小さな池のかわいい島


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 タツオの家の狭い庭には、小さな池があります。ソラマメの形をした池です。
 その池には、芝草の茂った可愛い島が一つあります。去年の夏、タツオが一人で作った島でした。
 島の下の方は、大きい植木鉢です。その植木鉢の高さと水の深さとは、ちょうど同じくらいで、その上にこんもりと格好良く、土を盛り上げてありました。
 島の芝草の真ん中には、綺麗な石が一つだけ置いてありました。

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「あの石は何だい」
 夏のお昼過ぎ、友達のヒロちゃんが遊びに来て、タツオに訊きました。するとタツオは、こんなことを答えました。
「あの石はね、この池の主(ぬし)を祀ってあるのさ。神社の代わりなんだよ」
「ふーん」
 ヒロちゃんは、不思議そうにタツオの顔を見つめました。
「主ってなんだい。こんなちっぽけな池に、主がいるのかい」
「いるんだ」
 タツオは真面目な声で言って頷きました。
「銀色の鯉なんだ。そんな鯉、この池に入れた事も無いのに、ちゃんといるんだ」
「どこにさ」
 ヒロちゃんは、水の中を覗き込みました。銀色の鯉なんか見えません。緋鯉が二、三匹と、金魚が七、八匹、ひらひらと泳いでいるだけでした。タツオはアハハと笑いました。
「探したって見えないよ。この池には横穴があってね、それがとても深いんだ。銀色の鯉は、きっとその横穴の中だろ」
「嘘だ。そんなこと」
「嘘じゃない。銀色の鯉は、ほんとにいるんだ。僕とお父さんと、去年池の水を取り替えた時、ちゃんと捕まえたんだから」
「……でもさ」
 ヒロちゃんはイタズラそうな目をくるくると動かしました。
「その銀色の鯉が池の主だって、どうして分かるんだい」
「うん、それは……」
 タツオは口ごもりました。そう言われてみると、主だか何だかわかりません。タツオがそう思っているだけかも知れません。
 去年の夏、植木鉢を持ち込んで、小さな島を作った時のことを、タツオは思い出しました。
 ずっと前、タツオはお父さんとお母さんと三人で、山の湖へ行ったことがありました。
 その湖には小さな池があって、そこに湖の主を祀った神社があったのです。
 その事を覚えていたタツオは、自分の家の池にも、島を一つ作って、そこに行けの主をお祀りしてあげよう、と考え付いたのです。
 小さな池にだって、きっと主がいるに違いないと、タツオは思い込んでいました。そう思った方が楽しいし、面白いではありませんか。
 銀色の鯉は、島が出来た後、見つけたのです。お父さんと一緒でしたから、嘘ではありません。その時お父さんは、
「珍しいことがあるもんだ」
 なんて言っただけでしたが、タツオはこの綺麗な鯉が、きっと池の主に違いない、と思いました。それからずっと今まで、そう考えていたのです。

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 そこで、タツオはヒロちゃんに言いました。
「とにかく、僕はその銀色の鯉の事を、この池の主と決めているのさ」
「へええ」
 ヒロちゃんは、水の中とタツオの顔を、代わる代わる見比べました。大して感心したようでもありません。
「主って、不思議な力を持っているんだろ」
 にやにやしながら、そんな事を言い出しました。
「この池の主も、不思議な力があるかい。人間に化けたり、人を水の中に引きずり込んだり……」
「さあ」
 タツオは困りました。どっちとも言えません。するとヒロちゃんは、ひざまずいていきなり手を水の中に突っ込みました。
「池の主やーい、水を引っ掻き回すぞー。悔しかったら出てこーい」
 タツオは黙って見ていました。何しろヒロちゃんときたら、いたずらでやんちゃで、無鉄砲です。やめろと言っても聞くわけがありません。
「ほーら、何にも出て来やしないじゃないか」
 ヒロちゃんの横で、立ったまま眺めているタツオを、ヒロちゃんは下から見上げました。
「棒でかき回してみようか」
「よしなよ。魚が驚くから」
 タツオは止めました。へん、とヒロちゃんは行って、また水を手でかき回しました。
「魚を脅かせば、主が起こって出てくるかも知れないぞ」
「罰が当たってもいいかい」
「罰なんか当たらないよ」
 ざあっと水が飛びました。
「ほら、もっともっと」
 ヒロちゃんは面白がって、水を跳ね飛ばしました。そして、ふいに別のいたずらを思いついたのです。
「水なんかかき回したって、主は怒らないかも知れないな。よーし、あの島の石を取ってやる」
「だめ!」
 タツオは慌てました。
「それは駄目だ。僕がせっかく神社の代わりに置いたんだから」
「なんだい、後でまた戻しておくよ。びくびくするな」
 調子に乗ったヒロちゃんは、タツオが止めるのも聞かずに、小さい島へ手を伸ばしました。届きません。もうちょっとです。
「やめろよ」
 タツオはヒロちゃんの後ろから、肩をつかんで引き戻しました。
 ヒロちゃんは、そのタツオの手を振り払って、また手を伸ばしました。膝をついて、左手で池のふちを押さえて、手も背中もいっぱいに伸ばしました。
「もうちょっと、もうちょっと……」
 右手の人差し指が、石に触れました。

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 もしその時が、こんなに明るい夏の太陽の下で無くて、薄明りの夕暮れ時か、青い月の光に照らされた真夜中だったとしたら、きっと、タツオもヒロちゃんも、不思議な出来事に気が付いたでしょう。
 というのは、丁度ヒロちゃんの指が、島の石に触った時、長いひげを膝まで垂らした、小さな小さなお爺さんが、ふいに石の上へ飛び上がって来て、ヒロちゃんの指――人差し指――を、両手で抱えると、ぐいと引っ張ったのです。
 ところが、お爺さんの姿はほとんど透き通っていましたから、タツオにもヒロちゃんにも見えなかったのでした。何しろ、夏のお昼過ぎです。
 きらきらするような太陽の光が、池の水に映っていて、辺りは一層眩しかったのです。

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 手も背中もいっぱいに伸ばしていたヒロちゃんは、あっと言う間に池の中へ転げ落ちました。大きな水音がして、酷い水しぶきが上がりました。タツオは思わず飛びのきました。
 池の深さは三十センチもありません。それでもヒロちゃんは頭から転がり込んだので、体中ずぶ濡れになりました。
「ひゃあー」
 そんな声を上げて、水の中に立ち上がると、大急ぎで岸に戻りました。
「ひゃー、びっくりしたー」
 見ていたタツオもびっくりしました。でもすぐに、おかしくておかしくて、たまらなくなりました。もう、笑い声も出ない程でした。
 我慢が出来なくて、とうとう庭の芝生でひっくり返って笑いました。
 ヒロちゃんは怒ったような目で、そんなタツオを睨みつけましたが、自分でも急におかしくなってきて、一緒に笑いだしました。一度笑い出すと、ヒロちゃんも止まらなくなりました。
 それで、タツオと同じように、ヒロちゃんも庭にひっくり返って笑ったのですが……。
 ヒロちゃんのひっくり返ったところは、芝生の上ではありませんでした。池の横の、土の上に転がったのです。
 おまけにヒロちゃんは頭からずぶ濡れだったのですからたまりません。乾いた土が体中にくっついて、まるで黄な粉をまぶしたお団子のようになってしまいました。
 それからまたおかしくて、二人は夏の涼しい風の吹き抜ける庭で、思いっきり笑いました。
 タツオの作った小さな島の上で、不思議な小さいお爺さんも、一緒に笑いました。
 あいにくと、夏の真昼の事ですから、やっぱり誰にも見えませんでしたが。



おしまい


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