呉越同舟!? ジンとマリー

「えっと、君は……」
 ルストが「誰?」と言い終わる前に、ジンの方が反応していた。
「バッツじゃないですか!」
「よっ、ジン。久しぶり♪」
 そんなジンに、バッツが手を上げて笑いかける。
 どうやら、この二人は旧知の仲のようであった。
 やや置いてきぼり感を食ったルストは、ポカンとザコ吉と顔を見合わせる。
「でもって、あんたがフィーラス様ん所のルストだよな? おれはバッツ。マスタレス師父の命令で、お前さん達の手伝いに来たぜ」
「あ、おれ、ルスト。よろしく」
 手を差し出したバッツに、ルストも慌てて手を差し出す。
「俺っちはザコ吉! よろしくな、バッツ!」
「おう、よろしく」
 気を取り直したザコ吉も、バッツと握手を交わした。
 新たにバッツを加えた一行は、マッスルハウスから西へと進み、カエルム山脈へと入っていった。
 この山脈を境に、ジプサンと隣国であるヘブンズが分かれているのだ。
 ルスト達の次の目標地点はヘブンズであった。そこから北に、レッサル軍が管理する神殿があるのだ。

 ルスト達がカエルム山脈へと入っていくのをじっと見ていた男女がいる。
 言うまでも無く、ジャバット兄妹だ。
「カエルム山脈に向かうか……。ちょうどいい、ここで彼らと決着をつけてやろう」
「ええ。今度こそ、ジンさんを逮捕して見せますわ!」
 グッと可愛らしい拳を握り締めて、マリーが叫ぶ。
 彼女は兄であるブラッディと共に、レッサルゴルバの下で修業を積んだ闇騎士だ。
 元々、彼女達の実家であるジャバット家はレッサルゴルバと関係の深い貴族の家柄であり、兄であるブラッディがレッサルゴルバに仕えることになったのは必然ともいえる。
 だが、マリーもまたそうであるかと言えば、そんな事は無かった。
 嫡男であるブラッディはともかく、マリーの方は、特に何もなければ普通の貴族の子女として過ごすことも出来た。
 だが、彼女は兄と共に魔王に仕える闇騎士の道を選んだのだ。
 年齢はまだ百十四歳と、人族でいう十一歳程度だが、そんな彼女が魔王直属の討伐隊という地位に居るのは、彼女に才能と、ひとえに努力するひたむきさがあったからに他ならない。
 生真面目な性格の彼女は、自身の才能にあぐらをかくことは無く、何に対しても真正面から取り組んできた。
 厳しい修行の最中に死にかけた事だって一度や二度じゃない。
 なぜそこまで、というと、理由は単純だ。
 彼女が非常に強い正義感を持っていたからだ。
 闇騎士になれる才能を持つ自分が、その力を、世の中をよくするために使うのは当然のこと――彼女はこう考えていた。
 そして、そんなマリーがジンの捕獲にこだわるのには理由があった。
 もちろん、彼女達がジンの行動の真意を知らないという事もある。
 それに加えて、ジンは本来、天界騎士であるファーストの弟子、つまり光騎士だ。
 一方で、レッサル軍は魔王に率いられる、魔界騎士の組織である。
 光騎士でありながら、魔王軍で修業をする人族――
 天界と魔界の関係が良好とは言え、そういった存在は極めて稀有であった。
 人族出身の闇騎士などは、それなりに居たが。
 面識こそ無かったものの、マリーはジンがレッサル軍に居た頃から、そんな特異な存在である彼に対して興味を持っていた。
 もっとはっきり言ってしまえば、魔界騎士についても勉学に励む向上心を持つジンに、好意とも呼べる感情を抱いていたと言っていい。
 そのジンが、突然レッサル軍を脱走した。
 上記の通り、彼が軍を抜けた理由など知らないマリーは、ジンに深く失望を覚えた。
 正義感の強い彼女が、自分の手でジンを捕獲し、軍法会議で公平な裁きを受けさせる……そう決意するのは必然の事と言えた。
「行きましょう、お兄様」
「うむ」
 ルスト一行を追って、ジャバット兄妹もまた、カエルム山脈へと入っていった。

 カエルム山脈は、サレラシオ大陸南部を東西に分断する、巨大な山脈だ。
 急こう配の山肌を、古い街道は曲がりくねりながら、上へ上へと続いていた。
 途中までは、ところどころに岩をくり抜き精緻(せいち=きわめて綿密な事)なモザイク模様を彫り込んだ擁壁が見られたし、古い崖崩れを起こしやすそうな地盤の一部には、石垣を積み上げて補修した跡もあった。
 そんな山道で出会う魔物は、これまで以上に手ごわかった。
 複数の動物が合成されたキマイラ。巨大化した猛禽、ワイルドターキー。獰猛な肉食獣、サーベルパンサー。
 が、新しく仲間になったバッツは、先頭に立ってそいつらを切り捨てていく。
「可哀そうだが、こんな所で何度も足止めを食ってるわけにゃいかねえからな」
「人の肉に味を占めた連中だ。やらなきゃやられちまうぜ!」
 バッツのつぶやきに、ザコ吉も同意した。
 わらわらと出現する血に飢えた奴らに、ジンがメガフレアの火球をぶつけ、ザコ吉がスリープの呪文で眠りに陥らせ、ルストとバッツは、無言のまま剣を振るった。
 何度かそんな戦闘を繰り返すうち、山の中腹まで進むと洞窟が見えてきた。
 この洞窟は山脈を向こう側まで貫いており、ジプサンとヘブンズを行き来する旅人たちに、街道として利用されていた。
 が、それも世界に異変が起きる前の話だ。
 魔物たちが凶暴化した現在は、めっきりここを通る人間もいなくなっていた。
「うわぁ……すごい」
 目の前に広がる光景に、ルストが思わずため息をつく。
 そこは見事な鍾乳洞で、広大な空間の中に、何千年もの間に育った鍾乳石と、あちこちに群生するヒカリゴケが発する光が、神秘的な雰囲気をたたえていた。
 平和な時には、観光客でにぎわっていたという。
 彼らが通っている道は、だいたい一シャグル(約三・五メートル)ほどの幅で、片側は高い絶壁、逆側は深い崖になっていて、底が見えない。
「ここを抜ければヘブンズの国です」
「よし、行こう!」
 一同は、洞窟の奥まで続く一本道を進んでいった。
 一時間ほど進んだ頃だ。
 突然、先頭を進んでいたバッツの足が止まる。
 ほかの者たちも、自分たちに向けられている視線に気づいていたため、まるで動揺しなかった。
「出て来いよ、そこにいるんだろ?」
 バッツの言葉を受けて、岩の陰から、二人の人物が出てくる。
「久しぶりだな、少年たち」
「今度こそ、逃がしませんわ!」
 そう、ジャバット兄妹である。
「……と、何やらメンツが増えたな」
 バッツとザコ吉を見て、ブラッディが呟く。
 が、すぐに何事も無かったかのように、表情を引き締めた。
「まあいい。仲間が増えようと、我らの任務は変わらないのだからな。魔人態!」
 叫ぶなり、即座にブラッディはコウモリ獣人のような魔人態へと変化を遂げる。
 そんなブラッディの実力を見抜いたか、バッツが楽しそうな笑みを浮かべた。
「へへっ。誰だか知らねえが、こいつと遊ぶのも面白そうだ!」
「私をなめるなよ!」
 ブラッディがバッツに飛びかかり、鋭く爪が伸びた右手を繰り出す。

 ザシュッ!

「な、なにっ!?」
 だが、驚きの声を上げたのはブラッディの方だった。
 バッツの長剣が旋回し、ブラッディの爪を真ん中くらいの長さで綺麗に切断していたのだ。
「すごい……」
 ルストが驚きのため、目を見開いた。
 ルスト自身、あの時よりもレベルアップしているとはいえ、当時はブレイブセイバーを持ってしても、ブラッディの爪を受け止めるのが精いっぱいだった。
 そんな鋼鉄にも匹敵する強度を持つ爪を、バッツは苦も無く切って捨てたのだ。
「くっ……なかなかやるな!」
 右手を押さえ、ブラッディが苦々しげに唇をかむ。
 だが、戦いはそこで中断された。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 突如、辺りを地響きが襲ったのだ。
「な、なんだ?」
「地震……?」
 だが、それは地震では無かった。

 ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!

 なんと、洞窟の前方から、いきなり巨大なドラゴンが姿を現したのだ。
 全高は四シャグル(約一五メートル)はある。
 六本の腕を持ち、足は四本。
 さらに背中には巨大な翼がある。
 複数のドラゴンを合成し、人工的に作り出された最強のドラゴン、クロスドラゴンだ。
 何千年も昔、動物や魔物を合成し、新しい魔物を作り出すという、非道な実験が行われていた。
 キマイラなどは、その成功例の最たるものである。
 クロスドラゴンも、その実験の過程で生み出された魔物だ。
 だが、数体のドラゴンを合成するという実験は生産コストがかかりすぎ、量産には至らなかった。
 これはそんな中の生き残りの一体に違いなかった。
「な、何でこんな所にこんな奴が……!?」
 さすがのバッツも驚きを隠せない。
「まさか、この洞窟は……」
 ジンが何事か思いついたようにつぶやく。
 彼の頭の中には、山道を登っていた時に見た擁壁や石垣が思い出されていた。
 が、思考はそこで中断されることになる。

 ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!

 クロスドラゴンが咆哮を上げ、その巨大な足を振り下ろしたのだ。

 ズシィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!

 たちまち辺りの地面にひびが入り、これまで彼らが通って来た道は、音を立てて崩れ落ちた。
 この時ばかりは敵も味方も無く、一同は地割れを避けて、洞窟の奥に向かって走った。
 しかし、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 一歩逃げ遅れたジンとマリーが足を踏み外し、崖下に転落していったのだ。
「ジン!」
「マリー!」
 ルスト達もブラッディも、崖下を覗き込む。
 だが、二人の姿はどこにも見えなかった。
「ジィィィィィィィィン!」
 ルストの叫び声が、崖下の暗闇に空しく響くのだった。


 マリーはぼやけた視界の中にいた。
「う、う〜ん……」
 徐々にピントが合い、意識が戻って来る。
「ここは……!?」
 周囲を見回すと、そこは水が流れる洞窟の底――地底湖とでもいえる場所で、自分が腰の辺りまで水に浸かっていると理解するまで数秒の時間を要した。
 そこが自然の物ではない証拠に、周囲の壁は人工的に石を積み上げて作られたことは明白だったし、壁の上の方には無数の水路があって、水が流れ込んでいた。
「そうか、私……」
 気が付くと、マリーの身体はジンの両腕にしっかりと抱え込まれていた。
 自分の顔のすぐ横に、今だ気絶したままのジンの顔がある。
「ジンさん……あっ!」
 その時になって、マリーはジンの額から血が流れ出ている事に気づいた。
 傷はかなり深く、周囲の水は流れ出た血で真っ赤に染まっている。
 落下の際、とっさにマリーを庇って打ち付けたのだ。
「ジンさん……私を庇って……」
 熱いものが目からこぼれ出る。

「本当に、バカですわ。私は敵なんですのよ? それなのに……」
 涙を流しながらも、マリーはジンの傷に手をかざすと、呪文を唱えた。

 カイ・ディー・ユ!
(癒しの神よ、ぬくもりを)

「回復呪文・ヒール!」
 マリーの手から、優し気な光が放たれ、見る見るジンの額の傷はふさがっていった。
 ただ、額や前髪についた血糊は残ってしまっている。
 マリーは流れる水で、ジンの身体に残った血糊を洗い流し、綺麗にした。
 ふと手を見ると、そこにはジンの額を洗った時についた血が残っている。
 その血を見ている内、ヴァンパイアとしての本能がそうさせたのか、マリーはゴクリと喉を鳴らすと、無意識に、手についたジンの血に舌を伸ばした。
(甘い……)
 ヴァンパイアである彼女にとって、ジンの血は非常に甘美な味がした。
 普段食している、保存用の血液パックとは全く違う味だった。
 それがジンの持つ魔力が作用しているのか、はたまたマリーの味覚との相性の問題なのかは分からないが……。
 しばらくの間、マリーは夢中になってその血をなめていたが、はっと我に返ると赤面する。
(わ、私は何をやってるんですの!? こんな時にはしたない……)
 特に誰が見ている訳でもないのだが、マリーは羞恥のため、顔を赤くしたままうつむいてしまった。
 その時だ。
「うっ……」
 ジンが目を覚ましたのだ。
「ジンさん!」
 傷はふさがっているものの、まだ痛みが残っているのか、ジンは苦しそうな表情でマリーを見ると、必死に笑顔を作った。
「マリーさん……無事ですか? うっ……」
 痛みにうめく。
「ジンさん、ごめんなさい。私のために……」
「大丈夫です……。それより、無事でよかった」
 自分を気遣うジンの言葉に、マリーはわずかに動揺する。
「どうして……私を庇ったんですの?」
 それに対し、ジンは笑顔のまま答えた。
「だって、マリーさん、悪い子じゃありませんから……」
「えっ?」
「一度、戦ってみて分かりました。貴方たちは悪い人たちじゃないって」
「それなら……それならどうして、貴方はレッサル軍を裏切ったんですの!?」
「それは……」
 マリーの中にあった思いが抑えきれなくなったか、彼女は内に秘めていた感情を吐き出すかのようにまくしたてた。
「私、ジンさんの事、凄いと思っていましたの。光騎士なのに、魔王軍でも修行をしているって。それなのに、どうして突然、軍を抜けたのか! 納得が出来ないんです!」
 ジンは糾弾するようなマリーの言葉をしばらく黙って聞いていたが、やがて悲しそうに微笑んで言った。
「理由を話しても……きっとあなた達は信じられませんよ」
 そうなのだ。
 かつてのスパイドル軍やダークマジッカーもそうだったのだが、“悪意”に侵された魔界騎士たちは自分自身、思考が“悪意”の影響を受けているという自覚が全くない。
 それゆえ、浄化されるまで、自分がおかしくなっているとは自覚が出来ないのである。
 しばらく気まずい沈黙が流れるが、やがてマリーが諦めたようにため息を一つ付く。
「分かりましたわ。話せないと言うのであれば、今は聞きません。でも、それなら尚の事、貴方は私達が必ず連れ戻します。そして、軍で公平な裁きを受けてもらいますわ!」
 あくまで使命を全うしようとするマリーに、ジンは今度は苦笑を浮かべる。
 命を賭しても使命を果たそうと言うのは、彼らも同じだからだ。
 そのためにも……。
「それなら、ここから脱出しなきゃですね」
 ジンは立ち上がると、周囲を見回す。
 天井は遥かに高く、暗闇になっていて見えない。
 壁の水路からは絶えず水が流れ出ている一方、彼らのいる場所から出て行く水路は見えなかった。
「ん?」
 その時になって、ジンはある事に気が付いた。
 少しずつであるが、水位が徐々に上がってきているのだ。
「ジンさん、もしかして……」
 マリーも水位が上がってきていることに気が付いたようだ。
「ええ。さっきより、水位が上がってきています。しばらくすれば、ここは水で満たされるでしょう」
「でも、どうして……。ここは一体……?」
 考え込むマリーに対して、ジンは得心がいったように言う。
「さっきのクロスドラゴンとこの部屋で確信しました。この洞窟は、かつては研究施設だったようです」
「え?」
「聞いた事はないですか? 今から何千、何百年も前、天界や魔界を抜けた騎士たちによって、生き物を魔法科学で組み合わせて、人工的な魔獣を作り出す実験が行われていたと」
「あ……」
 かつて、天界からも魔界からも追われた者たちがいた。
 天界騎士や魔界騎士としての力を己の欲望のために使用しようとする、言わば“はぐれ騎士”とでも言う者たちである。
 先に述べたように、人工的に強力な魔獣を創造しようとする者たちもいた。
“悪意”に染まった魔界騎士などと違い、彼らは天界や魔界の討伐対象となる。
 地上よりはるかに優れた力を、地上の混乱に使おうと考えれば当然とも言えた。
 彼らの多くは処罰されたが、彼らの研究施設には、いくつか天界や魔界から巧妙に隠されたものもあった。
 この洞窟も、そんな中の一つだったという訳である。
「おそらくこの部屋は、侵入者や失敗作の魔獣を始末するための部屋だったのでしょう。僕たちは、崖から落ちた後、偶然この部屋に流れ着いてきてしまったようです」
「それなら、早くここから出ませんと! ジンさん、脱出呪文は使えませんの!?」
「いや、だめですね……」
 ジンは首を振ると、壁に手を触れる。
「壁が魔力をはじく材質で出来ています。魔法で脱出する事も、壁を魔法で壊すことも出来ません」
「それじゃ、一体どうしたら……」
 焦った様子のマリーに対して、ジンは少し考え込むと、やがてマリーに問いかけた。
「マリーさん、息を止めていられるとしたら、どれくらいですか?」
「はあ?」
 突然、突拍子もない質問をしてくるジンに、マリーは困惑した表情を浮かべる。
「いきなり何ですの?」
 訳が分からない、といった様子のマリーに、ジンは壁上方の水路を指さした。
「一つだけ、脱出できる可能性があります。あの水路です」
「水路?」
「ええ。この部屋は、一度満水になるとしばらくは排水されない仕組みになっているようです。逆に言えば、部屋が水で満たされた時、水の流れは止まって、水路は部屋の外に繋がるただの穴になります」
「なるほど……」
 状況を冷静に分析するジンに、マリーは感心したようにため息をついた。
「さっきの質問はそういう事でしたのね」
「はい。今から僕が加速呪文で泳ぐ速度を強化します。一つくらいは、短い時間で先に出られる水路もあるでしょう。問題はどの水路が一番短いのか、ここからでは分からないという事ですが……」
 ジンの言う通りだ。
 壁には五か所ほど、水の流入口があるものの、ここからでは、どれも同じようにしか見えない。
 その時、マリーは静かに目を閉じて、流入口の方に耳を向けた。

 ドドドドドドド……
 ドドドド……

 しばらく黙ってその音を聞いていたマリーだったが、やがて、かっと目を開いて水路の一つを指さした。
「ジンさん、右から二番目の水路ですわ!」
「えっ?」
 先ほどとは逆に、ジンの方が困惑した表情になるが、構わずマリーは続けた。
「音の反響、高さからして、あの水路が一番短い水路ですわ!」
「どうしてそんな事が……?」
 不思議がるジンに、マリーは得意げに笑みを浮かべて言った。
「私、ヴァンパイアですから、耳には自信ありますのよ」
 そう。
 以前にも述べたが、彼女達ヴァンパイアは、吸血コウモリのモンスターを祖先とする種族である。
 そのため、特に耳の感覚は鋭いのだ。
 今度はジンの方が、感心したように微笑む。
「分かりました。マリーさんの耳を信じます」
 と、マリーがぽつりと呟いた。
「……マリーでいいですわ」
「はい?」
「マリーと呼んで下さいまし」
 照れたように、プイッとそっぽを向きながらマリーが言った。
「分かりました。では、僕の事もジンと呼んで下さい」
 にっこり笑って、ジンが応えた。

 それからさらに時間が経ち、いよいよ彼らのいる部屋が水で満たされる時がやって来た。
 ジンは錫杖をウイップモードに変形させ、鎖で自分とマリーの身体をしっかりと結び付けている。
「準備はいいですか、マリー?」
「ええ。途中で溺れたら承知しませんわよ、ジン」
 二人は大きく息を吸い込むと、水中に沈んで静かになった水路へと飛びこんだ。


 一方、ルスト達はというと……。
 大きく翼をはためかせ、ルスト達の前に着地したブラッディが、魔人態から元の姿に戻り、首を横に振った。
「駄目だな。どこにも見当たらない」
「そんな……」
 ルストの表情からは、不安の色が隠せない。
 クロスドラゴンの襲撃から何とか逃げおおせた一行は、状況が状況という事で、一時休戦してジンとマリーの行方を捜索していた。
「まあ、あの嬢ちゃんは知らねえが、ジンが簡単にくたばったりはしねえと思うけどよ……」
 とぼけた口調のバッツだったが、そこにはジンに対する確かな信頼があった。
 その時である。
「ん?」
 ブラッディが振り返る。
「どうしたの?」
「そっちで物音がした。何かいるぞ」
「もしかして、ジン達……?」
 だが、その淡い期待は裏切られることになる。
 現れたのは、すっかり腐食した鎧に身を包んだ無数のゾンビと、彼らを統率する、やはりボロボロに風化した、かつては豪奢であっただろう衣装をまとったゾンビだったのだ。
 いずこの時代にか戦に敗れて死んだ兵士が、手厚く葬ってくれる者もいないまま、もののけとなり、土に還れず、魂も解放されず、生きながら死に、死んでも死にきれず……自分を含めて世にありとあらゆる全てのものを呪い憎まずにいられなくなってしまったのが死霊兵だ。
 どす黒い狂気を毒に変えて塗りこめられた槍で突かれれば、たちまち注ぎ込まれる邪悪と悲哀に生きとし生けるものはみな、麻痺させられてしまう。
 哀れな死霊たちを率いるのは、無残なしゃれこうべになってもなお重たげな王冠を得意そうに頂いたゾンビロード。
 魔導士の杖によりすがり、生前の己が軍勢を全滅させたに違いないのに、なお将であろうとするのか、威張り腐った様子で兵たちを統率する。
「亡者どもを浄化するには、やはり炎だ」
 ブラッディの指摘に、ルストが横を見てハッとなる。
 呪文が得意なジンに火炎呪文を頼もうとして、今、彼がその場にいない事を思い出したのだ。
「……くっ!」
 それでもブレイブセイバーに炎をまとわせ、火炎斬で亡者たちを次々に切り捨てていく。

 ゼー・レイ・ヒーラ・ヴィッセル!
(閃光よ、閃け!)

「閃光呪文、バーネイ!」
 ブラッディの突き出した手のひらから、帯状の炎が噴き出し、死霊たちに浴びせかけられる。
 くすぶり、燃えながら、なおも呪詛の言葉をあげ槍を突き出し、杖を振るって抵抗したが、やがては皆、一握りの清い灰になって崩れ落ちる。
「安らげよ」
 バッツは灰をつまみ上げ、天と地に散らして祈りをささげた。
「こんな連中まで巣くっているとはな……早く、マリー達を見つけねば……」
 いつになく真剣な表情で、ブラッディが呟いた。

 さて、その頃……。
 洞窟内を流れる川の岸辺に、二人の人影が泳ぎ着いた。
 ジンとマリーである。
 二人は息が切れる前に、何とか水路を抜け、ここまで辿り着いたのである。
 岸に上がり、スカートが吸った水を絞っていたマリーが、可愛らしくクシャミをした。
「クシュン」
「大丈夫ですか、マリー?」
 同じように、横でローブの水分を絞っていたジンが尋ねる。
「平気ですわ……クシュン!」
 濡れた服がぴったりと肌に吸い付いて冷たかった。
「いけませんね、このままだと、風邪をひいてしまいます……」
 運がいいことに、周囲を見回したジンの目に、手ごろな大きさの流木が飛び込んできた。
 ジンは流木を何本か組み合わせると、フレアの呪文で火をつける。
「ひとまず、服を乾かしましょう。濡れたままでは体力も消耗してしまいます」
「……分かりましたわ」
 二人は火の前に並んで腰を下ろす。
 と、ジンは上着を脱いで、マリーの方へ差し出した。
「良かったらこれ、使って下さい」
 ジンから上着を受け取ったマリーは、怪訝そうな表情をする。
「あれ、濡れてませんわね……?」
 マリーの言う通り、さっきまで水の中にいたというのに、上着は全く濡れていないのだ。
「僕の上着、師匠からもらったもので……魔力を込めた繊維で出来てて、濡れたり汚れたりしても、ある程度なら勝手に綺麗になってくれるんです」
「あ、ありがとうですわ……」
 マリーは上着を羽織ると、片方をめくった。
「あの、ジン、折角ですからあなたも……」
 わずかに顔を赤らめて、マリーが言う。
 一瞬キョトンとなったジンだったが、マリーが言った事を認識すると、こちらも赤くなった。
「じゃ、じゃあ……」
 ジンとマリーは密着して座ると、改めて上着を羽織った。
 体温の低下を防ぐためという意味では正しいが、二人ともそんな事を考えている余裕は無かった。
 二人はしばらく、お互い心穏やかでない状態で過ごすことになったのだった。

 さてさて、ジン達が淡いロマンスの真っただ中という事もつゆ知らず、ルスト達はジン達を探して、さらに洞窟の奥深くへと進んでいた。
「まったく、どうなってんだこの洞窟は……」
 ところどころ人の手が加えられた壁を横目で見据えながら、バッツが呟いた。
 彼らもこの洞窟が普通の洞窟ではないと、薄々感じ始めていたのだ。
「おそらく、この洞窟は研究施設だったのだろう。かつて、天界や魔界を離反したはぐれ騎士たちのな……」
 ブラッディの方は知識があったらしく、ジンと同じ結論に達していた。
「洞窟の荒れ具合や、さっきのゾンビどもが住み着いていた事から考えて、勿論そ奴らはとっくの昔に討伐されたのだろうが、設備や研究結果のモンスターはここに残されていた、という事だ」
「成程……これもそいつらの置き土産ってわけかい?」
 バッツが前方の崖を指さす。
 ルスト達が立っている側と反対側は、大きな壁のようになっており、そこには岩石によって巧妙にカモフラージュされた、巨大な円い扉があったのだ。
 大きさは軽く六シャグル(約二一メートル)近くはある。
 それはあの、クロスドラゴンでもぎりぎりくぐることが出来る程の大きさだ。
「これって……」
「うっひゃぁ〜、でっけぇ……」
 扉の巨大さにため息をつくルストとザコ吉。
 一方でブラッディの方は、扉のサイズとクロスドラゴンを結び付けて考えていた。
「そうか……これは大規模な『トラベルゲート』か」
 トラベルゲート。
 それはテレポーの魔法を応用し、離れた空間と空間をつなぐゲートだ。
 これを使えば一瞬にして別の場所まで移動する事が可能となる。
 ただ、テレポーやワープフェザーと異なり、基本的には移動先が固定されているため、世界でも数えるほどにしか設置されていなかった。
 また、一般に使用されているものはせいぜい人が一人ずつくぐり抜けられる程度のサイズで、ここまで巨大なものは天界や魔界の技術を使わなければ到底設置できないであろう。
「でも、こんな大きなトラベルゲートがどうして……?」
「分からんか? これはここで研究を行っていたはぐれ騎士共が、作り出した魔獣を世に放つために設置したものだろう」
 ブラッディの言う通りだ。
 あの巨大なクロスドラゴンなど、巨大なモンスターをこの洞窟から外に出すには、洞窟を破壊してしまうか、空間を移動させなければならない。
 前者の方法ではこの洞窟を破棄せねばならないし、第一、人目に付きすぎる。
「しかしそうなると……」
 ブラッディは辺りを見回す。
 すると、近くにほこりに埋もれたコンソールがあるのが見つかった。
「やはりな。このゲートは、こいつで行先を指定できるタイプのようだ。しかもまだ、装置は生きている……」
 ブラッディがそこまで言った時だ。

 ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!

 咆哮と共に、前方から先ほどのクロスドラゴンが現れたのだ。
「げげっ、こんな時に!」
 ザコ吉が飛び上がって悲鳴を上げる。
 バッツはそんな彼を抱え上げると、自分の肩の上に乗せた。
「落ち着きなって。ここであいつが出たって事は、むしろ都合がいいじゃねえか。なあ、ブラッディの旦那?」
「ふっ、そうだな……」
 パチンと片目をつぶるバッツに、ブラッディも不敵な笑みを浮かべる。
 つまり彼らは、このゲートを起動させて、クロスドラゴンをどこかへ転送してしまおうと言うのだ。
「ルスト、ザコ吉、おれ達は何とかして、あのドラゴンをゲートまで誘い込むんだ。そうすりゃ、あとは……」
 バッツの言葉に、ブラッディが頷いた。
「心得た」
「うっへ〜、マジかよ……」
 ゲンナリするザコ吉に対して、ルストは覚悟を決めたようにブレイブセイバーを構えた。
「やるしかないよ。このままじゃ、ジン達を捜すことだって出来ないんだから」
「……しょうがねえ、やってやっか!」
 ザコ吉も腹をくくったように構えをとる。
「いいか、今のおれ達のレベルじゃ、あいつを倒すことなんて無理だ。だから、あくまでゲートの方へ誘い込む事だけ考えるんだ」
「うん!」
「はいよ!」
 三人は三方に散ると、クロスドラゴンを取り囲むように展開した。
 腕や足は多くとも、頭部は一つ……ならば分散した方が、一網打尽にされることは無いと判断したからだ。
「たぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 ガキィィィィィィィィィィィィィィン!

 ルストがクロスドラゴンの足に斬りかかる。
 だが、空しく金属音が響いただけで、あっけなく跳ね返された。
「かってぇぇぇ……」
 痺れの残る手を振りながら、ルストは愕然となる。
「任せろルスト、こうするんだ、よっ!」
 走り込んできたバッツが、その大剣をクロスドラゴンの足に振り下ろした。
 今度は血飛沫が飛び、クロスドラゴンが苦しそうにのけぞる。

 ガァァァァァァァァァァァッ!

 怒りに燃えたクロスドラゴンが、口から猛炎を吐き出す。
「うわわわわっ!」
 その炎の渦から、一同は慌てて逃げ回った。
 と、その時である。

 シュァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!

 横から氷の粒をまとった冷気が飛んできて、炎を押し返した。
 その冷気が飛んできた方向を見たルストの表情が、見る見る輝いていく。
「ジン!」
 そう、ようやくジンとマリーが、ルスト達がいる場所までやって来ることが出来たのだった。
 しかし、いつまでも喜んではいられない。
「これだけの炎、僕の吹雪呪文じゃ、いつまでも押しとどめてはいられません! 早く!」
「よぉぉし!」
 ジンの言葉を受け、バッツが再度剣を振るった。

 ザシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!

 再び血飛沫が飛び、バランスを崩したクロスドラゴンは、前のめりに倒れる。
 ちょうど前方には、先ほどのトラベルゲートがあった。
「あばよ、でっかいドラゴン!」
 バッツが手にした大剣を、地面に力いっぱい突き刺す。
 すると、そこからクロスドラゴンに向かって、地面に亀裂が走っていった。

 ピピッ……ピシッ……

 やがて、

 ガラガラガラガラァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!

 クロスドラゴンがいたあたりの地面が崩れ、クロスドラゴンは崖下へと転落していく。
「旦那、今の内に!」
「任せろ!」
 ブラッディの手が素早くコンソールを動いていく。
 すると、

 クォォォォォォォォォォォォン……

 これまで数百年以上閉じていたトラベルゲートが起動音を発し、少しずつ開いていく。
 その向こうは異次元のような、混沌とした空間だった。

 ガォォォォォォォォォォォォォォッ!

 崖から転がり落ちたクロスドラゴンは、見事にゲートの中へ転がり込み、咆哮を残して消失する。
 後には静寂だけが残っていた。
「や、やった……」
 ルストを始め、全員が緊張の糸が切れたかのようにその場に座り込んでしまうのだった。


「すみません、ご心配をおかけしました」
 ペコリとジンが、ルスト達に向かって頭を下げる。
「ジン……無事でよかった」
「ま、おれは心配してなかったけどな」
 ルストとバッツ、そしてザコ吉は、嬉しそうに微笑んだ。
 そして……。
「お兄様、心配をかけてごめんなさいですわ」
 マリーもブラッディと無事に再会を果たしていた。
 だが、
「マリィィィィィィィィィィィィィッ!」

 ガバッ!

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 バチィィィィィィィィィィィィィィィィン!

「ぎぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 感極まって、涙目でマリーに抱き着いたブラッディは、思いきり彼女の平手打ちを喰らって吹っ飛んでしまう。
 その光景を見て、ルストは、
(何か、見た事のある光景だなぁ……)
 などと一人考えるのであった。

 しばらくして、一同は洞窟を抜ける。
 ここからまた山道を歩くと、後はもう、下山するだけだ。
 その先にヘブンズの国があるのだ。
「……で、あんた達はこれからどうすんだい?」
 両手を頭の後ろで組み、ブラッディの方を横目で見ながら、バッツが独り言のように言った。
「今日の所は、このまま帰るとしよう。マリーの手当てもせねばならんからな」
 頬に真っ赤な手形を付けたブラッディが、サングラスを押し上げながら言った。
「しかし忘れるな。君たちは、かならず私達が逮捕するという事をな」
 マリーもジンの方を振り返ると、まるで自分自身に言い聞かせるかのように叫んだ。
「そうですわ! 私達が逮捕するまで、誰かにやられたら承知しませんわよ、ジン!」
「大丈夫ですよ、マリー」
「『ジン』?」
「『マリー』……?」
 いつの間にか呼び捨てで呼び合うようになった二人に、一同は揃って目を丸くする。
「マリー、一体何があったんだ? まさか、ジンと何か……」
「何もありませんわ! 帰りますわよ、お兄様!」
 おたおたするブラッディと、誤魔化そうとするマリーを尻目に、ルスト達は山道を歩いていく。
 彼らの旅はまだまだ続くのだ。

To be continued.


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