アントワープの町


                    ☆

 むかし、アンチゴヌスという、とても乱暴で人を傷つけたりする事など平気な大男がいました。アンチゴヌスは、シェルド川の側に建っている大きな城に住んでいました。
 川岸にはにぎやかな街があって、材木や、鉄や、食糧品や衣料類などを積んだ船が、絶えず川を上ったり下ったりしていました。
 ある日、アンチゴヌスは、お城の中から川を行ったり来たりしている船を眺めている内に、ふと、良い事を思いつきました。
「毎日、あんなにたくさんの船が川を往来しているんだから、船から通行税を取り立てたら、大儲けが出来るぞ。よーし、これはうまいぞ。早速そういう事にしよう」
 そこでアンチゴヌスは、大きな棒を手に持つと、町へ出て行って、
「町の者は、今すぐ広場へ集まってくれ」
 と、割れ鐘のような大声で怒鳴って歩きました。
 町の人たちは、アンチゴヌスが手に負えない乱暴者なので、いう事を聞かないと、それこそどんな酷い目に遭わされるか分からないと思い、みんなすぐ、広場へ出かけて行きました。
 みんなが集まると、アンチゴヌスは人々をぐっと睨みつけながら、
「みんな、よく聞け、今日からは、城の下を通るには、俺の許しが無いといけない。いいか、通行税を払わないと、一艘も通さないぞ。もし、払わないというものがいたら、両手を切り落として川の中に捨ててしまうからな。それから通行税を払わない船を通してやろうとした者がいたら、そいつも親指を切り落としたうえ、一か月間真っ暗な土牢へ放り込むからそう思え」
 と言いました。


 それから手に持っていた大きな棒を、ビュン、ビュン振り回していたかと思うと、そばにあった荷車目がけてはっしと打ち下ろしたのです。荷車は粉々に砕けてしまいました。人々は、震えあがって帰っていきました。
 その日から、アンチゴヌスは一日中お城の窓から川をみはっていて、船の姿が見えさえすると、大声で、
「通行税を払え!」
 と怒鳴りました。
  こうして、アンチゴヌスは、どんな貧しい者からも通行税を取りたてました。もし、払わぬものがあると、アンチゴヌスは本当にその人の両手を切り落としたり、川の中に手を投げ込んでしまいました。また、お金が無くて払えない者は、船の中から引きずりおろして土牢に閉じ込めてしまいます。
 やがて、こうした恐ろしいうわさが方々に伝わり、船は一艘も寄り付かなくなってしまいました。そのため町の人たちは、商売が出来なくなって、どんどん貧しくなっていきました。町の人たちは、とてもたまらなくなり、夜の暗闇に紛れてそっと船を出すこともありました。
 ところがアンチゴヌスは塔の上に見張りの男を立てて、昼も夜も川を見張らせたのです。そのため、夜、こっそりとお城の下を通り抜けようとしたところを、フクロウのように目を光らせた見張りどもに見つかり、船長は手を切られ、町の人たちは親指を切り落とされて、土の牢に放り込まれてしまうのでした。
 こんなことから、とうとうこの町は、よそものからアントワープという、たいへん情けない名を付けられてしまいました。アントワープとは、“手を投げる”という意味なのです。

 この町の領主のブラバンド公爵は町の人たちの悲しみを見て黙っていられず、アンチゴヌスのお城に尋ねて行きました。
「お前は随分酷い事をしているな。あんなことは、一刻も早くやめなさい。そうしないと、お前の城を焼いてしまうぞ」
 公爵はそう言って、アンチゴヌスを叱りました。
 けれどもアンチゴヌスは何も言わず、ただ笑っているだけでした。
 公爵が帰ってしまうと、アンチゴヌスはやはり公爵の言った事が気にかかると見えて、すぐにお城の守りを前よりいっそう固めました。そうしておいて、通行税はやめずに取り立てていました。
 公爵の家来に、ブラボーという勇ましい若者がいました。ブラボーは、アンチゴヌスが毎日町の人たちを苦しめているのにたいそう腹を立て、自分がアンチゴヌスを征伐して町の人を救おうと決心しました。
(アンチゴヌスは、お城の守りをがっちり固めているようだが、どこかに忍び込む隙があるに違いない)
 そう思ったブラボーは、アンチゴヌスのお城の側へ行って、良く調べてみると、どうやら一つの窓からアンチゴヌスの部屋に入り込めそうなことが分かりました。
 ブラボーは、すぐに公爵の前へ出て、
「どうか、町の人たちを救うため、アンチゴヌスの城を、ご家来たちに攻め立てさせて下さいませ。その隙に、私があの悪者めを捜し出して、必ず討ち倒しますから」
 とお願いしました。公爵も、アンチゴヌスには困っていたので、ブラボーの頼みを聞き入れてくれました。
 アンチゴヌスに気づかれぬように、月の無い暗い晩、選ばれた千人ほどの強い騎士が、鎧、兜に身を固めてお城目がけて音もさせずに進み出しました。
「もう、みんな寝てしまっただろう。不意を襲うのだ。さあ、攻め込めっ!」
 隊長の合図に、騎士達は雪崩のようにお城の門に押し寄せました。
 そして、棒で門をたたき壊して、どっとお城の中へ攻め込むと、不意を突かれている番兵たちを打ち倒してから、ありったけの蝋燭に火をともしました。
 お城の中はぱっと明るくなったので、騎士たちはすぐに土の牢を見つけ、錠を壊して中に閉じ込められていた人たちを助け出しました。その人たちは、食べ物も満足に食べさせられなかったと見えて、身体はやせ衰え、顔色は真っ青で、フラフラになっていました。


 その間に、ブラボーはただ一人、お城の壁をよじ登って、前に調べておいた窓から、アンチゴヌスの部屋に躍り込みました。それに気づいたアンチゴヌスは急いで棍棒を取り上げると、ブラボー目がけて打ちかかりましたが、ブラボーはさっと身体をかわしました。
「うーむ、小癪な……」
 アンチゴヌスは焦って、しゃにむに打ちかかりましたが、ブラボーはひらり、ひらりと身をかわし、隙を見て剣をさっと横に払いました。勝負は決まって、大男のアンチゴヌスはどさりと床の上に倒れました。
 アンチゴヌスのお城のただならぬ騒ぎに、町の人たちはみんな目を覚まして起き出しました。そして、ブラボーがアンチゴヌスを倒したことが分かると、躍り上がって、
「ブラボー様、ばんざーい!」
 と叫びながら、外に飛び出しました。それからブラボーを褒め称える歌を合唱しながら、お城へと進んでいきました。
 やがて、一人の町の偉い人が、
「アンチゴヌスのおかげで、この町はアントワープという恥ずかしい名前を付けられてしまったが、これからは新しい名に、つけ変ようではないか」
 と言いだしました。すると町長が、
「私は、今まで通りアントワープという名を残しておいた方がいいと思うのだが……。何故なら、アントワープとは、“手を投げる”という事だが、また、“港に”という意味もある。だから今度は世界中の船がこの町へ来てくれるとうにしようではないか。それからもう一つ、町の人たちのために戦ったブラボー様の勇敢な働きを記念して、今後は城の上に二本の赤い手を重ねた図を町の紋章にしてはどうだろう」
 と、みんなに相談しました。
「賛成! 賛成!」
 町の人たちは、すぐに大声で答えました。ブラボーは、公爵に呼ばれて、たくさんの褒美をもらいました。
 これから後、アントワープの町には世界中の船がやって来るようになり、町は大変栄えました。町の広場には、今でもブラボーを記念する立派な青銅の碑が立っていて、町の人たちは、これを何よりの自慢にしているという事です。



おしまい


戻る