なんて呼ばなくなるでしょうね。
 学校が済むと、洋二と新平は、ミカコに誘われて、つるばら館へ行ってみる事になりました。
 丘の道を降りながら、洋二は気になっていたことをミカコに訊いてみたのです。
「夕方、窓に明かりがついてたよ。それに窓の中でウフフと笑う声も聞こえた……。あれ、ミカコちゃんだったの?」
「笑ったのは私よ。だって、幽霊の種なんて言うんだもの。明かりをつけてたのは、たぶん父さんだと思うわ。まだ電気が来なくて、ろうそくの明かりよ。引っ越してくる前、母さんに内緒で家の手入れをしてたのよ。自分の生まれた家がおんぼろだったら、母さん、悲しいだろうって」
「ふーん、優しいんだなあ」
 洋二は、優しいお父さんの子供だから、ミカコも、きっと優しいだろうと思いました。
 ところが大間違い! つるばら館に来てみると、見違えるほど明るくなっていました。窓はピカピカ光っているし、庭一面、花模様のじゅうたんを敷き詰めたように、松葉牡丹が咲いているのです。
「これじゃ、どっちが謝るのか――」
「わかりゃしないや」
 洋二と新平は、同じことを思い出して言いました。
 するとミカコは、悪戯っぽく二人を見比べて、急に笑い出したのです。
「アハハ……ハッハッハ……。バカねえ、そんな事、どうでもいいのよ。あたし、庭を綺麗にしたかっただけなんだから。ハハハ……ご苦労様でした」




おしまい


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