哀しみの土人形

「きゃははははは……」
 小さな男の子が、元気よく外を駆け回っている。
 まだ五、六歳くらいの、可愛らしい男の子だ。
 ただし、その耳は長く尖っている。
 彼の頭上に広がる空も、青空ではなく、紫がかっていた。
 それもそのはず、実はここは魔界なのだ。
 少年の名はヤマト。
 魔界でも辺境に位置する、アカツチ村の長の息子であった。
 ちなみに魔族には元から魔族として生まれてくる者と、動物やモンスター、器物が長い年月を経て魔族へと生まれ変わる者がおり、ヤマトは前者であった。
 生まれつきの魔族は、外見は人族(じんぞく)と大して変わらない者がほとんどだ。身体能力もさほど差は無く、むしろ人族に比べれば若干非力なくらいである。
 大きな違いとしては、血の色が青く(そのため、人族より若干色白な者が多い)、耳が尖っていて、“魔族”の名の通り、魔力に優れているといった点があった。
 人族に比べて寿命も長く、ヤマトも年齢的には六〇歳くらいになる。
 このアカツチ村は戸数二〇〇あまりの小さな村だったが、他の村とは大きな違いがあった。
 それは土人形――ゴーレムの産地であったのだ。
 ゴーレムは魔力によって動く人形で、いうなればロボットのようなものである。
 この村ではそのゴーレムが村人たちの労働力として生産されていた。
 ゴーレムと言っても、アカツチ村のそれは神話などから連想される岩石や鋼鉄で出来た巨人ではなく、人間とほぼ同じサイズの土人形だったが。
 ゴーレムは一切の意思も感情も持たず、主人の命令に忠実に従う。
 はずなのだが……。
「アーセン、こっちこっち!」
 ヤマトが笑いながら、後ろを振り向く。
「坊ちゃま、そんなに、走られては、転んでしまいますよ」
 埴輪と土偶、そして子熊を混ぜ合わせたような姿の土人形が、ヤマトの方に向かって言った。
 案の定、
「うわっ!」
 ヤマトはつまづいて転んでしまう。
「いった〜い……」
 擦りむいた膝がしらには、青い血がにじんでいる。
「ほらほら、言わんこっちゃない」
 アーセンはヤマトに近づくと、傷口に向かってヒールの呪文を唱えた。
 あっという間に擦り傷は消え、痕すら残っていなかった。
「ありがと、アーセン!」
 ヤマトが満面の笑みを浮かべてアーセンに抱き着く。
 アーセンは、ヤマトにとって一番の友達だった。
 ヤマトが十歳(人族で言えば一歳)の誕生日を迎えた時、父であるクマソがお祝いに与えてくれたのだ。
 アーセンには他のゴーレムとは、決定的な違いがあった。
 それは、明確な意思と感情を持っていた、という事だ。
 土で出来ているため表情を変えることが出来ないのが密かな悩みであったが、ヤマトはそんな事はまったく気にしていなかった。
「ねえ、アーセン」
 座り込んだアーセンの膝を枕にして、寝転がったヤマトがつぶやくように言った。
「はい、なんでしょう?」
「これからもずっと、僕と一緒にいてくれる?」
「もちろんですとも。私は、坊ちゃまと、いつまでも、一緒に、おります」
 普段と変わらない顔ながら、その声にはヤマトに対する優しさと愛情が溢れていた。
「うん! 約束だよ!」
 アーセンの答えに、ヤマトは満足したようににっこりと笑って言った。
 石川達がこの世界に召喚される、おおよそ五〇〇年ほど前の事である。



 それから数十年が過ぎ、ヤマトは一二〇歳(人族で言えば十二歳)になっていた。
 最近は父から、次期村長としての心構えを教わる事になり、アーセンと遊ぶ時間も少なくなっていた。
 ヤマトの父親であるクマソは五百歳を超える精悍な顔をした魔族で、仕事には厳しいが、私生活では心の温かい男だった。
 村人からの信頼も厚く、何かトラブルがあると、すぐに彼の所に相談が持ち込まれたことからもそれは分かる。
 そのクマソは、一人息子であるヤマトに大きな期待を抱いていたのだ。
 ヤマトの方でもそんな父親を尊敬していて、父の教えを熱心に受けていた。
 それでも、ヤマトはアーセンとの時間も大切にしていた。
 その日は、ひさしぶりにアーセンとヤマトはゆっくり過ごしていた。
 かつてはアーセンよりも小さいヤマトだったが、今ではアーセンよりも頭一つ分くらい大きくなっていた。
 幼い頃はよくアーセンに肩車をねだっていたが、今はヤマトがアーセンを肩車してしまえるほどである。
 村はずれの小高い丘に二人はいた。
 ここは二人のお気に入りの場所だった。
 村全体を見下ろすことが出来、中央の広場にある、シンボルともいえる巨石もよく見える。
 谷に囲まれた円い集落に、掘立小屋のような家々が軒を連ねているのが見える。
 立っている大木を背に、ヤマトがのんびりと腰を下ろす。
「アーセンとこうやってゆっくりするのも久しぶりだね」
「そうですね、坊ちゃま」
 アーセンが頷いた。
 土人形であるアーセンは、かつてと全く変わらない。
「昔はアーセンの方が僕より大きかったのにね。……そうだ、久しぶりに、膝枕してもらってもいい?」
「ええ、構いませんよ」
 アーセンが足を伸ばすと、そこにヤマトが頭を置く。
 土で出来ているにもかかわらず、そこには確かに温かさがあった。
「ふふ、いくつになっても、甘えん坊ですねぇ、坊ちゃまは」
 そう言いながらも、アーセンは嬉しそうだった。
 アーセンにとっても、ヤマトは一番大事な存在であった。
 ヤマトは気持ちよさそうに目を閉じていたが、ふいに口を開く。
「ねえ、アーセン。僕が昔言った事、覚えてる?」
「ええ。『これからもずっと、一緒にいる』……ですよね」
「うん。覚えててくれてたんだね」
「もちろんですよ。私は、これから先も、坊ちゃまと、一緒に、おります……」
「うん……」
 嬉しそうにうなずくヤマトだったが、何故かそこにはどこか、寂しげな感情が見え隠れしていた。

 山道を二人連れが歩いている。
 一人は屈強な肉体を持ち、グレーを基調とした鎧に身を包んでいる。
 顔は鼻も頭髪も無いが、左右から立派な角が伸びている隻眼の戦士だ。
 もう一人は、緑色の粘土から手足が生えたような外見だった。
 頭部は無く、胴体にあたる部分に直接目がついている。
「ぼちぼち、今日の宿を探した方がええんとちゃいますか、ガダメはん?」
「そうだな」
 そう、その二人連れは、若き日のガダメとクレイであった。
 この頃、二人はスパイドルナイトの下で闇騎士としての修業を積む日々を過ごしており、現在も修行の一環として魔界各地を巡っている旅の最中だったのだ。
「そう言えば、この辺りにゴーレムを作ってる隠れ里があるって噂を聞いたんやけど、ホンマかなぁ?」
「さあな。もっとも、かつての大戦で用いられた土人形使いの部族が、今どこにいるのかを知る者はほとんどいない。もしかしたら、その可能性はあるかもしれんな……」
 そんな会話を交わしている時だった。
「ん?」
 二人が振り向くと、黒いローブをまとった人影がこちらに歩いてくるところだった。
 深々とフードをかぶっているため、顔は見えない。
 人影は二人に向かってペコリと頭を下げると、そのまま通り過ぎて行った。
 だが、ガダメ達は人影に対して妙な違和感……いや、もっと言えば“悪意”を感じていた。
「ガダメはん、今の……」
「ああ。何やら、ただならぬ妖気を感じたな……」
 二人は頷きあうと、こっそりとその人影の後を追った。



 その日、アーセンは長の使いで村から出ていた。
 外部とあまり接触を持たない村とはいえ、外界からでなければ手に入らない物資などもある。
 アーセンはそれを入手してくるように頼まれたのだ。
 彼が歩いている山道は、さほど幅があるものではなく、一方は切り立った崖、もう一方は高い絶壁が連なっている。
 と、向こうから歩いてくる人間がいる。
 アーセンは知らなかったが、先ほどガダメ達とすれ違った人物だ。
(こんな所に、旅人とは、珍しい……)
 やや怪訝に思いながらも、アーセンはそのまま歩いていこうとした。
 その時だ。
「おい」
 突然、その人物から声をかけられたのだ。
「はい?」
 アーセンが振り向く。
「ほう、口をきくゴーレムか……。数十年の間であの村の技術も進歩したと見える」
 フードの下から聞こえた声で、相手が男だという事はわかった。
 しかし、アーセンはその声に何やら不穏なものを感じていた。
「アカツチ村は、こっちの方向でいいな?」
「は、はい……」
「今の村長はクマソのまま……変わりは無いか?」
 なぜ彼がこのようなことを訊いてくるのかアーセンにはわからなかったが、彼の頭の中では盛んに警鐘が鳴っていた。
 彼は危険だ、と。
「なぜ、そんな事を、訪ねるのです?」
 アーセンが聞き返したその時であった。

 ガンッ!

「うわっ!」
 男がいきなり、アーセンを殴りつけたのだ。
 バランスを崩したアーセンは、そのまま真っ逆さまに崖下に落ちていく。

 ガラガラガラァァァァァァァァァァァァァッ!

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 崖下はうっそうと茂った森になっている。
「…………」
 男はアーセンが崖下に消えたのを見届けると、そのまま歩き出した。

「はあ……。アーセン、早く帰ってこないかなぁ……」
 自宅前の岩に座って足をぶらぶらさせながら、ヤマトがボケッと空を見上げる。
 地上とは違う紫色の空だが、魔族にとっては綺麗な空だった。
 彼ら魔族には、地上世界の陽の光は眩しすぎるのだ。
 その日はヤマトは一人で過ごしていた。
 村にはもちろん、ヤマトと同年代の友達もいるが、その日はたまたま皆用事やら何やらで都合がつかなかったのだ。
 そこへアーセンも父親から遣いを命じられた、という訳である。
「君、クマソさんはご在宅かな?」
「えっ?」
 ヤマトが声のした方を向くと、そこに立っていたのは例のローブ男だった。
「セトが訪ねてきたと伝えて欲しいのだが……」
 穏やかな口調で男――セトがヤマトに向かって言った。
 フードをとると、そこから現れたのは貧相な顔だった。
 が、目だけは異様な光を放っている。
 見た者に威圧感を与える何かが、そこにはあった。
「あ、はい。伝えます」
 何となく男に不気味な雰囲気を感じながらも、ヤマトは客人の訪問を父に伝えるため、家の中に入っていった。
「フフフ……」
 家の中に消えていくヤマトを見つめるセトの口元に、うっすらと笑みが浮かんでいた。

「おい、大丈夫か? おい」
 呼びかける声に、アーセンの意識が引き戻される。
「ん……」
「よかったよかった、気が付いたみたいやな」
 アーセンの意識が完全に覚醒する。
 彼の目に映ったのは、グレーと緑の二人連れ。
 ガダメとクレイである。
「警戒しなくていい。我々は旅の者だ。たまたまこの辺りを通りかかった時、悲鳴が聞こえたんでな。崖下を見てみたら、貴殿が倒れていた、という訳だ。おっと、名乗るのが遅れたな。オレはガダメ。ガダメ・タンガだ」
「ワイはクレイや」
 二人の敵意の無い様子を見て、アーセンは一瞬安堵する。
 だが、すぐに険しい様子で言った。
「私の、名前は、アーセンと、言います。旅の、お方、お願いです。私を、すぐに、村まで、連れて行って、頂けませんか!?」
 アーセンの様子に、ガダメとクレイは一瞬呆気にとられるが、その真剣な様子に黙って頷いた。

(父さん……どうしたんだろう?)
 ヤマトが廊下の壁にもたれかかりながら、先ほどの父の様子を思い出していた。
 セトが来た事を伝えたとたん、父の顔が険しいものに変わったのだ。
 そして、セトを部屋に通すと、ヤマトには外に出ているように言ったのだった。
 気になったヤマトは、ドアの隙間から部屋の様子をうかがう。
 そこではクマソとセトが話していたが、どうみても穏やかな話し合い、という雰囲気ではなかった。
「わからないのですか!? ゴーレムの強大な力が! これをこのまま眠らせておくなど、もったいないではありませんか!」
「セト、何十年経っても、やはりお前の考えは変わらぬか! この愚か者め!」
「愚かなのは貴方の方です! ゴーレムの真の力を使えば、マージュやレッサルゴルバ、サタンゼウスと言った魔王達ですら、恐れるに足りんのですぞ! そうなれば、大魔王とて我々を粗略には扱わないはず……。場合によっては魔界全土が我々の物になるかも知れないのです!」
「だめだ! バカな考えは捨てろ! 魔界をまた戦争の時代に戻すつもりなのか!?」
「そうではありません! 我々がこの魔界を統治するのです!」
 今でこそ平和な世が続いている魔界だが、かつて――それこそ数千年前――は、群雄割拠の戦国時代であった。
 それを一つにまとめたのが、現在の大魔王である。
 そして、大魔王は魔界各地の知事的な存在として魔王を置いたのだ。
 先ほどセトの口から出てきたマージュなどは、その中でもかなりの有力者で、実力も抜きんでている大魔王の側近だ。
 セトはそれらに対して反乱を起こす気である、というのだ。
「今一度、お考え下さい、兄上!」
(えっ……!?)
 会話を聞いていたヤマトの目が、驚愕のために見開かれる。
 セトは確かに自分の父であるクマソを『兄上』と呼んだのだ。
 だが、ヤマトは自分に叔父がいるなど、一度も聞いたことは無かった。
「ならん! ゴーレムの力は、平和な世では表に出してはいかん力なのだ!」
「そうですか……」
 先ほどまでとは対照的な、冷ややかな声がセトから響く。
 どこか脅しの入った声。
 聞いているヤマトの背筋にも冷たいものが走ったほどだ。
「では、仕方ありませんな……」
 その言葉を合図にしたかのように、床の土が盛り上がる。

 ドガァァァァァァァァァン!

 同時に、地面から真っ黒な岩石で出来たゴーレムが出現していた。数は二体。
 背丈もアカツチ村のゴーレムとは違い、一シャグル(約三・五メートル)はある。
 表面は古代の甲冑を着込んだような造形になっていて、手足は太く、手にはちゃんと五本指があった。
 そして、まるで鬼か何かのような凄まじい形相が特徴的だ。
「紹介しましょう、兄上。私のゴーレム、スクナです」
「お前、まさか……」

 ドギュッ!

 だが、クマソはそこまでしか言う事が出来なかった。
 クマソの胸から石の腕が生えていた。
 もう一体、背後に出現したスクナが、クマソを背中から貫いたのだ。
「がはっ……!」
 スクナの腕が抜き取られ、口から激しく血を吐いたクマソが仰向けに地面に倒れる。
「セ、セト……」
 息も絶え絶えになりながらも、クマソはセトを見上げた。
「兄上、私にゴーレムの秘密を隠していたつもりなのでしょうが、私は突き止めたのですよ。ゴーレムの真の力を引き出す方法……カー・ストーンの存在を」
「やめろ、やめるのだ、セト……」
 だが、そこまでだった。
 周囲に血の海を作り、クマソは絶命した。
 そんなクマソをセトは笑みすら浮かべて見つめていたが、おもむろにその胸に手を伸ばす。
 そして、クマソが首からかけていた首飾りを引きちぎった。
 そこには、透き通った青くて丸い宝石が光っている。
「手に入れたぞ、カー・ストーン……。おさらばです、兄上。貴方の血で、私の魔界掌握を祝って差し上げましょう」
 セトが邪悪な笑みを浮かべる。
 そこには実の兄を手にかけたことに対する罪悪感など微塵も無い。
 ヤマトは真っ青になってその光景を見ていた。
 両手は口元に力いっぱい当てている。
 そうでなければ、すぐにでも悲鳴を上げてしまいそうだったからだ。
(父さんが……父さんが……)
 突然の父親の死に、ヤマトは目に涙を浮かべて立ち尽くしていた。
 頭の中では「早く逃げなければ」との声が盛んに響くが、動くことが出来ないでいた。
 そこへ、
「見たな、小僧……」
「あ……」
 いつの間にか、眼前にセトが立っていた。
「あ……あ……」
 ヤマトは恐怖のあまり、ヘナヘナとその場に座り込んでしまう。
「フフフ……」
 セトはそんなヤマトを、微笑みすら浮かべて見ていた。



「ゴーレムの村?」
「本当にあったんやな……」
 村に急ぎながら、ガダメとクレイはアーセンから話を聞いていた。
 かつての大戦時、猛威を振るった最強兵器――
 それこそがゴーレムだった。
 その破壊力から、ゴーレム一体は五百人の兵にも勝る、と言われていた。
 各国は競って傭兵としてゴーレム使いを抱え込んだが、それも大戦が終わるまでの話である。
 平和な時代が来ると、彼らゴーレム使いは疎まれるようになった。ヘタに敵に回せば大変な戦力になるからだ。
 そこで、大魔王は彼らが平和に暮らせるように、密かに魔界の辺境の地に住まわせた。
 それがアカツチ村なのである。
 この村が隠れ里となっている最大の理由はそれだった。
 もし、世界征服などという荒唐無稽な夢や、そこまでいかなくても領地の拡大や反乱を目指す者がいれば、ゴーレムは喉から手が出るほど欲しい存在になる。
 ……そう、セトのように。
 セトはその野望を兄であるクマソに諫められ、半ば追放される形で村から姿を消していたのだった。
「着きました、ここが村……ああっ!」
 アーセンが驚きの声を出す。
「なんだと!」
「こりゃ酷いで……」
 後に続いたガダメとクレイも愕然となった。
 村は酷いありさまとなっていたのだ。
 あちこちから火の手が上がり、無数のスクナが暴れている。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 村人のゴーレムも主人を守るために応戦するが、その性能差は歴然だ。
 次々に叩き潰され、無力となった村人たちに、スクナ達は容赦なく襲い掛かった。
「坊ちゃま!」
 村の惨状に、アーセンが我も忘れて走り出した。
「お、おい、アーセン!」
「あかん!」
 慌ててガダメ達もアーセンの後を追う。

(坊ちゃま……坊ちゃま……! どうか、無事で、いて下さい!)
 アーセンは一心不乱に家まで走った。
 だが――
「ああっ!」
 アーセンが叫び声をあげる。
 彼らの家は激しい炎に包まれており、その前に、血の海に沈んだヤマトが倒れていたのだ。
「坊ちゃま!」
 悲鳴を上げて、アーセンがヤマトに駆け寄る。
「坊ちゃま! しっかりして下さい! 坊ちゃま!」
「!」
 追いついてきたガダメ達も、その光景に思わず言葉を失う。
「う……」
 アーセンに揺すられ、ヤマトは苦しそうにうめき声をあげながら目を開けた。
「アーセン……」
 ヤマトの目に、わずかに喜びの色が現れる。
「良かった、無事だったんだね……」
「坊ちゃま!」
「アーセン、聞いて。僕……ずっと君に隠してた事があったんだ……」
「…………!?」
 ヤマトは荒い息を吐きながら、じっとアーセンの目を見つめる。
「長になるために勉強を始めてから……父さんに聞いたんだ……。君の、身体の中には……ゴーレムを制御できる、カー・ストーンの、本体が収められてるって……」
 カー・ストーン。
 それはゴーレムに仮初の命を吹き込む宝玉だった。
 代々の長は、それを受け継ぎ守っていた。
 そして、その宝玉を自在に操れるのも、長の血筋だけだったのである。
 村で作られたゴーレム達も、クマソが持っていたカー・ストーンの欠片で命を吹き込まれた存在だ。
 もしそれを、本来の能力で使用すれば……。
 信じられない、といった様子でアーセンがつぶやく。
「それでは、私だけ、他の、ゴーレムたちには無い、自我や、感情が、あったのは……」
「カー・ストーンの力なんだって……。父さんは、巨大な力を持ってる、カー・ストーンが悪用される事を危惧して、君の身体の核に使ったって……言ってた」
「そんな……」
「ごめんね、アーセン。黙ってて……。でも、僕、アーセンと一緒にいられて、幸せだったよ……」
「坊ちゃま!」
「最後に、もう一つだけ、ごめん……。一緒に、いられなく……なっちゃって……」
 静かに目を閉じて、ヤマトがつぶやくように言った。
「有難う、アーセン……。大好きだよ……」
「坊ちゃま!」
 閉じられたヤマトの目は、二度と開くことは無かった。
「うう……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 ヤマトの亡骸を抱きしめて、アーセンは泣いた。
 相変わらず表情は変わらず、涙も流れなかったが、確かに泣いていたのだ。
 ガダメ達はそんなアーセンを、憐憫(れんびん)の表情で見つめていた。



「これで、ゴーレムを操れるのはオレだけだ……」
 一同がはっとなって顔を上げる。
 そこに立っていたのはセトだ。
「成程、そのゴーレムに隠していたとはな。道理でゴーレムのくせに、意思を持ち合わせていると思ったが……。しかし、兄上もそやつも、親子そろって愚かなことだ。我が誘いに乗っていれば、魔界の王となれたものを……」
「貴様……。この有様は貴様のせいか!」
 怒りに燃えた瞳で、ガダメがセトを睨みつける。
「あんさん……この子の叔父やったんやろ!? こないな事して、何とも思わへんのか!?」
 クレイも責めるように続ける。
 だが、セトは涼しい顔をしている。
「偉大な力を持ちながらも、それを使う事に臆病だった愚か者の末路だ。仕方あるまい」
「たわけが! 偉大な力を持っていたからこそ、その少年や父親、そして貴様の先祖たちは、その力を悪用されぬように封じてきたのであろうが! 愚か者は貴様だ!」
「黙れ! 状況を見て物を言うのだな!」
 いつの間にか、彼らは無数のスクナに取り囲まれている。
「オレを侮辱したことを、あの世で後悔するがいい! カー・ストーンで真の力を得たスクナの力、身をもって教えてくれよう! やれっ!」
 セトの号令の下、スクナ達が一斉にガダメ達に襲い掛かる。
 だが――
「あの世で後悔するのは貴様の方だ!」
 炎の目でセトを見据えたガダメが吠えた。
「行くぞ、クレイ!」
「はいな!」
 ガダメとクレイは、スクナに向かって走った。
 次の瞬間、セトは信じられない光景を目にすることになる。
「でぇやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 バキィィィィィィィッ!

 ガダメの回し蹴りが飛び、硬い岩石で出来たはずのスクナの首が粉々に砕け散る。
「なんだと!?」
 セトの顔に、初めて驚きの表情が現れた。
「つぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 続いて爪を握った拳を突き出す。

 ドゴッ!

 爪は易々とスクナの胴体をぶち抜き、あたりに黒い石の破片が舞った。
「よっしゃ、ワイも行くで!」
 クレイは両腕を伸ばすと、左右それぞれの腕でスクナを捕まえる。
 ジタバタとスクナがもがくが、クレイはその二体を頭上で力いっぱい激突させた。

 ガキィィィィィィィィィィィィィィィン!

 全く同じ強度を持った者同士は空中で激突し、お互いに粉々になる。
「次や!」
 クレイは身体を蛇のように長く引き伸ばすと、三体のスクナをまとめて締め上げる。
「せーの!」

 バキィィィィィィィィィィィィィィィィッ!

 クレイが力を込めると、柔らかい粘土で出来たはずのその身体に締め上げられたスクナ達は、上半身と下半身がきれいに分断されてその場に転がった。
 スクナ達は、ガダメとクレイの前にあっという間にその数を減らしていった。
 次々とスクナ達が破壊されていく様を、セトは呆然と見つめている。
 自身のオリジナルとは言え、カー・ストーンで強化されたスクナ達には絶対の自信があった。
 たかが生身の戦士に負けるはずがない。
 だが、現実にはそのありえない事が起き、スクナ達が易々と破壊されていくのだ。
「貴様たちは、一体……!」
 信じられないといった表情で、セトがガダメ達を見つめる。
「貴様のような外道に名乗るのも腹立たしいが、教えてやる。我が名はガダメ・タンガ! 魔王スパイドルナイト様が直弟子なり!」
「同じく、クレイや!」
「そんな……まさか……」
 自分が魔王の直弟子を相手にしていたと知り、セトは絶句する。
 魔王さえも恐れるに足りないと高をくくっていたセトだが、その弟子にすら、ゴーレム達はかなわないというのだ。
 すでに最初の余裕など無い。
「さあ、もう観念しろ!」
「村の人達を皆殺しにした罪は重いで!」
 だが、彼らの言葉を拒否するようにセトは叫んだ。
「まだだ! まだオレは負けておらん!」
 セトが背後を振り返る。
 そこには、広場のシンボルといえるあの巨石があった。
「これこそ、大戦時に使用された最強のゴーレム、“オオナムチ”だ! こいつに勝てるか!?」
「何っ!?」

 シュォォォォォォン!

 セトの身体が白く光り輝いた。
 そのままふわりと浮かび、巨石に吸い込まれていく。

 ゴガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!

 辺りを凄まじい振動が襲い、そいつは姿を現した。
 全高六シャグル(約二〇メートル)はある、巨大なゴーレム。
 両肩は大きく盛り上がり、角を備えている。
 指は鋭い爪になっており、頭部からはミミズのような二本の触覚が生えている。
 腹には牙の並んだ口を備えていた。
 オオナムチだ。
 セトの声が響く。
<踏み潰してやる!>

 ズシィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!

「うおっ!」
「どわぁっ!」
 その巨大な足の一撃を、ガダメとクレイは慌ててよけた。
「ガダメはん、こりゃあちっとヤバいで! あんなんに踏み潰されたら一巻の終わりや! ……って、まぁ、ワイは潰されても大丈夫やけど」
「ふん、らしくないな。このような奴に敗れていては、スパイドルナイト様に笑われてしまうぞ!」
「せやな!」
 二人は笑みを浮かべると、オオナムチに向かっていった。
 余裕の表情を崩さない二人だったが、その戦いはほとんどアリとゾウの決闘である。
 ガダメ達は、次々と繰り出される爪や足の一撃をよけるので精一杯だった。
 その時だ。
 それまで、放心状態でヤマトを抱きしめていたアーセンが顔を上げたのだ。
「坊ちゃま……。私は……私は!」

<死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!>
 ガダメとクレイに向かって、オオナムチの爪が繰り出される。
 だが、その爪は彼らには当たらなかった。

 シュバッ!

 間にアーセンが割って入ったのだ。
 爪とアーセンの間には、バリアのようなものが張られ、爪を防いでいる。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ……」
「アーセン!」
「アーセンはん!」
<生意気なゴーレムが! よかろう、貴様もそいつらと一緒に砕いてやる! その後で、カー・ストーンはオレがもらう!>
 しかし、その瞬間、アーセンの身体が光り輝きだしたのだ。
<なにっ!>
 セトが驚きの声を上げたのと同時に、彼の手から、クマソが持っていたカー・ストーンがまるで自らの意思を持ったかのように飛び出す。
 カー・ストーンの欠片は、そのままアーセンの胸に吸い込まれていった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 光の中で、アーセンの身体に変化が起こっていた。
 手足は長く伸び、右腕と左腕が、それぞれ遮光器土偶と埴輪の形に変わる。
 頭部は仮面のようになり、頭頂部は赤く円錐状になっていた。
 そこにいたのは、闇騎士となったアーセンだった。
<なんだとぉっ!?>
「これは……」
 セトもガダメ達も、茫然とその光景を見守っている。
 光が収まった時、アーセンはキッと前方のオオナムチを見据えた。
「これ以上、あなたの、好きには、させません……!」
 アーセンの両手に炎が出現していた。
 その炎はアーセンの頭上で交わり、さながら炎のアーチのようであった。

 ゼー・レイ・シュウ・ナ・ケー・シ・バッセ!
(閃光よ、その輝きで全てを薙ぎ払え)

 アーセンは炎をまとった両腕を頭上で合わせ、そのままオオナムチの方に向かって突き出す。
「極大閃光呪文・バーンゲスト!」

 ドガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!

 巨大な帯状の火炎が、アーセンの両掌から飛び出した。
「バ、バカなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 セトがこの世で最後に見た光景は、迫ってくる真っ赤な炎だった。
 バーンゲストの威力は凄まじく、オオナムチは下半身を残して上半身がきれいに吹き飛んでいる。
 焼け残った部分も、完全に焼け焦げて炭化してしまっていた。
 セトはそのどす黒い野望と共に滅びたのだ。



「坊ちゃま……」
 すべてが終わり、アーセンはヤマトの墓標の前でうなだれていた。
 あの後、ガダメ達は村人たちを手厚く葬り、かつて村だった焼け野原には、石の墓標が並んでいる。
「私の、せいですね……」
 うなだれたまま、アーセンが呟く。
 彼には、今回の惨劇が、自分が原因であると思えてならなかったのだ。
「私さえ、いなかったら……」
 自分を責める言葉をアーセンが呟く。
「坊ちゃまや、村のみんなではなく、私が、死ねば良かったのに……」
「あの、アーセンはん……」
 クレイが何ごとか慰めの言葉を言いかけた時だった。
「それは違う!」
 いきなりガダメの怒声が響いた。驚いたようにアーセンが顔を上げる。
「よいか、アーセン! 自分ばかりが業にまみれているなど、そのような考えをオレは認めん! 人間など、多かれ少なかれ、業を背負って生きているのだ!」
「…………」
「だがな、ほとんどの者は、その苦しみから、逃げ出したくてもどうしても逃げられない宿命と向き合い、必死に生きているんだ! お前だけではないぞ!」
「…………」
 アーセンは呆然とガダメを見ていた。
「生まれてきてしまったからには仕方がないだろう! 割り切って、その業と一生付き合うつもりで、精一杯生きていくしかないのだ! 村長殿とて、その力が正しい事のために使われる事を願い、お前に正しい心と優しさを与えたのではないか? それに、あの少年も、お前と一緒にいたからこそ幸せだったのではないか?」
「ガダメさん……」
 ガダメの目は真剣だった。
 その顔を見ながら、アーセンはコクリと頷いた。



「やはり、ここにいたのか」
 声をかけられて、アーセンは振り向いた。
 そこにいたのはガダメだ。
 アーセンは、ヤマトの墓標の前に立っていた。
 かつてアカツチ村だった場所は、緑に覆われた草原となっていたが、墓標のある区画だけは、綺麗に整えられている。
「今日は彼らの……村人たちの命日だからな」
「ええ。三魔爪に、取り立てて頂いたとはいえ、アカツチ村の、みんなを、忘れることは、出来ません」
 いつもの抑揚のない口調だが、そこにはヤマト達への想いが含まれているのを、ガダメは感じ取っていた。
「なるべく早く戻れよ。明日はスパイドルナイト様や他の魔王様たちと、天界騎士の方々の会合の日だ。我らも護衛として同行せねばならん」
「ええ、わかっています。すぐに、戻りますよ」
 そう言って、アーセンは墓標に背を向ける。
(坊ちゃま。私は、これからも、彼らと共に、生きていきたいと、思います。それが、生き残った、私の、進むべき道だと、思うのです……)
 歩きながら、アーセンは振り向かなかった。
 世界に異変が起き、石川達が異世界から召喚される一年前の話だった。

The End.


戻る