ダイヤのかんむり


                    ☆

 霧の深い晩でした。乳色の霧に包まれて、町はもう、眠りについているようでした。
 その町はずれに、一つだけ消え残る明かりがあります。
 明りの下にいるのは、年取った飾り屋でした。
 銀色の髪をかき上げた額には、幾筋ものしわが目立ちます。歳のせいでしょうか、たがねを持つ指が、時折、震える事もありました。
 けれど、この飾り屋の手にかかったもので、美しくないものがあったでしょうか。
 指輪も、腕輪も、耳飾りも――それは見事な細工ぶりで、人の心をとらえずにはおきませんでした。飾り屋の腕は、遠い国の貴婦人にまで、高い評判を呼んでいたのです。
 かと言って、飾り屋の暮らし向きが、豊かだった訳ではありません。
 注文は山ほど来ていましたが、その一つ一つに時間をかけ、心を燃やし、力を注ぎつくしているからです。
 首飾りの止め金だけに、七ヶ月も、かかりきる事がありました。指輪の台に刻む、蔦の葉一枚の為に、げっそり、痩せ細ったりもしました。
 そういう時、飾り屋の妻は、数少ない着物を売って、暮らしに充てていたのです。
「あなたは、ご自分の目指す仕事だけに、お励みなさいまし」
 飾り屋の妻は、いつも、そう言いました。
「すまないと思っている……」
 飾り屋は、いつも、こう答えました。
 そして二人は、どちらかともなく、仕事場の棚を見上げるのでした。
 そこには、ダイヤモンドを星の形にちりばめた、銀の冠が飾ってあります。
 冠はガラスの箱に入れられ、ガラスの箱には、ぴしりと鍵がかかっていました。
 それは飾り屋にとって、ただ一つの宝でした。いえ、宝と言うよりも、生涯の夢と言った方が正しいかも知れません。
(何という美しさだろう! この優雅な形……高貴な輝き……それでいて、飾りが少しも、冷ややかに見えない。それどころか、こんなに心が温まってくるではないか。ああ、私もいつかはきっと、この不思議な、美しさの鍵を探り当てよう)
 冠に寄せる飾り屋の夢は、飾り屋の妻だけが知っていました。
 飾り屋夫婦には、二人の息子があります。上の息子は、研磨師になるための修行中。下の息子は父のもとで、細工を習っていました。
 どちらも親思いの、良い息子でしたが、冠の虜になっている父の心は、分かりませんでした。
 その夜も飾り屋は、時を忘れ、銀の冠を見つめていました――が、やがて我に返ると、木槌を取り、たがねを持ちなおすのでした。

                    ☆

 コチコチコチ――
 カチカチ、カチカチカチ――
 チッ、チッ、チッチッチッ……コチコチ。
 するどく、細やかな音が、ひとしきり、仕事場に響きます。
 夜は更けていました。
 夜に気兼ねをするように、静かに仕事場の板戸が開きました。
「父さん、そう、根を詰められては……」
 入って来たのは、上の息子です。後ろから、下の息子も言いました。
「お体に障るじゃありませんか」
「何だ、お前達か」
 飾り屋は木槌を握ったまま、むわーと、のびをしました。
「まだ、休んでいなかったのか。やかましゅうて、寝付かれんかな?」
「やかましくはありません。母さんなど、僕たちが起き出したのも、ご存知ないようですよ」
 息子たちは、ふふっと、笑い声を漏らします。
「母さんは起こさん方がいい。あれも気苦労が多いのだから……」
 飾り屋は、妻の眠りを妨げないように、声をひそめました。
「その苦労の事なんです」
「父さんは、苦労なさり過ぎますよ。もう三晩も徹夜でしょう、病気になってしまう」
 二人の息子は、心から父の体を心配しているのです。
 自分たちが一人前の職人であったなら、父の手助けも出来るでしょう。しかし、まだ修行中の身で、それが出来ないとなれば――
 息子たちは申し合わせたように、棚の冠を見上げました。
「父さんほどの飾り屋は、二人といないのに……まだ手本がお入り用なのですか?」
 上の息子が言いました。
「怒らないで下さい。僕たち考えたのです。父さんは腕が良く、働きものなのに、この家は貧しすぎる。貧しい家なのに、あの冠は立派すぎる――ダイヤだけでも二十個はありますよね。もしあれを売る事が出来れば、暮らし向きの心配もなく、父さんは、心に適う仕事だけをなされるだろう……と」
 すると、下の息子も言いました。
「どなたの作か知りませんが、確かに美しい冠です。でも僕たちは、冠よりも、父さんの健康の方が……」
 息子たちの言葉を、飾り屋は、黙って聞いていました。が、ふいに、きっとした顔で立ち上がったのです。
(やはり、怒らせてしまった)
 息子たちは、青ざめた顔を見合わせました。
 けれど、飾り屋は息子たちを叱る代わりに、冠の方へ手を伸ばしたのです。ガラスの箱ごと、両手でいたわり持って、元の場所に座りました。
「私も年を取った。もう何年も、いや何十年になることか……そうだ、今夜はお前達に、昔話でも聞かせるとするか……」
 飾り屋は、ガラスの箱を通して冠を見つめ、冠の銀の光に遠い日を映し描いているようでした。
 そして飾り屋は、静かに話し始めたのです。
「昔この町に、こもだれと呼ばれる、ぐうたらな若者がおった。こもだれには身寄りも無く、おんぼろ小屋で、ぐうたらぐうたらと暮らしておってな――そう、こもだれと呼ばれたわけは、入り口の戸の代わりに、一枚の“こも(=菰)”をぶら下げていたからだ。戸を開ければ、また閉めねばならん。こもを垂らしておけば、めくって入った後、ひとりでに元へ戻ると言うてな。それほどの怠け者だった。それがある晩……あれは今夜のように、霧の深い晩だったな……」


                    ☆

 霧の夜更け。
 こもだれは、町の通りを歩いていたそうです。いつになく心寂しかったのは、朝から何も食べていないせいでしょうか。
 働く事は無いけれど、悪い事をするのでもないこもだれに、町の人は誰ともなく、食べ物を恵んでいました。こもだれは、太陽が真上に登るころ起き出します。そして、誰かがこもの外に置いてくれた、食べ物を見つけるのですが――あいにく、その日は何もありませんでした。
(これから食べ物の心配をするよりは、腹を空かさぬよう、寝ている方がマシだな)
 そう考えたこもだれは、日暮れ時まで、ごろりと寝そべっていました。日のある内に、こもだれのした事と言えば、あくびぐらいのものでしょう。
 ところが、辺りの家々から夕食の匂いが漂い出すと、こもだれののどは、ごくりと音を立てました。
(がまんがまん、がまんするに限る。食べたつもりで、明日を待つに限る)
 いくら自分に言い聞かせても、ひもじさは増すばかりでした。
 そこで仕方なく、こもだれは夜の町に出かけたのです。優しい人の多い町ですから、出向きさえすれば食べ物は手に入るはずでした。
 けれど、こもだれは一件目の家に、入りそびれてしまいました。窓の隙間から、こんな話し声が聞こえたのです。
「先に食べようよ、もう、ぺこぺこさ」
「お父さんは、もっとぺこぺこよ。一日中汗まみれでお働きですもの。もう少しがまんなさいな」
 男の子と、母親のようでした。
 汗まみれで働く人の家に、怠け者が「食べ物を下さい」と、入れるでしょうか。いくらこもだれでも、そのぐらいの恥は知っていました。いえ、知っていたのではなく、その時初めて、恥じる心を持ったのです。
 おかげでこもだれは、そのあと、どの家にも入れなくなりました。最後に覗いた家などは、若い夫婦が、貧しい料理を譲り合っていましたから。
 こもだれは、恥ずかしさと、羨ましさと、空腹を抱えて、その家から離れました。そして、霧の立ち込めてくる町を、あても無しに歩き始めたのでした。

                    ☆

 こもだれの見た町の家の、皆が皆、豊かな暮らしだったとは言えません。
 けれどどの窓にも、どの明かりの中にも、こもだれには手の届きそうもない、何かが満ちていました。
(うん、確かに何かがあったな。だけど何かって……何だろう?)
 こもだれは考えました。考えながら歩きました。
(働く、という事かな?)
 こもだれは、「お父さんは一日中汗まみれでお働きよ」と話していた、あの母親を思い浮かべました。でもすぐに、
(あほくさい。働くといったところで、オレに出来る仕事なんぞあるものか)
 と、首を振ったのです。
 こもだれは、自分が人間に生まれたと知る頃には、もう身寄りが居ませんでした。
 学問はおろか、なんの仕事も覚えぬまま、若者になってしまったのです。
(働いたところで、養う家族がいるわけでなし)
 こもだれは、両手で耳を塞ぎました。
 食卓を取り巻く、日焼けした父親や、優しそうな母親や、元気な子供たちの笑い声が、聞こえてきそうだったからです。
 家々の明かりが、一つずつ、霧に溶け込むように消えていきます。
(家族……か。はは、嫁さんの来てもない、このオレに?)
 歩く気も無く歩いていたこもだれは、見知らぬ裏通りに来ていました。

                    ☆

 深い霧でした。
 背高のっぽの街灯が、虹の輪を作って照らしている道に――
「あ、星が落ちている!」
 こもだれは、はっと足を止め、目を見張りました。
 きらり、きるる――と、透明な光を放ち、確かに星が落ちているのです。
 こもだれは、急いで空を見上げましたが、このような晩に、星の見えるはずはありません。
 そこで、ひと足、ふた足、恐る恐る星に近寄ってみました。――と、まあ、何という事でしょう。
 星に見えたのは、銀細工の美しい冠だったのです。いえ、星はありました。星を形どって、数多くのダイヤがはめ込んであるのです。
「あははは……腹の減り過ぎで、頭まで変になったらしいや。空の星が、道に落ちてるわけは無いのに」
 自分の粗忽さが、可笑しくなったこもだれですが、すぐにまた、はて? と首をひねりました。
「待てよ。それにしても、これほど美しい、高価な物を、いったい誰が落としたのだろう?」
 こもだれは、すくい上げるように、冠を手にしました。幾筋もの光が、霧の中を走り抜けます。
 顔に近づけたり、離したり、高く差し上げたり、傾けてみたり――
 こもだれは空腹も忘れ、この美しい冠に相応しい女性を、ああでもない、こうでもないと、心に浮かべてみるのでした。


                    ☆

 街灯の光が、突然色を薄めました。
 と思うと、光よりも明るく、きらびやかに、女の人が立っているのです。
 幾重にも重なった、艶やかな絹のドレスを着ていました。胸元と、長く引いたすそには、金銀の糸が織り込まれ、数知れない宝石がちりばめられてあります。
 白いひげを、それでもいかめしくピンと立てた、供の者を従えていました。
 驚いているこもだれの前に、その白ひげが、つかつかと歩み寄って来ます。
「あちらにおいであそばすのは、さる国の王女様ですじゃ。身分の高いお方ゆえ、粗相があってはなりませぬぞ」
 白ひげは、ひどく高飛車な言い方をしました。
(どこのさる国かは知らないが、そちらが勝手に現れたのじゃないか)
 と、こもだれは不愉快になりましたが、それは王女様の美しさに免じて、我慢したのです。
 すると白ひげは、こもだれの持っている冠を、指でさしました。
「その冠はその方が見つけてくれましたのか?」
「その方、と言われるほどの者でもないがね」
 こもだれは肘を張って、冠をかばうように身構えました。
「確かに、ここでオレが拾ったのさ」
「そうか、そうか。いや、礼を申しますじゃ。その冠は、あれなる王女様の――」
「いや、違う。この冠は、拾ったオレの物だ」
 こもだれは白ひげの手を振り払いました。冠が惜しかった訳ではありません。この、おつにすました白ひげを、ほんの少しからかってみたくなったのです。
「侍従長、何を手間取っているのです」
 その時、りーんと澄み通った声が飛んできました。辺りの霧が、かすかに揺れたように見えました。
 王女様です。眉も動かさぬ、きりりとした立ち姿は、声に負けない美しさでした。
 が、王女様は、こもだれには一瞥も与えず、気位高くおっしゃいました。
「つまらぬことに、時をかけるではない」
 それを聞いた時、こもだれの心は決まったのです。
(よし、冠ぐらい返してやろう。せっかく見つけた宝物だけれど、オレの頭に乗せられる物でもないしな。ただし――ときたね、この威張り返った主従が、たっぷり礼を出せばの事だ。はめ込んであるダイヤの数からいっても、オレが一生今のまま働かずに暮らせるぐらいのものは――)
 こもだれは、次から次へ、欲深い想像を膨らませました。
 こもだれが、今一番欲しい物。
 こもだれを、今一番幸せにする物。
 それは『有り余るお金』しか無いように思えました。つい先ほど(働く事かな)と考えた自分が、馬鹿らしくなったのです。
 お金さえあれば、いくら怠け者でも、物乞いなどせずにすむでしょう。お嫁に来てくれる娘もいるかも知れません。
(優しい嫁さんと、元気な子供――うん、悪くない話だな)
 こもだれは自分の望むものを、白ひげ侍従長に申し出ました。高慢に構えてはいるけれど、王女様にとって銀の冠は、特別大切な物だと見抜いての事でした。

                    ☆

 白ひげ侍従長は、こもだれの望む通りにする事を約束し、冠を受け取りました。
 それを恭しく捧げ持って、王女様の前に進みました。
「姫様、爺めの不注意から、いらぬご心痛をおかけ申しました」
 しかし王女様は、手を触れようともなさらず、ふいと横を向かれたのです。
「捨てておしまい」
「……は?」
「汚らわしい、捨てておしまい。大層な冠ゆえ求めましたが……さほどでもない。この程度の宝石でしたら、城にいくらでもありましょう。ただ、このような卑しい者の手にある事が、我慢ならなかっただけです。取り戻せばそれで良い。捨てておしまい」
「しかし、ひい様。勿体のうは御座いませぬか」
 侍従長は未練がましく、指で星の上をなぞります。
「ほほ、そちまでそのようにあさましく……ではこうおし、近く婚礼を挙げる娘を探し、祝いとして与えるがよい」
 王女様は、雅やかな衣擦れの音と共に、霧の中へ消えておしまいになりました。
 体中を火のようにして、こもだれが白ひげ侍従長に飛びかかったのは、言うまでもありません。
 ところが、こもだれが冠を奪い返した途端――不思議な事に、侍従長の姿も掻き消えてしまったのです。
 街灯の描き出す虹の輪の中に、冠を持ったこもだれが、ぼんやり立ち尽くしていたのでした。

                    ☆

「さる国の王女様か……」
 独り言を言って、こもだれは苦笑いしました。
(オレにだって、傷つく心はあるさ。身分がなんだい、金がなんだい……。この冠が似合うのは、生意気な王女などではないさ。あんな王女より、もっともっと美しい、もっともっとやさしい人だ。オレの嫁さんになってくれる人だ――)
 こもだれは、冠をもう一度、街灯の方へ差し伸べてみました。
 きら、きら、きるる――
 きらり、きるるる――
 ダイヤの星が、灯りを吸い込んで光ります。
 光に見とれているこもだれの後ろで、華やいだ声がしました。
「有難う、私の冠を預かっていて下さったのね」
 振り向いたこもだれの目に、光がそこに飛び散ったかとも思える、美しい娘が映りました。


 薄羽の様な白い袖と、銀色の腕輪が、たいそう上品な感じでした。明るい声も言葉つきも、こもだれを、清々しい気持ちにさせました。
(この娘なら、冠も似合うだろう)
 こもだれはそう思いましたが、もうしばらく、話してみる事にしたのです。
「預かってあげたわけではないさ。良い物を拾って、喜んでいたところだよ」
「ごめんなさい、そうだったの。けれどもこれ、私の冠なのです。王女様のご家来と言う方から、この辺りに預けてあると伺いました。どうしても、明日、被らなくてはならないの。お願い、返して頂けないかしら」
 娘の、驕らない話しぶりが、ますます、こもだれの心をとらえました。
(このように明るく、優しい娘は、そうざらにいるものではない)
 と思った時、こもだれの決心がつきました。
「返すも返さないも……これは元々、君の物だろう」
 そう言って、銀の冠を、娘に渡したのです。
「有難う、本当に有難う。お礼に、何か私に出来る事を言いつけて下さいな」
 娘は、顔を輝かせてお礼を繰り返します。こもだれの顔はと言えば、娘の幾倍も輝いていました。
「それでは、その、オレの嫁さんに来てくれないかな」
「私が、お嫁さんに?」
 娘は聞き返すなり、慌ててこもだれの手に、冠を押し戻しました。
 それから、すまなそうに言ったのです。
「それは出来ないわ。ごめんなさい、明日が私の結婚式ですもの……。すみません、ごきげんよう」
 冠を諦めて、娘は霧の中に走り去りました。
(そうだったのか)
 こもだれは、すまない気持ちになり、娘を追いかけました。今度こそ本当に、冠を返してあげるつもりでしたのに……。娘の姿は、どこにも見当たりませんでした。

                    ☆

 こもだれは、霧に曇った冠を、袖口で拭きました。
 冠を拾っただけの事なのです。
 それで、一生有り余るお金をもらおうとしたり、美しいお嫁さんを欲しがったり――。
「虫が良すぎるくせに、どうも間が抜けている」
 こもだれには、二つの願いが大それたことのように思えてきました。
「こもだれは、こもだれらしくするのが、どうも良さそうだ」
 怠け者のこもだれに、美しいお嫁さんなど、間違っても、来てはくれないでしょう。
「そうだ、これはこの冠に相応しい、本当の持ち主に返そう!」
 三度目の独り言を、こもだれは、きっぱりと言いました。
(それにしても、今まで付き合った冠だからな)
 こもだれは思いました。
(どのような女の人か、本当の持ち主を見たいものだ)
 それは、先程の王女や娘より、はるかに美しい人のはずでした。気高い人のはずでした。
 銀の輝きを見れば見るほど、こもだれには、そんな自信が付きました。
「さて――と」
 こもだれは、はじめ見つけた時のように、冠を、街灯の下に置きました。そして自分は、後ろのライラックの茂みに隠れたのです。

                    ☆

 重い、霧の向こうで、夜が明けかかっていました。
 いつの間にか、こもだれは、眠っていたのです。目が覚めた時、襟や袖は、しっとりと濡れていました。
「しまった」
 慌てて伸び上がるこもだれの目に――きらりと、星の光が飛び込んできました。
 冠はあったのです! でもそれは、一人の少女の手の中でした。
 街灯の下に立っていたのは、貧しい身なりの少女でした。洗いざらしの上着に、つぎだらけのスカートをはいています。
 冠は、その少女に拾われたのでした。
 少女は泣いていました。青白い手の甲で、何度も何度も、目をこすっていました。
「見つかったわ、父様。あなたが私の為に作って下さった冠……父様の真心がこもった、かけがえのない宝物……」
 娘は、冠に話しかけているようです。こもだれは、しーんと耳を澄ませていました。
「貧しさに負けて、それを売ろうとしたなんて……その途中で、失くしてしまうなんて……。許して下さいね、父様。でも、こうしてまた、私の手に戻りました。父様のお心がこもっているからね」
 貧しい少女は、頭を垂れて、お祈りを始めました。それがすむと、冠を、そっと頭に乗せたのです。


 こもだれの胸に、言いようのない感動が広がりました。
(この美しさだ! この少女の美しさが、銀の冠に相応しいのだ!)
 こもだれは我を忘れて立ち上がりました。
 驚かせては悪いと思いましたが、こもだれの足は、独りでに、少女の方へ進んでしまうのです。
 冠の事を、詳しく聞きたくなったのでした。それを作ったと言う父親の話を、もっと、もっと、して欲しかったからでした。
 綺麗に飾られたものだけが美しいものではない事、本当の美しさとは何かという事を、こもだれは、霧の夜明け、冠から学び取ったのです。
 こもだれが、怠け者のこもだれでなくなったのは、多分、その朝が境目だったのでしょう。

                    ☆

 こもだれ――いえ、もうこもだれとは言いますまい――その若者は、冠を作った、少女の父親に会いました。少女の父親は、仕事には厳しいけれど、心温かい飾り屋でした。妻を亡くしてから、残された一人娘と、ひっそり暮らしていたのです。
 父親の指から生まれる、豪華な品に比べ、何とも貧しい暮らしでした。しかし父親は、一生の間に一つでも、娘の物を作りたいと願い続けました。その願いが、冠となって叶えられたのです。
 若者は、自分も美しい物を作りたくなりました。そこで少女の父親に、熱心に頼み込み、弟子入りをしたのです。


 仕事は辛く、怠け心が起きるのも、一度や二度ではありませんでした。
 寒さに、指先が凍える時――
 小さな細工に疲れ、目がかすむ時――
 若者の心の支えとなったのは、少女と、少女の冠だったのです。少女のいたわりに報いたい、冠に負けぬ美しさを生み出したい――そう思って、若者は怠け心を引き締めていたのでした。

                    ☆

「つまりな、冠の不思議な輝きは、世の中に甘え切っておった、怠け者の心を洗い清めたという訳だ。その美しさの謎を解きたいと、こもだれは――」
 そこまで話した飾り屋は、何にむせたのか、コホコホと咳をし始めました。
「大丈夫ですか、父さん」
「お寒かったのでしょう。僕達、うっかりしていて――」
 背中をさすろうとする息子たちに、いいよと首を振って、飾り屋は天窓を見上げました。

 霧の底に沈んでいた町に、夜明けがやって来たようです。
「語り明かしたという訳だな。お前達こそ、疲れたろう」
「いいえ、疲れなどするものですか」
 下の息子が、生き生きと答えました。
「だって、面白い話でしたもの。ねえ、兄さん」
「話でした、と言っても、まだ終わりまで来ていないよ」
 上の息子は、弟をからかっておいて、父に言いました。
「こもだれが、拾ったというのは、この冠ですね?」
「ほう、よく分かったな」
 飾り屋は、目を細めて息子を見返し、冠の入ったガラスの箱を、膝の上に乗せました。
「そりゃあ、分かりますよ。星の形にダイヤを散りばめた冠……そうどこにもありはしないでしょう。これでも僕は、研磨師のたまごですからね、宝石には興味があるのです」
 上の息子は、誇らしそうに言いました。
「だけど……こもだれの冠、いや、貧しい娘の冠が、どうしてここにあるのですか?」
 上の息子が尋ねると、負けずに下の息子も、冠の方へにじり寄りました。
「これだけの物を買うお金が、うちにあったとは思えませんし……それになぜ、ガラスの箱から出さないのでしょう。父さんの手本だと言うのに、手を触れたのを見た事がありません」
 飾り屋は、息子たちの問いには答えず、道具箱から、小さな鍵を取り出しました。その鍵でガラスの箱を開け、慈しむように、冠を手の平に乗せます。
「うわあ――」
「綺麗だなあ――」
 息子たちが、思わず声を上げた時でした。
 仕事場の入り口から、飾り屋の手元へ、矢のように駆け寄る人がありました。

                    ☆

「あなた、箱をお開けになりましたのね……長い間求めておいでだった物を……とうとう探し当てられましたのね」
 飾り屋の手から冠を取り、声を詰まらせている人――。
 それは、年よりも老けてしまった、飾り屋の妻でした。飾り屋の妻は、涙をふくと、息子たちの方を向きました。
「お前達の父さんはね、それは長い間、お苦しみだったのですよ。この冠が、なぜ美しいのかを知るために。それと、この冠に劣らない、立派な細工をなさろうとしてね……。父さんは、ご自分で答えを見つけるまで、箱の鍵を開けない事にしておいでだったの」
 飾り屋の妻は、もう一度細い指をまぶたにあてました。
「おめでとう御座います。あなた、よろしゅう御座いましたわね……」
 息子たちは、幸せに満ち足りた母を見ました。母の手にある、冠を見ました。言葉を挟んではいけないように思え、黙って父の顔を見ました。
 母の顔にも増して、輝いていると思ったのです。
 ところが、飾り屋は苦しそうに、妻から目をそらしました。
「……すまないと思っている」
 これは飾り屋が、今までに、幾度も繰り返してきた言葉でした。
「答えを見つけた訳ではないのだ。息子たちに昔話を聞かせていて……つい、成り行きで鍵を開けたまでの事……」
「ごめんなさい、母さん」
「僕達、知らなかったものだから――」
 息子たちも、母をどのように慰めれば良いかと考えましたが、それは、いらぬ心配のようでした。
「まあ、昔話を?」
 花でも開くように、飾り屋の妻は微笑みました。
「あの、霧の日の話ですのね。わたくしが、この冠を失くしてしまった……。あなたといったら、ふいに出ていらっしゃるのですもの。そう、あれは確か、ライラックの茂みでしたわ」
 今度こそ、息子たちは驚きました。
 霧の日……冠……ライラックの茂み!
「それでは、あの、父さんが――」
「こもだれ……」
 しかし、息子たちの言葉が、飾り屋夫婦に、聞こえたかどうかは分かりません。

                    ☆

「遠い昔だ……」
「深い霧でしたわ」
「酷く、ひもじかった」
「あらっ」
 飾り屋の妻は、若やいだ声を出して立ち上がりました。
「すぐに、支度を致します」
 そう言って、持っていた冠の置き場を考え、とっさに、自分の髪に乗せたのです。
 そのまま、窓の戸を開き、もう一度若やいだ声を出しました。
「あなた、それからお前達も……御覧なさいな、霧が晴れていますわ」
 振り返って微笑む妻と、妻を飾る冠を、飾り屋は、食い入るように見つめています。
 貧しい窓でした。貧しい身なりの、年老いた妻でした。ただ、どちらも貧しくは見えませんでした。
 貧しい娘の為に、貧しい父親が心を込めて作った冠――その輝きが、全ての物を、豊かに変えてしまうのです。
「む……分かったぞ」
 飾り屋は、深く頷きました。
 飾り屋は、自分では気づいていませんが、分かったのではなく、思い出したのです。
 形の美しさに心をとられ、輝きばかりを追い続けて、長い間忘れていた事を。本当の美しさとは何かという事を。
 今、飾り屋の心をひたしているものは、遠い昔――あの、霧の朝の感動とそっくり同じ物でした。
 その時です。上の息子が、大発見をしたように叫びました。
「あっ、その星のダイヤ――ダイヤではなくてガラスですよ!」
「え、本当なの、兄さん――」
 下の息子は、顔色を変えました。
「それで……売る事が出来なかったのですね。なんだ、そうでしたか……僕達をがっかりさせまいと、黙っていらしたのですね。僕達悪い事を言ってしまった」
「まあ、あなた知っておいででしたの? わたくしでも存じませんのに」
 飾り屋の妻が、微笑みながら尋ねました。
「いや」
 飾り屋は、首を振りました。けれど、昔から知っていたかのように、
「ほう、さすがに息子は、研磨師のたまごだ」
 と、穏やかな目を、妻に向けただけでした。




おしまい


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