セルペンの花嫁修業大作戦!

 もちろん、セルペンにも夢がある。
 小さい頃は、いつか、王子様が白馬に乗って迎えに来てくれる……というものだった。
 で、最近は――
「セルペンねぇ、セルペン、絶対にテッチャンさんのお嫁さんになるのっ!」
 セルペンはキラキラと目を輝かせながら、うっとりとした表情で言った。
「あ、そ、そうなの……」
 ゲンナリとした表情になったのは、そう言われた石川だ。
 トゥエクラニフ化してしまった現実世界を元に戻すための冒険を初めて二週間。
 石川達はダンジョンと化した施設を巡り、世界を元に戻すために必要なクリスタルをいくつか手に入れ、若干だが心に余裕が生まれていた。
 そこで、さっきのような会話になったわけである。
「でね、でね、テッチャンさん、セルペンね、新居は丘の上の白いおうちがいいの。こう、おうちの周りには花壇があってね」
「は、はあ……」
「そこでテッチャンさんのために毎日お料理するのv それで、テッチャンさんはセルペンの料理を食べてくれて、『セルペン、おいしいよ』って言って優しくキスしてくれるのv きゃーっ、きゃーっ、きゃーv」
 セルペンは完全に自分だけの世界に入り込んでいた。
 ちなみにセルペンは一応一二六歳(人族で言うと一二歳くらい)なのだが、見かけや仕草はそれよりもずっと子供っぽく見える。だいたい、そういう考え方一つにしても、とても年齢通りには思えない。ま、そこが可愛いと言えば可愛いのだが。
 石川の方は完全に圧倒されて、“あさっての方を向き”状態になっていた。
(はぁ……駄目だ。まだ、このノリにはついていけない……)
 そこへ、
「キャン!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 いきなりセルペンが視界の中に飛び込んできて、犬のように可愛らしく鳴いた。
 突然の事だったので、石川がびっくりして悲鳴を上げる。
「セ、セルペンちゃん!?」
「いやん、テッチャンさん! 途中からセルペンのこと無視しちゃいやっ!」
「あ、で、でも……」
「いや、いやっ! テッチャンさんはいつもセルペンを見ていてくれなくちゃいやなのっ!」
 セルペンはあまりにも可愛らしい仕草で、あまりにも純粋な瞳で訴えるため、そのわがままな意見に対して、石川は怒る気力を一切なくしていた。
 石川は疲れたようにコックリと大きく頷いた。
 その時だ。
「テッちゃん、クリスタルの反応が出たって!」
 上田がやって来たのだった。



 彼ら九人のパーティーは、石川達の学校のすぐ近くにある住宅地を拠点として、石川達三人がダンジョンと化した施設を探索し、セルペン達、トゥエクラニフの少女達がナビゲート。そして三魔爪達は彼女たちの護衛をしつつ、必要とあれば石川達の元に駆け付けるという体制をとっている。
 この時も、彼女たちは普段通りに留守番をする事になる……と思われたのだが。
「テッチャンさん、今日は帰ってきたら、この家に来て下さい!」
 出かける前にセルペンに呼ばれて、住宅地のとある民家にやって来た石川は顔にハテナマークを浮かべた。
 そこは、外の壁が白い家だった。
「どういう事?」
「セルペン、決めたんですぅ! テッチャンさんの立派な奥さんになるために、花嫁修業するって! だから今日は一日修行して、その成果をテッチャンさん自身で確かめて欲しいんですぅ!」
 要するに、この民家を使用して、新婚生活のシミュレーションをしたい、という訳だ。
「そ、そう……」
 セルペンは燃えていた。
 対して石川の方は完全に汗ジト。
 ちなみに三魔爪達には、あらかじめ話を通していたらしい。
 こういう時は、取り敢えずほとぼりが冷めるまで待つのが一番だ。
「じ、じゃあ、セルペンちゃん、おれ達は出かけてくるから……」
 石川は、慌てて外に出て行こうとする。
「あん、だめですぅ、テッチャンさん!」
「えっ!?」
「ちゃんとお出かけ前には、奥さんに“行ってきます”のキスをしなきゃ」
「いいっ!?」
 セルペンがゆっくりと顔を近づけてくる。
 こうなると、何かしないとセルペンは引っ込まないだろう。
「じゃあ、オデコに……」
「オデコですかぁ!?」
 セルペンが不満そうに言うが、石川は適当な事を言ってごまかした。
「おれ達の世界では、“行ってきます”のキスはオデコって決まってるの」

 チュッv

「い、行ってきます」
 上ちゃん達がこの場に居なくて本当に良かった……。
 心底そう思いながら、石川は出かけようとするが、
「行ってらっしゃい、アナタv」
 セルペンの言葉に、玄関を出ようとした石川は思わずつんのめった。



「きゃは、奥様だって!」
 セルペンははにかみながら、洋服ダンスの中をかき回していた。
 彼女が花嫁修業の予行演習に使おうと考えた民家は新婚さんの家だったらしく、いたるところにそれらしさがあった。
 セルペンが洋服ダンスの中から見つけ出したエプロンにしてもそうだ。
 真っ白な、フリルのついた可愛らしいエプロン――
「きゃは」
 セルペンはそれをつけると、鏡の前でかるくすそをつまんでポーズをとってみた。
「あは、いいv」
 確かに幼いが、若奥さんらしく見えない事も無い。実際、トゥエクラニフでは女の子が一四、五歳で結婚する事も珍しくなかった。
「よ〜し、セルペン、頑張っちゃうもん!」
 セルペンはグッと決意したように、可愛らしい拳を握りしめた。
「ここで、セルペンが奥さんらしいところを見せれば、きっとテッチャンさんだって……」
 セルペンの想像の中で、石川が感激の面持ちでセルペンを見ていた。

『セルペンちゃん……なんて素敵なんだ! キミがこんなにも奥さんらしい事が出来るなんて!』
『テッチャンさん、セルペンの事、もらってくれるっ?』
『もちろんだよ、セルペンちゃん! あ〜、なんて可愛いんだv』
 いきなり石川の手がセルペンの服のボタンを次々と外していく。
『あ……テッチャンさぁんv』
『セルペンちゃんv』
 石川にセルペンは抱きしめられ、そのまま――
『テッチャンさん、セルペン、恥ずかしいv』

 ――などという妄想に浸りながら、セルペンの顔は崩れ切っていた。
「でへへ……きゃん、きゃんv」
 まったく、可愛いけど、ちょっと性格に問題あり!
「よぉし、じゃあ、頑張っちゃおうっ!」
 セルペンはそそくさと台所に向かった。

「まずは何といってもお料理よ! 炊事は奥様の基本だもん!」
 ちなみに普段は炊事などはオータムとガダメ(修行中、一人旅をしていた期間が長かったので、実は料理が上手いのだ)が担当し、サクラや石川達、さらには三魔爪もそれぞれ分担して家事を受け持っていた。
 セルペンがやっていたのは食料の調達である。
 これは、彼女が家事の経験がほとんど皆無に等しいからであった。
 意外と思われるかもしれないが、実はセルペン、ボガラニャタウンでは割と良い家庭のお嬢様育ちなのだ。
「え〜と……」
 冷蔵庫から食べ物を色々と引っ張り出してくる。
 なお、冷蔵庫もトゥエクラニフ化したことで、電気ではなくアイスの魔法で動く冷蔵庫と化していた。
 肉、魚、ジャガイモなどの芋類、様々な野菜……エトセトラ。
「こんなもんかな」
 セルペンは持ってきた食べ物を流しに入れて、ジャブジャブと洗い始めた。
 その辺りの手際は一応、なんとか様になっている。
 その後で、鍋に水を入れ、流しの横のコンロにかけた。
「えっと、リンナ石、リンナ石……」
 リンナ石とは火属性の魔法の触媒の一つで、小さな火種で発動する、お手軽な石だ。火をつけると石炭のようにある程度の熱を発するが、石炭のように黒煙を出すわけでもなく、燃え切ってしまう事も無いため、一般の家庭で調理用に使われていた。
「あった!」
 黒っぽい掌大の石をコンロの鍋の下に入れる。

 カ・ダー・マ・デ・モー・セ!

「火炎呪文・フレア!」
 セルペンの指先からリンナ石に向けて、火力を調整したビー玉くらいの大きさの火球が飛び出る。
 それがリンナ石に当たると、石から青白い炎が立ち昇り、鍋を熱し始めた。
「これでよしっ! さあ、次はお料理、お料理……でも、なに作ればいいのかしら?」
 まな板の上に山と乗せられた材料を前にして、セルペンが困ったように首をかしげる。
 あのね、セルペンちゃん……そういうものは、普通、材料を選ぶ前に考えておくもんだけど……。
 天の声が聞こえたかどうか、セルペンはポンッと手を打って、弾けたように笑った。
「そうよ、別に考えることないわ! 料理は愛情、って言うじゃないの! どんな料理を作ったって、セルペンの愛さえ入っていればテッチャンさんはきっと気に入ってくれるわv」
 おいおい……。
 セルペンは包丁を取り出すと、振りかぶって構えた。
「さ、お料理、お料理!」
 いきなり、まるでトンカチで物を叩くかのように包丁を振り下ろす。
「えいっ、えいっ!」
 野菜や魚や肉が、呆れるほどいびつな形に刻まれていく。
「きゃは♪ テッチャンさん、セルペン、すごく美味しいお料理、作るからね!」
 ホントかぁ!?
 セルペンは切った魚や肉や野菜を片っ端から鍋に放り込んだ。
 続いて、そばにあった調味料をドバドバと入れ始める。塩など、ほとんど調味料入れが空っぽになるくらい……。
 使っていた鍋はかなり大きかったが、その鍋が材料や調味料でパンパンになり、それでもなおセルペンはギュウギュウと詰め込んだ。
「これで良しっと! あとは煮えるのを待つだけね」
 力任せに強引に蓋をして、セルペンは台所を出ていく。
 後にはリンナ石からの火力でどんどん温度を上げていく鍋だけが残された。
 き、危険すぎる……。



「へえー、セルペンちゃんがねぇ……」
 道を歩きながら、上田が意外そうに言った。
 石川達は現在、クリスタルの反応があった施設に向かっている最中であった。
 基本的な地形などは異変前から変わっていないものの、それでもやはり、途中の道が塞がれていたり、何より途中でモンスターが出現したりといった事はあるので、進むのに意外と時間がかかるのだ。
 時には壱の松原に向かった時のように、施設に向かう途中で日が暮れて野宿する、なんて事もざらだった。
「そう、張り切っちゃっててさ……。困ったよ」
 ため息交じりに呟く石川だったが、上田と岡野の方はと言うと。
「いいじゃん、モテてさぁ」
 にやにやしながら、上田と岡野が石川の方を見ている。
 まぁ、サクラにしてもオータムにしても、セルペンほど積極的ではないしねぇ……。
(こ、こいつら……他人事だと思って……)
 握り拳を震わせながら、石川は再びため息をついた。



 バシャ!
 ジャパァァァァァァァァァァン!

「いや〜ん!」
 タライの水が引っくり返り、セルペンは頭からしたたかに水を被ってしまう。
 もう、かれこれ五回目だ。
「あ〜ん、もう……洗濯って難しい!」
 セルペンは少し拗ねたように、びしょぬれのまま、その場に座り込んでいた。
 家の勝手口から出たすぐのところに水道があり、セルペンはそこにタライを置いて、洗濯をしていたのだ。
 奥様挑戦第二弾は“洗濯”という訳である。
 だが、さっきからこの体たらく。
「あちゃあ……」
 今まで洗っていた石川の替えのシャツはそばの地面に落っこちてしまっている。
「また洗い直しだわ」
 セルペンは再びタライに水を入れて、石川のシャツを放り込んだ。
 そのまま力任せにごしごしとこすり始めた。
「テッチャンさんに汚れ一つない、綺麗なシャツを着てもらうんだもん!」
 石川のシャツは別にまだ洗濯する必要はなかったのだが、奥様したいセルペンが強引に洗濯ものに指定してしまったのだ。
 シャツもいい迷惑である。
 セルペンはさらに力を込めた。
 が、余りに力を込めすぎて、バランスを崩し、タライの縁を思いっきり引っ張ってしまう。

 バシャ!
 ジャパァァァァァァァァァァン!

「きゃぁぁぁっ!」
 六回目……。
「あ〜ん、あ〜ん、もうっ!」
 セルペンは怒ったようにバンッとタライを叩いた。
 しかし、そんなことをしても手が痛いだけ。
「ぶう……」
 しばらく膨れて空になったタライを見つめていたセルペンだが、やがてスックと立ち上がった。
「駄目よ! こんな事じゃ立派な奥様になれないわ! セルペン、負けないっ!」
 セルペンはまたもタライに水を入れ始める。
 うむ、なかなか根性がある!
 けれど、何度も何度も洗い直しさせられる石川のシャツの方はその根性に対応しきれていないようだった。
 あまりに力任せに洗われたためか、すでにシャツはヨレヨレ。
「今度こそっ!」
 そんな事にお構いなく、セルペンはその石川のシャツをタライに突っ込んだ。
「行くわよっ!」

 ジャバッ、ジャバッ、ジャバッ、ジャバッ!

 まさに親の仇か何かのように、セルペンは石川のシャツを勢いよく洗い始める。

 ビリリリリリリリリッ!

「ああああああああっ!」
 とうとうセルペンの根性にシャツの方が音を上げた瞬間だった。
 石川のシャツは大きく引きちぎれてしまう。
「あああ……」
 しばらく呆然とそのシャツを見ていたセルペンだったが、やがておもむろに呟いた。
「こういうのもなかなかワイルドでテッチャンさんに合うわよね……」
 おいおい、誤魔化すなよ……。

 続いてセルペンが手にしたのはホウキであった。
 奥様挑戦第三弾は“掃除”に決めたようだ。
 だがしかし、これは今までの行状からすると、かなり無謀のように思われた。
 案の定、さっそく――

 バリィィン!

 けたたましい音が響いて、廊下に飾ってあった花瓶がバラバラになって散らばった。
「あれっ!?」
 長いホウキの柄で、花瓶を引っかけて床に落としてしまったのだ。
「えっと、えっと……えへへ、こういう事もあるよね」
 セルペンは失敗を隠すかのように笑うと、またホウキを動かし始める。
 しかし、その手つきも動きも、どうやったらそこまでと感心するくらい危なっかしい。
 そして、その期待を裏切らず――

 ガシャン!
 バリンッ!
 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!

「いやぁぁぁぁぁん!」
 セルペンが悲鳴を上げる横で、壁にかかった額縁が次々と落っこち、グラスやお酒の入ったサイドボードが粉砕され、本棚が重そうな本をまき散らしながら崩れ落ちた。
「あは、あは、あはははは……」
 こうなるとセルペンとしても笑うしかない。
 そのうえでセルペンは自分に言い聞かせるかのように叫んだ。
「ひ、一つくらい苦手な事があったって、奥様はやれるもん!」
 これこれ、セルペンちゃん、一つじゃないでしょ……。



「ええっ!? セルペンさん、そんな事してるんですか?」
 オータムから話を聞いたサクラが、驚いたように言った。
 彼女も一応、セルペンが家事の経験などほぼゼロという事は聞いている。
「手伝ってあげた方が良かったんじゃ……」
「それがさ……なんか、『一人でやらないと修行になりません』とか言って聞かなくってさ……」
 口元に諦めの入り混じった笑いを浮かべながら、オータムが乾いた笑い声を出す。
 彼女たちがいるのは、住宅地の中央あたりにある共同の庭だ。
 椅子やテーブルなどもあるため、よくお茶や食事の時間などに利用していた。
 この時も、サクラとオータムは揃って暖かい日差しの中、ティータイムを楽しんでいたのだ。
 そんな彼女たちの耳に……

 ガシャン!
 バリンッ!
 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!

「いやぁぁぁぁぁん!」

 すさまじい破壊音と、セルペンの悲鳴が聞こえてくる。
 二人は顔を見合わせると、揃ってため息をついた。
「不安だ(です)……」



 さてさて。
 そんなサクラ達の心配をよそに、セルペンは今度は風呂場の掃除に精を出していた。
「きゃっ、出来たv」
 たわしで湯船をこすっていたセルペンが嬉しそうに身体を起こした。
 この一連の奥様シリーズ(?)の中で、初めてうまくいったようだ。
「あとはここにお湯を入れて、疲れて帰って来たテッチャンさんに入ってもらおうっと! その時は、セルペンがお背中を流してあげて……」
 そう言いながら、セルペンは虚空をボーッと見つめ出す。
 どうやら得意の妄想モードに入ったらしい。
 セルペンの頭の中では、勝手に『セルペンとテッチャンさんの愛の生活』が妄想されていた。
 ちょっとばかり、セルペンの頭の中を覗いてみると――

『テッチャンさん、お背中、お流しいたしますね』
『ありがと、でもそんな事いいから、セルペンちゃん、一緒に入ろうよ』
『あん、テッチャンさんv』
 そのままセルペンは石川によってハダカにされてしまって――
『あ、セルペンちゃんの肌ってすべすべして可愛い……まるで赤ちゃんみたい』
『や……テッチャンさん、だめ……。そんなふうに触られたら、セルペン、変になっちゃう』
『フフフ……セルペンちゃん、変になっちゃっていいんだよv』
『あん、テッちゃんさん……セルペン、もうだめっ』
『セルペンちゃん、可愛い……』

「やん、やん、テッチャンさんったらエッチv」
 セルペンは顔を真っ赤にして、自分の想像に身をくねくね動かしていた。
 やっぱりこの娘、危ないかも……。
「きゃは、次、次っ!」
 セルペンはお風呂の水の蛇口を開くと、ルンルン気分で他の部屋に向かった。

「やっぱり最後はここよね!」
 やたらと気合を入れてセルペンがやって来たのは、どこあろう、寝室であった。
 さすがに新婚の家だったらしく、寝室はかなりそれっぽく飾り立てられている。
 大きめのダブルベッドに、フリルのカーテン、真っ白なシーツ、そして、くっついて並んでいる二つの枕――
「きゃっ、やだv」
 恥ずかしそうに口に手をやったセルペンの目は、またもトロ〜ンとしてきている。
 どうやら、またまた妄想モードに入ろうとしているらしい。
 もう、勝手にすれば……。
「あはv セルペン、頑張りまぁ〜す! テッチャンさんに絶対に喜んでもらうんだもん」
 妄想モードから戻って来たセルペンは今までになくてきぱきと寝室を片付けだした。
 えっ!? 妄想モードの実況は……って?
 え〜、今までになく過激な内容なので、さすがにお見せ出来ません。



「ふう、疲れた……」
 ダンジョンから這う這うの体で、石川達は引き返してきていた。
 思った以上に敵が手強かったため、再度準備を整えて出直そうと判断したのだ。
 一度訪れている以上、上田のテレポーの呪文で再訪するのは簡単であるし……。
「あー、ところでさ、テッちゃん」
 思い出したように上田が言う。
「どったの?」
「今日ってさ、セルペンちゃんが準備して待ってるとか言ってなかったっけ?」
 それを聞いて、石川がハッとなる。
「そうだった……」
 石川はついうっかりこの時まで忘れていたのだ。出かける前にセルペンの異様なはりきりように抱いた不安の事を。
「……上ちゃん、岡ちゃん……」
 すがるような目つきで二人の方を見るが、
「諦めなよ、テッちゃん」
「そうそう。ここでセルペンちゃんの気持ちを無駄にしたら、男がすたるよ」
 あっさりと二人に見限られ、石川はガックリと肩を落とした。
「はあ……」
 上田達と別れ、不安いっぱいの気分で、石川はセルペンと約束していた例の民家のドアを開ける。
 その瞬間、
「お帰りなさいませ、ダンナ様」
 玄関先で、床に正座して、三つ指ついて迎えたのはセルペンだった。
「セ、セルペンちゃん!?」
「あ〜ん、だめです、テッチャンさん! ちゃんと『ただいま』って言ってくれなきゃ!」
「た、ただいま。セ、セルペンちゃん、ごめんね、待たせちゃって」
「大丈夫です、テッチャンさんv セルペン、ちゃ〜んと奥様してましたもんv」
「そ、そう……」
「さあ、テッチャンさん、取り敢えず寝室に行って下さいな。お着換えの用意がしてありますわ」
「は、はい」
 セルペンが先頭立って、寝室まで案内しようとする。
 が、石川はセルペンの後ろ姿を見て、唖然と立ち尽くしてしまった。
「セ、セルペンちゃん、その格好!?」
 前から見た時、エプロンをつけていたので分からなかったが、何とセルペンはエプロン一枚だけで、他はなぁんにも着ていなかったのだ。
「あ、テッチャンさん、気に入ってくれました!?」
「そ、その格好……」
「あはv 昔、本で読んだ事があるんですけど、新婚の奥さんって、みんなこういう格好するんですぅ」
 それは違うと思うぞ……。
 呆然となった石川を、セルペンは半ば強引に引っ張っていく。
 最初の衝撃が強かったため、その後はいちいちオーバーに驚いたりしなかったが、その後もかなり心臓に来る事ばかりだった。
 廊下の花瓶や窓ガラスが割れて破片が飛び散っているわ、チラッと覗いた居間は惨憺たる有様だわ、廊下の窓から見える物干しには、石川のシャツがビリビリに破れてかかってるわ……石川は歩いている間中、セルペンに聞こえないように小さくタメ息をつきっぱなしであった。
 だが、まだまだそれらも前哨戦にすぎないと思い知らされたのは寝室に入ってからだった。
「じゃあセルペン、ちょっと用意がありますから、テッチャンさん、中で待っててくださいねv」
 そう言われて入った寝室で、石川は完全に口をカクンッと開けたまま動かなくなってしまう。
(どひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!)
 部屋の雰囲気はまさに“どひゃーっ”だ。
 部屋のあちこちに赤やら黄色やらオレンジやらのランプが煌々とつけられている。
 なぜかベッドを囲むように鏡が置いてあって、枕もとにはおしぼりやら柔らかい紙やら冷たい水やら、挙句の果てにはスタミナドリンクらしきものまである。
 えっ!? 今、言ったもの、何に使うか分からないって?……大丈夫。ちゃんと大人になったら分かるから。
 そして、とどめは――
「テッチャンさんv お・ま・た・せv」
「ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 とうとう石川は声を上げてのけぞってしまった。
 部屋に入ってきたセルペンは、ほとんどどこに生地を使っているのか分からないような小さな小さなスキャンティとブラジャーという、とてつもなくエッチな下着姿であった。
「テッチャンさぁんv」
 セルペンはなまめかしく身体をくねらせながら近づいてくる。
 石川は思わず後ずさりながら、
「セ、セ、セルペンちゃん! どーしたの、その下着!?」
「ここんちのタンスにあったんですぅ。テッチャンさん、喜んでくれるかなって思ってv」
「ちょっと待って、セルペンちゃん! 落ち着いて!」
 しかし、完全にその気になっているセルペンに石川の声は届かない。
「テッチャンさぁん、セルペン、ちゃんと奥様できますぅv ね、だから、テッチャンさん自身で確かめて下さいv」
 セルペンがいきなり石川に抱き着いてきた。
「わわわわわわわ、セルペンちゃん!?」
「テッチャンさん、好きv」
 セルペンは石川の唇を無理矢理吸ってくる。
 その時だ。

 ドガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!

「きゃっ」
「うわぁっ!」
 突然、轟音が響き渡り、石川とセルペンは抱き合ったまま、床に転がった。



 最初に結論を言ってしまえば、別にこれは敵の襲撃を受けたわけではない。
 みんなは覚えているだろうか? セルペンが料理を作ろうと、材料をギュウギュウに詰め込んだ鍋をリンナ石の炎にかけたままにしておいたことを。
 結局、セルペンはその事をコロッと忘れてしまい、ギュウギュウに詰め込まれたまま長時間火にかけられた鍋は、内部の圧力が膨張して、とうとう弾け飛んだのだった。
 その爆発音がさっきのあれだ。
 事態はそれだけでは収まらず、その爆発の衝撃で飛ばされたリンナ石は廊下のカーテンを燃え上がらせた。
 それはさらに壁に、天井に、床にと広がっていき、白い家はあっという間に火に包まれてしまったのだ。
「きゃん、テッチャンさん!」
「セルペンちゃん、こっち!」
 火と煙の中、石川はセルペンの手を引いて、脱出しようとしていた。
 こういう時こそ、魔法を使えば楽なのだが、慌てている石川はそこまで気が回らない。
「ゴホッ、ゴホッ!」
 煙を吸い込んでしまい、セルペンが大きくむせ返った。
(いけない、このままじゃ……)
 石川はともかく手近のドアを強引にこじ開けた。
 そこはお風呂場のドアだった。

 ザパァァァァァァァァァァァァァァッ!

「きゃぁぁぁっ!」
「今度はなんなのっ!?」
 そのドアを開けた途端、大量の水が流れ出し、石川もセルペンも頭からまともに水を被ってしまう。
 しかも、したたかに水を飲んだ。
「ゴホッ、ゲホッ……」
「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ!」
 これまたセルペンが出しっぱなしにして忘れてしまっていた水のせいであった。
 が、ケガの功名ともいうべきか。
 その水は家中に広がって、あっさりと火を消し止めたのであった。



「グシュン、グシュン……うわぁぁぁぁぁん、セルペンは奥様失格ですぅ!」
 焼け焦げ、水びたしになり、ほとんど原型をとどめていない元白い家を見ながら、セルペンが泣き続けていた。
 さすがに自分の失敗を認めて、落ち込んだらしかった。
 騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた上田達やサクラ達、さらには三魔爪達も、その惨状を見て青い顔をしている。
 石川はセルペンのその破天荒な家事の腕にあきれたと言うか、恐れを抱いたと言うか、ともかくそういう状態だったが、セルペンが泣き続けるのを見て、慌てて我に戻った。
「セルペンちゃん、泣かないで! セルペンちゃんは頑張ったんだから!」
「グシュッ……でも、こんなのじゃ全然だめですぅ! テッチャンさんもセルペンの事、あきれて嫌いになったでしょ!?」
 セルペンが涙をいっぱいためた目で、嘆き訴えるように石川を見た。
 その表情は愛らしく可愛らしく、思わず見とれてしまう。
(かわいい……)
 この娘をなんとしても守ってあげたい――
 この娘になんとしても笑顔を取り戻させてあげたい――
 その思いが石川に次の言葉を言わせたのだった。
「セルペンちゃんはとってもいい娘だよ! セルペンちゃんみたいな奥さんをもらったら、毎日がとっても楽しいと思う!」
 この言葉を聞いて、セルペンの顔がパーッと明るくなる。
「ホントですか、テッチャンさん! じゃあ、テッチャンさんがセルペンをもらって下さるんですね! わ〜いv」
「えっ、あっ、ちょっと……」
 気づいた時にはもう遅い。
 かくして、一人の純真な少女はますますその想いを強くするのだった。
「テッチャンさぁん、セルペン、きっといつか素敵な奥さんになりますねv」
「なんでこうなるの!?」
 ずぶずぶ――深みにはまる音。

おしまい


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