ばら姫と青い仙人


                    ☆

 昔、ペルシャという国を、アザット王が治めていました。アザット王は学問に優れているばかりか、強くて勇ましく、どこの国と戦争をしても負けた事がありませんでした。
 アザット王を恐れるよその国の王たちは、色々な宝物をもって、ご機嫌を伺いに来ました。
 しかし、外には恐れられている王も、国民には優しく、父のように親しまれ、神のように敬われてもいました。
 けれどもそんな王にも、自分の力ではどうすることも出来ない、一つの悩みがありました。王位を継ぐ王子も姫も、生まれない事でした。
「私はだんだん年をとってしまいます。どうか王子をお授け下さい」
 アザット王は、毎日、神に祈り続けました。
 ある夜の事でした。アザット王は、不思議な夢を見ました。いや、それは、夢などではなかったのかも知れません。
 寝室の扉が音も無く開いて、誰かが入ってきました。
 若い美しい女の人でした。なお、良く見つめると、地上では見た事も無い立派な着物を着て、金色に光る杖を持っていました。
「あなたはどなたですか?」
 王は、少し震える声で尋ねました。
「私は妖精です。妖精の女王様のお言いつけで、あなたをお迎えに参りました」
 やがて、そっと宮殿を抜け出た二人は、青い月の光に照らされながら、ずんずん歩いて行きました。
 町を過ぎ、広い荒れ野に来ました。生い茂る草の中に、こんこんと水の湧き出ている泉がありました。
 妖精は、泉の前で止まりました。
「この泉の中に入るのです」


 妖精は王の袖をつかんで、どぶんと水の中に飛び込みました。
 二人はずんずんと泉の底へ沈んでいきます。が、不思議にも、身体は少しも濡れませんでした。
 泉の底には、立派な館が建っていました。
「女王様の館です。どうぞ」
 館の中は、目のくらみそうな美しさでした。たくさんの妖精たちが並んでいて、正面の高い所に座っているのが、女王であることはすぐ分かりました。
 その女王が、王に向かって言いました。
「アザット王ですね。あなたは国民たちから、父のように慕われている立派な王です。でも、一つだけ大事な事を忘れていますね。その事でお呼びしたのです」
「それは、どんな事で御座いましょう?」
 王は、丁寧に頭を下げて訊きました。
「あなたは今、たくさんの宝物を持っていて、国の中も平和ですね。でもそれは、あなたの国の兵士たちがいつも勇敢に戦ってくれたおかげでしょう。しかも戦いの度に、たくさんの兵士たちが命をなくしているでしょう」
「はい、その通りで御座います」
「あなたは地上の国民には優しい王ですが、戦いで命をなくした兵士たちには、どんな事をしてあげましたか?」
「どんな事をと申されても……」
 王は、後の言葉に詰まりました。
「わたくしが大事な事と申したのはその事です。あそこをご覧なさい」
 女王は、開いている窓の一つを指さしました。あまり広くない庭に、たくさんの小人たちがにぎやかに遊んでいました。
「あの小人たちは、あなたの命令で勇敢に戦い、命をなくした兵士たちです。地上での命は消えても、魂は小人になって、ここに生きているのです。でも、この庭が狭いので、小人たちが思うように遊べないことが分かるでしょう。そればかりか、あの小人たちには、夜になっても泊まる館も無いのです。可哀想とはお思いになりませんか」
「は、はい……」
 女王の言葉に、王は目頭が熱くなってきました。
「あの小人たちのために、広い庭と大きな館を作ってあげてもらいたいのです。たくさんの宝物を持っているあなたには、それが出来るはずです。そうすれば、神様もきっと、あなたの望んでいる事をかなえて下さるでしょう」
「はい、分かりました。すぐにでも、と申しましても、この泉の底に、どのようにして庭や館を作ることが……」
「いえ、その心配はいりません。庭も館も、地上に作ればよいのです。小人たちには、地上も地下も無いのです。ただ、地上の人の目には、小人の姿が見えないだけです。それに、地上に作った広い庭や大きな館は、あなたの国民も一緒になって楽しむことが出来るのですから」
「はい、よく分かりました。お約束を致します」
 王はきっぱりと言いました。と、その途端でした。アザット王は、ふっと我に返りました。
「はてな……?」
 王は目をこすりながら、辺りを見回しました。そこは荒れ野の中でした。生い茂る草の中の泉の側に、たった一人で立っているのでした。
 アザット王は、急いで宮殿に帰りました。
 やがて国中の建築家が集められ、工事が始められました。
 広い荒れ野は、見る見るうちに大庭園になり、草の中の泉は、美しい噴水の池に変わりました。庭園の真ん中に建てた館も出来上がりました。黄金や宝石をちりばめた館は、昼は太陽の光に、夜は色とりどりの灯の光に、きらきらと輝きます。
 アザット王は、その庭園や館へ、国民たちを自由に出入りさせました。
「アザット王は偉い王様だ。いや、大王様だ!」
 国民の喜びの声はそのままよその国にも伝わっていき、アザット王が『大王』と呼ばれるようになりました。
 また、その大王の宮殿で、待ち焦がれていた跡継ぎの王子が生まれたのは、それから間もなくでした。

                    ☆

 王子は、ミスナーという名前を付けられました。大王の愛情と、国民たちの喜びの中で、すくすくと成長していきました。
 長い年月も夢のように過ぎて、ミスナー王子も、やがて十歳の春を向かえました。
 そのお祝いのすぐ後でした。大王が、たちの良くない病気にかかってしまいました。
 宮殿の中ではもちろん、国民たちもみな、朝に晩に神様にお祈りをしました。が、病気は重くなるばかりでした。
 すっかりやつれてしまった大王は、もう自分の命の長くない事を知りました。そして、大臣の位についている弟のアフーバルを枕元に呼びました。
「アフーバル、わしの命ももう長くはないようだ。生きているものに死のあるのは、世の定めだから仕方ないが、心に残るのは、この国の事だ。王子のミスナーはまだ幼くて、国を治めていくことが出来ない。それで、そなたに頼むのだが、王子が十六歳になるまでそなたが代わって国を治めてくれ。そして十六歳になったら、そなたの娘と結婚させて、王の位につけてくれ。頼んだぞ」
 大王は、苦しい息の中から言いました。
「はい、兄上様。必ずお言葉のように致します」
 アフーバルは、きっぱりと誓いました。
「それから、マバラックはいるか……?」
「はい、大王様……」
 後ろの方に控えていたマバラックが、大王の枕元に寄りました。マバラックは黒人ですが、賢い、忠実な家来です。大王から厚く信頼されていて、ミスナー王子の世話を任されてもいました。
「マバラック、そなたは、良く尽くしてくれたな。これからも、王子の世話をしてやってくれよ。頼むぞ……」
「は、はい。もったいのう御座います。大王様……」
 マバラックは、こらえていた涙をどっとこぼしました。
 アザット大王がこの世を去ったのは、その翌日でした。国中が深い悲しみに包まれました。が、その悲しみの中で、弟のアフーバルが、幼い王子に代わって国を治める事が発表されました。それと同時に、ミスナー王子は山の中にある館に移ることになりました。静かな山の方が、学問を習うのにも、体を鍛えるのにも、都合が良いからと、おじさんのアフーバルが言ったからでした。
「大王の王子様が、こんな山の館でなど……」
 マバラックは不服でした。が、王子の方はそんなことは気にも留めず、元気に山を駆け巡り、また、学問にも精を出していました。
 やがて、その六年も過ぎて、ミスナー王子は十六歳の春を向かえました。
 マバラックが王子に言いました。
「王子様、王子様はもう十六歳になられたのです。これから宮殿に戻って、大王様のご遺言通り、王様の位につかれることを宣言いたしましょう。アフーバル様も、たくましくご成長された王子様を御覧になったなら、きっとお喜び下さるでしょう」
「そうか、では、そのようにしよう」
 王子とマバラックは、山を下りて宮殿に向かいました。
 その頃、宮殿では王座のアフーバルを囲んで、貴族たちが会議を開いていました。
 マバラックが王座の前に進み出て、
「アフーバル様。十六歳になられた王子様が、ただいまお戻りになりました。この上は、一日も早く、王位につかれる儀式を……」
 と申し述べました。すると、王座のアフーバルは、少し顔をこわばらせて言いました。
「おう、ミスナー王子。たくましくなられたのう。ところで、そなたが王位につくことは、わしも喜ぶところである。だがな王子、そなたの運勢を見てもらうと、今年は年回りが良くないから、来年まで待った方が良いと言われてのう……。そうだったな、オルグ」
 アフーバルは、横に座っている不思議な姿をした老婆に言いました。
「はい、その通りで御座います。もし、無理におやりになれば、恐ろしい災いを招きます」
 老婆は占い師なのでしょう、二本の手を高く上げて、何やら呪文を唱えてから、はっきりとそう言いました。
「聞いた通りだ。では、そうしてもらおう」
 アフーバルは、もう決まった、というように言いました。
 そう言われては、王子もマバラックも、もう何とも言う事が出来ません。しかし、もう山の館には帰らず、宮殿に住むことにしました。
 それから三日目の事でした。マバラックが顔色を変えて、王子の所に飛んできました。
「王子様、アフーバル様は、恐ろしい方です。王の位を譲るのが嫌で、恐ろしい事を計画しております」
「なに、恐ろしい事を?」
「はい、王子様を亡き者にしようと、幾人かの貴族たちと相談しているところを見ました。占いの老婆が、年回りが悪いなどと言ったのも、実はアフーバル様の言いつけだったのです」
「え、まさか、あの叔父が……?」
 王子もさすがに顔色が変わりました。
「わたくしも、はじめは自分の耳を疑いました。けれども、これは本当の事で御座います」
「すると……」
 王子は、悔しさに身体が震えました。
「王子様、マバラックがついております。わたくしの命のある限りは悪人どもに勝手なことはさせません」
 マバラックは、ミスナー王子の手を取って、宮殿の裏の建物に入りました。そこは、大王が好んで入っていた不思議な部屋でした。
「ここには、誰も知らない秘密があるのです」
 マバラックはそう言いながら、床の絨毯を剥ぐと、その下の大理石を一枚取り外しました。と、ぽっかりと開いた穴の下は、広い部屋になっていました。
 小さな階段を降りると、中は四つの部屋になっていました。灯もともしていないのに、どの部屋も不思議な明るさでした。
 しかも、どの部屋にも金貨を一杯入れたかめが、いくつも置いてありました。また、かめの蓋の上には、猿の像が乗っていました。その猿の目玉は宝石で出来ていて、きらきらと光っていました。
「こんな素晴らしい物が……」
「はい、ここは、大王様の他は、わたくしだけしか知らない所です。王子様、かめを数えてごらんなさい。一つの部屋に十個ずつ、全部で四十個あるでしょう」


 王子は数えてみました。でも、一番奥にある、四十番目のかめにだけ、猿の像が乗っていません。
「どうしてだい、マバラック?」
「これには訳があるのです。大王様はずっと前から、青い仙人のデザック王とたいへん親しくしておられました」
「え、青い仙人の王と?」
 王子は思わず声を大きくしました。青い仙人の王は、神様の力を持っている偉い王だ、といくども聞いているからでした。
「そうです。かめの上に乗っている猿の像は、その青い仙人の王から頂いたのです。一年に一つずつでした。そして、三十九個を頂いたのですが、四十個目を頂く前に大王様はお亡くなりになったのです」
「そうだったのか……」
「ところで王子様。この猿の像は、ただの像ではありません。一つの猿に、千人の妖精の守り神がついているのです。けれども、悲しい事には、その妖精たちを働かせるのには、四十個の猿の像を揃えなければならないのです」
「すると、あともう一個あれば」
「そうです。四十個揃えば、全部で四万人の妖精を呼び集めることが出来るのです。四万人の妖精の力があれば、あの悪者たちも簡単に打ちのめすことが出来るでしょう」
「そうか、成程……」
「ですから王子様、今晩すぐに、ここを出発しまして青い仙人の王をおたずねしましょう。きっとお力になって下さると思います」
「うん。では、そうしよう!」
 その夜中、王子とマバラックは、みずぼらしい姿に変装をして、そっと宮殿を抜け出しました。

                    ☆

 それは、長く苦しい旅でした。いくつもの山や川を越え、広い砂漠の中も通り抜けて、北へ北へと、夜も昼も歩き続けました。
 やっと、緑の丘に出た時でした。マバラックが、ほっとしたように言いました。
「王子様、向こうの山のふもとをご覧なさい。あれが青い仙人の王の館で御座います」
「え……。しかし、私には青い霧だけで、何にも見えないが……?」
 王子がしきりに首をかしげると、マバラックは急に思い出したように、
「あ、そうでした。忘れていました。お待ちください」
 そう言いながら、懐から小さな箱を取り出しました。
「これは、不思議な力を持つ薬です。これを目のふちに塗ると、遠くの方も見えるようになりますから……」
 マバラックは王子の目のふちに、その“こう薬”のようなものを塗りました。
 なるほど、高い山とそのふもとを、ほんのりと包んでいる青い霞の中に、三つの館が見えます。そして、その周りには、仙人たちなのでしょう、青い長い衣のようなものを着た人の姿が、いくつも見えました。
「おやっ……?」
 王子は、また首をかしげました。仙人たちの中から、三人が、飛ぶような速さでこちらに走って来たからです。
「仙人たちには、きっと何もかも見通しなのでしょう」
 マバラックが言いました。
 三人はあっと言う間に、二人の前に着きました。
「ペルシャの国の王子様ですね。ようこそおいでになりました。さあ、王様の所へご案内いたします」
「はい、お願いします」
 王子が言うと、途端に一人が王子を、一人がマバラックを、もう一人は二人の荷物を抱え、また飛ぶような速さで走り出しました。
「ここが、王様の館で御座います」
 案内された館の中には、デザック王が、もう二人を待っていました。青い衣で、胸まで垂れた白い長ひげの仙人の王は、まるで神様のような姿に見えました。
 王の前に進んだミスナー王子は、深々とお辞儀をしてから、たずねてきた訳を話しました。
 鋭く光る目で、じいっと王子を見つめながら聞いていた王は、やがて静かな声で言いました。
「ペルシャの王子。わしとそなたの父とは、長い間親しくしていたが、立派な大王であった。すぐにでも猿の像を与えたいのだが、しかし、そうはいかない……」
「えっ……」
「つまり、そなたに猿の像を与える前に、わしからも、そなたに一つ頼みがある。その頼みをやり遂げてくれたなら、猿の像を与える事にしたいが、どうだな?」
「はい、猿の像を頂けるのでしたら、どのような事でも致します」
「しかし、その頼みと言うのは、決して簡単なものではないのだが、それでも良いかな……」
「どんなに難しい事でも、必ずやり遂げます」
「そうか。では話そう。実は、この絵に描かれている姫を探し出して、ここまで連れて来てもらいたいのだが……」
 仙人の王は、一枚の紙を、王子の前に広げました。
 王子は目を見はりました。その絵に描かれている姫は、花のような、いや、花よりももっと美しくて愛らしい、顔や姿だからでした。
「これは“ばら姫”という、この世で最も美しいと言われる姫でな。インドの国にいるという事だけは分かっているのだが……。どうだな?」
「は、はい」
「どうだな、ミスナー王子。引き受けてくれるかな?」
 仙人の王が、静かな声で聞きました。しかし、その目は鋭く光っていました。
「はい、きっとお探しして、お連れ致します」
 王子ははっきり言いました。
「インドの国は遠いのだし、色々な苦労もあると思うが、それでも構わぬと言うのだな?」
「はい、どのような苦労がありましょうとも、お約束致します」
「そうか。では、無事に探し出して、連れて帰ることを祈っておるぞ」
「はい」
 ミスナー王子とマバラックは、休む暇もなく、青い仙人の館を後に、インドの国に向かって旅立ちました。

                    ☆

 ミスナー王子とマバラックは、インドの国に来てから、もう三年の年月が経ってしまいました。
 まわりまわって、ある町にたどり着いた時でした。
 橋のたもとに、みすぼらしい盲目の老人が座っていて、道を行く人々に施しを願っていました。けれども、誰一人として、そんな乞食には目もくれませんでした。
「気の毒にな……」
 立ち止まってしばらく見つめていた王子は、一枚の金貨を、老人の手の上に乗せてやりました。
 金貨と知った盲目の老人は、慌てて座りなおすと、丁寧にお辞儀をしてから言いました。
「わたくしは、この通り目が見えません。けれども、金貨を恵んでくださったあなた様が、旅のお方らしい事は分かります。違いましょうか?」
「いや、その通りだ。実は、ある人を探して、もう三年ものあいだ旅を続けているのだが……」
 王子は正直に言いました。
「左様で御座いますか。どなたをお探しかは存じませんが、だいぶお疲れのご様子ですね。もし、よろしかったら、わたくしどもの家の方に、と申しましても、貧しい盲目の老人ですが、金貨を恵んで頂いたせめてものお礼に、ご夕食でも差し上げたいと思いまして……」
 老人は、盲目の乞食とは思えないような、気品のある話し方をしました。
「それは有難い事だが、しかし、迷惑ではないかな。それに、もう一人連れがいるのだし」
「はい、お二人連れでいらっしゃることは、分かっております。よろしかったら、是非どうぞ……」
 王子はどうしたものかと、マバラックの顔を伺いました。
「では、お願い致します」
 王子に変わって、マバラックの方が言いました。
「左様で御座いますか。では、どうぞ」
 盲目の老人は立ち上がると、杖を頼りに歩き出しました。かなり歩いて、静かな通りに入ると、老人は立ち止まりました。
「これがわたくしの家で御座います」
 王子とマバラックは思わず顔を見合わせました。目の前にあるのは、広い屋敷です。
 二人の様子を感じ取って、老人が言いました。
「いえ、驚きなさることなど御座いません。中に入って頂くとわかりますが、ただ大きいだけで御座います。家の方など、もう半分崩れかけておりまして……」
 なるほど、入ってみると、庭はくさがぼうぼうでした。屋敷も大きいだけで、ひどい荒れ方です。
「さあ、どうぞお入り下さい」
 老人は、二人を家の中に案内しました。その音で気が付いたのでしょう、奥の方から声がしました。
「あら、お父様ですの。どうかしましたか、こんなにお早くお帰りになるなんて……」
「それがね、今日はお情け深い旅のお方がお二人、私に金貨を恵んで下さったのだよ。それでね、こんなところで失礼だが、夕飯でも差し上げたいと思って、お連れしたのだよ」
 老人が言いました。
「あら、そうで御座いましたの。では、わたくしは、すぐにここを片付けまして……」
「そうだね。早く明かりを持ってきてもらおうか。せっかくお招きしても、このような暗い部屋では……」
 老人は眼が見えなくても、部屋の暗さが分かるのだろうか、そう言いながら、二人に椅子をすすめると、
「あれは、わたくしの娘で御座います。きっと糸を紡いでいたところでしょう」
 と言い残して、部屋を出て行きました。
 王子とマバラックは、薄暗い部屋の中で、また顔を見合わせました。古くて暗くて、お化け屋敷のような家ですが、でも、よく見ると、元は立派なお屋敷であっただろうことが、はっきりわかります。
「ごめん下さいませ」
 綺麗な声がして、ランプを持った若い女の人が入ってきました。
「このような粗末な所に、ようこそおいで下さいました。また、先ほどは、父に金貨をお恵み下さいまして、有難う御座いました」
 と、娘は丁寧に頭を下げました。
「いや、こちらこそ、つい、お言葉に甘えて……」
 王子もマバラックも、丁寧に頭を下げました。そして、その頭を上げた時、ちょうどランプの灯が、娘の顔をまともに照らしました。
「おやっ?」
 王子とマバラックは、同時に身体がぶるぶるっと震えました。あまりにも美しい娘だからでした。

                    ☆

 貧しいながらも、父と娘は、心から王子とマバラックをもてなしてくれました。やがて、心づくしの夕食も終わり、美しい娘は、部屋を出て行きました。
 さっきから、見えない目で二人の客の様子をうかがっていた老父が、静かな声で言いました。
「旅のお方。あなた様方が三年もの間ご苦労を重ねられて、どなたを探しておられるのか、よろしかったらお聞かせ願いませんか?」
「はい、実は……」
 王子は青い仙人の王に頼まれて、ばら姫を捜し歩いていることを正直に話しだしました。すると、小さく頷きながら聞いていた老人の顔が、少しずつ青く変わっていくのが分かりました。王子の話が終わると、老人は大きく息を吐いてから、また静かに言いました。
「世の中には、不思議な事もあるものですな。すると、わたくしは、あなた様方に深くお詫びをしなければなりません」
「え、お詫びを、ですか?」
「はい、あなた様方は、わたくしの娘のために、そのようなご苦労をなさっておられるのですから」
「え、すると……?」
「はい、あなた様方の探しておられるばら姫というのは、何を隠しましょう、わたくしの娘で御座います」
「え、すると、やっぱり……」
「不思議に思われるのも、ご無理ありません。わたくしはもともとこの国の貴族ですが、今はこの通り、すっかり落ちぶれてしまいました。それと言うのも、あの娘のためで御座います。娘の美しさがインドの国中に広がったからなのです。ばらの花のように美しい、と言って、ばら姫と言う名前も皆さんで付けてくれました。しかし、その事から、困ったことが起きてしまったのです。
 この国の西の方の山に、恐ろしい魔王が住んでいるのです。その魔王が、娘のうわさを聞いて、ばら姫を嫁にもらいたい、と申し込んできました。もちろん、娘もわたくしもお断りしました。けれども、魔王はあきらめませんでした。そしてある日、魔王の家来たち十人が、娘を連れに来たのです。
 ところが、神様のお助けでしょうか、この屋敷に入ろうとすると、どこからともなく、たくさんの小石がまるで雨のように家来たちの頭の上に降って来たのです。おかげでさすがの家来たちも、命からがら逃げ帰っていきました。


 怒った魔王は、今度は百人の家来たちに言いつけたのです。しかも、父親のわたくしを殺して、ばら姫を奪ってこい、ついでに財産も残らず取り上げてこい、という酷いことを……。けれどもその百人の家来たちが、この屋敷に入ろうとすると、また、前の時と同じように、いえ、前よりももっとひどくたくさんの小石の雨が家来たちの頭の上に振ってきて、やっぱり逃げ帰りました。
 二度とも失敗した魔王はもう諦めたのか、その後は来ませんでした。でも、魔王の恐ろしい呪いで、わたくしの目は見えなくなってしまいました。
 そればかりではありません。この話が国中に広がって、みんな魔王の呪いを恐れだしたのです。そして、魔王の呪いのかかっている家だからと、誰一人、わたくしたちの所に来てくれなくなったのです。わたくしと娘は、親戚からも、友達からも、すっかり見捨てられてしまったのです」
 老人は、見えない目の涙をそっとふきました。
 王子もマバラックも、涙の溢れてくる目を押さえました。
 老人はまた言いました。
「それで、お願いがあるのですが、わたくし達を可哀想にお思いでしたら、どうぞ、娘を一緒に連れて行ってください。実は、今こうしておりましても、恐ろしいしいあの魔王がいつやって来るかと、それが心配でならないのです。娘が可哀想でならないのです」
 王子とマバラックは、思わず顔を見合わせました。
「ぜひ、お願い致します!」
 老人はまた言います。
「お連れするのは、こちらの方からお願いしたいことです。でも、青い仙人の王が、何故、ばら姫を探しているのか、それが私には分からないので……」
 と、王子が言うと、老人は慌てて手を振りました。
「青い仙人の王のうわさは、わたくしも今までに何度も聞いております。神様のような偉い方だそうですから、哀れな娘をきっとお助け下さると思います」
「そうですか。それほどまでにおっしゃるのでしたら……。でも、姫の気持ちを確かめませんと」
 王子が言い終わらない内に、老人は手を鳴らしました。
「お呼びですか、お父様」
 姫が淑やかに入ってきました。
「そこに座りなさい」
 目の見えない老父は、娘の美しい手を軽く握って、王子たちの事を詳しく話して聞かせました。
「はい、お父様。よく分かりました」
 ばら姫は美しい顔を、王子の方に向けて言いました。
「王子様、わたくしは、あなた様とご一緒に参ります。そうすれば、あなた様は無事にペルシャの王様になることが出来るのですから……。いえ、わたくしの方も、あの恐ろしい魔王の呪いから逃れることが出来ますもの。また、そのために、わたくしがもっと不幸なことになりましても、決して悔やみません。ただ、一つお願いが御座います。この父も一緒にお連れ願いたいのです」
「はい、分かりました」
 王子が喜んで答えると、ばら姫は初めてにっこりと笑いました。
 さて、そのあくる朝でした。突然、思いがけない悲しい事が起こってしまいました。夕べはあれほど元気だった老父が、どうしたことか、夜の間に死んでしまっていたのです。
 ばら姫は悲しみに泣き崩れました。王子にしても、マバラックにしても、慰めの言葉も出ませんでした。
 王子はマバラックに手伝って、亡骸を屋敷の隅に埋めました。そして、その後すぐ、三人は人目につかないように、そっと屋敷を出ました。

                    ☆

 王子とマバラックは、ばら姫を庇いながら、野を越え山を越えて、旅を続けました。
 もう仙人の王の館も近くなったと思うところまで来ると、遠くからかすかな人声のようなものが聞こえてきました。マバラックが立ち止まって、遠くを見つめながら言いました。
「おう、王子様、ご覧なさい。遠くに見えるあの青い霞のところが、仙人の王の館で御座います」
「では、とうとう着いたのか……」
 長い旅を続けて、やっと着いたというのに、王子はあまり嬉しそうでもありません。と、今度は、そばのばら姫が、しくしくと泣き出しました。
「どうしたのですか、お姫様?」
 マバラックは不思議そうに聞きました。
「はい、長い旅を続けてやっと着いたのに、申し訳御座いません。でも、これで王子様ともお別れと思いますと、つい、悲しくなりまして……」
 ばら姫の悲しそうな声に、マバラックは戸惑いました。王子の方を見ると、王子もやっぱり、ばら姫と別れるのが辛いのでしょう、下を向いたまま、悲しそうな顔でした。
 マバラックは二人のそんな姿を見ると、このままばら姫を連れて、逃げ出したい気持ちでした。でも、ばら姫を仙人の王に渡して、四十番目の猿の像をもらわないと、王子が王の位につくことが出来ないのです。では、どうすれば……。
「マバラック。このままでいい。さ、堂々と行こう!」
 王子はどんな決心をしたのか、急に元気な顔になって、勢いよく歩きだしました。
 仙人の館に着くと、家来たちは三人を王の前に案内しました。三人を迎えて、王の目は鋭く光りました。
「王様、お約束のばら姫を探し当てて、お連れしました」
 王子が元気な声で言いました。
「おう、ミスナー王子、よく約束を守ってくれた。三年もの間、さぞ苦労をしたことと思う。では、わしの方も約束通り、四十番目の猿の像を与える事にしよう」
 そして、仙人の王がそばの家来に言いつけようとすると、王子は慌ててそれを止めました。
「お待ちください、王様。私は、もう猿の像はいりません」
「なに、猿の像がいらないと?」
 王は驚いて声を大きくしました。
「はい、その代わり、私の方も、このばら姫をお渡しすることが出来ません。私は姫を連れて、このままペルシャの国に帰ります」
「なに、そのまま帰ると……? だが、四十番目の猿の像が無いと、叔父のアフーバルを倒す事も、王の位につくことも出来ないのだぞ!」
「はい、覚悟の上で御座います!」
「なに、覚悟の……。すると、王の位につけなくても良いというのか?」
「はい、仕方がありません。今の私には、王の位などよりも、いえ、この命よりも、ばら姫の方が大事な宝で御座います」
「それで、ばら姫の方はどうだな?」
 仙人の王は、今度は鋭く光る目をばら姫に向けました。
「はい、わたくしも、もう心が決まっております。王子様とご一緒なら、どんなに不幸になりましょうとも、決して悔やみません」
 ばら姫も、美しい顔に決心の色を浮かべて、はっきり答えました。
「では、王子に、もう一度聞こう。もしこのわしが、ばら姫を渡さぬと申したなら、どうする?」
「はい、その時は、たとえ王様と戦いましても……」
「なに、わしと戦って勝てると思うのか?」
「勝負は分かりませんが、多分、私が負けるでしょう。王様にはたくさんの家来がいらっしゃいますが、私の方は、マバラックと二人だけですから……」
 王子は、しかし少しも恐れている様子もありません。
「姫の方はどうだな?」
「はい、わたくしも、王子様とご一緒なら、たとえここで命をなくしましょうとも……」
「悔やまないというのだな。よし、それほど言うのなら、三人とも、覚悟を決めてもらうぞ!」


 仙人の王は、大きな声と一緒にさっと立ち上がりました。と、その途端でした。辺りが真っ暗闇になって、大きな音と一緒に、稲妻のような、鋭い光が三人の頭上に閃きました。
 その光に目のくらんだ三人は、ぐらぐらっとよろけて倒れると、そのまま気を失ってしまいました。

 それから、どのくらい経ったのでしょう。まず、マバラックが目を覚ましました。
「はて……?」
 目をこすりながら辺りを見回すと、さっきの部屋とは違います。そして、すぐそばに、王子とばら姫がすやすやと眠っていました。
「王子様! ばら姫様!」
 マバラックは、二人を揺り起こしました。
「おやっ、これは、一体どうしたことだ、マバラック?」
「それが、わたくしにも、何が何やら、さっぱりわかりません」
 その時、静かに扉が開いて、二人の仙人が入ってきました。三人は、思わず身体を固くしました。しかし、仙人たちはにこやかに笑っていました。
「さ、どうぞ、こちらの方へ……。王様がお待ちかねで御座います」
「え……?」
 三人は、不思議でなりません。
 案内されたのは、王座のある、さっきの大広間でした。
「おう、どうだったな。三人ともよく眠れたかな?」
 仙人の王は、さっきとはまるで違う、穏やかな顔で、と言うより、微笑みさえ浮かべて言いました。
「ミスナー王子、よく聞くのだぞ。わしはそなたに、ばら姫を探して、ここに連れてきたなら四十番目の猿の像を与えると約束をしたな」
「はい、その通りで御座います」
 王子も、今は気持ちも落ち着き、静かに答えました。
「その、四十番目の猿の像はこれだが、今、そなたに与えるぞ」
 なるほど、王のテーブルの上に、ぴかぴか光る猿の像が乗っていました。しかし、王子は慌てました。
「お待ちください、王様。お言葉は有難いのですが、しかし、私はまだ王様との約束を果たしていないのです。――ばら姫を王様に渡してはいないのです」
「いや、そなたは、わしとの約束を立派に果たしている。良いかな、わしはそなたと約束する時、『ばら姫をここに連れてきたなら……』とは言ったが、『ばら姫をわしに渡したなら……』とは言わなかったはずだ」
「え……?」
「いや、驚かなくともよい。わしが何故、このばら姫を探したのか、その訳を話そう。――ミスナー王子。そなたは、この四十番目の猿の像さえあれば、ペルシャの国王になれる人なのだぞ。だがな王子、あの大国を治めていくのには、国王はもちろんだが、その王妃もまた、国民から敬われる、賢くて気品のある人でなければならない。わしはそう思えばこそ、そなたにばら姫を、そしてそなたは、三年もの苦労の末、ばら姫を探し当てた。また、その姫は、うわさ通りの美しい賢い姫であった。王子と一緒なら、命を捨てても悔やまないとはっきり言った。実はわしは、その言葉を聞きたかったのだ。さっきは二人の心を試すために驚かせたが、二人は最後まで立派であったぞ!」
 初めて訳が分かって、王子とばら姫は、喜びの涙にむせびました。後ろに控えていたマバラックの目からも、大粒の涙がこぼれ落ちました。
 あくる朝――三頭のラクダが仕立てられ、出発の準備は整いました。
「おう、これで、そなたの父上も、地下の世界でさぞ喜んでおられる事だろう……。では、立派な国王、立派な王妃になられて、いつまでも幸せに暮らすのだぞ」
「はい、有難う御座いました」
 先頭にミスナー王子、続いてばら姫、少し離れてマバラックが……。
 三頭のラクダは、さわやかな風の朝の山を、太陽の燃える昼の野を、そして、月の美しい夜の砂漠を幸せの待っているペルシャの国に向かって、進んでいくのでした。



おしまい


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