ブエモン村長のかげぼうず


                    ☆

 満月の夜が来ると、熊のブエモン村長は「やれやれ」と思う。その夜、丘の上でみんなと一緒にするはずのお月見が、ブエモン村長には苦手であった。ブエモン村長のいかめしく大きな体が、いよいよずしりと重みを増したせいで、座っていると、ひどく足がしびれるからだ。
 その晩も、しびれた足をこっそりもごもごさせながら、それでも見た目には、礼儀正しくしていたが、早く帰って一人でゆっくりハチミツを舐めたいものだと思い続けていた。
 その時、ブエモン村長のかげぼうずが、不意ににゅうと腕を伸ばして大あくびをしたのだ。
 村長は無論そんな事などしはしない。かげぼうずだけが、勝手に腕を伸ばし、おまけにグルグル振り回したりした。
「あれ? あれ? あれ?」
 みんなの呆れた様子に、ブエモン村長も気が付いて、さすがに驚いたようだったが、いかめしい態度は少しも崩さず、
「いや、これは失礼。かげぼうずめが気ままをやりおったようですな」
 そして、“きっ”とばかりにその影をにらみつけると、地面の上の黒々とした影は、しばらくもじもじしていたが、やがて元通り、ブエモン村長そのままの形に返った。
「エヘン、お静かに」
 と、村長は言った。その晩はそれで済んだが、かげぼうずは勝手をすることに味を占めたらしく、それ以来、しばしば気ままに動くようになり、村長がいかめしく道を歩いていると、かげぼうずはお菓子屋をのぞき込み、ハチミツ入りの菓子ツボへ手を伸ばしたりした。
 村長は閉口したが、しかし、この少し行儀の悪いかげぼうずは、村のウサギやタヌキたちには、案外人気があった。いかめしいブエモン村長の前では、つい縮み上がってしまうが、このかげぼうずはなかなか愛嬌があるというのが、みんなの意見であった。しかし、かげぼうずの勝手気ままなやり方は、いつか他の影たちにもうつり始めた。最初にうつったのはウサギのブンタで、ブンタの左耳はどういう訳か真ん中からくたっと折れ曲がっており、その事で終始みんなにからかわれていた。その耳の影が、ある夜、ピンとまっすぐに伸びたのだ。
「見てよ、僕の影を」
 ブンタはさっそくみんなの所へ、知らせにやって来た。月夜の道に、ピンと両耳を伸ばしたブンタの影が、くっきりと映っていた。


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 その話が知れ渡ると、他の者たちも、ついこう言わずにはいられなかった。
「オレ達のかげぼうずだって、たまには勝手に動いてみてはどうなんだい」
 そう言ったせいなのか、それとも“はしか”のように誰彼構わずうつっていったのかは分からないが、かげぼうず達は次々と本人とは違った動きをするようになっていった。
「僕のかげぼうずったら、僕が仕事をしている時、勝手に腹づつみを打つんだよ」
 タヌキがそう言うと、
「いやあ、オレのかげぼうずときたら、オレが寝そべっていても、アヒルの卵を取ろうと夢中なのさ」
 キツネはウキウキした調子で言った。


 そういう村の様子を、ブエモン村長は苦々しいものに思ったが、元はと言えば自分から始まったことなので、文句を言う訳にもいかなかった。そこでみんなは、いよいよかげぼうずに好き勝手をさせた。
 しかし、だんだん困ることも出来てきた。例えばブエモン村長が、役場の職員を集めてお説教をしている最中に、かげぼうずは踊り始めたのだ。みんなはついクスクス笑い、
「困る、全く困る!」
 と村長はドシドシ机をぶった。しかも次はもっと悪かった。村長は役場の応接間でキツネの議員さんと話をしていたが、キツネの長っちりは有名で、気取った手つきでタバコを吸いながら帰りそうも無かったので、村長はイライラしていた。その時、村長のかげぼうずが、にゅうと腕を伸ばしたと思ったら、キツネの影の首筋をつまみ上げ、お尻をピシッとぶったのだ。
「あ、これは失礼」
 村長は言った。
「何分、影のすることだから気になさるな。あなたが痛いわけではなし……」
「いや、一向に構いませんとも」
 キツネはすましてそう言った。ところが今度はキツネの影が、ブエモン村長の影を蹴飛ばした。
「あ、これはどうも……」
「いやいや、たかがかげぼうずの事じゃ」
 ブエモン村長もそう言った。しかし何故かプイと横を向き、キツネも不機嫌な顔で帰っていった。


 それは村長とキツネの間の事だけではなく、かげぼうずの喧嘩から本人たちの喧嘩になり、長い間の友達がいがみ合ったり、あるいは疑い合うようなことが村のあちこちで起こり始めた。
 みんなは、勝手気ままに動くかげぼうずを段々持て余し、しまいには、自分のかげぼうずを恐れるようにさえなった。

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「全く、嘆かわしい」
 と、ブエモン村長は首を振った。ひっぺがす事が出来るなら、自分の影をひっぺがしたいところである。役場でブエモン村長を囲んで、相談が始まった。
「つまり、影を作らないようにすることだ」
「賛成」
「それにはどうすればいいか」
「昼間も窓を閉めて、家の中に閉じこもること」
「夜も電灯をつけず、月夜は外へ出ないこと」
 それでは牢屋に閉じ込められたも同じである。爽やかな風にも吹かれず、美しい花も見ないで、生きているとは言えないではないか。
 そんなことは出来っこないと、みんなは首を振った。
 ブエモン村長にとっては、全く頭の痛い事であった。


「あのう、村長さん」
 ウサギのブンタがおずおずとやって来た。
「なんだね。君もかげぼうずについてかね」
「そうなんです」
 この頃は、毎日のようにかげぼうずについての苦情が持ち込まれてくる。
「僕の耳を見て下さいよ」
 ブンタの耳が、両方ともぐたっと二つに折れ曲がっている。
「おや、曲がっていたのは片方だけではなかったかね」
「そうだったんですよ。ところが、かげぼうずの奴ったら……」
 はじめブンタの影はピンと両耳を伸ばして喜ばせてくれた。耳の影は誰のより長く、それは自慢の種であったが、いつとはなく意地悪になってきて、やがて両方の耳をぐたっと折れ曲がらせて、嫌がらせを始めた。そんなかげぼうずを見ないようにしていたのだが、今朝、本物の耳がかげぼうずと同じように、両方ともくたっと折れ曲がってしまったのだという。
「うーん、かげぼうずめ、ついにそこまでやりおったか」
 ブエモン村長は唸った。
「早くどうにかして下さいよ」
 ブンタはしょげて帰っていき、その後へタヌキがやって来た。
「村長さん、全くどうも」
 タヌキは途方に暮れている。末っ子のかげぼうずがイタズラなのは知っていたが、今朝がたから、本人がかげぼうずの動くままにイタズラを始め、棒を振り回して手当たり次第に物を壊し始めたのだという。影のイタズラでは物は壊れないが、本人がやり始めたのではそうはいかない。
「一体、どうしたもんでしょう」


 このままにしていては、村中、とんでもないことになってしまうぞと、ブエモン村長は思った。
「何とかせにゃならん」
 村長は腕を組んで考え込んだ。その後ろで、かげぼうずは伸びたり縮んだりしながら、面白そうに村長をうかがっている。

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 ブエモン村長は考えた。まず初めに、村長の影が何故ああなったかと言えば、そう……形と心が別々。
「それが、油断大敵だったな」
 心と言葉も別々。
「それが、影をつけ上がらせたんだな」
 今ではかげぼうずは、睨みつけても怒鳴っても知らん顔で、あかんべえをするくらいだ。
「とにかく、あいつの首根っこをがっしと押さえつけて、昔通りに俺のするままに動くようにしなくちゃならん。本人あっての影だからな。俺の影がそうなれば、他の者たちの影も、自然と元通りになるだろう」
 早くそうしないと、村は大変なことになるとブエモン村長は頭を絞った。
「かげぼうずが、俺と同じことを夢中でしたくなるような、そんな事を俺はしなきゃならんのだ」
 ブエモン村長のかげぼうずは、どうやら陽気な事が好きらしい。
「よし、勇気を出してやってみよう」
 いい具合に今夜は満月だ。丘の上で月見をしようと誘いを受けて、村中が集まってきた。
 やがて金色の大きな月が上ったが、みんなはあまり元気そうではなく、かげぼうずばかりが生き生きとのさばっていた。その時、いかめしくすわっていたブエモン村長が、ふいに立ち上がったと思ったら、
「やんれ、やれやれ ほうい ほい」
 いきなり声を張り上げて歌い出した。みんなは呆気にとられた。いつも威厳に満ちて座っているのがブエモン村長であった。村長が歌を歌う事など、考えてみた事も無かった。しかも村長は、手を振り足を振り上げて踊り出したではないか。

 月の夜には
 谷間の百合が
 子首傾げる

 みんなはしばらくぼんやりしていたが、それでもこれは愉快だと、手を打って歌いはやした。
 踊りながら、歌いながら、ブエモン村長は次第に楽しく、夢中になっていった。そんな村長にかげぼうずは呆れて、のろのろついて回っていたが、やがてついつい誘われて真似をし、そしていつの間にか村長とその影はピタッと同じになった。
「見ろ、見ろ。ブエモン村長は、自分の影を自分のものにしたぞ」
 誰かが叫んだ。
「ようし、オレも一つ踊ることにしよう」
 キツネが飛び出して来た。
「ぼくも」
「わたしも」
 みんなは踊り出した。明るい月の光の下で、誰もかれも夢中になって踊り出した。
 そして、たくさんのかげぼうずもまた、それに合わせて踊った。
 月は静かにそれを眺めていた。




おしまい


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