新たな勇者

 かつて、世界を救った、三人の勇者がいた――



「間違いないのかい?」
 ランプの明かりに照らされた部屋で、二人の男性が酒が入ったグラスの乗ったテーブルをはさみ、向かい合って座っている。
 そこは四方が一・五シャグル(約五・三メートル)程度の、比較的小さな部屋だ。
 外は既に日が暮れており、明かりはテーブルの中央に置かれたランプのみだ。
 部屋の中に目を向けると、そこにはテーブルの他、壁際には食器などが入ったサイドボードがあり、いわゆる居間のような部屋らしかった。
 男性の内、一人は眩いばかりに輝く銀の鎧をまとった、精悍な顔つきの騎士で、もう一人は黒い法衣に身を包み、どこかおっとりとしたような顔つきの青年だった。両肩には、彼の華奢な体格にはやや不釣り合いなばかりに大きな肩当を付けている。
 黒衣の青年の問いに、騎士の方は真剣な表情で頷く。
「ああ。今日、うかがった。他の皆にも、近々通達があると思う」
「マジか。……あと何百年かは、こんな日は来ないと思ってたんだけどねぇ……」
 黒衣の青年はため息をつくと、椅子の背にもたれかかるようにして天井を仰ぎ、テーブルに乗っていたグラスの中身を一気に飲み干した。
「仕方ないさ。オレらも通った道だ。もう、どれだけ昔だったか忘れたけど……あの冒険の事は、昨日のことのように思い出せる」
「それはオレも同じだよ」
 二人はどこか懐かしそうに、虚空を見上げる。
 そんな二人の瞳は、どこか少年に戻ったような色をたたえている。
 だが、それも一瞬のことだ。
 すぐに先ほどまでの真剣な表情に戻る。
 やがて、騎士の方が静かに立ち上がった。
「行くのかい、フィーラス?」
「ああ。こうなった以上、オレの口から直接伝えないといけないだろうからね。それより、ファーストの所のあの子はいいのかい? むしろ、そっちの方が危険だろ?」
「心配ないさ。あの子は、オレらが思ってる以上に賢いし、機転も利くからね」
 得意げに語る黒衣の青年――ファースト――に、フッと笑みを浮かべると、騎士――フィーラス――は、静かにその場を去った。



「たあああああああああああああああああっ!」
 木刀を手に、少年が大きく跳躍する。

 ビュンッ!

 そしてそれを思いっきり振り下ろした。
 夜が明けたばかりの、爽やかな朝の町はずれに、小気味よい音が響いた。
「ふう……」
 一息ついて、少年が汗をぬぐう。
 肩まで伸ばした黒髪。前髪の部分は、金属製の額当てで留めている。まだあどけなさが残る顔つきだが、瞳には意志の強さが宿っていた。
 このスタート町に住む少年で、今年十二歳になったルスト・エストリバーという。
 スタート町は、遥か昔、世界が危機に陥った時に、勇者たちが降り立ったという歴史ある町だ。
 こう書くと立派な町に思われるかもしれないが、実際のスタート町はと言うと、人口六千人ちょっとの小さな港町である。
 そして、実はルスト自身もその勇者の子孫の一人なのだが……特に街の住人達から特別扱いを受ける事もなく育ってきた。
 しいて一般家庭と違う点を挙げるとすれば、父親であるパトロが、王宮の警備隊長を務めているため、何の不自由もない中流の上程度の家である、と言ったところか。
 しかし、ルスト本人は、自分が勇者の子孫であることに誇りを持っていた。
「大きくなったら、父親のように人々を守る立派な戦士になる」
 これがルストの目標である。
 特に最近は、本来大人しかったはずのモンスターが凶暴化し、人を襲うという事例が増えてきていた。
 そのため剣術の稽古も、こうやって毎日、一日たりとも欠かさずにやっている。
「たーっ!」
 ルストは渾身の力を込めて空を切り裂いた。
 全身、汗でびっしょりだ。体中から真っ白な湯気が立ち上り、流れる汗が心地よかった。
 半時ばかり動きまわったというのに、呼吸一つ乱れていない。
 日々の訓練のたまものだった。
 その時、朝一番を知らせる塔の鐘が鳴り始める。
「いっけねえ! 早く帰らなきゃ!」
 ルストは木刀を握り直すと、慌てて家に駆け戻っていった。



 さぁって、まずは本編に突入する前に、この物語における世界観から説明しよう。
 と言うのも、この物語における世界は、普通のファンタジーとはちと、違っているからだ。
 この世界はトゥエクラニフといって、我々が住む地球とは別の次元に存在する、剣と魔法の、いわゆるファンタジーの世界だ。
 文明レベルはこちらの世界で言う中世程度、機械なども存在することにはするが、魔法が存在するため、機械技術そのものは、我々の世界に比べるとかなり劣る。蒸気機関もまだ開発されていない、という程度だ。
 ただし、動力などに魔法を使用しているため、こちらの世界とは違った進歩を遂げた機械、例えば冷凍魔法を応用した自販機などは存在する。
 次に、トゥエクラニフに住む人々について述べよう。
 トゥエクラニフには人族という、地球人類とほぼ同じ種族の他に、魔族という種族も存在する。
 彼らは地上世界の下にある魔界を故郷とする種族で、尖った耳や青い血液、人族よりもはるかに長い寿命、そして名前の通りの高い魔力が特徴だ。
 しかしながら、他の多くの物語と違い、別に邪悪な種族と言う訳ではなく、基本的に人族とは友好関係にあって、共存共栄している。イメージとしては、一般的なファンタジーに登場するエルフなどを思い浮かべてもらえれば分かり易いだろう。ただ、太陽の光が直接差し込まない地下世界(この世界の太陽光は、地上の地面を透過して魔界にも届いているのだ)である魔界を故郷とする魔族にとって、地上の太陽の光は強すぎるため、あまり好き好んで地上で生活する魔族はいないのだが。
 つまり、他の多くのファンタジーに登場する魔族と違い、この世界の魔族にとって、地上は(魔族の視点で言えば)生活しにくい過酷な環境であるため、わざわざ侵攻してまで手に入れる価値がある世界ではないのである。
 こういった事情もあって、この世界では人族と魔族をあわせて『人間』と呼んでいる。
 さらにこの世界にも、多くのファンタジーと同様モンスター(魔物)が存在する。
 魔物(モンスター)とは、名前の通り、この世界の生物の中でも、特に人間に匹敵する魔力や知能を有するものを指す。普通の動植物と生態的には大差ない物から、器物が長い年月の間に魔力を帯びて進化した種類も存在した。いわゆる付喪神のようなものだ。
 魔物とは言っても、上記の通り、基本的には野生動物と大して変わらないため、積極的に人間に危害を加えるようなものはいなかった。
 このように、基本的には平和なトゥエクラニフなのだが、一つだけ問題があった。
 それは、怒りや悲しみ、苦しみと言ったいわゆる『重たい負の感情』が、世界の最も下にある魔界に沈殿してしまうという事だった。
 これは比喩表現などではなく、この世界では、実際に感情が一種の精神エネルギーとして存在するからだ。
 そして、この精神エネルギーは、魔法を使用する時に必要となる『魔力』に、極めて近しい性質を持っていた。
 一般の魔族には大きな問題は無いのだが、これが魔界騎士や魔王と呼ばれる、絶大な魔力を持つ者たちになると話が違ってくる。
 ちなみにこの世界における『魔王』とは、魔界騎士の中でも、特に領地を持ち、治世を行っている者たちをさす。
 少々話が逸れたが、魔王たちは高い魔力を持っているが故、その負の感情――“悪意”と呼ばれている――を、自分の意思とは関係なく吸い寄せてしまい、その結果、“悪意”に精神を汚染され、自分でも気が付かない内に、邪悪に染まってしまうのだ。さらにこの影響を受けてか、魔物も前述のように凶暴化し、人々を襲うようになってしまう。
 そのスパンは数千年に一度といった割合であり、前述の勇者も、彼ら悪意に汚染された魔王を浄化するために戦ったと言われている。
“勇者”には、悪意に染まった魔王やその配下の魔界騎士を浄化する力があった。
 それはこのトゥエクラニフという世界自体によって選ばれ、異世界――我々が住む現実世界で、このトゥエクラニフでは『ウスティジネーグ』と呼ばれている――から召喚される。
 ルストが知っているだけでも、過去に二回、そうやって異世界から召喚された勇者が、魔王を浄化して世界を救ったことがあった。
 ただし、最後の“召喚”から少なくとも千年以上経っているため、この伝承についても、今やトゥエクラニフでは半ばおとぎ話と化していた。



「ただいまーっ!」
 家に着いたルストは、元気よく玄関の扉を開け放つ。
「お帰り、ルスト」
 ルストの母であるミリナが、元気すぎる息子を苦笑しながら出迎える。
 テーブルの上には、既に朝食が用意してあった。
 ルストの家は、スタート町の海岸沿いにある、ごく普通の民家だ。
 窓の向こうは砂浜と、広大な海が広がっている。
 母が用意してくれた朝食を済ませると、ルストは屋根に登り、その上に寝転がった。
 ここで潮風と陽の光に包まれながらのんびりするのが、彼の一番のお気に入りなのだ。
 ルストは午前の涼しい風を受けながら、しばらく横になっていたが、
「ん?」
 ふと海岸に目をやったルストの目に、必死で何者かから逃れようと走る少年の姿が飛び込んできた。
 年はルストとそう変わらないだろう。
 艶やかな、腰まで届く長い黒髪を持ち、黒いローブの上から水色の法衣を羽織っている。
 追っているのは二人の人影だった。
 黒い頭巾と覆面に、黒装束と言ういで立ち。まさしく“忍者”だが、本物の忍者と違い、足が影のように無かった。
 この世界に存在する魔物(モンスター)で、シャドーニンジャといった。
「ええいっ、すばしこい奴め!」
 シャドーニンジャの一体が、手裏剣を取り出して投げる。

 ザッ!

「うわっ!」
 手裏剣は少年の腕をかすめ、バランスを崩した少年は砂浜の上に転倒した。
「裏切り者めが、てこずらせおって」
 二体のシャドーニンジャ達は、ゆっくりと少年に近づいていく。
 その手には抜身の忍者刀が握られていた。
「観念するがよい」
 少年は唇を噛んで、キッとシャドーニンジャ達を睨みつける。
「僕はまだ、ここでやられるわけにはいかないんです!」
 だが、シャドーニンジャ達は小ばかにしたようにニヤリと笑うと、手にした忍者刀を振り上げる。
「残念だったな。お主の願いはかなわぬ」
「覚悟せい!」
 忍者刀が振り下ろされ、思わず少年は眼を閉じる。
 だが、いつまで経っても自分を真っ二つにするはずの一撃はやってこなかった。
「!」
 恐る恐る目を開けた少年の目に映ったのは、シャドーニンジャ達の刀を、手にした銅の剣で受け止めている少年――ルストの姿だった。
「きみ、大丈夫!?」
 剣で忍者刀を受け止めたまま、ルストが少年の方を振り返る。
 が、少年の顔を見るなり、その瞳は驚きの為に見開かれていた。
「って、君は……」
「貴方は……」
 少年もまた、驚いたようにルストの顔を見る。


 どうやらこの二人は、顔見知りのようだった。
「ええい、我らを無視するな!」
 刀を振り下ろした格好のままだったシャドーニンジャが、刀を持つ手に力をこめる。
「話は後だね! まずはこいつらを!」
 ルストは刀をはじき返すと、キッと剣を構えてシャドーニンジャ達を見据えた。
 その気迫に一瞬押されるシャドーニンジャ達だったが、すぐに瞳に怒りの炎を燃え上がらせて、ルストに飛びかかる。
 たかが一人の子供に、一瞬とはいえひるんでしまったという事実が、二体のプライドを大きく傷つけていたのである。
「なめるな、小僧!」
 しかし、シャドーニンジャの動きを素早く読んだルストは、高々と宙へ飛んでいた。
「たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 ジャキィィィィィィィィィィィン!

 鋭い音が響き、シャドーニンジャの一体が、脳天から真っ二つに切り裂かれていた。
 銅の剣は、刀剣類の中でも切断力に優れている方ではなく、もし物を斬るのであれば、「叩き切る」という方法でしか切れない。それを難なくやってしまったルストの技量は、子供と言えども目を見張るものがあった。
 間髪入れず、ルストは返す刀で、もう一体の胴体を横になぐ。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 一瞬にして切り倒された二体のモンスターは、悲鳴を上げると、まるで黒い灰のようにボロボロと崩れ、潮風に散って見えなくなった。
 二体の姿が完全に消えてしまうと、ルストはまだその場にうずくまったままの少年に手を伸ばした。
「大丈夫、ジン? 一体、何があったの?」
 少年――ジンはルストの手を取ると、安心したように微笑んだ。
「有難う御座います、ルスト。実は……」
 だが、そこまでだった。
 ジンは立ち上がったかと思うと、そのままルストにもたれかかるようにして倒れてしまったのだ。
「うわっ! ちょっと、ジン! どうしたの!? しっかりして!」
 ルストは慌ててジンを抱き起すと、大急ぎで自宅へと担いでいった。



 あれからジンは、ルストの家で介抱されていた。
 余程疲れていたのか、それとも精神的な疲労がピークに達していたのか、布団の中でぐっすりと眠り込んでいる。
 彼はルストより一つ上の幼馴染で、現在はルストが住むサレラシオ大陸とは別の、ポルカサテメネ大陸を治めている魔王、レッサルゴルバの所へ、彼の師匠に修行の一環として派遣されているはずだったのだ。
(一体、何があったんだろ……)
 夕焼けの中、ルストは再び、屋根の上で寝転がりながら、そんな事を考えていた。
 モンスターの凶暴化といい、何か、形容できない胸騒ぎが、ルストの胸中に芽生えていた。
「あれ……?」
 町の入り口に目をやったルストは、そこに非常に懐かしい、そして意外な二人連れの姿を見つける。
 一人は屈強な戦士で、顔を立派な髭が覆っている。
 彼こそ、ルストの父親で、王宮の警備隊長を務めているパトロだ。
 警備隊長の地位にあるパトロは、普段はほとんど家に帰ってこない。
 さらに、久しぶりの我が家に向かっているはずの彼の顔は、暗く重い表情をしていたのだ。
 もう一人は、白銀の鎧に身を包んだ騎士――フィーラスだった。
「父さん……それに、師匠。どうして……?」
 そう、確かにルストは、フィーラスの事を“師匠”と呼んでいた。

「そ、そんなまさか!?」
 夫とともにやって来たフィーラスの話を聞くなり、ミリナは絶句した。
 その場には、未だ眠り続けているジン以外の、エストリバー家の全員がそろっている。
 フィーラスの話とは、ジンが仕えていた魔王、レッサルゴルバが悪意による精神汚染を受けている事。ジンはそれを知って、レッサルゴルバを浄化するためにルストを頼ってきたこと。そして、フィーラス達も、レッサルゴルバを浄化する使命をルストとジンに託すことに決定した事などだった。
「ルストが、魔王様と戦わないといけないなんて! どうしてそんな事がありうるのですか、ご先祖様!?」
 目の前の、自分とほとんど同い年にしか見えない騎士に向かってミリナが叫ぶ。
 フィーラスは、ルストの師匠であり、先祖――
 これは一体どういう事なのか?
 さて、もしかしたらもう気づいている人もいるかも知れないのでバラしてしまうと、このフィーラス、かつてトゥエクラニフで冒険をした石川鉄夫その人である。
 そして冒頭で彼と話していたファーストの方は、上田なのだ。
 数千年前にトゥエクラニフを救った石川達が、なぜ今も若い姿で存在しているのか……。
 実は彼らは、現在“天界騎士”という存在に生まれ変わっていた。
 天界騎士とは、文字通り天の上に存在する天界に属する、不老不死の存在だ。
 こちらの世界で言う、仙人などを思い浮かべてもらえば良い。
 才能ある人間がスカウトされてなる場合もあるが、フィーラス達のように、世界を救った功績を認められ、天寿を全うしたのちに、天界騎士として転生する場合もある。
 彼らは基本的に地上世界のことには干渉する事は許されておらず、上述した魔王や魔界騎士の暴走に際しても、勇者を選出するといった間接的な事しか出来ない。
 それには、もう一つ理由がある。
「もはやトゥエクラニフの天界騎士となった我々には、魔王たちの魂を浄化する力は無いのですよ、ミリナ殿」
 フィーラスが苦い表情で口を開く。
 彼らが天界騎士に転生してから現在に至るまで、天界と魔界では、“悪意”が魔王たちを侵食してしまう前に浄化する研究が共同でなされていたが、人間の感情に由来する問題であるためか、ほとんど成果が上がっていない、というのが現状であった。
 因みに天界と魔界の関係も、このように共同で研究を行っているなど、基本的には良好だ。
 パトロの方は、怖い顔をして黙りこくっているだけだった。
「どうして、私達の子が魔王様と戦わなきゃならないの!? ルストを死なせにやるようなものじゃないですか!」
「大丈夫だよ、母さん。死ぬもんか! きっと魔王様を浄化してみせる!」
「ルスト!」
 ミリナは怖い目で睨みつけた。
「嫌よ! 私は行かせない! 魔王様になんてかないっこないわ! どうして、そんな危険な事を子供にさせるの!? そんな親なんてどこにもいないわ!」
「だけど、おれ達がやらなきゃ、魔王様はおかしくなって、この世界の人たちみんなが危なくなるんだよ。それでもいいの、母さん?」
「仕方ないでしょ!」
「嫌だよ、おれは! 仕方ないなんて、そんなのは嫌だ!」
「死ぬよりはましよ、死ぬよりは……」
 その時、やっとパトロが重い口を開いた。
「……運命には、逆らえないのかも知れないな」
「あ、あなた!?」
 ミリナは驚いてパトロを見た。
「なあ、ルスト。前に話したことがあったが、わしも若い頃、このフィーラス様の下で光騎士として修業を積んでいた。もしもの時には、この世界の平和のために戦えるように。だが、駄目だった。父さんには、悪意に染まった魔界騎士様の魂を浄化する力を、ついに修得することが出来なかったんだ。悔しかったよ。自分には、世界を救うだけの力を手にする才能が無い事を知ってな」
「父さん……」
「なあ、ルスト」
 パトロはルストを見つめた。そして、初めて白い歯を見せてほほ笑んだ。
「行って、魔王様を救ってこい」
「えっ!?」
「魔王様を浄化して、この世界を守るんだ。かつてこのフィーラス様たちが戦ったようにな。それがお前の運命なんだ。選ばれたお前の使命なんだ」
 ルストはミリナを見た。ミリナはじっと涙をため、ルストを見つめていた。
 だが、最後にやっと頷いた。ルストは、そしてフィーラスも、心から感謝した。



 二日後――
 うっすらと夜が明けた頃、ルストとジンの旅支度は済んでいた。
 ナップザックには、薬草や地図、ミリナにもらったお守り、その他、旅に必要なものが入れてある。
 二人はまず、南にあるクロッコの町を経て、この辺り一帯を収めているジプサンの城へと向かうことにした。
 ジプサンはパトロが警備隊長を務めている城でもあるのだが、パトロの方は、一足早く城へ戻っていた。
 一昨日はフィーラスの訪問があったため、例外的に職場を抜ける事を許されたが、警備隊長の地位にある彼は、なかなかに多忙だったからだ。
 朝食が終わると、フィーラスが二人の武器を持って現れた。
「くれぐれも気を付けてな」
「はい、師匠」
 フィーラスがルストに剣を渡す。それはかつて、フィーラスが使っていたブレイブセイバーによく似ていた。
 柄を握ると、まるで元々自分の身体の一部だったかのように、ぴったりと手に吸い付く感触を覚えた。
「そのブレイブセイバー2は、私のブレイブセイバーを元に作った武器だ。ルストの技量に合わせて、その剣の力も上がっていく。つまり、お前と共に成長していく武器なんだ」
「はい!」
「それからジン、これは私がファーストから預かって来たものだ」
「先生から?」
 フィーラスはジンに、一本の錫杖を渡す。
 これもかつて、ファーストが相棒としていた幻(まほろば)の錫杖そっくりだったが、色は青く、意思が宿っているようにも見えない。
「この幻の錫杖2世も、ファーストの錫杖と同じように、様々な局面に対応している。使いこなせるかは、君次第だがな」
「はい。爺ちゃ……先生に、“有難う”とお伝えください」
 その時だった。

 カーン、カーン、カーン!

 朝の空に、教会の鐘が鳴り響いた。
 出発の時が来たのだ。
「頼んだぞ、二人とも」
 フィーラスのまなざしを受け、二人も力強くうなずいた。

 街の門から出ていく二人を、そのすぐ近くにあるカフェテラスのテーブルから眺めている、男女二人がいた。
 耳がとがっている所を見ると、魔族であることがうかがえる。
 二人とも、蒼白と言っていいほどに肌が白く、瞳は血のように赤い。
 顔立ちがどことなく似ている所を見ると、兄妹なのであろう。
 テーブルには、それぞれウォッカとトマトジュースのグラスが乗っている。
 男の方は眩いばかりの銀髪に、全身を黒いコートに包み、丸眼鏡のサングラスをかけ、シルクハットをかぶっている。
 なかなかの美形である。
 年齢は一五〇歳(人族で言えば二三歳くらい)ほどの、まだ若い青年だ。
 女の方は、少女である。こちらは一一〇歳(人族で言えば十一歳くらい)前後か。
 ウェーブのかかった長い金髪に、コウモリの羽のようなリボンが付いたカチューシャをつけ、服装は黒いゴスロリファッションだ。
 口からは八重歯が覗く、なかなかの美少女である。
 座っている椅子の背もたれに、黒い日傘を広げて挿していた。
「彼らは……町を出たようだな、マリー」
 ウォッカのグラスを傾けながら、青年が少女に話しかける。
「そのようですわね、ブラッディお兄様」
 少女の方も、トマトジュースをストローで吸いながら答えた。
「やはり、シャドーニンジャ程度では追撃は出来なかったか……」
「どうします、お兄様? すぐにでも、私(わたくし)は構いませんわよ?」
「まあ、待ちなさい、マリー。まだ、彼らは町を出たばかりだ。それに、今は夜が明けたばかり。事を起こすのは今夜で十分だ」
「分かりましたわ。それにしても……人族の方たちってすごいですわね。こんなに強い日差しの中でも平然としていられるなんて……」
 日傘の下から空を見上げ、マリーが眩しそうに、顔の前に手をやる。
「そうだな。だからこそ、この地上で繁栄してきたのだろう」
 ブラッディとマリーの二人は、小さくなっていくルスト達を眺めながら、静かにグラスの中身を飲み干した。
「ふふ、この影の討伐隊、ジャバット兄妹からは逃れられぬよ……」
 サングラスの隙間から覗くブラッディの瞳が、キラリと赤い光を放った。



「お帰り」
 天界に戻って来たフィーラスを、ファーストが出迎えた。
 ここは天界の中でもファーストが与えられているエリア、キシン島である。
 天界騎士や魔界騎士は徒弟制度が用いられており、それぞれ光騎士や闇騎士という弟子を持たなければならないという決まりがある。
 つまり、フィーラスやファーストの弟子であるルスト達は現在、光騎士の地位にあった。
 そして、天界騎士には一人につき一つ、自身のエリア――住居兼道場である――として、小さな浮遊島を一つ与えられている。当然、フィーラスも自分のエリアとして、コウゲン島と呼ばれる島を所持している。
 加えてフィーラス(石川)達三人は、天界騎士の中でも天界を治める天帝の側近、『十神騎士』という非常に高い地位に籍を置いていた。
 彼らはレッサルゴルバやスパイドルナイト、マージュI世といった『魔界十魔王』と対になる存在である。
「ああ、ただいまファースト」
「それで、どうだったの。ルスト君たちは?」
「ああ。彼らなら、きっとやり遂げてくれるだろう」
「そっか……。う〜ん、やっぱりもうちょっと、強力な神器を渡しておけば良かったかなぁ……」
 冒頭での得意げな態度から一転、ファーストはそわそわとした様子を見せていた。
 やはり、実際に旅に出たとなると心配らしい。
 そんなファーストに、フィーラスは呆れたような視線を送った。
「過保護すぎるぞファースト……」
 フィーラスの視線に気づいたのか、ファーストが誤魔化すように話題を変えた。
「そう言えば、バッツ君は?」
「ああ、まだマスタレスの所で修行してるよ。マスタレスが言うには『まだまだ修行が足りててないから』だとさ」
 それを聞いて、思わずファーストが苦笑する。
「一番過保護なのは、岡ちゃん……マスタレスかも知れないね」
「言えてるな」
 ファーストの言葉通り、マスタレスとは、岡野の現在の名前である。
 そして、ここまで読んで頂いていた方には察しがついているかもしれないが、バッツは岡野……いや、マスタレスの子孫兼弟子なのだ。
 彼もまた、魔王レッサルゴルバ浄化の任を天界より下されていたのだが、上記の通り、未だ天界で修業を続けていた。
「さて……」
 いつの間にか、フィーラスの手にはブドウ酒の瓶があった。
「今日は飲もうか。あの子たちの旅の無事を祈って」
「そうだね」
 二人はこの後、夜更けまで飲んでいたとか。

 街の城壁が小さくなっていく中、ルストはふと町の方を振り返る。
 スタート街道とクロッコ街道が交わる、丁度真ん中の辺りで、東に行けばおむすび山、西に行けばオカシ村がある。
 二人はこの街道上をひたすら進んでいた。
「どうしたんですか、ルスト?」
 ジンがいぶかし気に、ルストの方を見て尋ねる。
「ううん。ただ、本当に町を出たんだなって思って」
「そうですね……」
 感慨深そうに言うルストに、ジンが頷いた。
 今までルストは、いや、この世界の子供は誰でもそうなのだが、城壁に囲まれた町から外に出た事がないのは珍しい事ではなかった。
 凶暴化する前から、外に出ればモンスターは闊歩しているので、十五歳になるまでは親の許可なしに勝手に町の外に出てはならないと法で決められているからだ。
 まだ十二、三の彼らが、保護者同伴ではなく町の外に出た事。それは彼らが一人前と認められたということでもある。
 ルストは町に背を向けると、再び歩き出す。
(必ず、魔王様を浄化して、世界を救ってみせる……!)
 そう、固く心に誓いながら。
 今ここに、新たな冒険が幕を開けたのだ!

To be continued.


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