さよなら異世界
「えっと……どういう事?」
思いもよらぬことを言ったガダメに、石川が聞き返した。
ガダメは床に手をついて座り直すと、真剣な目で言った。
「実は……今回の異変は、我らも望んで起こしたものではないのだ」
ガダメは一呼吸置くと、いつにも増して真面目な顔をして話し始めた。
この世界が天界・地上界・魔界に別れていることは、既に説明済みであろう。
魔界はこれらの世界では一番“下”にある事になるのだが、それにちょっとした問題があった。
この世界は、現実世界と比べても、全体的に平和な世界ではあるが、そんな世界にも怒りや憎しみ、哀しみといった『負の感情』は当然存在する。
それらの『重たい』感情は、厄介な事に世界の下の方に、まるで重力に引かれるように沈殿してしまうのだ。
その結果、魔界にはそんな感情、すなわち『悪意』が溜まってしまうのだが、これらは『強い魔力にひかれてしまう』という性質を持っていた。
つまり、魔王や彼ら魔界騎士といった者たちが、望まずして悪に染まってしまうのである。
「その『悪意』に取り込まれている時、自分自身、それが“おかしくなってしまった”という認識が無い……。だからそれらの行動を“正しいもの”として認識してしまうのだ」
ガダメが苦々しく言った。
石川達にも思い当たる事があった。
それは、まさに当のガダメとのボガラニャタワーでの戦い。
あの時、ガダメはセルペンを攻撃した事に対して、自分自身が何をやったのか驚くというほどに動揺していた。
「つまり、あの時……」
「そうだ。あの時は、わずかながら私の本来の心が、悪意に染まってしまった心に干渉をしていたのだ」
一同は黙り込む。
やがて上田が口を開いた。
「でもさ……あんた達がおかしくなるのと、おれ達がこの世界に飛ばされてきたのって、どういう関係があるの?」
「それは、悪に染まった我々を浄化できるのは、『別の世界の光の力のみ』だからと伝わっている」
「と言うと?」
「我々が悪に染まった場合、それを浄化できるのは光の力なのだが、『元々この世界に存在する光』では、悪意だけでなく我々の魂まで消滅させてしまうのだ」
天界が地上における魔族の暴走に対処できない理由の一つがこれだった。
もともと望んで悪事を働いているわけでない魔族を犠牲にする事は出来ない。いわば魔界騎士達も被害者だという認識なのである。
対して石川達、『別の世界』の人間の光の力であれば、悪意だけを消し去る事が出来るのだという。
三魔爪達も石川達に倒された事で、悪の心を浄化され、正気を取り戻したという訳だ。
「君たちが倒してきたモンスターは、ゴールドに姿を変えていただろう? あれも倒された事で魂が浄化されて、また同じモンスターとして生まれ変わっているのだ」
「そうだったの……」
ガダメはすまなさそうに、再び手をついて頭を下げる。
「本来、この世界とは何の関わりも無い君たちに、こんな事を頼むのは勝手だと重々承知している。しかし、頼む! この世界には、君たちしか頼れる者がいないのだ!」
石川達は顔を見合わせると、やがて微笑んで頷いた。
「分かったよ。どっちみち、おれ達もこの騒動を解決しないと、もとに世界に帰れないみたいだし……」
「すまん! 心から感謝する。異世界の少年たちよ……!」
「……石川だよ」
「ん?」
ガダメはきょとんとして、石川達の方を見上げた。
「石川哲夫。それがおれの名前」
「おれは上田倫理」
「おれは、岡野盛彦」
三人は改めて自己紹介をした。
考えてみれば、これまでガダメ達に自分達の名前を名乗る機会など無かった。
「イシカワ、ウエダ、オカノ……。そうか。頼んだ」
手を差し出すガダメに石川も手を伸ばすと、しっかりと握手を交わした。
と、その時だ。
「ところでさ、テッちゃん、武器はどうするの? さっきの戦いで、剣、折れちゃったじゃん」
「あ……」
思い出したように言った上田に、石川も汗ジトになる。
「それやったら、これを使い」
いつの間に意識を取り戻したか、クレイが壁に向かって文字通り“腕を伸ばす”。
クレイの手が壁に触れると、スッ、と一部の壁が横に動いて消失した。
隠し部屋になっていたのだ。
「あの中に、かつて、我々が、天界より、預かった、武具が、収められています。きっと、あなた達に、合うものが、あるはずです」
同じく目を覚ましたアーセンも続ける。
「分かった。有難う」
石川達はペコリと頭を下げると、隠し部屋に入っていった。
中にはそんなに多くはないものの、色々な武器が収められていた。
剣や槍、弓矢、杖、爪など……。
部屋を歩いている内に、石川と岡野は、何かに導かれるように歩いて行った。
石川の目の前にあったのは一本の剣だった。
床に直接、真っすぐに刺されている。
柄には細かな彫刻が施され、鍔の部分は龍を象っている。
石川はその柄に手をかけると、そのまま一気に引き抜いた。
鏡のような青々とした刃。
今にも油が滴りそうなしっとりとしたその光沢。
程よい重さで、妙にしっくりと手に合う。
「この剣は……」
石川がぐっと力を込めて握りしめると、
「うっ!?」
ブルブルッ――と手が震えた。
一瞬、手が離れなくなったのかと思うほど、ぴったりと柄に吸い付いている。
と、剣から不思議な力が伝わって来た。その力がまるで血液のように、あっという間に全身を駆け巡り、今にも爆発しそうな闘志と力が全身にみなぎった。
さっきまでの疲れがウソのように吹っ飛んでいた。
「テッちゃんも見つけたらしいな、自分に合う武器」
見れば、岡野も金属的な輝きを放つ籠手を両手にはめている。
それはよく見ると、獅子を模した形状をしていた。
「上ちゃんは?」
二人は振り返ったが、上田が手にしていたのは相変わらずあの幻の錫杖だ。
上田は錫杖を大事そうに握ると、にっこり笑って言った。
「どれもおれには合いそうになくて……やっぱりおれは、この錫杖がいいみたい。ね?」
「はい」
上田が笑いかけると、錫杖の方も嬉しそうに笑った。
隠し部屋から戻って来た三人を、ガダメ達は感激の面持ちで見ていた。
「おおっ!『ブレイブセイバー』と『戦神の籠手』に選ばれたか……。やはり君たちこそが、伝説の救世主……」
「頼んだで!」
「どうか、この世界を。そして、スパイドルナイト様を……」
「オーケイ!」
三人は頷くと、さらに上階へと続く階段を駆け上っていった。
上階もまた、黒曜石で出来た立派な宮殿になっていた。
壁や天井や円柱には、蜘蛛の彫り物が施してある。
さらに進んで角を曲がると、円柱の陰から、石川達めがけて強烈な光線が飛来した。
「おわっ!」
三人が交わして飛びのくと、四方の円柱の陰から銃を構えた重装甲のメタルゴーレム達が二十体ばかり現れた。
ドクター・プラズマの研究所に配備されていたパワードロイドを、スパイドル城の警備用にさらに改良したガーディアンだ。
<侵入者ハッケン、排除! 排除!>
ガーディアン達は機械的にそう言うと、一斉に光線銃を構えて攻撃してきた。
だが、自分たちにとって最高の武器を手に入れた石川達は敢然として光線を受け止めた。
「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! どけぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
上田の呪文に援護されながら、石川と岡野は猛然と突進し、ブレイブセイバーと戦神の籠手が閃光を放って、三度四度、宙を切り裂いた。
たちまちバラバラになったガーディアン達が、次々と宙を舞った。
二人は改めて、天界の武器のすさまじさを知った。
その時だ。
「!」
凄まじい気を感じて、三人は立ち止まった。
その気は奥から放たれている。
石川達は緊張し、さらに奥に進んで、
「あっ!?」
息をのんで武器を身構えた。
そこは豪華な魔王の間だった。
その正面の一段高いところで、玉座に座った魔界騎士が、恐ろしい顔で石川達を睨みつけていた。
並の者なら一目散に逃げだしてしまうほどの気迫だ。
事実、現実世界に居た頃の石川達であれば、部屋に入る事すらできなかったであろう。
全身を黄色と黒を基調とした、蜘蛛を模した鎧で包み、紫色の豪奢なマントを身に着けている。
三つある眼は非常に鋭い。
スパイドルナイトだった。
☆
「……来たな」
スパイドルナイトは静かに言った。
濃い陰影の中から注がれる錐の先のように尖った視線には、なお底知れぬ力があった。
石川達は、自分たちが隅々まで透視され、吟味されているのを感じた。
緊張のあまり、首筋が硬くなった。
奥歯がきしんで、歯を食いしばっている事に気づいた。
戦いを仕掛けもしない内から、飲まれてしまってどうする!
石川は瞳に力を籠め、一歩前に進み出た。
「スパイドルナイトか」
「いかにも」
スパイドルナイトの声は地を這い、闇を揺すった。
「あんたを助けに来た。『悪意』に惑わされてるあんたを倒して、あんたと、この世界を助けるために!」
「ふっ……ふははははははははははははははははは!」
スパイドルナイトは、声高に笑った。
「お前達ごときに、この魔王スパイドルナイトが倒せるものか! だが、この城までたどり着き、我が三魔爪まで下すとは見上げた奴らよ。なぁ、小僧ども。ものは相談だが――」
じっと三人を見た。
「どうだ、私の配下になる気は無いか?」
「はぁっ!?」
あまりに突然で、予想もしていなかった言葉に、石川達は思わず素っ頓狂な声を出す。
「私はこれから新たな戦いを始める。トゥエクラニフ全土を掌握するための戦いをな!」
「な、なに!?」
「私の味方になったら、ハサキヒオとブクソフカをお前たちにやってもいい」
「バカな事言うなよ!」
「そうか。それは残念だな」
「いくらおれ達が子供でも、そんな古い手に乗る訳ないだろ!」
「それにな、昔っから、そういう話に乗ったやつは破滅するって決まってんだよ!」
「そういう事!」
岡野と上田も続ける。
「命は惜しくないのか?」
「うるさい! それよりなにより、この世界を救わないと、おれ達は帰れないんだ!」
石川は猛然とスパイドルナイトに向かって突進した。
あとには上田と岡野も続く。
「たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
大きく宙に飛んで、石川は思いっきりスパイドルナイトの頭上に剣を振り降ろした。
ザシィィィィィィィィィィィィィィッ!
玉座が真っ二つに割れた。
だが、スパイドルナイトの姿が忽然と消えていた。
「えっ!?」
「ふははははははははははははははははは!」
背後からスパイドルナイトのあざ笑う声がした。
「テッちゃん、岡ちゃん、後ろ!」
上田の声に二人が振り向くと、後ろにスパイドルナイトが悠然と立っていた。
「くそーっ!」
石川と岡野は、再び剣と拳を振りかざして突進した。
スパイドルナイトはこともなげに二人の攻撃をかわす。
と、その刹那、その三つの目に、刃物めいた光点が現れた。
二人がはっとして飛び退った空間の一点に、光は走り、見る見るうちに膨れ上がって爆発した。
ズガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!
「ボンベストか!」
上田がその呪文を正確に見抜いて叫ぶ。
さらに、
「ギガフレア! バーンゲスト!」
スパイドルナイトは次々と呪文を放ってくる。
もちろん、いずれも最高位の呪文である。
ズガァァァァァァァン!
ドガァァァァァァァァァァァァァァン!
次々と飛んでくる呪文の嵐が炸裂し、爆発が巻き起こる。
「なんて威力だ! しかも呪文の詠唱をしてないぞ!」
驚愕の表情で上田が叫んだ。
そう、あのアーセンですら、呪文を使う時には上田達と同じく詠唱を行っていたのだ。
「どうした小僧ども! 達者なのは口だけか!?」
スパイドルナイトの手から、新たなギガフレアが飛ぶ。
「このぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
対抗して上田がギガフレアを、そして石川もメガフレアを放った。
シュゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!
正面から火炎呪文が激突する。
驚いた事に、上田と石川の合体フレアの方が押されていた。
石川が上田に向かって驚愕の声を上げる。
「上ちゃん、これどういう事!?」
「こんな……あいつのギガフレアの方が、おれのギガフレアよりも威力が高いみたい!」
「ええっ!?」
シュガァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!
「うわぁぁぁぁぁっ!」
ついにスパイドルナイトのギガフレアが合体フレアを打ち破り、二人は真紅の炎に包まれる。
「あつっ……」
「テッちゃん、前!」
「えっ?」
炎の中を、一気にスパイドルナイトが接近していた。
「速い!」
「喰らえ!」
スパイドルナイトが右拳を突き出す。
一瞬で、その拳は蜘蛛の脚や槍を思わせる、鋭い爪へと変化していた。
その爪が、石川の胸めがけて飛ぶ。
「ちいっ!」
とっさに二人の間に割り込んだ岡野が、無造作に腕を前に出していた。
「なにっ!?」
スパイドルナイトの爪が、岡野の左腕に突き刺さる。
その爪は、天界の金属で作られたはずの戦神の籠手すら貫いていた。
「ううっ!」
当然、岡野も左腕に深い傷を負うが、今はそんな事に構っていられない。
左腕に爪が突き刺さったため、一瞬動きを止めたスパイドルナイトに、岡野の右腕がうなりをあげて迫っていた。
まともに届けば、それはスパイドルナイトの顔面を捉えていただろう。
だが、そうはならなかった。
スパイドルナイトは、この至近距離でいきなり呪文を放ったのだ。
「ボム!」
ズガァァァァァァァァン!
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
通常のボンバー並みの威力を持つ、凄まじい爆発が三人とスパイドルナイトを吹き飛ばした。
「岡ちゃん!」
体勢を立て直す三人だが、岡野はガックリと膝をつく。
その顔は青く、呼吸も荒くなっている。
「はあ、はあ……」
「岡ちゃん!?」
「私の爪には毒が仕込まれている。早く手当てをせねば、命に係わるぞ」
「くっ!」
急いで上田は岡野の傷口に手をかざすと、呪文を唱えた。
ヴェーノ・キーロゥ
(穢れし毒よ、消えよ)
「解毒呪文・ポイズノン!」
岡野の傷口を淡い光が覆い、それにともなって、岡野の顔色も元に戻っていった。
「どうする、あの呪文……それに毒は厄介だぜ」
立ち上がって岡野が呟く。
「詠唱がない分、どうしてもおれ達は後れをとっちゃう。だったら、三人でいる事を活かさないと」
「どうやって……って!」
ギョッとなって岡野が前を見た。
前方から再びボンベストの光球が迫っていたのだ。
その時だ。
上田は気力を集中し、呪文を唱えていた。
「反射呪文・リフレクト!」
瞬く間に、岡野の前に透明な魔力の壁が現れる。
ズガァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!
石川と上田の二人はまたも吹っ飛ばされたが、岡野は平気だ。
体の周囲の魔力の壁が、敵の呪文を跳ね返し、最高威力の空爆がスパイドルナイト自身を打ちのめす。
「なっ、何いっ!?」
初めてスパイドルナイトに隙が生まれた。
「今だぁぁぁぁっ!」
石川と岡野が、同時にスパイドルナイトに飛びかかる。
体勢を立て直したスパイドルナイトは腕を振るった。その一撃は岡野を打ち払ったが、石川のブレイブソードはその防御をかいくぐり、蜘蛛を模した分厚い鎧を切り裂いた。
ザシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!
青黒い鮮血が飛ぶ。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
スパイドルナイトは、苦痛に歪んだ頭を振り立てて絶叫した。
石川は返す刀で、スパイドルナイトの胴体を横に薙ぎ払う。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
再び鮮血が飛び、スパイドルナイトはガックリと床に膝をついた。
「はぁ、はぁ……」
石川は刃に付いた血糊を払うと、静かに荒い息を吐くスパイドルナイトを見下ろしていた。
スパイドルナイトの瞳から、急速に濁った色が抜け落ちていく。
「私は……私は何をしていたんだ?」
三魔爪や今までのボスたちと同じく、石川の渾身の一撃で、スパイドルナイトもまた悪意の呪縛から解放されたのだ。
「悪い夢を見てたんだよ」
石川は剣を収めると、スパイドルナイトに向かって手を差し出した。
「君たちは……。そうか、異世界の……」
スパイドルナイトは穏やかな目つきで、石川の手を取ろうとする。
その時だ。
「ほほほほほほほほほほほほほほ」
何とも言えず気味の悪い笑い声が、辺り中に響き渡った。
「!?」
☆
「ほほほほほほほほほほほ、ほーっほほほほほほほほほほ」
笑い声は、四方八方から寄せてきた。
ほほほほほほほほほほ。
声それ自体が形と重さを持った物体になって、渦を描いて回りながら、石川達を縛り上げる。
まるで声それ自体に、体中を撫でまわされているようだった。
手を出せば、笑い声のひとかけらに触る事が出来そうだった。
「だ、誰だ!?」
石川は首を振って、辺り中を見回した。
「どこだ?」
「ふふふふふふ、ほぉぉぉぉぉほほほほほほほほほほほほほ! どこをお探しかえ? ここだ、ここだよ」
けたたましい声、おぞましい声、無理に女を真似た男のような声。
不快な悪臭をかき混ぜながら、声は目まぐるしく居場所を変える。
「ほほほほほほほほほ。ほーっほほほほほほほほほほほ! どこを見ているのさ。こっちだ。こっちだったら」
「ひっ!」
見えない手で頬を撫でられ、上田が思わず悲鳴を上げる。
「ほほほほほほほほほ。おぉにさぁんこぉちら、手ぇの鳴ぁるほぉぉぉへ!」
右から左、また左から右……声は上へ下へとうねるように移動する。
「誰だ、お前は! 姿を見せろ!」
「ここですよ」
彼らの眼前、何もないようにしか見えない空間から声がした。
その一点に、青い布が閃いた。
かと思うと、樹上を滑る蛇のような動きでローブがはためき、闇影が凝り集まるようにして、そいつはいつの間にか立っていた。
「初めまして、子供たち。私はマージュ。マージュ=ギッカーナI世」
キラキラと蛇の鱗のように輝く青いローブ。
深々と引き下ろした頭巾の下には、三日月形の目と口を描いた笑顔の仮面を被っており、素顔は見えない。
あの時、スパイドルナイトと暗がりで会話していたあの男だ。
「マージュ、お前……」
傷口を押さえながら、よろめく足取りでスパイドルナイトが立ち上がる。
「ほほほほほ、無様なものですねぇ、スパイドルナイト」
口元に手を当て、マージュがからかうように笑った。
「くっ……。少年たち、ここから離れろ! こいつは私と同じ魔王……」
スパイドルナイトが言い終わらない内に、ギガフレアの火炎が彼に襲い掛かった。
シュゴォォォォォォォォォォォォォォッ!
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
彼よりもさらに強力なギガフレアを受け、スパイドルナイトは黒焦げになって後方へと吹っ飛ぶ。
「安心しなさい、スパイドルナイト。この地上世界を浄化するという使命は、我がダークマジッカーが引き継がせてもらいますよ」
「スパイドルナイト!」
慌てて石川達はスパイドルナイトに駆け寄る。
気を失ってはいるが、まだ息はあった。
上田は急いで呪文を唱え、先ほどまで死闘を繰り広げていた相手にヒーレストをかける。
石川と岡野の方は、武器を構えてマージュに向き直った。
マージュは笑った。
「ほほほほほほ、私と戦うつもりですか。およしなさい、小さな戦士たち。そんな玩具を振り回すと、あなた達の方が怪我をしてしまいますよ」
「うりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
二人は打ちかかった。
勢い込んで、そのまま転がってしまうほど。
剣と拳は、確かにローブを薙ぎ払った。
だが、何の手ごたえも無い。
マージュの笑い声は変わらない。
「ほほほほほほほほ、無駄ですよ、無駄無駄」
「ちぃっ、じゃあこれならどうだ!」
石川は意識を集中させて、掌に魔力を集める。
「超新星呪文・メテオザッパー!」
ズゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!
石川の掌から、光の流星が飛ぶ。
あの魔爪竜を下したメテオザッパーは、しかし、マージュの眼前であっけなく消えうせた。
「ええっ!?」
あの最強威力の魔法があっさりと消滅し、石川は一瞬、我が目を疑う。
「だから無駄だと言ったでしょう。私に呪文は効きませんよ」
「じゃあこれならどうだ!」
岡野が両方の掌を構え、その間に気の塊を発生させる。
「し〜ん〜りゅ〜う〜……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
岡野の突き出した掌から、龍の姿をした気が飛んだ。
魔法ではない気功術なら、奴にも通用する――そう考えての事だった。
しかし、神龍波もまた、マージュに届く前に消滅した。
「んなっ……!?」
「その技は、気を魔力で練り上げて発射している物でしょう。魔力が少しでも含まれている限り、私には同じことです」
そう。マージュはありとあらゆる攻撃魔法に対して、耐性を持っているらしかった。
二人が愕然となった所に、マージュが呪文を放つ。
極大閃光呪文・バーンゲストだ。
マージュはスパイドルナイトと同じく、詠唱一つ唱えず、こともなげに極大呪文を放ったのだ。
しかも、威力はスパイドルナイトのものを上回っていた。
ドガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!
魔王の間が大爆発に包まれる。
爆煙が晴れると、そこには石川達がボロボロになって倒れ伏していた。
四人とも息はあるものの、既に戦闘不能なのは明らかだった。
「ほほほほほほほ、口ほどにもありませんねぇ、“救世主”さんたち?」
石川は倒れ伏したまま、拳を握り締める。
その瞳に涙が浮かび、床に零れ落ちた。
(何でだよ……。ここまで来たってのに、最後の最後で終わりなのかよ……)
そこへ、彼らを鼓舞する声が響く。
「イシカワ! 諦めるな!」
「!」
顔を上げた石川達の目に飛び込んできたのは、彼らを守るように立っているガダメ達の姿だった。
ようやく傷を回復させて、追いついてきたのだ。
「しっかりせい! まだ終わってへんで!」
「その通りです! 今、治して差し上げます!」
クレイが四人を抱き起し、アーセンがヒーレストを唱える。
石川達は立ち上がったものの、スパイドルナイトはまだ意識が戻らない。
「ガダメ、あいつは……?」
「あの方は、マージュ様。スパイドルナイト様と同じく、魔王様のお一人だ。そして……」
「そっか、あいつも『悪意』にやられちゃったって訳か」
「そうだ。魔王様達は強力な魔力を持っているが故に、我らよりもなお、悪意の影響を受けてしまう」
「つまり、アイツが正真正銘のラスボスって事ね……!」
岡野が自分の右肩に手を置き、右腕をグルグルと回した。
ガダメ達が現れた事で、彼らの中にあった戦意も復活したのだ。
「マージュ様は、特に、魔法に長けた、魔王様です。攻撃魔法の、類は、一切、通用しません」
アーセンの言葉に、上田ががっくりと肩を落とす。
「なんだよ、それじゃあおれ、役に立てないじゃん……」
だが、そんな上田の肩に石川が手を置いて言った。
「なに言ってんの、他にも補助呪文とかあるじゃ。それに錫杖だっているし」
「そうそう、その通りです。マスター!」
自身の存在を誇示するように、錫杖がピョンピョンと跳ねて見せる。
「そうか。そうだね!」
上田は素早く呪文を唱えると、アーセンと共に、全員に補助呪文を掛けた。
ファスト、アタッカップ、ガード、そしてリフレクト。
三人と三魔爪達は、四方八方からマージュへと飛びかかった。
「何人でかかってこようと無駄な事ですよ」
マージュはそれらの攻撃を難なくかわすと、素早く右腕を突き出す。
そこには鋭い三本の爪を備えた手甲が装備されていた。
爪はガダメの腕をかすめ、ガダメの腕からは血が流れ出る。
「くっ!」
「私が呪文一辺倒の魔王ではない事、お前達ならよく知っておろう。無駄な事はやめておいた方が身のためだ」
「例え敵わぬ相手だとしても、我らはイシカワ達に希望を見出したのです! あなたの暴走も、必ず止めて御覧に入れます!」
「戯言を……!」
再度爪を繰り出そうとするマージュだが、その腕に、錫杖が変形した鎖鎌が絡みついた。
「!」
「みんな、今のうちに……!」
「よぉぉぉし!」
岡野が渾身の力を込めて、マージュに打ちかかる。
今度こそ命中するタイミングであった。
だが、
バキィィィィィィィィィィィッ!
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
横から飛んできた腕に薙ぎ払われ、岡野が吹っ飛ぶ。
「!?」
一同は、岡野を吹っ飛ばした相手を見て愕然となった。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
野獣のような咆哮を上げたのは、なんとスパイドルナイトだったのだ。
その目は焦点があっておらず、再び黒く濁っている。
「どうなってんの……うわっ!」
スパイドルナイトに気を取られた隙に、上田はマージュに力任せに振り回され、錫杖ごと床に叩きつけられた。
「おやめ下さい、スパイドルナイト様!」
ガダメとクレイが、スパイドルナイトにすがりつく。
「くっ……やはり、まだ浄化しきれていなかったのか……」
苦々しげにガダメが言った。
強力な魔力を持つ魔王は、悪意の影響をより深く受けてしまう事は先ほども述べた。
そのため、ただ石川達に倒されただけでは、ガダメ達のように完全に悪意から解放されてはいなかったのだ。
「やはり、無駄なあがきだったようですね」
マージュが言うなり、辺りの空気が突然膨れ上がるようにぼっと熱くなり、目の前全部が紅蓮に燃えた。
ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!
仮面の口から、燃え盛る火炎が吐き出されたのだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
呪文ではない火炎は、リフレクトの呪文では防げない。
スパイドルナイトをも巻き添えにして、炎は一同を再び薙ぎ払う。
息も絶え絶えに横たわる彼らを見下ろし、マージュはクスクス笑った。
「終わりですね、救世主さんたち。それでは……」
マージュがとどめとばかりに、再び火炎を吐こうとする。
その時だった。
ガシッ!
何者かが、マージュを後ろから羽交い絞めにしたのだ。
「き、貴様!」
初めてマージュの口から焦ったような声が飛び出した。
マージュを羽交い絞めにしている相手は、スパイドルナイトだった。
「礼を言うぞ、お前の火炎のおかげで目が覚めた!」
あの時、火炎を受けたショックで、スパイドルナイト本来の意識が目覚めていたのだ。
スパイドルナイトはマージュを羽交い絞めにしたまま、石川達に向かって叫ぶ。
「少年たちよ、私ごとマージュを討て!」
「!?」
石川達は、驚愕の表情になって叫んだ。
「ばっ……バカな事言うな!」
「出来ないよ、そんな事!」
「やるのだ! 私もマージュも、ただ倒されただけでは完全に浄化はされない! 今を逃せば、マージュを止めるチャンスは無くなる! 君たちも元の世界に帰れないんだぞ!」
「でも、でも……」
泣きそうな顔になって、上田が躊躇う。
そこへ声を掛けたのはガダメだった。
「……頼む、少年たち。スパイドルナイト様のおっしゃる通りにしてくれ」
「! お前ら何を言って……」
反論する岡野だが、構わずスパイドルナイトが叫んだ。
「心配するな! 我ら魔王は、肉体は滅んでも魂までは滅びない! 時を置いて、復活する事が出来る! 元の通りの自分として! だから撃つのだ!」
「くっ……」
それでも。浄化のためとはいえ、もともと善良だった魔王達を完全に倒してしまう事に、抵抗が無いわけがない。
そう、彼らはまだ、一〇歳そこらの小学生なのだ。
三人は唇を噛んだ。
「ワイらからも頼む。スパイドルナイト様と、マージュ様を助けてくれへんか!」
「まだ子供の、あなた達に、こんな事を、頼むのは、酷い事だと、分かっています。ですが、あなた達のほか、出来る者は、いないのです!」
石川はしばしの間、俯いていた。
しかし……。
「やるぞぉぉぉぉぉぉぉっ!」
意を決して叫ぶ。
「上ちゃん、岡ちゃん! 三人の力を合わせるんだ!」
「わ……分かった!」
「こうなったら、やってやろうじゃねえか!」
上田と岡野も腹を決めて、石川の手に、自分の手を合わせた。
三人から、これまでにない量の魔力が立ち上っていく。
「おおっ……」
三魔爪達が、そしてスパイドルナイトがその光景に目を奪われた。
「閃光(ひかり)の……波動!」
ズォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!
突き出した掌から、三色の光が飛び出す。
青、黄色、緑……。
それはもはや、魔法を越えた力であった。
それらの光は渦を巻き、螺旋状になって、マージュ達を飲み込んでいった。
「有難う、少年たち……」
光に包まれ、スパイドルナイトが静かに言った。
そしてまた、マージュも光の中で同じように消えていく。
三人の目は、砕けていく仮面の下から現れたマージュの素顔が、穏やかに微笑んでいるのを見逃さなかった。
☆
「終わった……?」
「そうみたい……」
石川達は、呆然とマージュ達がいた方を見つめていたが、やがて、
「はぁぁぁ〜〜〜っ……」
気が抜けたように、その場にへたり込んだ。
三人とも、疲労困憊に陥っていたのだ。
そして、いくらか体力が回復してくると、
「今度こそ本当に終わったんだ……」
全てを出し切ったような表情で、石川が呟いた。
そこへ、
「礼を言う、異世界の少年たち」
ガダメ達が、石川達に感謝の言葉をかけた。
三人はガダメ達に支えられて立ち上がった。
と、その身体が薄く発光し始めた事に、その場にいた全員が気が付いた。
「これは……」
「どうやら、お別れの時が、来たようですね……」
いつもの無表情な顔に寂しげな色をにじませて、アーセンが呟く。
「そっか……おれ達、やっと帰れるんだ」
まるで、たった今思い出したかのように、岡野が呟く。
あれだけ長い冒険だったが、終わってみると、トゥエクラニフに来たのがつい昨日の事のように思えた。
錫杖が上田の手から離れ、ガダメ達の方へピョンピョン跳ねていく。
「錫杖?」
驚いた上田が声をかけると、錫杖はくるりと彼らの方を振り向く。
「お別れです、マスター。短い間でしたが、楽しかったですよ」
錫杖が悲しげに笑う。
上田も涙が出そうになるのをこらえながら、錫杖に手を振った。
「有難う、錫杖。おれも君の事、忘れない!」
ガダメが進み出て、石川達に向かって頭を下げる。
「少年たち、君たちはこの世界、そしてスパイドルナイト様を救ってくれたのだ。この通り、お礼を申し上げる」
続いてクレイも石川達に陽気に手を振った。
「元気でな、ボン達! 縁があったら、また会おうな!」
それを聞いて、三人は苦笑する。
「本当はそうならない方がいいんだろうけどね……」
次の瞬間、光に包まれた石川達は、その場から消えうせた。
「さらばだ、救世主たち……」
石川達がいた場所に熱い視線を送りながら、ガダメが呟いた。
いつしかスパイドル城を覆っていた吹雪はやみ、城を太陽の光が照らしていた。
ハサキヒオやブクソフカの各地でも、人々は目に見えた変化を感じ取っていた。
荒れた海が、穏やかな青い海に変わった。
荒涼とした砂漠に、草が芽を出した。
枯れた川に水が戻った。
そして、砂漠や平原や森に棲んでいた魔物達が大人しくなった。
セルペンは石川達がボガラニャタウンを出てからというものの、毎日スパイドル城の方を見つめていた。
彼女が城の方の変化に気づいたのも、そんな時だった。
「テッチャンさんが……きっとテッチャンさん達がやったんだ……」
その時である。
<セルペンちゃん>
「!」
セルペンが振り向くと、そこには光に包まれた石川達がいた。
「テッチャンさん!」
即座に彼女は悟った。
彼らが元の世界に帰る時が来たのだという事を。
「テッチャンさん……やったんですね?」
<うん。おれ達、ついにやったよ。だから……>
「分かってます。それでも、帰る前にセルペンとの約束、守りに来てくれたんですね」
涙ぐみながら、セルペンはニッコリ笑った。
「有難う御座いました、テッチャンさん! お元気で!」
<セルペンちゃんも、元気でね!>
そこまで言うと、三人の姿はフッと消え失せた。
次に三人が現れたのは、タイタオニク号の居住地区、オータムの目の前だった。
「盛彦!」
<よっ、オータム>
岡野は指を二本立ててVサインをする。
何とも言えない、すがすがしい笑顔であった。
思わずオータムの頬が赤く染まる。
<色々ありがとう。おれ達、元の世界に帰る事になったからさ>
「そっか……。海が穏やかになったと思ったら、そういう事だったんだね」
<元気でな、オータム>
「盛彦達もね!」
岡野が差し出した手に、オータムは自分の手を勢いよくタッチしてパシッといい音を立てた。
その次に彼らが現れたのは、ブッコフタウン。
もちろん、サクラの所である。
聡明な彼女は、三人がこの世界を救った事をすぐに理解した。
「倫理さん……。ついに、もとの世界に帰れるんですね」
<うん。……おれ、サクラちゃんと一緒に調べ物したり、ゲームブックで冒険した事、絶対に忘れないから!>
「私もです!」
サクラは必至で涙を見せまいと努力した。
笑みを浮かべるが、やはり涙は隠せなかった。
「さよなら、倫理さん。さよなら、皆さん!」
目の前で消えていく三人に、サクラはいつまでも手を振っていた。
それから三人は、ブットバ・シー号のミオク達、ハテナ町のモーカ達に会って、別れの挨拶を交わした。
そして……。
(うっ……)
気が付くと、三人は何もない空間を漂っていた。
上も下も、時間の流れすらも分からない。
が、遥か前方に光――出口があるに、三人は気が付いた。
三人はその光に向かって進んでいく。
シュパァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!
三人の視界が、一気に光に包まれた。
☆
「ううう……」
ゆっくりと意識が戻ってくる。
石川が目を覚ました。
「あれ、ここ……」
近くでは上田と岡野が眠っている。
そこは非常に懐かしい、しかし見知った場所だった。
「あれれ?」
そう、そこは彼らが元居た世界の、小学校の校庭の片隅だったのだ。
しかし空は晴れており、青い空には白い雲がまばらにあるだけで、とても雷が鳴るような天気には見えなかった。
「う、うそっ! おれ達……」
慌てて石川は、上田達を揺すり起こす。
「ちょっと起きて! 上ちゃん! 岡ちゃん!」
「ん……?」
「う〜ん……」
石川に揺すられて、二人も目を覚ました。
「ここって……」
まだボーッとしながら周囲を見回していた二人だが、周囲の状況を把握すると、驚愕の表情で跳ね起きた。
「うそ!? おれ達、戻って来たの!?」
「そうみたい……」
「まさか夢じゃないよね……」
三人はお互いの頬をつねってみる。
その途端、
「いてててて!」
同時に悲鳴が響いた。
「夢じゃない!」
またまた同時に、三人は同じセリフを口にする。
と、その時だ。
<あと、五分で、昼休みが終わります。教室に戻って、学習の、準備をしましょう>
昼休みの終わりを告げる校内放送が、校庭に響き渡った。
どうやら、こちらでは彼らが雷に打たれた時から全く時間が経っていないらしかった。
「やばっ!」
三人は慌てて立ち上がると、校舎に向かって一目散にかけて行くのだった。
The END.
戻る