ガラスの山のお姫様


                    ☆

 昔、牧場を持っている一人の男がいた。牧場は高い丘の上にあって、そこには干し草をためておく小屋があった。
 ところで、その小屋にはこの一、二年というもの、干し草がちっともたまっていなかった。その辺りに、ためるような青草がまるっきり無くなっているからだった。
 どうして青草が無いのか? それがこの話の始まりだ。
 ヨハネの祭りと言うのは、一年中で夜が最も短い、六月の『夏至』と言う日の前の晩にあたる。毎年、草が青々と茂るのは、ちょうどその頃である。が、その祭りの晩になると、あくる朝までには、青草がすっかり根元まで無くなってしまっていた。その無くなり方と言ったら、何千、何万もの羊の群れが、まるで一晩のうちに草を食べつくしたかのような有様だった。
 一度、そのようなことがあってから、次の年にもまた、同じ事が起こった。
 そんなわけで、牧場を持っている男は、干し草の取入れも出来ないので、うんざりしていた。
 さて、その男には、三人の息子があった。そこで男は三人の息子たちを呼んで、
「みんなの内、誰かヨハネの祭りの晩に、牧場のあの小屋まで行って泊ってくれ。この二年の間に起こったように、草の根元まで食べられてはたまらないからな。小屋へ行ったら、よく見張っていろ」
 と言った。
「私が行こう」
 と、一番上の息子が答えた。
 一番上の息子は、人だか、獣だか悪魔だかが、草を盗みに来ても、見張りは自分一人で十分だと、そう考えたわけだった。
 そこで、その日の夕方になると、一番上の息子は遠い牧場まで出かけて行き、小屋の中に入って横になって休んだ。
 ところが、少し夜が更けたかと思うと、酷く騒がしい音が聞こえてきた。大きな地震が起こって、小屋の屋根も壁もグラグラ、ガタガタと揺れ出したのである。
 一番上の息子は、驚いて飛び上がるなり、一生懸命になって逃げだした。そして、家へ帰りつくまで、一度も後ろを振り返って見なかった。
 草の方は、一番上の息子がいなくなった間に、今までと同じように、すっかり食べられ尽くし、一本もなくなってしまっていた。
 次の年になった。ヨハネの祭りの晩になると、牧場を持っている男はまた、
「こんなに毎年、牧場の草を取られては駄目じゃないか。今度はよく気を付けて番をしてくれ」
 と、そう言った。
 すると二番目の息子が、
「運試しに私が行こう」
 と答えた。
 二番目の息子は、牧場の小屋へ出かけていくと、一番上の兄と同じように、小屋の中に入り、横になって休んだ。
 ところが夜更けになると、やはり大きな地震が起こった。この前の年の晩よりも、もっと酷いくらいだった。
 で、二番目の息子は、その物音を聞くなり、すっかり怖気づいて、飛ぶように走り続けて家へ帰って来た。
 そんなわけで、一番目の息子も、二番目の息子も、草の番がうまく出来なかった。
 そのあくる年になった。一番末の弟の番が来た。弟の名は、アシェラッドといった。
 アシェラッドが小屋へ出かけようとすると、二人の兄は笑い出し、
「干し草の番には、お前が丁度おあつらえ向きだな。いつも何にもしないで灰の中に座り込み、自分の身体を火で焦がしてばかりいるんだからな」
 と、からかうように言った。
 ところでアシェラッドと言うのは、兄たちと比べるまでもなく、薄黒くすすけていて、見るからに汚らしい息子だった。
 その事を、アシェラッドは自分で知っているのかいないのか、兄たちに何を言われても、少しも気にかけなかった。
 夜になると、アシェラッドはさっそく、小屋がある丘を目指してどんどん歩いて行った。そして、兄たちと同じように小屋の中に入って横になった。
 一時間も経ったとき、小屋がいきなりグラグラ、ガタガタ、ギイギイと唸り出した。地震だ。その物音と言ったら、ほんとに聞くも恐ろしいばかりだった。
 しかしアシェラッドは、
「これより酷くならなければ、我慢をするのは何でもないぞ」
 と独り言を言った。


 そう言った途端、地震はいくらか静かになった。が、しばらくするとまた、グラグラ、ガタガタ、ギイギイと、小屋は音を立てて揺れ、そこらにあった藁がアシェラッドの頭をかすめて飛び回った程だった。
「これより酷くならなければ、我慢をしてみせるぞ」
 アシェラッドはまた言った。
 そう言った途端、地震はまた、いくらか静かになりかけた。が、続いて三度目の地震がやって来た。
 今度のはとても大きかった。あまりにひどいので、壁や屋根が、頭の上に落ちてくるのではないかと、アシェラッドはそう思ったくらいであった。
 ところがいつの間にかそれがやんで、辺りが急に、しいんと静まり返った。それでもアシェラッドは、きっとまた地震が起こるだろうと、じっと待ち構えていた。けれど地震はもう起こらず、辺りはひっそりと深く、ただ静まり返っているばかりだった。
 アシェラッドは横になった。しばらくすると、小屋のすぐ外で、馬が草を食べているような物音が聞こえた。アシェラッドは、そっと戸口まで歩いて行って、隙間から外を覗いてみた。
 やはり馬だった。それも、アシェラッドが今までに見たことも無いような、とても大きくて太った馬が一頭、盛んに草を食べていた。
 馬がいる横の草の上には、鞍と手綱が置いてあり、騎士が着る鎧が一揃い、ちゃんと並べられてある。鞍も鎧も、鎧の下に着る鎖帷子も、ぴかぴか光る真鍮で出来ていて、その辺りがキラキラと輝いて見える位だった。
「ほほう!」
 アシェラッドは馬に向かって、
「お前だったのかい、ウチの草を食べてしまうやつは! さっそくお前に草が食べられないように邪魔をしてやるから、見ているがよい」
 そう言うと、火打ち金を取り出して、馬の身体越しに向こう側へ投げつけた。火打ち金は馬の身体に触りもしなかったが、馬はじっとして、すっかり大人しくなった。
 これで馬はアシェラッドの言う通りになったので、アシェラッドはその背中にまたがり、誰も人が行かない所へ連れて行って、繋いでおいた。
 アシェラッドが家へ帰ってくると、兄たちは相変わらず嘲笑って、
「小屋ではどんな具合だったかね?」
 と尋ね、
「牧場の丘までは行くだけの勇気はあっても、小屋の中ではとても寝られなかったろう」
 そう言った。
 それに応えてアシェラッドは、
「太陽が出るまで、小屋の中で寝ていたけれど、何も見なかったし、何も聞こえはしなかったよ」
 と、とぼけた事を言い、
「兄さんたちがあの小屋を怖がるわけが、私にはどうしても分からないね。一体、あの小屋に何があると言うんです?」
 そんな風に言った。
「こら! 出鱈目を言ったって、お前がどんなふうに見張りをしたか、すぐに分かる事だぞ!」
 兄たちは言った。
 そこで、兄たち二人が牧場へ出かけてみた。
 なんと、草は青々と深く茂っていた。草が無くなってはいないのである。
 おかげで牧場を持った男は、この年は久しぶりに干し草の取入れをすることが出来た。
 また、あくる年になった。ヨハネの祭りの晩になると、兄弟たちはまた、草の番が回って来た。
 けれど、兄たちはもう、草の番に行く気が無かった。で、アシェラッドが行くことになった。
 アシェラッドが小屋へ行くと、去年とそっくり同じように、グラグラ、ガタガタ、ギイギイ、地震が三度まで続いた。少し違っていたのは、この前よりも地震がずっと大きかったことぐらいで、後はまた、静かになった。
 すると、小屋の外で、馬が草を食べているような物音がした。アシェラッドが覗いてみると、やっぱり馬だった。少し違っていたのは、この前よりも、馬がもっと太った立派な馬だった事と、その背中に銀の鞍を付け、首には手綱を付けている事だった。馬の横の草の上には、やっぱり騎士が着る鎧が一揃い置いてある。今度の鎧は誰もがひと目見たいと思うような、銀で出来た立派なものであった。
 それを見てアシェラッドは、
「ほほう! お前だな、ウチの草を食べてしまうやつは! すぐに、お前に草を食べられないようにしてやるから、見ているがよい」
 そう言うと、火打ち金を取り出して、今度は馬のたてがみ越しに、向こう側へ投げつけた。火打ち金は馬のたてがみに触りもしなかったが、馬はじっとし、羊のように大人しくなった。
 そこでアシェラッドはまた、馬の背中にまたがり、人が行かない所に馬をつないで、それから家へ帰った。
「多分、お前の話では、丘の上の草は今年も立派に残っていると言うんだろう」
 家へ帰って来たアシェラッドを見て、兄たちは言った。
「ああ、そうだよ」
 兄たちはさっそく、牧場へ行ってみた。
 草は去年と同じように、青々と深く茂っていた。
 そんなことがあっても、兄たちは別段、アシェラッドを褒めもしなかった。
 さて、さらに次の年のヨハネの祭りがやって来た。しかし、兄たちはやっぱり草の番に行こうとしない。よっぽど地震の恐ろしさに懲りたのだろう。
 そこでまた、アシェラッドが小屋へ行くことになった。もうこれで三度目である。
 アシェラッドが小屋へ出かけると、何から何まで、またこれまでと同じような事が起こった。ただ、今度の地震はとても大きくて、アシェラッドはまるで、ダンスでもしているかのように、こちらの壁からあちらの壁へと、身体を叩きつけられた。
 その後は、辺りがしいんと静まり返ったことも、小屋の外で馬が草を食べている物音がしたことも、前とそっくり同じだった。
 アシェラッドが覗いてみると、今度の馬は、前の二頭の馬よりもいっそう大きくて、ずっと太っていた。おまけに馬の背中に置いてある鞍も、草の上にある鎧も、ぴかぴか、きらきら、金ずくめだった。
「ほほう! お前だね、ウチの草を食べてしまうやつは! すぐに、お前に草を食べられないようにしてやるから、見ていろ」
 そこでアシェラッドは、火打ち金を取り出して、この時は馬の頭越しに、向こう側へ投げつけた。火打ち金は馬の頭に触りもしなかったが、馬は土に貼り付けられでもしたかのように動かなくなった。アシェラッドは大人しくなった馬にまたがり、人が行かない所に馬をつないで家へ帰った。
 兄たちは、アシェラッドを見ると、また、
「お前はいつも、夢でも見ながらふらふらと歩いているように見える。だから今度も、さぞ草の番がよく出来たろう」
 そう言ってからかった。
 アシェラッドは何を言われても、相変わらず相手にならなかった。ただ、
「見れば分かるよ」
 と答えただけだった。
 兄たちが牧場へ出かけて見ると、草は立派に、青々と深く茂っていた。

 話変わって、アシェラッドが住んでいる国の王様には、一人のお姫様がいた。お姫様はたいへん美しかったので、一目見たものは、誰だってお姫様が好きになった。
 王様は、このお姫様の事で、少しばかり珍しい考えを持っていた。それと言うのは、王様の城の近くに、ガラスでできた高い山がある。そのガラスの山と言ったら、まるで氷のようにつるつるだった。が、王様は、この山に馬で登ることが出来た者へしか、お姫様をお嫁にやらない、と言うのであった。
 それには、お姫様がまず、膝の上に三つの金のリンゴを持って、山の頂に座っている。そこまで馬で登り切った者は、その三つの金のリンゴを受け取って帰ってくる。これが出来た者に王様の国の半分と、お姫様が与えられる、という決まりになっていた。
 王様は、その事を役人に書かせて、国中の教会の戸口に貼りつけさせた。また、よその国々へも、それを知らせた。
 これを見たり聞いたりした人々は、
「へえ、ガラスの山に、馬で登ることが出来たら、国の半分とお姫様がもらえるんだって。なんと素晴らしい話だろう」
 と噂をし合い、たちまち大評判になった。
 いよいよ、王様が決めた試験の日が来た。方々の国の王子たちや騎士たちが、ぞろぞろとガラスの山の下に集まった。誰もが立派な馬に乗り、綺麗な身なりをしていた。
 王子や騎士たちの他に、たくさんの見物人たちが来た。国中の者が、身体の動く者なら、全部と言ってよいほど山へと出かけた。競争に勝ち、お姫様の婿さんになることが出来る人を、是非ひと目見たいと思ったからだ。
 アシェラッドの二人の兄も、みんなと同じように、ガラスの山の下へ見物に行くことにした。でも、アシェラッドには、
「お前は来てはいけない」
 と言った。
 兄たちは、薄黒くすすけた汚らしいアシェラッドと一緒にいるところを皆に見られたら、馬鹿にされるから嫌だと、そう言うのだった。
「いいとも。僕は独りで行けるし、何だって一人で出来るんだからな」
 アシェラッドは言った。
 さて、二人の兄がガラスの山の下に着いてみると、王子や騎士たちが一生懸命になって山へ馬を上らせている最中だった。けれど、馬が山に一足でも上りかけたかと思うと、つるりと滑り落ちて、まるっきり駄目であった。ほんの一メートルか二メートルさえも、登れる者が無い。
 それも無理のない事であった。山は板ガラスのように滑らかなうえに、壁のように急で、険しかったからだ。
 それでも競争者たちは、お姫様と国の半分とが貰いたくて、馬に乗っては滑り、滑ってはまた馬に乗って、いつまでも同じことを繰り返していた。しまいには、どの馬もほとんど足を持ち上げることが出来ないほど、へとへとに疲れてしまった。馬は汗にまみれて荒い息をつき、その身体からは汗と泡をぽたぽたと滴らせた。


「みんな駄目だ」
 王様は、今日の試験はもうやめにして、明日またやり直しのふれを出そうかと考えた。
 すると、ちょうどその時、だしぬけに一人の見慣れない騎士が現れた。この騎士は、今までに誰も見たことが無いような元気な馬にまたがって、ぴかぴか光る真鍮でこしらえた鎧の下に着る鎖帷子を身に着けていた。馬のくつわも鞍も真鍮で出来ており、日の光が当たると、キラキラときらめく。
 これを見た人たちは、
「いくらどんな立派な馬に乗っても、どのような勇ましい身なりをしても、馬で山へ登ることは出来ない事だからやめた方が良い」
 と言って、騎士に呼び掛けた。
 けれど騎士は返事をしようともせず、山へと馬を進めた。
 見ていると、その騎士は易々と山の三分の一ぐらいの高さまで登っていった。
 お姫様はそれを見て、
(まあ、今までに見たことも無い位、綺麗な騎士だわ。あの人だけが、この山の上まで登れるかもしれない)
 そう思って、胸をワクワクさせた。
 ところが騎士は、山の三分の一ぐらいの辺りで馬を止めたきり、上まで登って来ようとはしない。そこからくるりと背を向けて、下へ降りていこうとした。
 そこで、お姫様は金のリンゴを一つ、騎士の後ろから投げ下ろした。リンゴは転げて行って、騎士の馬のひづめの下に隠れた。しかし、騎士は山を下りるなり、急いで馬を走らせて、どこかへ行ってしまった。で、一体なにごとが起こったのか、詳しい事は誰にもわからなかった。
 その晩、王子たちや騎士たちはみんな、王様の前に呼び出され、
「山に登った者で、誰か姫が投げた金のリンゴを持っている者はいないか? 持っている者がいたら、出して見せよ」
 王様は、みんなに向かって言った。
 けれど、王子や騎士たちの誰一人、金のリンゴを持った者は居なかった。
 一方、夕方になって、アシェラッドの兄たちはガラスの山から帰って来た。そして、二人は長々と今日の山での様子をアシェラッドに話して聞かせた。
「初めの内は、大勢集まった王子や騎士たちの中で、一足だって山に足をかけた者は居なかった。それが、一番おしまいに、真鍮の鎖帷子を着て、真鍮の鞍にまたがった騎士が出てきたんだ。その騎士こそ、実に馬乗りの名人だった! ガラスの山の三分の一まで登ったし、行きたければ山のてっぺんまで容易く登れるところだったんだ。が、引き返して降りてしまった。多分、まず初めはこれくらい登れば沢山だと、そうでも思ったんだろうよ」
 兄が言うと、
「ああ、そんな騎士なら、ほんとに僕も見たかったなあ」
 アシェラッドは火の側に腰を下ろし、いつもやるように、灰の中に両足を突っ込んだままそう言った。
「どうだ、見たいだろう。お前みたいな醜い奴が、そんな身分の高い人の側へでも行ったら、さぞ、良く似合うだろうがよ」
 兄がバカにしたみたいな言い方をした。
 あくる日、兄たちが今日もガラスの山へ出かけようとすると、アシェラッドが、
「僕も是非連れて行ってくれ」
 と頼んだ。
 けれど兄たちは、
「ダメだ」
 と言い、
「お前は余りにも醜くて汚らしいから、一緒に行くのは絶対お断りだよ」
 そのように言った。
「それではいいや、行くとしたら、一人で行くだけさ」
 アシェラッドは独り言を言った。
 兄たちがガラスの山へ着いた時、王子や騎士たちの山登りはもう始まっていた。みんなは馬のひづめを鋭く尖らせておいた。が、やっぱり駄目だった。全て昨日と同じことで、一メートルも山に登れたものはなかった。その内に、どの馬もすっかりくたびれて、足をあげる事さえできなくなった。仕方がなく、王子や騎士たちは山へ登ることを諦めるよりほかはなかった。
 その有様を見て、王様は、
(やっぱり駄目だ。明日を終わりにもう一日だけ試してみる事にして、今日はこれでおしまい、という事にしようか)
 と考えた。
 ところで王様は、昨日現れた真鍮の鎖帷子を着た騎士が、まだ姿を見せていないので、
(もしかしたら、今日もあの騎士が来るかもしれないから、もうしばらく待ってみようか)
 と、そう思った。
 王様が迷っている、ちょうどその時だった。突然に、一人の見慣れない騎士が現れた。昨日の真鍮の鎖帷子を着た騎士が乗っていたよりも、ずっと立派な、もっと元気のよい馬にまたがっていた。この騎士の身なりは、銀の鎖帷子を着て、馬に置いた鞍もくつわも、銀づくめであった。日の光に照らされて、人も馬もキラキラと銀に輝いている。
 これを見た見物人たちは、この前の時のように、
「いくらどんな立派な馬に乗っても、どのような勇ましい身なりをしても、馬でガラスの山へ登ろうというのは出来ない事なんだ。だからやめた方がいい」
 と、騎士に聞こえるような声で言った。
 けれど騎士は、返事をしようともせず、山へと馬を進めた。
 見ているとその騎士は、わけもなく山の三分の二ぐらいの高さまで登った。
 お姫様はそれを見て、
(まあ、素敵! 昨日、登ってきた騎士よりも、もっと素晴らしいわ。あの人だけが、この山の上まで登れるかもしれない)
 そう思い、胸をドキドキさせた。
 ところが騎士は、山の三分の二ぐらいの辺りで馬を止めたきり、上までは登って来ない。そこからくるりと背を向けて、下へ降りて行きかけた。
 そこで、お姫様は慌てて二つ目の金のリンゴを騎士の後ろから投げ降ろした。リンゴは転げて行って、騎士の馬のひづめの下に隠れた。岸は山を下りると、急いで馬を走らせて、どこかへ行ってしまった。
 その晩、王子や騎士たちはまた、王様の前に呼び出された。
「姫が投げたリンゴを持っている者は居ないか? 持っている者がいたら、出して見せよ」
 王様は言った。
 けれど、誰もリンゴを持ったものは居なかった。
 一方、昨日と同じように、アシェラッドの兄たちは家へ帰って、山での様子をアシェラッドに話して聞かせた。
「今日、一番後から出てきた騎士は、まったく素晴らしかったよ。その騎士は、銀の鎖帷子を着て、銀の鞍を置いた馬にまたがっていた。あの騎士こそ馬乗りの名人だった! 山の三分の二まで登ったんだが、そこでまた降りてしまったのさ。お姫様も感心したんだろう、金のリンゴを投げておやりになったよ」
 兄が言うと、
「ああ、そんな素晴らしい騎士なら、ほんとに僕も見たかったなあ」
 アシェラッドは言った。
「バカな事を言ってはいけない。お前はたぶん、自分がいつもかき回したり、ふるい分けたりしている灰がその騎士の銀の鎖帷子と同じくらい、ピカピカしてるとでも思っているんだろう。お前みたいに、煤汚れた汚らしいのと、あの騎士とでは雪と墨ほどまるっきり違うよ」
 兄たちは、アシェラッドを嘲った。
 三日目も、兄たちだけは見物に出かけた。が、アシェラッドはまた、連れて行ってもらえなかった。
「いいさ、行きたけりゃ、一人で行くさ」
 アシェラッドは独り言を言った。
 兄たちが山のふもとへ来た時、王子や騎士たちの山登りは、もう始まっていた。けれど、相変わらず、一メートルと山に登れる人はいなかった。
 見物人の何人かは、
「真鍮の鎖帷子を着た騎士が来ると面白いんだがな」
 と言った。
「いや、銀の鎖帷子を着た騎士が来る方が、ずっと面白いよ」
「そうだ、そうだ」
 そういう人の方が多かった。
 みんなは銀の鎖帷子を着た騎士が来るかと待った。でも、その馬の足音も聞こえなかったし、姿も見えなかった。
 見物人だけではなく、王様も待っていた。王様が待ちくたびれたころ、
「おや、おや!」
 さすがの王様も目をみはった。
 騎士が現れたのだ。それも、昨日の銀の鎖帷子を着た騎士が乗っていたよりも、もっと立派なこのうえなく元気な馬にまたがり、金の鎖帷子を身に着け、金の鞍を置いていた。
 金の鎖帷子も、金の鞍も、日の光に輝いて、キラキラ、ぴかぴか、その眩しいこと! この騎士と馬のきらびやかさは、一キロ向こうからだって、まぎれもなく見える位だった。
 新しく来た騎士の様子があまりにも立派なので、他の王子や騎士たちは、呆気にとられてしまった。
 見物人たちも、その騎士が全く立派なものだから、何も言う事は無く、ただ、ぽかんとして見ているばかりだった。騎士は真っ直ぐに山へと向かった。そして、あっと言う間に楽々と山の頂まで登り切った。で、お姫様がやきもきと気をもんでいる暇さえない程だった。


 騎士は山の頂に着くのが早いか、お姫様の膝の上から、一つ残った金のリンゴを取り上げた。と、すぐに馬の向きを変えて、山から下りた。降りてしまうと、騎士は急いで馬を走らせて、どこかへ行ってしまった。
 王様も家来も見物人たちも、慌てて一生懸命になってその騎士の行方を捜した。が、騎士はどこへ行ったものか、少しも分からなかった。
 さて、アシェラッドの兄たちは、ガラスの山から帰ってくると、その日の出来事を、やはりアシェラッドに話して聞かせた。
 何よりも、金の鎖帷子を着て、金の鞍を置いた馬に乗った、素晴らしい騎士の話を長々と続けた。その挙句に、
「あの騎士こそ、本当に馬乗りの名人だった! あんな立派な騎士は、世界中を探したって二人というものではない。それにしても、不思議な騎士がいたもんだ。あの騎士は、山の頂まで登り、お姫様から金のリンゴを受け取って来たんだから、約束通りに国の半分とお姫様が貰えるわけだ。それなのに、山を下りたきり、一体どこへ行ってしまったんだろう? 全く天から降りて来たみたいに立派な騎士だったんだがなあ」
 兄は言った。
「ああ、僕も本当に、その人を見たいなあ!」
 思わずアシェラッドが言うと、
「へえ! お前はたぶん、自分がいつもかき回したり、ほじくったりしている火が、その騎士の金の帷子と同じくらいピカピカしているとでも思っているんだろう。ところが金の鎖帷子は、火が燃える炎よりも、もっとキラキラと輝いていたよ。お前みたいにすすけ汚れた汚らしい奴が、あのような気高い騎士を見たって仕方がないさ」
 兄たちは、アシェラッドを蔑んだ。
 ところで王様の城では、その晩からあくる朝にかけて、金の鎖帷子を着た騎士捜しを相変わらず続けていた。
 王様が何べん調べて見ても、王子や騎士たちの中に、金のリンゴを持った者は居ないのだった。
「おかしいな。誰かがきっと金のリンゴを持っているはずなのに。あの騎士が、確かに山へ登ったのを、誰もがその目で見ていたのだし、金のリンゴを持ったものが居ないはずはないんだが……」
 王様は言った。そこで王様は、とうとう国中の男は全部、城に来るようにという命令を出した。
 みんなは次々に城へやって来た。誰もリンゴを持った者は居なかった。
 かなり遅れて、アシェラッドの兄たちも城へ来た。これが一番おしまいだった。で、王様は、
「国中で、来ていない者はもう無いか?」
 と尋ねた。
「はあ、いるにはいるんですが……」
 兄は答えて、
「私達に、弟が一人あるのです。けれど、金のリンゴなんか決して持ってはいません。この三日の間、炉の灰の中から出たことも無いもんで」
 そう言うと、
「そんな事は構わないから、他の者と同じように城へ来るがよい」
 王様は言った。
 間もなくアシェラッドが、王様の城に呼び出された。そこで王様はアシェラッドに向かって、
「お前は金のリンゴを持っていないか?」
 と尋ねた。
「はい、持っております」
 アシェラッドは答えた。
 そして、これが一番初めのリンゴ、これが二番目、これが三番目のリンゴと、三つのリンゴをポケットから次々と出して見せた。


 それを見せ終わると、アシェラッドは煤けてボロボロの自分が着ていた物をはらりと脱ぎ捨てた。と、その下から、輝く金の鎧を身に着けた、目覚めるばかりの姿が現れた。ガラスの山へ馬で登ったあの騎士こそ、アシェラッドだったのだ。
 そこで王様は、
「お前に私の娘と、国を半分あげよう。お前は娘にも、国にも、この上なくふさわしい、立派な騎士だ」
 と言った。
 盛んな結婚式が行われて、アシェラッドがお姫様をお嫁さんにしたことは言うまでもない。



おしまい


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